第五話 下山
第五話 下山
サイド 矢橋 翔太
スノードラゴンが飛び去ってから数分後。ぼんやりと空を眺めていると、腕の中で眠っていたアミティエさんがうめき声をあげる。
「なんや……?」
「アミティエさん」
「んん……?」
眉間に皺をよせながら左目を手でこすり、彼女が体を起こす。
「あー……ごめんよ。色々と迷惑をかけてしまったね」
「いえ……それより、怪我の具合は大丈夫ですか?」
自分の方はだいぶ落ち着いて来た。MPはまだ回復しきっていないが、あと二、三回ぐらいなら『ヒール』や『ケア』が使えるはずだ。
彼女は頭を怪我しているし、傷口は塞がっても正直不安だ。
「うーん……ごめん。ウチの左目、どうなってる?」
「どうって」
懐から出した布で顔の血を拭ったアミティエさんがこちらを向く。ぱっと見は傷などない綺麗な顔だ。
真っすぐ見ていると照れてしまいそうになるが、それどころではないと思ってジッと観察する。
そこで、彼女の左目に違和感を覚える。なんというか……瞳が揺れないのだ。
「一見外傷は無さそうですけど……なんだか瞳に違和感が」
「なるほどね。いや、どうにも左側が見えないものだから」
「えっ」
「最初は目に血が入っただけだと思ったんだけどね」
慌ててもう一度彼女の左目と、まだ少し血に濡れている額を見る。
「す、すみません!もう一度魔法を」
「いやいや。君が謝る事はないよ。むしろお礼を言わせておくれ。おかげで一命をとりとめたんだから」
『どうして、ウチだけ生き残ってしまったんや……』
飛んでいくドラゴンを見ながらそう呟いた彼女を思い出し、すぐには言葉が出ずに視線をそらす。
「と、とにかくもう一度魔法を使います」
そう言って彼女の左目に手をかざし、魔法を唱える。暖かな光が止んだ後、そっと手をどかして彼女を見やる。
アミティエさんは何度か周囲を見回したり、自分の手をかざした後に小さく肩をすくめた。
「残念だけど、明暗ぐらいしかわからないね。うっすら輪郭も見えるかも?」
「そ、そんな……」
「たぶん眼球というより脳と繋がっている神経がやられたんだと思う。オカンから聞いた事があるよ。頭、特に額に怪我をした人が目を悪くする事例があるってね」
「じゃあ、額の方にもう一回」
「いいや。それは遠慮しておくよ。たぶん最初にそこを治してくれたんだろう?それで治らない以上、効果は期待できない」
……確かに、自分の中に何故かある知識でも『初級白魔法』では神経の複雑な治癒は難しいと出ている。頭部のソレはあまりにも複雑だ。
ポケットから黒い布を取り出し、アミティエさんが眼帯でもするように左目を覆う。手慣れた様子で結び終えると、膝に手を付いてゆっくりと立ち上がった。
「うん。歩くのは大丈夫……かな。本当にありがとう。吹雪も止んだし、一緒に下山しようか」
「は、はい……あの、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫。けど出来れば肩を貸してほしいかな?」
「はい。それは勿論」
「すまないね」
スノードラゴンが飛んでいくのを追おうとしている時とは違い過ぎる態度に、困惑を隠しきれない。
こちらの様子に気づいたのだろう。アミティエさんが苦笑を浮べる。
「さっきは取り乱しまったね。今は落ち着いている……と思う。自己分析だけど。歩きながら話そうか。この雪もすぐに解けるだろうから」
「わかり、ました」
ボウガンを手早く分解して背負い袋にしまったアミティエさんが、こちらの右の二の腕を掴んだのを確認し山を下りていく。
「さて……質問を受け付けよう。ウチの方から説明というのも難しいからね」
「いや俺もあまり整理がついていないといいますか……」
「ふむ……とりあえず、敬語はしなくていいよ。たぶん年も近いだろうし」
「は、はい。いや、うん」
「よろしい」
クスクスと笑う彼女は、やはりかなり落ち着いて見える。自分はまだ先ほど感じた死の恐怖に心臓がバクバクと五月蠅いのに。
「なら、なんでそんなに落ち着いていられるんだ?片目に……それに敵討ちも」
「そうだね。まず目に関しては、五体満足に生きて帰れる可能性は万に一つもないと確信していたからだよ。覚悟の上さ。今も両足とも指がいくつか感覚を失っているし、壊死しかけているんじゃないかな」
「……はぁ!?」
慌てて立ち止まり、その場にしゃがみこんで彼女の足元を見る。藁か何かは知らないが、植物を編んだ感じの靴は溶け始めた雪でかなり湿っていた。
「ちょ、『ヒール』!」
「え、まだ魔法が使えたのかい?無理をすると魔力切れで意識が……」
「まだ使えるからちゃんと怪我していたら言って!他には!?」
「すごい魔力量だね……大丈夫だよ。おかげでだいぶよくなった。ありがとう」
壊死……凍傷?凍傷の時って靴を脱がせた方がいいのか?いや下手に脱がすと悪化する?こういう時スマホで調べられないのがとても歯がゆい。
よくわからないが、自分の荷物を体の前に回して目を丸くしているアミティエさんに蹲ったまま背中を向ける。
「乗って。そのまま歩くのは駄目だ」
「いや、今ので治った気がするし……なにより素人が雪山を下山するのはとても危ないんだよ?それを誰かおんぶしてだなんて」
「大丈夫だと思う。俺、なんだがこの世界に来る時チートというか……特殊な力を得たっぽいから、身体能力には自信がある」
「そう言えばやけに体力が……オトンもそんな話を……」
数秒ほど悩んで、恐る恐る彼女がこちらの背に乗っかる。
ふわりと花のいい香りがして意識がそちらに向いたが、慌てて煩悩を振り払う。今はそんな事を考えている場合じゃない。
「行こう。道案内、お願いします」
「ああ。こちらこそ、お願いね」
そうして、彼女の指示を受けながら山を下りていく。
のぼる時はあれだけ辛かった道だが、下りるのはまた別の苦労があった。単純に下り坂というのもあるが、それ以上に足場が酷い。
溶け始めた雪は滑りやすく、踏みしめようにも足場自体がずれるような感覚がして非常に歩きづらい。
「ああ、そこは左だね。たぶん大きな岩があるんじゃないかな?」
「あ、はい」
だが歩けないほどではないし、そのペースも行きよりはだいぶん速いはずだ。
それでも、世の中上手くいかない事の方が多いらしい。
「っ……?」
「……これは、大型の獣かな?」
スキルが反応。ほとんど同時にアミティエさんが呟き、そっと振り返る。
『カフッ!……カフッ……!』
『フー……フー……』
後方。つまり坂の上側に二頭のクマがいた。どちらも鼻息を荒くしこちらを見つめている。だが最初に視線がいくのはその背中。
魔獣の証である紫色がかった水晶が、何本も皮膚を突き破るように生えていた。
「これって……どう逃げればいいんでしょう」
「残念だけど、魔獣化すると狂暴になるからね。よほど実力差を感じないと逃げないし、逃がしてもくれないと思うよ」
『『ブオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』』
「今日は厄日だ……!」
思わず悪態をつきながら走る。べちゃべちゃという自分の足音とは別に、乱雑に力強く踏みしめる音が後ろから聞こえてくる。
「クマは下り坂でも十分速い。このままじゃ追いつかれる。ウチを置いていって。そうすれば」
「うるさいですよいいから道案内して!?」
自己犠牲とか言っている場合じゃねえよ!?つうか置いて行ったからって俺が助かる保証ないと思うなぁ!?
「……なら右の方に向かって。あの辺は少し盛り上がっているはずだから、少しだけど向こうの速度が緩む。迎撃するならそこがいい」
「戦わない選択肢は!?」
「魔獣化したクマに山道は無理」
「畜生め!!」
言われるがままに走る。健脚にしてくれてありがとう神様!けどこの状況に放り込んだの絶対に許さねえからな!
確かにアミティエさんが言う通り、少し上り坂になっている場所にさしかかる。自分もバランスを崩すが、クマ共もふらついている様だ。
「次は!」
「ウチを降ろして。それと腰の矢筒に毒矢がある。それを刺せば殺せるはずだ」
「了解!」
スライディングするように片膝を付きながら木に肩と足をぶつける事で急停止。すぐさまアミティエさんを降ろし、彼女の矢筒から一本引き抜く。
とにかく一匹!頭数だけでも減らす!
体勢を立て直したクマ達だが、こちらの方が速い。右側の方に突っ込む。狙うはその眉間。
「頭はだめや!頭蓋骨が厚すぎる!」
「っ」
慌てて急停止。そこに前足が振るわれるが半歩さがって回避。
もう一体のクマが噛みついて来たので、脇を通る様にして避ける。そのまま、奴の脇腹へと矢を突きさした。
「おらぁ!」
『ギャン!?』
短い悲鳴をあげながら暴れるクマから離れる。毒が回るのがどれぐらいか知らないが、それまで放置でいい。もう一体を――。
そう思った時、右側へと『獣の直感』が反応。咄嗟に腰に挿していた銅の剣を抜く。
「いぃ!?」
甲高い音をたててクマの爪により剣が折れた。銅と言っても明らかに混ざり物だらけのそれが、根本近くで刀身を失う。
だがおかげで脇腹を抉られずに済んだ。衝撃でたたらを踏みながらも体勢を整えようとし――。
「えっ」
ずるりと足が滑り、尻もちをついてしまう。こんな時に!?
『ゴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!』
「この!」
振り下ろされた前足を首だけで避け、続く噛みつきを手で押し返す。
目の前に鼻息荒く迫るクマの顔がある。怖い。左腕を引き裂かれた痛みを思い出す。
「離れろこの畜生が!」
だからどうしたこっちはドラゴンに殺されかけたんだ!アレよりはマシだ!
溢れるアドレナリンにのせて自分を鼓舞しながら膝蹴りをいれる。少しだけクマの体が浮いた。このまま折れた剣を刺してやる!
「ええガッツや」
そんな声が近くから聞こえる。視界の端でアミティエさんの足が見えた。
『ギャン!?』
クマが暴れ、その隙に慌てて背中で這いずる様にして距離をとる。すると、アミティエさんがクマの脇腹に矢を刺したのだと気付いた。
「危ない!」
当然のようにクマの標的が彼女へと変わる。すぐに立ち上がろうとするが、間に合わない。
だがこちらの心配をよそに彼女は無表情のまま。流れる様に腰から小さい袋を出すと、クマの鼻先に投げつけた。
『ブオ゛!?』
ぶつかった衝撃で飛び散る赤い粉末。それを嫌がる様にクマが体を仰け反らせた隙に、彼女はこちらに走り寄ってきた。
呆気に取られる自分を引き起こしたアミティエさんの顔を至近距離で見て、ようやく再起動できた。
『フー!!フー!!』
顔をこするようにもがいていたクマだが、やがて動かなくなった。もう一頭も、いつの間にか倒れている。
「まだ近づいちゃだめだよ」
「ああ、わかってる」
スキルが未だ反応しているのだ。よく見れば毛も逆立っている気がする。
「……よし。仕留めた」
それから十秒ほどして、アミティエさんが息を吐く。
「本当に身体能力が凄いね、翔太君」
「いや……それより大丈夫なのかアミティエさん。足の指……」
「大丈夫だよ。おかげさまでいつも通りさ。靴が濡れて嫌な感触がしっかりあるよ」
そう言って手早く藁らしき植物をほどいていく。下から革製の靴が出てきた。二重構造だったのか、それ。
「じゃ、クマの毒矢を抜いておこう。長く刺し続けると全身に回ってしまう」
「あ、うん」
ナイフで矢が刺さった場所を皮と肉ごとえぐり取るアミティエさんに倣いながら、ふと考える。
あの時、この人は迷いなく自分を置いて行けと言い、次にはクマへと片目だと言うのに矢を握って近づいてきた。
献身。勇敢。どちらの言葉も当てはまるし、この人の性格的にそれでも合っている気がする。
だけど、今回はなんとなく違う気がした。
「あ、翔太君切り過ぎ」
「え、あっ」
* * *
そこからは魔獣に遭遇する事もなく、驚くほどあっさりと麓まで下りる事ができた。振り返れば山自体の高さはわりとあるので、彼女が適切なルートを選んでくれたのと、自分の体がチートであるおかげだろう。
ちなみにクマは肝臓?とかよくわからんけどいくつかの内臓と肉を取っただけでほとんど置いて来た。流石にこの状況で運ぶのは無茶すぎる。
「無事下りられたね。すごいよ、君は」
「いや、俺の力では……」
「ううん。助けられてばかりだったよ。本当にありがとう」
「い、いえ……」
「……ああ、そう言えば。二つ目の質問に答えていなかったね」
質問?『仇を逃したのに落ち込んでいないように見える』ってやつか。
「シンプルな理由だよ。ウチは諦めていない。逃げたのなら追いかける。地の果てまで追いかけて、必ず殺す。だから焦っていないのさ。今じゃなくていいからね」
「そう、なんだ……」
なんとも言えない。自分に親を殺された経験なんてない。どこにでもいる日本の高校生だ。
ただこれだけは断言できる。彼女は危うい。自分の命に価値を見出せていると思えない。むしろ、『死』に対して恐怖を感じているのかも怪しい。
……まあ、自分には関係ないか。
アミティエさんとは奇縁により共に戦ったが、それもここまで。これから先は彼女の人生と自分は無関係だ。
思う所がないわけではない。だが、それよりも自分の命が大事だ。未だこの状況に理解できているとは言い難いながらも、第一目標は既にハッキリとしている。
『生きて家に帰る』
これに尽きる。異世界だヒャッホーという感情は、直面した命の危機により消え失せた。今はただ、両親の声が聴きたい。自分の部屋のベッドでゆっくり眠りたい。
だからドラゴンなんて危険生物に関わるのはこれっきりだ。
……それに、なんかこの人危ういし。
「それにしても、君は大丈夫かい?胸に大怪我をしていた気がするけど」
「あ、はい。たぶん」
傷口は塞がっているし、痛みもだいぶひいた。見てみれば少し跡が残っているけれどそれだけ……うん?
なんだか傷跡にしてはやけに黒い。そういった知識は碌に持っていないが、それでも違和感を覚える。
というか、この嫌な予感は『獣の直感』?
「あの、この傷跡少し変なんですが……」
「うん?……これは」
竜の爪で空いた服の穴から傷跡を見せると、アミティエさんの顔が強張る。え、待ってめっちゃ不安なんだけど。
「……まさかとは思いますが、これって呪いとか?」
「……せやな。ある意味近いで」
嘘やん。え、これ『白魔法』でどうにかなんない?
いやけど呪いというには魔力?的な物の感じが変というか、なんというか。
「それはマーキングだよ。ウチもそう詳しくはないけど、竜種は執念深いんだ。君に対して、強い興味というか……恨みを持ったんだと思う」
「えっ」
ぎこちない動きで右胸を見る。よく見たらその傷跡は入れ墨みたいだ。
「……えぇ」
神様。そんなに俺が嫌いですか?俺はあなたが嫌いです。
読んで頂きありがとうございます。
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