第百四十六話 名もなき英雄たち
第百四十六話 名もなき英雄たち
サイド なし
突然の事に、戦場にいた全ての生命がその動きを停止させる。
天を引き裂いた、黒で構成されたこの世ならざる光。遅れて、大気を焼く異音と、黒と灰で彩られた巨城が崩壊する音が響き渡った。
極光の勢いか、それとも『内側から何かが押しのけたのか』。重く頑強なはずの建材は扇状にばら撒かれる。
崩壊するそれらをよく観察すれば、一部の魔法使い達は気づく事だろう。なぜ魔族は城に籠るどころか、砲台の一つも設置せず外で戦ったのか。それは、あの城そのものが一つの魔道具であったからであると。絶対に傷つけるわけにはいかなかったからだと。
だが、この時は誰もその事に思い至らない。それらを忘れてしまうほどに、目を奪われたでき事。それは――。
「翔太、くん……?」
放たれた黒の極光に飲まれた人類側の英雄が、飛び散った瓦礫が降り注ぐ中に落ちて行ったという事実。
『おはよう/シフリオ』
ダブった様な声が、呆然とする両軍の兵達に届く。低く、腹の奥底に響く。そんな声。
木端微塵となった城。その中空に、大地……否、地下からあふれ出た黒い泥が昇っている。
まるで滝の流れを逆再生したような違和感のある光景。そして、闇を溶かしたごとき黒のそれは、のぼり切って頂上の一点に集約された。
空中に立つのは、一体の魔人。
二メートル半ほどの巨体を鉛色に染め上げ、どこか濁った様な濃緑の入れ墨が彫り込まれている。血管の様に張り巡らされたそれらは、脈打つように光の強弱を変えて存在を主張していた。
筋骨隆々のその肉体に生殖器の類は見て取れず、腰近くまで伸びた長い黒髪の隙間からは瞳のない、白銀に輝く眼球が覗く。
その一見して動きがわからないだろう目が、しかし見上げる者達には確かに己らを睥睨したのだと気付いた。
銃を取り落とし、一体のゴブリンが膝をつく。両膝をつき、指を組んで涙を流しながらその存在に笑みを浮かべて見上げる。その姿は、人間が神に祈りを捧げる姿に似ていた。
それに倣う様に、オークが、コボルトが、吸血鬼が、オーガが、リッチが。戦場だというのに祈りを捧げた。歓喜をその身全てで表し、しかし声を上げる事もなくただ『王』の言葉を待つ。
だが人間や魔族がその動きを止めようと、入力された事を実行するだけのゴーレム達には関係ない。無防備な背中を晒す魔物や魔獣の背に槍や鉛玉で貫こうとする。
刹那、その木で、あるいは金属で構成されていた体が黒い炎に包まれた。ゴーレムが動かす戦車は内側から爆散し、あるいはあらぬ方向に走って行って横転する。
『人類諸君。まず、君達に言わねばならない事がある』
落ち着いた口調。鉛色の異形はゆったりと口を開いている姿が、遠目でわかるだろう。
しかし、その白銀の眼球は黒の光を煙の様にゆらゆらと揺蕩わせていた。彼から離れるにつれて薄れて消えていくその光は、しかし見た目に反し膨大な力が込められていると常人にも本能で理解できる。
『我々魔族は、君達を過小評価していた。それを認めよう』
悠然と語られる王の話し。それを遮れる者はおらず、ただ聞き入る事しかできない。
圧倒的なまでの、生物としての『格の違い』。それをこの場にいる全生命が感じとれてしまっていたのだ。
『かつて、我らは安寧を求めた。変化の先には滅びがある。ならば、永遠に変わらなければよいと。しかし、君達人間は……異なる世界の人間達は空に浮かぶ月にさえたどり着き、更にその先を目指しているという』
心からの賞賛を口にするかのように、王は、魔王は両手を広げる。
『余も、我ら魔族もそうする事を誓おう。いずれは神の椅子に切り込んで、その座を奪ってみせようとも。故に――』
ゆっくりとした動きで、その両腕が捧げられ、力強く拳を握る。
『その椅子を狙う者は、余以外には必要ない』
振り下ろされるその両腕。それは虚空を裂くだけのはずなのに、呆然と見ていた第一遊撃隊隊長、日村は本人も気づかぬ間に全力で叫んでいた。
「総員散開!さんかーい!!!」
『疾く消え失せよ。この世界に貴様らは必要ない』
彼の声に反応できたのは、はたしてどれほどだったろう。
魔族が築いた防衛網を突破しようとしていた、人類軍が文字通り『潰された』。まるでトンカチでアリを叩いたかの様に、地面に作られた巨大な二つのクレーターに赤い染みと成り果てる。
轟く破壊音と、舞い上がる土煙。衝撃波に吹き飛ばされまいと耐える、空を飛んでいた共和国の魔法使いがぼそりと呟いた。
「嘘だろ……」
その視線の先。そこにはもう、人間は残っていない。
偶然か実力か。はたまた何か別の守りがあったのか。残された人間はたったの一万。およそ三分の一にまでその数を減らしていた。
たった一撃。それだけで、二万近くの人間が息絶えたのだ。
『ッ―――――!!』
続けて、魔王が何かを吠える。
人の耳には聞き取れない周波数のそれは、しかし魔族達には届いたのか。祈りを捧げていた者達はまた武器をとり、立ち上がって『敵』に向き合う。
その瞳に侮りも恐怖もない。ただ圧倒的なまでの殺意。純粋と呼べるほどに圧縮し、厳選し、抽出された感情。
『ガ、アアアアアアアア!!!』
一体のオーガが吠えた。それに続き、ゴブリンやコボルトが走り出す。
開戦の光景の焼きまわし。だが、今度は迎撃できる者などいはしない。衝撃波で転げていた兵達が踏み潰され、大砲はオーガの蹴りでへし折れる。
そんな事が戦場中で起き始めた。もはやどちらが優勢かなど、問うまでもない。
人々の悲鳴がそこら中から響き渡る。焼かれ、引き裂かれ、貫かれ、干からび、脳を吸われ、死んでいく。断末魔の声は鳴りやまない。
一方的な戦場に、更なる絶望が現れる。
それは、奇妙な生物だった。
魔物と呼ぶには内包した魔力は微弱で、しかし人間と呼ぶには異形に過ぎる。
黒い複眼に骨を彷彿とさせる白の外骨格。横開きの口には発達した牙が生え、背では『蠅』の羽が振るわれ宙に浮かぶ。
二メートルほどの長身をした、怪人たち。その数およそ五百。それらが一斉に戦場へと舞い上がった。
耳障りな羽音を響かせながら飛ぶそれらの両腕。そこから放たれたナイフほどもある針。それらが鎧もろとも人間の兵士達を貫いていく。
飛び回るそれらをつまらなそうに見た後、魔王はその両目に力を込めた。
黒い炎が白銀の眼球にやどる。その先には、散り散りになり好き勝手敗走していく軍を纏めようとする、リースランの将キリングとエイゲルンの姫メローナの姿があった。
竜殺しを撃ち落した極光が放たれる。今度こそ人間の軍は終わるだろうその光に、割って入る影が一つ。
「『チャージ:デュアルスペル』!」
金髪を短く刈り込んだ青年――日村が、両手に魔力を宿して突貫する。
『消え失せよ』
「『ユニゾンマジック:カラミティ・カノン』!!」
黒の極光に対抗するのは、風と炎が合わさった魔法の一撃。
拮抗は数秒。ぶつかり合ったそれらは爆散し、暴風をまき散らす。
それを悠然と空中に立ったままやり過ごす魔王の正面。黒煙が晴れた先には、僅かに息を荒げながらも飛び続ける日村の姿があった。
「空で、俺を相手に嘗めた真似してんじゃねえぞおい!」
瞳を爛々と輝かせ、獰猛な笑みを浮かべる目の前の男を一瞥し、魔王はまた別の者へと視線を移す。
「死ねぇ!化け物は、全部死ねぇ!!」
ひたすらに飛び回り、両手にそれぞれ固定した巨大な金属の箱から爆発する鉄の矢を放つ女。第二遊撃隊隊長、近江久美。
死兵となって進む魔族達を焼き払い、斬りかかる吸血鬼を脳天から鳩尾まで殴り潰していく魔女。そして、彼女以外にも戦場の各地で魔族と戦う者はいる。
大和共和国の『まれ人』――事前登録者たち。
彼らはその大半がただの一般人であった。ほんの四カ月前までは剣に触れた事すらない者達である。
だが、ここに立つ三十八名は『戦士』であった。ギルマス自らが、戦場に立っても十分に戦えると判断した者達なのだ。
それぞれがいくつもの死線を超えてきた猛者か、あるいは初めからネジの外れた狂者ばかり。今更この程度で死ぬ者も、それどころか立ち止まる様な者は、この場にいない。
そんな戦士たちを捉え、しかし魔王は視線を滑らせていく。
探しているのは、彼の本能が危険を伝える存在は、彼らではない。
「よそ見してんじゃねええ!!」
日村の纏う黒コートからいくつもの炎弾が放たれ、魔王の体に直撃。
しかし、その身に焦げ跡すらもつけられない。確かに炎は彼の体にぶつかり、オーガだろうと一撃で吹き飛ばす火力を発揮しているというのに、全くの無傷。
その事実を視認しながら、日村は続けて二丁の拳銃を取り出した。
「『カストロ』!『ポルクス』!」
白黒の装飾銃。それらを魔王に向け乱射。
それぞれが破邪の力を込められた、魔力の弾丸を吐き出していく。そこには火炎魔法と風雷魔法が纏わりつく事で威力と貫通力を底上げまでされていた。
魔王の体がぐらつく。しかし、これもまた無傷。彼はそのまま、意に介した様子もなく視線を巡らせていた。
『―――そこか』
地獄の様な戦場で、常人でありながら魔道具の力を借り道中の魔族を斬り捨てながら進む少女がいる。
仲間の魔法使い達に背を押され、風と水で魔族を押し流し、岩の壁で守られた道を走る炎使いの魔女がいる。
泥と血でその白の巨体を走らせ、巨大な銃で魔族を蹴散らしその二人のもとへと車輪を動かすゴーレム使いがいる。
魔王の本能が告げていた。いいや、もはや未来視に等しい直感が、この三人を殺しておけと伝えてくるのだ。
白銀の眼球が、そちらへと向けられる。彼女らの周囲には、魔王が守ると決めた同胞達。しかしその者達を巻き込んででも、他の大多数を残すために諸共消そうと魔力を込める。
だが、それが放たれる直前。白の装飾銃が左目に押し付けられた。
発砲。込められた魔力と反応し、魔王の左頭部を吹き飛ばす。
『―――それが君の挨拶かね』
頭の半分が吹き飛び、衝撃で背筋を伸ばしながら魔王は問いかける。その言葉を発している間に、彼の傷は跡形もなく消えていた。
「散々声をかけたのに無視しといてそれか?まあ、いいさ」
疲労を隠しきれない様子ながら、日村は続ける。今しがた魔王の眼に押し付けた銃口を構えなおし、笑みさえ浮かべた。
「事情は知らねえ。だが、お前はあのわけわかんねぇビームを真っ先に第七の小僧にぶち当てた。そんで、その女どもを見つけ次第またぶっ放そうとした。つまりよぉ」
魔王は無表情のまま、右手に漆黒の大剣を出現させる。
「てめぇ、あの小僧が怖いんだな?竜だの吸血鬼だのを殺して回った、あいつなら。頭が吹き飛んでも平然としているお前を殺せるんじゃぁないか?」
『不敬だな、人間。余は、王であるぞ』
「わりぃが俺らの国、魔族とやらの国を国家として認めてねぇんだわ。ただのテロリストの親玉だろ、おい。じゃあ死ねよ。テロリストはぶち殺さなきゃダメなのさ」
戦場の各地から、魔王目掛けて攻撃が仕掛けれらる。
光の槍。火薬と魔術を組み合わせた魔道具。砲弾。ただの剣。多種多様なそれらは、全て『まれ人』達から放たれた物であった。
爆炎が広がるが、当然の様に無傷でいる魔王。その眼前で、銃を構える男が一人。
「残念だが今回の主役はあの小僧らしい。だからまあ、お色直しが終わるまで俺と踊ってくれや、魔王様」
『のけ。貴様の様な端役に用はない』
「つれねえなぁ!俺だって意外とブイブイ言われてるかもしれねえぜぇ!?」
銃弾と剣が激突する。
名もなき英雄たちが乱れ狂う戦場で。伝説がいくつも生み出される地獄の中で。
今最も大陸でその名を知られる英雄は、舞台から降りたままだった。
読んで頂きありがとうございます。
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ただの時間稼ぎ役なモブである日村さんが無駄に目立ってる……。
けど戦場では色んな英雄が生えてくるものなのかもしれません。きっとこの戦争が終わった後は、人類魔族共に色んな伝説がうまれていると思います。




