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赤獅子の末姫は物語から退場したい  作者: ななみ
赤獅子の末姫は物語から退場したい
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まやかしの愛情

「――――リット。起きて、ジークリット!」


 心配そうに肩を揺さぶり、アレクシスが何度も何度も呼びかける。


 お願い、今は放っておいて。笛の音が止むまでは――――。


「それは悪い夢だよ。ほら、目を開けてごらん」


 夢? 私は眠ってなんか……。


 疑問が生じた途端、ジークリットははたと覚醒する。だが、すぐには状況が呑み込めず、呼吸も忘れたまま周囲を確認した。

 棚や卓に置かれた蝋燭灯りが、静かな室内を仄かに照らす。そこはジークリットのためにあつらえられた、新しい居場所――否、仮の宿だった。


「……そっか。私、結婚してグリーベル家に……」


 ほっと安堵の息を漏らし、ジークリットは肩の力を抜いてもたれかかる。やけに温かく、筋肉質な何かに。


「落ち着いてきたかい?」


「――――ア、アア、アレクっ?!」


 飛び上がらんばかりに吃驚した妻を見つめ、緩やかな絹の寝間着に身を包んだ夫が優美に微笑む。余裕の態度は毎度のこととして、最大の問題はソファに座る二人の体勢だ。


「ど……どうして私……横抱きにされてるの?」


 近い、というか距離はもう無に等しい。けれど、あまり離れると尻から床へ滑り落ちそうで、やむなく彼に身を寄せる。


「部屋を訪ねてみたら君があの椅子でうたた寝していて、最初は寝室まで運ぼうとしたんだ。けど突然うなされ始めたから、起こそうと思ってここに」


 アレクシスの視線を辿ると、肘掛け椅子と裁縫箱を置いた小卓が並んでいた。つまり刺繍の完成を急ぐつもりが睡魔に負けた挙句、再び心の脆さを晒してしまったというわけだ。


「手を煩わせてごめん。もう平気だから……」


「でもまだ顔色が悪いよ。頬も冷たくなって……、よほど怖い夢を見たんだね」


 他人行儀な妻を彼は慣れた手つきで抱き寄せ、体の熱を分け与える。その腕の中は不思議と居心地が良く、ジークリットを再び夢の世界へ誘おうとした。


「ふわっ……! あ、危ない。また眠るところだった……」


「今度は僕がついているから安心して寝ていいよ。もう真夜中を過ぎたことだし」


 アレクシスの言葉通り、振り子時計の短針は真上からわずかに右に位置していた。


「まさか、ずっと私を待っていたの? 先に寝ていてってヘラから伝言を聞いているでしょう?」


 情事に夢中で忘れていた――なんて失態を彼が犯すとは思えず、ジークリットは叱るような口ぶりで問い詰める。


「伝言は受け取ったよ。でも君が隣にいないと何だか寝つけなくて」


 私がそばにいるせいで安眠できないの間違いでは?


「一人寝が寂しいなら恋人でも愛人でも呼べばいいのに。それこそヘラうぉ……っ?!」


「僕はジークリットに話しているよね」


 片手で妻のすべらかな頬を軽く挟み、アレクシスが妙に威圧感のある笑顔を向ける。燭台の炎を映した青緑色の瞳はいつも以上に蠱惑的で、見る者の心を捕らえては激しく打ち鳴らした。


 ――あ……あれ、何で顔が火照って……。


 体温と脈拍の異常に戸惑いながらも、逃げてはならない気がして、ジークリットは瞬きもせずにアレクシスを見つめ返した。


「そのいじらしさは可愛いけれど、男女の間では承諾の合図と受け取られるよ」


「承諾って何の……?」


 正視したまま意味を尋ねた瞬間、アレクシスの顔が間近に迫る。真摯な眼差しに気圧されたのか、ジークリットは思わず目を瞑ってしまった。

 閉じたまぶたの向こうで、ふっと彼が微かに笑みをこぼす。額に柔らかな感触を覚えたのは、その直後だった。


「――さて、もう休もう。朝には父上の見送りもあるしね」


「へ……ふぁっ?!」


 気の抜けた返事から一転、ジークリットは素っ頓狂な悲鳴を上げて、起立した夫の肩にしがみつく。


「大丈夫だよ。けして落としたりしないから」


 アレクシスは吃驚する妻を両腕に抱えたまま、淀みない足取りで隣の寝室へと歩を進める。口にする言葉こそ心強いが、その緩んだ表情で台無しだ。


「わ、私の反応を見て楽しんでいるでしょう?」


「そうだね。君といると本当に楽しい」


「しれっと認めた……!」


 怒りで紅潮した頬を膨らませれば、それがまた彼の笑いを誘い、悔しくてジークリットは足をばたつかせた。


「からかっているわけではないよ。こうでもしないと君は素直に寝てくれないだろう?」


 アレクシスはつと歩みを止め、すぐそばの丸い小卓に注目する。素朴な木製の裁縫箱と、拙い刺繍の施された白い布がその上に置かれていた。


「焦って仕上げる必要はないと言ったのに。それとも何か急ぐ理由でも?」


「や、約束しちゃったから、早く完成させないと落ち着かなくて……」


 アレクシスの勘の鋭さに舌を巻く。無論、動揺を面に出さないよう努めたが、密着しているせいで恐らく鼓動は筒抜けだった。


「でも続きはまたにする。もしもの時に寝不足で対応できなかったら困るもの。というわけで下ろして」


 いかにも眠そうに欠伸を噛み殺し、これなら文句はないだろうとアレクシスの肩を叩く。

 奇妙なことに要求はあっさりと聞き入れられた。そうして望み通りの自由を得たのに、緊張を解くどころかジークリットは一層警戒を強める。


「僕は火を消すから先に行ってて」


「え? じゃあ、私も……」


 彼とはできるだけ距離を置きたい。しかし火の始末を人任せにはできず、アレクシスに倣って真鍮の蝋燭消しを手に取る。


 ――アレクのことだから、何か企んでいるのかと思ったけど……。


 左右に分かれて消火を始め、あっという間に残りは半分。常に彼との間合いを意識してきたが、どうやら杞憂に終わりそうだ。


「邪推するより直接聞けばいいのに。君に嘘なんてつかないよ」


 相手の油断を見計らったかのように、アレクシスが苦笑いする。幾度も心を読まれてきたからか、ジークリットは驚くよりも酷い脱力感に襲われた。


「私は……疑い深い性分なの。甘言で惑わす人間は特にね」


「単に、君を口説き落とそうと必死なのかもしれないよ。初心で不慣れな男なりにね」


 ちゃっかり侍女に手を出しておいて、清廉潔白を自称する。その図々しさに呆れ果て、手際良く燭台の灯りを消すアレクシスの背中を睨みつけた。


「ふーん、気づかなかった。私って愛されていたんだ」


「一方的な好意なら、それは恋かな? 愛とは二人で育むものだと思う」


 淡々と訂正を入れる青年から、敬慕の情なぞ微塵も伝わってこない。とはいえ、ジークリットも創作物の中でしか色恋を知らないのだが。


「アレクの艶聞が絶えない理由がわかった気がした」


「あれは……グリーベル家との繋がりが欲しい貴族と、僕を蹴落としたい親族の捏造だよ。どちらの言い分を信じるかは君の自由だけれど」


 瀟洒な机に置かれた最後の燭台を持ち、アレクシスが手招きする。もう部屋の半分以上が闇に侵食されたが、ジークリットは何事もなく歩き出し、唯一の光源を目指した。


「白か黒かの前に、思わせぶりな言動は慎んだら? 私と違って、本気にしてしまう女性もいるだろうし」


「肝に銘じておくよ。次は手加減しない」


 長い指で形の良い唇に触れ、意味深に微笑むアレクシスを三叉の燭台の炎が照らす。その薄気味悪さにたじろぎつつも、ジークリットは机上の短剣にそっと手を伸ばした。


「――まだこれが必要?」


 短剣を掴みかけたところで、アレクシスの手が上から覆い被さり、邪魔をする。ただし、そこには悪意も害意もなく、優しい温もりだけがじわりと伝わってきた。


「私に必要なわけじゃない。でも私が持つことで、引き下がってくれる人もいるから……」


 真正直に答えてはハッと息を呑み、すかさず不敗の赤獅子らしく豪然と胸を張る。


「か、返り討ちにするのは容易よ。ただ、その間に物が壊れたり、服や部屋が汚れたりして後始末が大変なんだもの」


「そうだね。傷つけ合わずに済むなら、それに越したことはない」


「私は傷を負ったことなんて……」


「外からは見えないものもあるだろう?」


 図星を指され、ジークリットはとぼけることもできずに黙り込む。そこでさらに追い打ちをかけてくるかと思いきや、降ってきたのは予想だにしない質問だった。


「君は我が家の使用人と目を合わせないようにしているけれど、あれはどうして?」


「ど、どうしてって……。だって怖がらせては可哀想……じゃなくて! えーと、あの、あれよ。そうっ、煩わしいの!」


「なのに挨拶と感謝の言葉は欠かさないよね」


「えっ? そんなの当たり前のことでしょう?」


 付け入る隙のない酷薄な人間を目指しても、どうしたって育ちの良さが前面に出る。しかし本人がきょとんとしているためか、アレクシスは眉尻を下げて苦笑いした。


「嘆かわしいことに、そうした礼儀を忘れてしまった人間は大勢いるんだよ。だからこそ……僕なら君のような人を大切にしたい」


 有言実行のつもりなのか、繊細な硝子細工を扱うみたいにアレクシスが重ねていた手をそっと握りしめる。それが何だかこそばゆくて、ジークリットは頬を赤らめ、もじもじと体を揺らした。


「う……裏があるかもしれないじゃない。安易に気を許すと痛い目を見るんだから」


「別に下心があっても構わないよ。君のおねだりならきっと可愛いものだろうし」


 両者の間にどれだけ壁を築いても、アレクシスは軽口を叩きながら悠々と踏み越えてくる。そもそも互いに利用するつもりで結婚したのだから、思惑など今更なのだ。


「……本当に大切な人だったら?」


 ちょっとした興味ではあったが、口に出してすぐに後悔した。とはいえ、アレクシスが小首を傾げて続きを待っていて、もはや突き進む他ない状況だ。


「例えば……侯爵からもたらされたものが、全部まやかしだとしたら? 好意も愛情も、手懐けるための方便……、そう考えたことはない?」


 あの親馬鹿な侯爵に限って――、だが可能性は零ではない。過信の危うさを訴えるように、鋭い眼差しをアレクシスへ向ける。


「もしかして、それは御母上の話?」


 ヒクッと頬が引きつる。

 直後、心の奥から怒りや悲しみの感情が噴き出し、ジークリットは小刻みに震えながらそれを必死に抑制した。

 何故、母と娘の確執を彼が知ってるのか。そんなもの、母親が密かに打ち明けたからに決まっている。


「……仲裁でも頼まれたの?」


 作り笑いを浮かべて、無理にでも余裕を演じる。それが今にも崩れ落ちそうなほど弱々しいものとも知らず。


「御母上の望みは我が子の幸せだけだよ。そこに私欲など微塵も感じなかった」


「それはそうだよ。だってあの人の望みはもう叶ったもの。『私』を生み出すことが、あの人の念願だったんだもの」


 疚しさから顔を背けた母親の姿が脳裏を過ぎる。荒ぶる感情はとうとう堰を切り、ジークリットは全力でアレクシスの手を振り払うと、すかさず短剣を掴み取った。


「私は誰も信じない。信じたくても信じられない。だから……誰も近づかせない」


 胸の前で短剣の柄を握りしめ、半歩、もう半歩と後退る。

 どうもてなしたところで拒絶されるなら、ここで見切りをつける方が賢明だ。しかし納得できないのか、アレクシスは悩ましげな吐息を漏らす。


「もったいないね。君は冒険小説を読み漁るほど未知の世界に焦がれ、人の和に飢えているのに」


「……空想は自由。でも現実なら、私は厄災をもたらす化け物役だもの」


「獅子に女神に、そして化け物か……。君は見る者によって姿が変わる呪いでもかけられているのかな?」


「そうね。だから関わるとアレクも呪われるかもよ」


 じとっと横目で相手を睨みつけ、最後に残った蝋燭の炎を吹き消してやる。夜目が利く自分とは異なり、突如訪れた暗闇に彼の思考も少しは鈍るだろう。そう思った。


「平気さ。呪いを解くには定番の方法があるだろう?」


 アレクシスの妖艶な笑みに、黄金の双眸が散瞳する。言葉の意味を理解するより早く、彼の長い指先がジークリットのこめかみに、そして輪郭をなぞるように頬へ、唇へ。

 見つけた。そう言わんばかりに温かな指先が、唇の感触を楽しむ。


「……っ」


 全身の肌が粟立ち、ジークリットは息を呑む。逃げなければ、と脳が危険を訴える一方で、体はアレクシスの方へ吸い寄せられていく。

 ジークリットの望みがそこにはあった。


「――も、もう休まないとっ!」


 鼓膜を打ちつける心臓に負けじと、声を張り上げる。


「侯爵が朝早いのに寝坊なんてしてられないもの! ほら、寝室はこっち!」


 唇に触れていた大きな手を取って、ジークリットは早足で歩き出す。すぐ後ろでアレクシスが残念そうに苦笑いしたが、けして振り返らずに聞こえないふりをした。

 どうせこの暗さではわかるまい。それでも熱を帯びたその顔を見せる勇気はなかった。


拙い文章ですが、読んでくださってありがとうございます。

本日はここまでです。

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