第二十二話 吸血姫
第二十二話 吸血姫
サイド エリザベート?
「ふむ……」
月光を窓ガラス越しに浴びながらグラスを傾け、ゆっくりと匂いを吟味し、それから口の中へ。
魔力で固まるのを防ぎ、やや粘性のある『それ』を舌の上で弄ぶ。
「ダメだな。処女ではあるが、薄味すぎる。喉ごしは及第点として……栄養バランスを考えなければな」
グラスを手に、視線を新しく作った娘へ向ける。
「やはりお前ほどの血は中々いないようだ。同族にしたのは早計だったか?」
「申し訳ございません。『カーミラ』様」
「構わん。妾はお前を気に入っているよ、アイナ」
「ありがたき幸せ」
ほんのりと頬を染めて首を垂れるアイナ。
傍においても見苦しくない容姿だったから眷属にしたが、やはり勿体ないと思ってしまう。
この娘はいい『タンク』になっただろうに。まあ、使った血の分は適当にこき使うか。
ああ……それにしても度し難い。なんだ、この人間どもの住む街は。
窓から見下ろす景色は、あちらこちら火の手は上がっているものの上等な街並みが広がっている。これは『家畜小屋』に相応しくない。管理が面倒だ。放し飼いにも限度がある。
妾が治めていた頃はもっと完璧な配置で牧場を作っていたのに……清潔な舎房を立て、そこに人間たちを繋いで飼育。時折種付けを行い、良質な血を安定して領地全体に供給できていた。
また一から牧場を作らなければ。その為には配下を増やさなければならんな。
『悪鬼滅殺』
「っ……!」
「カーミラ様……?」
「黙れ!」
不用意に肩へ触れてきた『まがい物』の頭部を粉砕する。
はじけ飛ぶ肉片と血。同族にしてしまったゆえに食指の動かぬそれが、時計の針が戻る様に再生していく。
「も、申し訳ございませんカーミラ様!どうかご無礼をお許しください!」
「……よい。以後気をつけよ」
「ははぁ!寛大なお心に感謝を……!」
まったく。この雑兵ももう少し礼儀作法を叩き込まねば。
純血でもない混ざり物ぐらいしか働き手がいないというのは、困ったものだ。本来なら即日光であぶる無礼だというのに、それができないもどかしさ。我が同族をどうにか集めなくてはな。
ああ、今思い出しても忌々しい。何故この上位種たる妾が、あのような黄色い猿に『恐怖』などという感情を抱かねばならぬのだ。
擦り切れたバスローブの様な上着に、ダボついたズボンというみすぼらしい服装をしたあの男。黒髪黒目の、やけに反りのある剣を持った男を思い出す。
現代に復活してようやく名を知った。『ジロー・マルーエダ』。人間どもが聖人だの勇者だのと敬っているらしい。
この時代の人間の血を吸って現代の言語をある程度理解し、情報収集をしたのだが……どこかしこも、『魔王どもを打ち倒した勇者マルーエダ様』だのなんだのと。
腹立たしい。神術とやらを使う家畜共を束ね、妾に刃を向けた愚か者。せっかくきちんと世話してやっていた人間どもまで、あやつの下に集うとは。これだから下等生物は。
三食バランスのとれた餌を流し込み、安全な場所で眠らせてやっていたというのに。人間というのは欲深いものだ。
だが最も許せんのは、妾が神術とやらで封印された後に『魔王様』があの男に討たれたという事実。
後にも先にも妾が泣き崩れるなどという、そこらの端女の様な事をしてしまったのはあの時だけだ。
だが、『討たれた』がすなわち『死んだ』とはなるまい。あの吸血鬼よりも高い生存能力をもつ魔王様が死ぬわけがない。恐らく、妾と同じくどこかに封印されているのだろう。
妾は運よく竜種の垂れ流した魔力と封印の緩みがかみ合い自力での脱出ができたが、一刻も早く魔王様をお助けしなければ。
その為にもまずは戦力の確保。最低限の『タンク』を確保し、眷属の維持。その為の下地をどうにかしなければ。具体的には、安全の確保。
あの男。黒髪黒目に、よく見れば瞳孔が銀色に輝く若造。
端的に言おう。気持ち悪い。生理的に強烈な吐き気を催す。
復活し、神官共の現状を確認する為に街長とやらを操って神父とやらにレイス退治をさせたが、神術どころか意味のない祈りの言葉を呟きながら聖水を撒くだけの道化だった事に安堵していたのもつかの間。ようやく準備ができてグールを増やそうという時に現れたあの害虫。
人間にしてはやけに多い魔力量。隣のローブの女もかなりのものだが、しかしあの男は神術使いに似た気配をもっていた。
念のため放った妾の魔眼を跳ねのけたあげく、眷属越しに観察していれば除霊技術まで持っている。
アレは危険だ。絶対に生かしてはおけん。妾の寝床にあのような毒虫がいる事など許容できるものか。
今すぐにでも自ら赴いて殺してやりたいが、封印で弱った肉体では陣地として改造したこの屋敷の外に出るだけで苦労する。そこを狙われては万に一つもありえるだろう。
不本意ながら一度は敗北した身。油断などない。
「む……」
空に飛ばしている蝙蝠の視界に異変があった。
何やら教会の周りの家々を駆け回っていた人間どもが、しびれを切らして逃げ出したらしい。そう言えば奴らが教会に逃げ込んでから随分経ったか。
二頭の馬が引く荷車の上には何人も人間がおり、それが教会の敷地から飛び出して来たのだ。
その程度であればすぐにグールどもで制圧できるが、一人厄介な者がいる。
使い魔である蝙蝠の視界に、闇夜を照らす炎が通り過ぎていく。
神術……いや、それと似て非なる力、『白魔法』とやらの使い手と共にいたローブの女だ。奴が杖を振り回し、炎の鞭をグールどもへと叩き込んでいく。
人間にしてはあまりにも強力過ぎる魔法だ。家畜の分際でいらん知恵を身に着けおって。
向かう先は……街の正門か。教会から最も近い脱出経路となれば、まあそこであろうな。
窓から手を出し、肘から先を『霧化』させる。白い靄めいたそれ。その内部で魔力をこすり合わせ、バチリと音を鳴らしていく。
瞬間、強烈な雷光が夜を駆け遅れて轟音が響き渡る。放たれた雷は正門へと着弾。中に仕掛けておいた油樽もあってごうごうと燃え盛りながら一部が崩れ落ちた。
まったく。かつては一撃でもって湖を蒸発させられた妾が、この程度か。魔王様にはお見せできんあり様だ。
あの門では通る事はできまい。さて……『本命』はどこかな。
教会に逃げ込んだ住民の数と、荷車に乗っている数が合わない。何よりも白魔法使いがいない。
人間とは愚かだが馬鹿ではない。無い知恵を回して一分一秒でも生きながらえようとするはずだ。
であれば。
「アイナ。ツアレ。ドーラ。フィオレ」
「「「はい、カーミラ様」」」
妾が現代にて娘にした四人の女たち。どれもこの街で選りすぐりの美女を揃えた。もっとも、我ら吸血鬼からすれば平凡の域だが。
「全員で教会を攻撃せよ。神術による結界も弱まって来た頃だろう。一息に潰してしまえ」
「「「はい!」」」
全身を霧に変え、風に乗って移動する娘たち。
教会に神術による結界が残っていたのは驚きだが、それもかなり古びていた。グールどもを多数けしかけただけでヒビが入る程に。
誰がやったか、いい仕事をしてくれたものだ。まさかここまで神官どもが落ちぶれていようとは。
娘たちは白魔法使いに殺されるやもしれんが、それも仕方がない。教会さえ壊せば後は妾の雷撃で消し炭にしてくれる。
さあ、白魔法使い。お望み通りグールどもは『全て』貴様が用意した囮に食いつかせてやった。どうでる?どう動く?
どのような事をするにせよ、貴様は妾に触れる事すらできぬ。最も、あのような気色の悪い生き物に触れられればショックで今度こそ消滅するかもしれぬがな。
白魔法使いの脳天に雷を落とす光景を思い浮かべながら、グラスに余った血を飲み干す。味は不満だが、今は少しでも処女の血をすすり本来の力を取り戻さなければ。
そこでふと、妙な音が耳に届く。
夜の高貴なる一族たる妾の耳は、凡百な魔族とは比べ物にならない。それが、何やら重い音を捉えた。
そう、まるでかなりの重量物が屋根の上にでも乗ったような――。
「なぁ!!??」
突如、目の前に瓦礫と砂塵が巻き上がる。いいや、違う。落ちてきたのだ!
石造りの頑強な床も、太い木の柱も知らぬとばかりに砕かれて、その中から一人の男が現れる。
黒髪黒目の、男が。
「ひ、ぁ」
喉が引きつる。咄嗟に霧化しようとするが、上手く体が動かない。
「『ターンアンデッド』!」
「が、あああああ!?」
そうしている間に白の光が妾を包み、全身が日光に炙られたような激痛が走る。
白煙を泡立つ皮膚から出しながら、咄嗟にガードした腕の隙間から男を見た。
瓦礫を蹴り飛ばしながら、猛然と駆けてくる白魔法使い。その両目は妾への怒りを隠す事無く真っすぐと向けられている。
「『万相の手』ぇ!!」
妾目掛けて、異様な魔力を放つ刀身が振り下ろされた。
その時、体を動かせたのはかつての経験故だろう。あの男に全身を切り刻まれ続けた時の事を、妾は決して忘れはせぬ。
脳天から心臓まで叩き割らんとする剣に左手をかざし、それを盾としながら半歩ずれる。
「ぐ、ううう……!」
肩から切断された左腕。ぼたぼたと真祖の一角たる妾の血が、ごみ同然にカーペットを濡らしていく。
なんたる屈辱。なんたる無礼。腸が煮えくり返るのを感じながら、眼前の男へと笑いかける。
「まったく、礼儀というものを知らんらしい。このような夜更けに女の――」
「死ね」
一息の間に詰められる距離。妾の心臓目掛けて大剣の切っ先が迫る。先端には刃がないながら、その鋭く斜めに作られた刀身は生物の血肉を穿つには十分だろう。
そう、『生物』の血肉なら。
「本当に」
「なっ」
「礼儀のなっていない虫だ」
突き出された刃を右手で受け止める。白魔法とやらの力でしばし霧となれぬが、それでもこの程度なら問題ない。
この身は『生物』などというくくりに囚われぬ。妾こそが魔王様と同じく神の座に指をかけた、至高の存在なり。
大剣ごと奴の体を振り回し、壁に向かって投げつける。
木製の壁をいくつも突き破り、背中から叩きつけられる白魔法使い。遠目に激しくせき込んでいる姿を見て僅かながら留飲を下げる。
そうだ。この虫はあの男ではない。忌々しい修羅ではないのだ。我ら吸血鬼には逆立ちしても勝てぬ、か弱き生き物。
その証拠とばかりに、既に肩からの出血も止まっている。腕も翌日の夜には元通り。やはり奴に妾を殺せる道理などない。
「娘らよ。今すぐここに戻れ。害虫駆除の時間だ」
ふらつきながらも立ち上がる白魔法使いを眺め、嘲笑をうかべる。
本来ならあのような近づく事さえ寒気を覚える生物など、唾の一つも飛ばしたいがそれは妾の身分が許しはしない。
「冥土の土産に教えてやろう。夜の一族で最も高貴とされる妾の名を拝聴できる栄誉に、感涙しながら死んでゆけ」
妾の前に集う四人の娘たち。それら越しに、この身の本来の名を口にする。
「カーミラ・フォン・ブラッドペイン。魔王様の第一の臣にして、最大の寵愛を受ける者の名だ」
剣を構えなおした白魔法使い。この距離でも声が聞こえていたのだろう。こちらをじろりと見ると、ぞんざいな口調で喋り出す。
「聞いた名前だ。たしか……無様に負けた羽虫の名前だったか?害虫」
びきりと、頭の奥で何かが千切れた。
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