第四話 早すぎたステージ
第四話 早すぎたステージ
サイド 矢橋 翔太
「走れ!」
「っ!?」
首の後ろに『ざわり』と嫌な感覚を覚えたのと、アミティエさんが叫んだのがほぼ同時。何も考えずに自分は木の陰から跳び出していた。
瞬間、背後で轟音が響く。スキルのおかげか見なくともわかる。ドラゴンが右の前脚を自分がいた位置に振り下ろしたのだ。
ぞっとする。自分が隠れていた木はかなり太く、それこそ自分の腕が回るかどうかぐらいだったのに。それがドラゴンの爪で抉られてミシミシと倒れてしまったのだから。
『■■■■■■■■■■■■―――ッッ!!』
「ヅッ!?」
ドラゴンの咆哮に頭を強く殴られたみたいな衝撃を覚える。だが足は止めない。死にたくない。その一心で。
「こっち向けやこんクソトカゲェ!」
視界の端で、憤怒の形相で奴の咆哮に負けじと吠えるアミティエさんが見えた。彼女がボウガンを構え、ドラゴンの顔面へと放つ。
綺麗な直線で飛んだ矢は、しかし奴の右目に届く前に弾かれてしまった。不自然な軌道で逸れて砕けた矢。なにかバリアーみたいなのがあるのか?
って。
「なんでこっち!?」
右手に鉄の剣を抜きながら、ドラゴンの突進を避ける。なんで攻撃したアミティエさんではなく俺を狙うんだよ!?
突進が躱されたと見るや交互に前足を振り下ろしてくるドラゴンに対し、必死に後退と跳躍を繰り返す。足が雪にとられて動きづらい。スキルの効果だろう攻撃の直前に感じる『嫌な予感』に従って、必死に体を動かす。
「こんのクソボケがぁ!オトン達の仇ぃ!」
次々アミティエさんが矢を放つが、それら全てがドラゴンに触れる直前で軌道が逸れる。すぐ近くに奴の前脚が通り過ぎて、衝撃で体が浮いた事で気づいた。
こいつ、体の表面に変な風がある。もしかしたらそれのせいで矢が弾かれているのかもしれない。
ドラゴンの体高は十メートルほど。胴体だけで大型トラックほどもあり、尻尾も含めた体長は二十メートルを軽く超えるだろう。それ故に歩幅はとても広く、とてもじゃないが逃げ切れる気がしない。
障害物を利用して逃げようにもその巨体で樹木をなぎ倒してくるのだ。それでも少しだが動きが遅くなった。振り下ろされた前足を躱し、剣を向ける。
野生動物なら反撃されたらどこかに行ってくれるかもしれない。そう思って。
「お、おおおおお!」
『万相の手』
スキルを発動させながら、ドラゴンの右前足に精一杯の雄叫びをあげて斬りかかる。風の防壁を素通りして体毛に触れるが、少し食い込んだだけで切り裂けずにそこで止まった。
硬い。丸太に分厚いカーペットでも巻いて、そこを殴りつけたみたいな感覚だ。
スキルで変な風は無効化したのに、素の頑丈さが高すぎる!
「うおわぁ!?」
そのまま振り払われて体が宙を舞うが、下が雪のおかげかダメージはない。慌てて体を横回転させて、追撃に振り下ろされた尻尾を避けた。
頭から振ってくる弾けた雪をそのままに、走る。走る。
斬撃では無理。弓矢でも無理。となれば、もうとれる手段は一つ。クマでさえ殺してみせた一撃『マグヌス・ラケルタ』のみ。
だが。
「こっちくんなぁ!」
こうも狙われ続けては右掌を奴に向ける余裕もない。残り魔力的に撃てて一発。絶対に外せないのに、これでは構える事すらままならない。
いつの間にかアミティエさんの声も攻撃もなくなっていた。まさか逃げた?俺を置いて?
絶望感が背中を伝っていく。心のどこかでまだ甘えがあったのだ。この非現実的な状況に、夢でも見ているみたいな感覚があった。
これは現実だ。背後から迫る死は、本物なのだ。
「し、死にたくない!死にたくなぁい!!」
「こっちや!こっちに走ってきい!」
右前方、そこにある木の陰。そこから、アミティエさんの声が聞こえた。ほとんど反射でそちらに向けば、息を切らした彼女がナイフを片手に腕を振っていた。
スキルの影響か。はたまた完全に思考が止まっていたのか。自分はなんら疑う事もなく彼女の元へと走った。
「跳べ!跳ぶんや!力いっぱい、全力で!」
「おおおお!」
後ろから追いかけてくるドラゴンを感じながら、彼女の言う通り前方に向かってジャンプした。悪い足場だというのに世界記録ばりの跳躍は、着地に失敗して顔面から落ちる事になる。
それでもドラゴンの前脚は自分の後ろにぶち当たったのだから、結果オーライとしか言えない。
だが急いで立ち上がらなければ。そう思った時、また首の後ろに悪寒がはしる。
「捕まりぃ!」
突き出されたアミティエさんの手を掴んで立ち上がるのと、足元がボコリと崩れたのがほぼ同時。
「あ、わ、わわわ!?」
「の、おぉ!?」
大慌てて崩れる足元を踏みなおしアミティエさんの方へと跳ぶ。だが手を掴んだままだったので彼女を引き倒してしまった。
その謝罪を言おうとして振り返り、呆然とする。
「なん、え……?」
『■■■■■■■■■■■■――――ッ!!??』
必死過ぎて、この地鳴りみたいな音が耳を素通りしていた。
山頂付近に降り積もった雪が崩れて、ドラゴンを押し流していく。雪崩だ。純白のドラゴンは翼をはためかせようとするも、足を飲まれてそのまま雪に潰されていった。
「オカンが言っとった。ドラゴンは飛ぶのは上手いけど飛び立つのが下手やって」
体についた雪を払いながらアミティエさんが立ち上がる。よく見たら彼女の胴体に縄が結ばれ、その先は木の幹に縛られていた。
まさか、この雪崩は彼女が?
「オトンが言っとった。雪山では雪崩が方向感覚を失う次に恐いて。その起こし方もな」
スノードラゴンがいるであろう場所を見下ろし、アミティエさんが嗤う。
「オカンの知識とオトンの経験を貰ったウチを放置した。それがお前の敗因や、クソトカゲ」
吐き捨てるように言った彼女をよそに、自分は妙な感覚を覚えていた。
勝ったはずである。雪崩の規模はかなりの物だった。ドラゴンはかなり下まで落ちたし、そもそもあの雪の量。どう考えても助からない。
だというのに、首の後ろがチリチリと熱を持つような感覚。
それはこの短い間だけで慣れてしまった、『獣の直感』が危機を知らせているもので――。
「まずい!」
咄嗟に彼女の縄を切り、木から離れながら剣を盾の様に掲げる。
直後に、轟音が響き渡った。まるで爆発だ。分厚い雪の壁がぶち抜かれて、そこから一匹の竜が跳び出して来た。
かなり遠いはずなのに、その巨体故に近く感じる。いいや、実際に近いのだ。雪を弾き飛ばした勢いそのままに、こちらへと猛烈な速度で突っ込んでくる。
『■■■■■■―――ッッ!!』
エメラルド色の瞳に怒りを燃やし、巨大な爪がすくい上げられるように振り上げられた。
「あっ」
口から出たのは、そんな間の抜けた声だけだった。
目の前で剣が砕け、爪の先が自分の右胸を抉り飛ばす。舞い散る血しぶきが巻き上げられた雪に飲まれ、自分は天高く舞っていた。
数秒の浮遊感。上から見下ろした時、アミティエさんが何かを言っている気がした。だが、届かない。ゆっくりと感じた上昇とは反対に、物凄い速度で体が落下する。
雪の積もった大樹の幹に体を打ち付け、飛びかけた意識が戻って来た。
「が、あああああ……!?」
同時に痛みも戻ってくる。木にぶつけた背中も、抉られた右胸も焼けるように痛い。とんでもない熱さを感じるはずなのに、何かが流れ落ちる強い喪失感に襲われる。
「クぅソぉトぉカぁゲぇええええ!」
歪む視界の先で、アミティエさんが雄叫びをあげてボウガンを放っている。だがそれは届くことなく風の壁に撃ち落されて、ドラゴンが前足をぞんざいに振るった。
咄嗟に木を盾にしたようだが、諸共に彼女の小さな体が吹き飛ばされる。
それを見ながら、自分は左手で支える様に右手を掲げていた。その先にいるのは、純白のドラゴン。
直感が告げている。ここを逃せば、自分は殺される。死ぬ。なんの情けも躊躇もなく、この目の前の生物に殺されるのだ。
それへの拒否感だけで体を動かし、照準を定めた。
エメラルド色の瞳と視線が絡む。
「『マグヌス・ラケルタ』ぁ!」
掌に展開された紅蓮の輪。そこを通り、朱色の光弾が放たれた。
狙い違わずその一撃はスノードラゴンの左目に炸裂し、轟音と爆炎を発生させる。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――ッッッ!!!』
一際大きなドラゴンの咆哮が響く。『ラケルタ』の反動で尻もちをつきながら、煙の晴れた先を見つめる。
エメラルド色の瞳が、姿を現した。
『■■■■■■………!』
「ひっ……!!」
唸り声をあげて、ドラゴンが血を滴らせる。
顔の左半分の皮膚が剥がれ落ち、ぼたぼたと血肉を垂らしながらもう片方の目でこちらを睨みつける純白の竜。
その強い憎しみが込められた瞳に、喉からかすれた悲鳴がもれる。
睨みつけられたのはほんの一、二秒ほど。それで目をそらすと、フラフラと翼を動かすスノードラゴン。
二度三度と羽を動かしていくと、少しずつその巨体を浮かせていく。
どこかに行ってくれる、のか……?
こちらの魔力は既に二割をきっている。『ラケルタ』はもう使えない。胸の傷もある。とてもじゃないがこれ以上は無理だ。
油断なくそちらを見ながら、小声で『ヒール』を唱える。まだ呼吸はしづらいし動くと凄まじく痛いが、出血は止まった。
そう言えばアミティエさんはどうしたのか。彼女を探さなければ。
あのドラゴンに吹き飛ばされた彼女は無事かと視線を巡らせると、すぐに見つかった。雪に埋もれるでもなく倒れているでもなく、立って走っていたのだから。
そう、『ドラゴンに向かって』走っていた。
「待てやこんクソトカゲ!オトンとオカンの仇ぃ!」
ボウガンに矢をつがえて放つも、当然のように弾かれる。ならばと矢筒から直接矢を一本手で掴み、彼女がドラゴンに向かっていく。
バカな、自殺行為だ。
「ま、待て!待って!」
大慌てて後ろからアミティエさんを羽交い絞めにする。胸の傷が痛むが、気にしてはいられない。
「はなしぃ!仇が逃げるんや!オトンとオカンの仇が逃げてまう!」
「落ち着いて!勝てませんよあんなの!それに酷い怪我じゃないですか!」
そう、アミティエさんは左眉の上あたりから大量の血を流し、左目も閉じられている。恐らく見えていないのだ。
彼女の腕力自体はそれほどでもないようで、互いに負傷状態でもあっさりと押さえつける事ができた。
「逃げるなぁ!勝負や!ウチと最後まで勝負しい!この腰抜けぇ!死ぬまで戦え!どちらかが死ぬまでぇ!」
スノードラゴンはこちらの言葉わからないのか、はたまた興味がないのか。一切振り返らずに飛び去っていく。
飛び立つのは苦手だが飛ぶのは得意というだけあって、その巨体はあっという間に豆粒ほどになってしまった。
それに比例する様に空の雲が散っていく。曇天が晴れ、その先の青空が姿を現し日光が周囲を照らす。
その様子に、ようやく安堵の息をつく。生き残った。生き残ったのだ。
振り返ればほんの短い時間の戦い。だけど、自分にとっては何日も戦い続けたような疲労を強く感じる。
「ウチと……ウチを……どうして……」
「アミティエさん……」
「どうして、ウチだけ生き残ってしまったんや……」
がくりと力が抜け落ちたアミティエさんをそっと座らせ、『ヒール』の呪文を唱えた。まるで眠るように意識を失った彼女を前に、首を動かすのも億劫になりながら空を見上げる。
「空、綺麗だなぁ……」
あっという間に消え去った雪雲。満天の青空を見つめて、九死に一生を得た後なのに出てきた言葉はそんな気の抜けたものだけだった。
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