第四十話 ベルガーの最期
第四十話 ベルガーの最期
サイド スタンク
どうしてこうなった。
ヴァルピスの一件を調査しようと、少数精鋭で出発してすぐの頃。何故か伯爵様ご本人と遭遇してしまったのだ。
というのも、吸血鬼事件とやらが発生する前にあの街を経った商人がいたそうなのだ。しかも、そいつが伯爵様に『ご禁制』の本を届けるはずだったと。
この際ご禁制の内容については触れないでおく。伯爵様の表情から、間違いなく春画系統ではなくもっと厄ネタなやつだ。考えたくない……!
で、伯爵様が『ちょっと面かせや』と俺を引っ張って来たのが彼の管理する領都なわけなのだが……。
「弓兵、配置完了しました!」
「魔法使いはこれだけなのか!在野でもギャングの手下でもいい!もっと集めろ!」
「街の男衆!これはお前らの家族や家を護る為の戦いである!退く事は許さん!」
ど う し て こ う な っ た ???
急報が来たのはほんの三十分前。
『西から恐ろしい虫の大群が来ています!それに追い立てられ、魔獣や大型の獣がこちらに向かっています!』
伯爵様が街に入るなりそんな報告が入り、彼はすぐさま手勢を集め街全体に鐘を鳴らして危険を伝えた。
元々判断の早い人だったが、スノードラゴンに続きヴァルピスの一件もあって普段より更に動きが早くなったようだ。
まあ個人的には間違っていないと思う。誤報で振り回されては統治に障害が出るが、これだけ事件が続いているのだ。確認よりも迎撃の準備をした方がいい。
問題は、その戦列に自分も加えられている事なんだが。
これが傘下の貴族であれば、適当な理由をつけて断れただろう。だが自分は雇われの街長。伯爵様の個人的な部下であり、こういった時の拒否権はない。
それはそれとしてなんじゃこりゃぁ……どうしてヴァルピスを調べに行ったら領都で戦闘しないといけないんだよ。
ちらりと振り返れば、明らかに不満な様子の部下達。当たり前だ。こいつらは伯爵様への感謝とかは特にないし、この場所はこいつらの住処でもない。今は俺の顔を立ててくれているが、後で相応の報酬が必要だろう。
考えるだけで胃が痛くなる。だが、早々撤退はできんのだ。
学もコネもねえこいつらを食わせていくには、『飼い主』が必要だ。金と権力も持ったお人が必要なのだ。でなきゃ、俺達は山賊になって討伐されるのが落ちだ。伯爵家との繋がりなんざ、手放せねえ。
……俺達は、ジョージとは違う。
それに家族がいる。妻はヴァルピスの一件で後ろ盾を失くしちまった。正直、もう利用価値はねえ。多少学も派閥もあるが、それもカイラールから『余所に出してもいい』程度にしか与えられてねえ。
捨てちまって、他の街長との縁戚を結んだ方がいいんだろうな。
だが、それは嫌だ。街長としても、傭兵団のリーダーとしてでもねえ。俺個人が嫌なのだ。
妻も、産まれた子も。俺は絶対に手放さねえ。お前ならそうしただろう、ジョージ……いいや。そうしたからこそ、お前は死んだんだったな。
変わっちまったよ。俺も、お前も。けど、悪い気分じゃねえんだ。
ここで手柄をたてるまではいかずとも、伯爵様やその傘下に気に入ってもらえるような態度をとらなきゃならねえ!守るには力がいる!
「お前ら!なぁに湿気た面してやがる!」
部下達に振り返り、引っ張り出してきた鎧を鳴らして吠えるのだ。
「忘れてねえかぁ?この街にはいい女がたくさんいるってよぉ。街を護った英雄に、その女達はどんなサービスしてくれんのかねぇ」
露骨にやる気のなかった部下達が、僅かに顔をあげる。
「なぁに!誰もここで受けた『お礼』について、家で待ってる嫁さんに告げ口はしねぇよ!伯爵様からたんまり報酬があるはずだ!そいつで土産の一つでも買ってかえりゃあ、嫁さんの機嫌もよくなるだろうよ!」
できるだけ、こいつらに想像しやすい『いい未来』を告げてやる。
俺達は結局、学も志しもねえクソ野郎の集まりだ。それがようやく、エルギスという止まり木を得て人間になれた。
手に入る物を想起させろ。待っている者を思い出させろ。それでいて、闘志くすぐれ。
「いつも通りさ野郎ども!戦って!勝って!懐を温かくして帰るんだ!」
「帰る前に、懐が寒くなってるかもしれねぇけどな!」
ガハハと、部下達の中から野次や笑い声が溢れてくる。
それでいい。これでいい。俺達はこれでいいのだ。今は、まだ。
「敵だー!見えて来たぞー!」
「――ちょうどいい。ちょっくら俺達の獲物を見物してくる。行儀よく待ってろよ?俺達はこれから街の英雄になるんだからな!」
努めて笑いを浮べて、叫んで回る伝令が来た方向に向かう。
段々と足が速くなるのを感じながら、必死に外面を取り繕った。
いやな予感がする。スノードラゴンに、街一つ滅ぶような吸血鬼騒ぎ。この地でいったい何が起きてやがる。
はたして、今回もそれらに匹敵する大事件なのか。もし、そうなら。俺達は……。
「ジョージ……」
街を囲う壁に到着し、階段をのぼる。どうやら伯爵様も見に来ていたようで、ばったりと遭遇した。
「これは伯爵様。貴方の戦列に加えて頂けてこのスタンク。こうえ――」
「よい。あれを、見よ」
「はっ」
こちらを一瞥もしない伯爵様。普段なら柔和な顔で、しかし一ミリも感情の見えない瞳を向けてくるのに。
その姿に言いようのない不安を覚えながら、城壁の外へと視線を向けた。
「なんだ……あれ……」
そう呟いたのは、誰だったか。
黒い雲が迫ってきている。まるで押し寄せる津波の様に蠢くそれが、日の光を遮って夜を広げてきているのだ。
その下では、魔獣や獣が狂った様な声を上げている。逃げる様に。あるいは嗤う様に。ただただ黒い雲に押し出されて森を抜け出し、こちらに向かって駆けているのだ。
あー……これは、死んだわ。
これでも視力には自信がある。故に、あの黒い雲が『虫の集団』であるとすぐにわかった。
蝗害というのを、シャイニング卿の護衛をやっていた時に彼から教わった事がある。だが、これはそれよりも更に質が悪い。
明らかに大型の動物でもかみ殺すような虫どもが、あの大群でやってくる。追い立てられた魔獣や獣はまだ対処できるかもしれないが……アレは無理だ。
シャイニング卿ならどうにかできたかもしれない。彼は魔法使いとしても一流だ。しかし、伯爵様の領都でさえまともに魔法が使える奴は十人にも満たない。
空からあのサイズの生物に群がられる。傭兵としての経験が、シャイニング卿の護衛をしていた経験が、これが詰みだと告げていた。
「はっ」
あれでは逃げる事すら出来はしない。どうやら俺にも年貢の納め時ってやつが来てしまったようだ。
『スタンクー!一緒に戦おうぜぇ!』
ああ……今行くよ、ジョージ。もう少し待たせてやろうと思っていたが、クソったれな事に早い再会になっちまった。
せめて、部下の中でも若いのは逃がさなくては。情の問題だけじゃねえ。少しでもエルギスにこの事を伝えさせなけりゃ。
そう思い、足を一歩さげようとした時の事。
「あん?」
パタリと、虫が落ちた。
一匹や二匹ではない。ほとんど一斉に虫共が落ちていく。どういう事だ?
混乱しているのは追い立てられた獣や魔獣も同じらしく、自分達に降って来た虫に怯えたり攻撃したりしている。
「な、なんだこれ」
「助かった、のか?」
「おい、アレはなんだ?」
兵士の一人が指さした方向に、気が付けば目がいっていた。
虫共が落ち、明るくなった空の向こう側。森のかなり奥だろう場所で、赤青黄の三色の光弾が打ち上げられていた。
「ありゃあ、なんだ?」
「なんかの魔法なのか?」
「もしかして、滅んだっていうイノセクト村の方角か?」
兵士達の声が耳を通り過ぎていく。
あの光弾……いいや、閃光弾を俺は知っている。二十年ほど前までは、度々使っていた。
生き抜くために体に刻み込んだ知識が、すぐさま閃光弾の意味を読み解く。
『ジョージ、子供、活躍、勝利』
………はぁん。
「ジョオオオオオオオオジイイイイイイイイイイイイ!!!!」
てめえの娘本当になにしたああああああ!!??
あの閃光弾!アレを知っているのはシャイニング卿と俺達だけだ!暗号は定期的に組み替えるのに、わざわざ俺が護衛していた頃のを使ったという事は、あの娘はシャイニング卿本人ないし、それに連なる存在と接触したのだ。
つまり、今回の一件にシャイニング卿とアミティエが関わっていると?場合によってはシャイニング卿とあの娘の関係が公的に認識されるかもしれないと?
そして、アミティエは俺らとも仲がいいのは皆知ってる。エルギスの住民は全員把握しているし、なんなら『雨の日ジョージ』の二つ名から余所の街にも広がってる。
……うん。
「ジョージィィィ!?ジョォォォォジィィィィ!!??」
お前の娘さぁ、本当にさぁ!いや助かったけどさぁ!
『すまんスタンク!やっちゃった!』
本当にそういう所だからなお前!?
「は、伯爵。彼はいったい?」
「放っておけ。儂が出会った時からあんなだった。それより呆けている場合ではないぞ。まだ狂った魔獣どもがいる。指揮をとらんか。お前もだスタンク」
「はっ!」
「はっ!……あ、はい。合点でさぁ!」
伯爵様の部下と一緒に頷いてから、慌ててもう一度頷く。
そうだ。今は全てを後回しにして目の前の事に集中しよう!そうしよう!難しい事わかんねぇ!だって俺バカだから!わっかんねぇんだ仕方ないよね!
「待て、スタンク」
「へ、へぇ」
「後で『報酬』について話したいから、儂の屋敷に来い。いい茶を用意してやる……なんなら、儂の集めている本についても話そうか」
「……はい」
……ぴえん。
* * *
サイド 矢橋 翔太
自分達は今、逃げる様にイノセクト村を後にしていた。
理由は主に二つ。一つは、陽光十字教対策。
今回の一件、明らかにあっちこっちの街へと情報が飛んでいくだろう事は目に見えている。少なくとも、残された村人を保護してもらうためにエイミーさんが閃光弾を上げたので、誰かが様子を見に来るはずだ。
一応スタンクさんに一番通じる内容にしたらしいが、それでもこの場に留まるのはまずい。最低限の村人への治療やでっちあげの説明をして、村を後にした。
とりあえず、村人たちには『ベルガーが怪物に襲われ、それを自分達が助けようとしたが間に合わず、せめてと村を護った』という事にした。奴が化け物で村人を実験台にしていたなど、彼らがすぐに信じられると思えなかったので。
で、問題はむしろ二つ目の方。
『ベルガーの死体が確認できないのだよ』
そう村人たちへの説明を終えた自分達に、城の残骸を漁っていたエイミーさんから告げられたのだ。
やはりと言うべきか、奴はまだ生きているのだ。そして、どこかに逃げ延びた。
魔王軍の幹部とやらを倒したにしては、俺が得た称号は『木こり』。ホムラさんが得たのは『放火魔』という大した事のないものだった。その事から生きているとは思っていたが……。
奴の研究資料も見つけられていない。もしかしたら、まだ何かあるかもしれないのだ。
なので一刻も早く移動する必要があった。流石に今奇襲される事はないだろうが、油断はならない。
「それにしても、エイミーさんはどこに行ったんだろうね」
ぽつりと、アミティエさんが呟く。
そう。エイミーさんはこの場におらず、別行動をとっているのだ。しかも後から合流する予定もない。
『本機は独自に動くのだよ。雨の日ジョージの子の護衛は済んだ。これよりシャイニング卿のスペアボディの一体として活動する』
そう言い残し、去ってしまったのだ。
「べぇつにぃ。いいんじゃない好きにすれば」
ホムラさんが仏頂面でそう返す。
やはりと言うか、まだ彼女の異世界人嫌いは治っていないらしい。まあ、精神的な物が一朝一夕で治ったらそれはそれで怖いのでいいのだが。
「まあ、たぶん大丈夫でしょう。なんだかんだ強い人だったし」
自分としては、あの爆乳美女と一緒に行動できない事に僅かな寂しさを覚えども心配はしていない。
というのも、言い方は悪いが『作られた存在』だけあって下手な軍人より高い身体能力と魔力。そして豊富な知識と高度な魔法技術。
早々死にそうにない人である。心配するだけ無駄だと『獣の直感』が告げているのだ。
「まあウチも命の心配はしてないかな。ただ、オトンやスタンクさんから散々シャイニング卿は『ズレている』って教わっているから、どこで神聖隊に捕捉されるかがなぁ……」
「あー……」
ありそう。なんとなくマイペースな人だと思うので。
「はぁん。心配すべきはそこじゃないね。絶対」
ホムラさんが口をへの字にして、忌々し気に続ける。
「ああいうのは、『自分が正しいと思う事なら何してもいいし、それでどんな咎を受けようと自分の中で昇華する』ってタイプだよ。間違いないね」
「……もしかして、似たようなお知り合いが?」
「いや。漫画だとああいう奴はだいたいそう」
「漫画かよ……」
「あー!?疑うなよ翔太ぁ!私の乳どさくさに紛れて触ったくせにぃ!」
「さささ触ってませんが?腕が当たっただけですが?落下した時に偶然に」
「落下……らっか……いやや。空こわい地面こわい。あ、ああ、あああああ……」
「アミティエさん?アミティエさん!?」
「あーあ、翔太のせいで」
「俺ぇ!?」
馬鹿な会話をしながら、街道を歩いていく。
そんな中、ホムラさんがつけた『髪飾り』が日の光をキラリと反射させた。
『お姉ちゃん!私とお母さんを、妹を守ってくれてありがとう!』
とある少女から貰った、少し子供っぽい髪飾りをつけている彼女に。ちょっとだけ、笑いがこぼれたのは語る必要もないだろう。
* * *
サイド ベルガー
鬱蒼とした森の中を、一匹の虫が飛ぶ。
白黒の縞模様をしたその虫は今にも落ちて死にそうなほどフラフラと飛びながら、獲物を探していた。
そして、一頭の猪を見つける。若いオスだ。独り立ちしたか、あるいははぐれたのか。なんにせよ都合がいい。
地面を掘るのに集中していた猪に上空から近づき、虫はその鋭い針を背中に突き刺した。
「ぶおっ!?」
驚いた猪が暴れ、振り回した牙が虫に当たる。あっさりと地面に落ちた虫には目もくれず、猪は走り出した。
ピクリとも動かなくなった虫――G5。だがそれでいい。無事、私は植え付けられた。
失態だ。まさか小娘二人を相手に勝負の土俵に立つ事すらできんとは。気づいたら四本の脚が切られているわ、体が熱いわで死ぬかと思った。
慌ててトレントを暴走させ、自身を小型化させて逃げおおせたが……代わりに命以外の全てを失ってしまった。
研究資料は燃え尽きた。戦力ももうない。体も失い、魔法も碌に使えん。
また日陰でただの羽虫のように過ごす日々に逆戻りか。魔界貴族である私が、なぜこの様な目に。
あれもこれも、家畜のくせに生意気な人間どものせいだ。痛みなく加工してやる私にこんなにも恩知らずな事をする。やはり慈悲などかけるべきではない獣だな!
はあ……とりあえずこの猪の体から栄養を取りつつ移動をして、またどこかの村を乗っ取らなければ。いっそ西の同胞に合流するか?それも悪くない気がする。
手柄を得て元の地位に戻るのは難しくなるが、それでも死ぬよりは――。
『は?』
突然猪がバランスを崩して倒れ伏した。遅れて、その頑丈な頭が叩き割られたのだと気付く。
「やっと追いついたのだよ。千年も陽光十字教から逃げて来ただけはある」
木の陰から、一人の女が出てきた。やたら乳と尻が発達した、長い翡翠色の髪をした人間の雌。その姿を、自分は知っている。
『ひ、ひぃ!?』
そんな!追いかけてきたのか、ブライト神聖隊が!そんな、今神殿騎士に襲われたら、いいや。ただの人間でも今の私では!
「本機の緊急稼働で行うべき役目は終わった。それ故『シャイニング卿』として行動したいが、色々と足りないのだよ」
何を言っている?シャイニング卿は別の国にいるはずだ。容姿については情報が錯綜していてわからないが、少なく見積もっても百歳は超える老人だ。このような若い人間ではない。
だが、こちらなどお構いなしに女は猪の体に爪を突き立て、私をほじくり出す。
『たす、助けてくれ……!もう人間には関わらない。だから……!』
まずい。今の私は、この女に指先でつまめてしまう程度の大きさしかない。
そこらで死体に群がっているハエの、その幼虫めいた姿になってしまった私に女が語り掛けてくる。
「廃棄予定だったので、記録が少なすぎるのだよ。君の研究データは貰ったが、まだ君の記録が足りない」
『……待て。まさか、やめろ!やめてくれ!』
わかった。わかってしまった。この女が何をしようとしているのか!
それだけはダメだ。私とて貴族の端くれ。主への忠義は、まだ……せめて、これだけは汚されるわけにはいかない!
だが、この体は自害すら許してくれなかった。己が心臓を抉る手段すらなく、女に掲げられる。
「だから貰おう。君の記録を」
『いやだ!いやだ魔王様!ベルゼビュート様!私は、私は貴方達の――』
「いただきます」
落ちていく。女の口の中へ。猪の血にまみれ、ただの虫同然になった私が落ちていく。
奪われる。奴が食道に展開している術式。その仕組みは理解できないが、『私の記憶が奪われている』という事実だけは理解する。
ああ、やめて。やめてくれ。
うばわないで。とらないで。それは、わたしの、わたしだけのおもいでなんだ。
どれだけできそこないのとさげすまれようと、あのひの、あのかたたちとの、おもいで、だけは――。
『あ……』
ぽちゃりと、胃液の中に落ちて。
「ごちそうさまでした」
わたしは、きえた。
読んで頂きありがとうございます。
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少し後に、閑話を投稿させて頂きます。そちらも見て頂ければ幸いです。




