閑話 エイゲルンで最も王に向いていなかった男 上
閑話 エイゲルンで最も王に向いていなかった男 上
サイド ヒルダ・フォン・ドローテ
エイゲルン王国王城。その奥にある一室にて、笑いだすのを堪えるのは中々に苦労のいる事だった。
魔王様が封印され、我ら魔族が人間風情に住む土地を奪われてから千年。ありえざる時間だった。ありえてはならない千年だった。
それがようやく終わる。元に戻る。取り戻せる。この不愉快な害獣どもを叩き潰し、あるべき世界に戻せるかと思うと、細胞全てが歓喜のあまり泡立ってしまいそうだ。
「ヒルダ……ヒルダ……私の傍から離れるな……」
「ええ、陛下。御身のお傍に」
安楽椅子に座る金髪の男が私を呼ぶ。ああ、気色の悪い。人間が私の名を気安く呼ぶなど、ありもしない胃袋がひっくり返りそうなほど不愉快だ。
モルドレッド・フォン・エイゲルン。人間の基準では美丈夫と呼ばれる男だが、その金髪はくすみ、目の下には隠しきれないほどの深いクマが刻まれている。
私が操り、父親を裏切って玉座を得た男にして――このエイゲルン王国を終わらせる愚者である。
後世の誰もが嗤うだろう。こいつほど王に向かない男はいないと。
なんせ、『魅了の魔法』一つでこうも簡単に操れたのだ。やはり人間とは愚かでか弱い生物に過ぎない。我ら魔族であれば、防げて当然の術をこうも簡単に受けるとは。
「ヒルダ……お願いだ。君は私の視界に居続けてくれ。君から一瞬たりとも目を離したくない。どこにもいってほしくない」
「ご安心ください陛下。死がふたりを分かつまで、お傍にいさせて頂きますとも」
ああ……これでこのやり取りも終わると思うと、なんと晴れやかな気分になる事か。
何故、末席とは言え魔界貴族である自分がこんな下等生物と四六時中一緒にいなければならないのか。
全ては『エイゲルン王国に伝わる兵器の奪取』の為。そうでなければ誰がこんな事をするか。
かつてこの地にいたという強力な『まれ人』。たしか、『ヒラグモ』だったか?その男が残したとてつもない威力の兵器が、今も王家に残されているという。
この情報を私によこしたのは、同じく魔界貴族であるベルガーである。奴は新しい四天王となった自分の派閥を増やすため、私を取り込みたいと言ってきた。その為に手柄をやると。
そう、あの『弱虫ベルガー』が。
なんという屈辱だろうか。千年前の大戦では真っ先に逃げた臆病者が、あろう事か全魔族の憧れである四天王の末席を汚すなど。
だが……あのような恥知らずがなれるというのであれば、私も功績さえあげれば成れるのではないか?四天王に。我らが英雄たる魔王様の側近に。
そう考えると、ベルガーに頼る屈辱も人間に媚びを売る羞恥も耐えられた。なにより、これは魔王様の。ひいては魔族全体の為でもある。
この時代に現れた『まれ人』ども。そいつらを倒すには、今の魔王軍だけでは『足りない』。
決して、復活した魔王様に不満があるわけではない。ただ、長すぎた封印の時はかの王の力を奪うには十分すぎた。元のお力を取り戻すには、あと五年はいるだろう。
だが、その五年で『まれ人』どもはどれだけ強くなってしまうのか?
アキラスの支援により、奴らは日を追うごとにその力を増していく。信じられるだろうか?報告ではあの化け物……翔太・フォン・矢橋も四カ月前まではクマにも苦戦する雑魚だったとか。
そんな奴らを五年も放置できるものか。時間は奴らの味方なのだから。
短期決戦しかない。今まで潜伏し魔王様復活に備えていた魔族全てのリソースを、ここで吐き出す。
現在、魔王軍は『まれ人』の国を他の人間どもから孤立させる為に無茶な強行軍をしている。万一人間軍が一致団結し、『まれ人』どもが力を得るための時間を作られてはたまったものではない。
だが魔族とて、一部を除いて食事も休息も必要なのだ。速度優先でそれを削り続けているこの作戦は、失敗すれば致命的な隙をつくってしまう。
不愉快ながら、表面上は有利である魔王軍はその実。『まれ人』どもに対して圧倒的に不利な状況だ。
だが……だがしかし。その状況だからこそ私の活躍は映えるだろう。
人間から奪った兵器で、『まれ人』ども相手に八面六臂の活躍をし、魔王軍の救世主となった私。ああ、ともすれば四天王に……いいや、魔王様の伴侶に選ばれる可能性も……!
「ヒルダ……手を、握ってくれ。どこにもいかないと、確かめさせてくれ」
「……ええ、喜んで」
うっざい。
今すぐ殺してやりたいが、まだ我慢だ。例の兵器を使うには王家の者が触れる必要があるという。
ないはずの血管が千切れるのを堪えて、笑みを浮かべ続ける。そして何度も自分に言い聞かせた。山場は越えた、後は手に入れるだけだと。
あの竜殺しと呼ばれ、イゼル様を殺したという化け物。間抜け面のくせして、忌々しい太陽の力をもった戦士にいつ見つかるかと冷や冷やしたものだ。
奴がこの王都にいる間はひたすら近寄らない様にしていたが、それ以外ではこのモルドレッドのすぐそばに居続けた。それこそトイレと眠りにつく時以外。
ことあるごとに傍にいろと言われ続け、辟易したものである。どれだけ魅了が効いているんだ。人間の脆弱さを甘く見ていたかもしれない。
「モルドレッド陛下。そろそろお時間です」
軽いノックの後、返事も待たずに大柄な男が入ってくる。普段であればありえない無礼。しかし、それすら気にしていないとばかりに意気揚々とそいつは歩いてきた。
セルゲイ・フォン・エーカー近衛隊長。爵位の繰り上げを目当てにアーサーを裏切ったそいつは、爛々と目を輝かせてモルドレッドを見やる。いつもの困り顔はどこへやら、今は親に『なんでも買っていい』と市場で言われた子供の様だ。
それを前に、モルドレッドは焦点の合わない目を細めた。
「そうか……ヒルダ。支えてくれ。玉座の間に向かおう」
「かしこまりました。ささ、どうぞ体をお預けください」
豊満に『作った』私の胸に腕を沈めながら、モルドレッドは立ち上がり歩き出す。
それを支えながらエーカーの後を歩いていく。玉座の間。この王城に例の兵器が隠されているとしたら、その部屋が怪しいと踏んでいる。ようやく、その確保ができるのだ。
だがその道中、どうにも違和感を覚えた。ここは王城。使用人の数など両手両足の指を使い切っても足りないほどだ。
だというのに、モルドレッドの私室から出てこのかたメイド一人見かけない。昨日まではいた使用人すらいないのだ。
「陛下。お尋ねしたいのですが、私以外のメイドはどこに?一人も見当たらないようですが……」
「皆、パーティーの準備に動いているからよ。貴女を正式に妃として迎えるパーティーのね」
廊下の向こう。カツリとヒールの音をさせながら一人の女が歩いて来た。
くすんだ茶色の髪に、無駄に意志が強そうな目をした女。落ち着いた印象を受けるドレスを着て歩く姿は、貴族令嬢の見本とばかりにシャンとしている。
だが美しいその顔立ちも死人を彷彿とさせるほど白く、首などはかなり細い。魔族である私にはわかる。この女はあと数カ月もすれば死ぬ運命だと。
「マルティナ……」
モルドレッドがうわ言の様に呟く。
マルティナ・フォン・エイゲルン。モルドレッドの妻であり、現在は王妃として君臨する女。
「マルティナ様。それはサプライズの為秘密であったのに……」
「控えなさい、エーカー」
「はい……」
ぴしゃりと立ちふさがるエーカーに言葉をぶつけ、今にも倒れそうなモルドレッドとは対照的に、そいつは毅然とした様子ですぐ傍まで歩み寄って来た。
「我が夫であるはずのモルドレッド様。しばらく会いに来てもくれなかったので、無礼ながらこうして参った次第です。随分とそのメイドにご執心なようで」
「……実家に帰れと言ったはずだ。私は、このヒルダを正妻にすると言っただろう」
は?いやだが?
あぶない。嫌悪感で顔の制御を乱す所だった。まあここまでくれば多少怪しまれても問題ないと思うが……。
「ええ、言われました。ですが、私にもプライドがあります。『この命つきるまで』、梃子でもこの王城を出るつもりはありません」
醜いな……。
無表情ながら潤みそうな瞳を堪える女に、愉悦の感情があふれる。どれだけ取り繕おうが、その本性は隠せない。ポッと出の女に自分の地位を奪われるのがそんなに嫌か。子も作れない石女のくせに。
知っているぞ。娘と呼んでいるメローナは、どこかから貰ってきた養子なのだという事を。王家の血が入っているかも疑わしい、そんな小娘まで使って自分の地位を守ろうとした愚か者。
ああ……これだから人間で遊ぶのはやめられない。
人間というやつはこの世で最も頭のいい種族なのだと思い上がった、愚者の群れ。家畜のくせにそんな勘違いをしたクズどもの集まりだ。操るなど造作もない。
「……そうか。もう、決めたのだな」
「ええ、モルドレッド様。それとも、ここで私を斬り殺して城の外に投げ捨てますか?」
「いいや……では、一緒にいこうか」
「ええ。お供します」
私とは反対側に立つマルティナ。途中から黙って話しを聞いていたエーカーが再び歩き出し、遂に玉座の間へと到着する。
「少し、離れていてくれ……」
そう言って、ふらふらと一人で歩き出すモルドレッド。奴は懐からナイフを取り出すと、おもむろに玉座の背もたれに逆手で突き立てた。
高級なシルクが引き裂かれ、その下から小さな鍵穴が現れる。
あれが……そうか。微かにだが魔力と、神術の気配がする。私では探し出せないわけだ。よもや神術による隠ぺいと結界がされていたとは。
モルドレッドがその鍵穴に鍵を差し込むと、ガチャという音が大きく響く。
――待て。この音、『二つ』しなかったか?
「っ!?」
咄嗟に飛び退くが、轟音と共に強い衝撃にバランスを崩す。転倒を防ぐために更に飛び退けば、眼前を白刃が通り過ぎて行った。
「おや、これは失敗」
左手の平から煙を出しながら、エーカーが苦笑を浮かべる。まるで悪戯が失敗した様な顔で、奴はサーベルを軽く振るった。
「では、モルドレッド様。最期はご夫婦でお過ごしください。お客様の相手は自分が務めましょう」
「ああ……すまない、セルゲイ。お前の忠義に感謝を」
「そこは、友情と言ってほしかったですな」
なんだ、何が起きている?
自分と玉座の間に入る様に立つエーカー。早足でモルドレッドの傍に行きその体を支えるマルティナ。そして、私など眼中にないとエーカーの背中を見つめ、傍にいるマルティナの肩を強く抱くモルドレッド。
「騙したな、人間!この私を!このヒルダ・フォン・ドローテを!!」
「モルドレッド様。お相手は随分と御立腹のようです。お急ぎを」
「ありがとう……我が友よ」
「ええ、さようなら。心の友よ」
いつの間にか玉座は後ろにずれ、地下へ続く階段が現れている。そこを降りて行こうとするモルドレッドに、右腕を伸ばす。
ギュルリと、弾丸に匹敵する速度で数メートル引き延ばされたこの腕から逃れる事など――。
「おっと」
気の抜けた声と共に、あっさりと私の右腕が切断された。
「なっ」
思わず気の抜けた声を出しながら、切り落とされた腕を眺める。
馬鹿な、ありえない。人間では反応すらできない速度で振るったはずだ。なのになぜ、エーカーの刃は私の腕を切断している?
「ふむ。やはり斬撃は効果がありませんか」
千切れ落ちた私の腕をしげしげと眺めるエーカー。その姿に危機感を増しながら、ドロリと『溶けた』その腕を遠隔で引き寄せる。
高速で地面を這いずって戻って来たそれは私の爪先から吸収され、元通り右腕として復元された。
その本来ならあり得ないはずの光景を前に、エーカーは平然としたまま。
「……いつからだ、人間。いつから私に気づいていた」
「最初から。モルドレッド様も魅了の魔法を受けるのは『二度目』でしたので。耐性がございましたからな」
二度目……?
笑いながらそう言って、エーカーが乱暴に軍服を脱ぎ捨てた。
露になった上半身はピッタリとした半袖の黒いボディースーツを纏い、年齢を感じさせない筋骨隆々な肉体を浮き上がらせている。
だが、目を引くのはその左腕。
「義手か」
「ええ。私の傑作にございます」
自慢げに手を開いて見せるエーカー。焼け焦げた手袋を歯で噛んで脱ぎ捨て、穴の開いた金属製の腕を晒す。
「本当はもう少し火薬の量を増やすつもりでしたが、それでは容量をくってしまいましてな。いやぁ、大和共和国の煙が少ないのに威力の高い火薬が羨ましい。私はアレこそが機関銃とやらのキモと考えているのですが……その解明は我が子らに任せましょう」
カラカラと笑う奴を無視して、視線を玉座へと向ける。重い音をたてて階段への入口を閉じたそれは、しかし私なら多少のダメージを覚悟すれば壊せるだろう。たとえ神術で守られていようが、構うものか。
この王都には、既に魔王軍三十万の大軍勢が乗り込む予定なのだ。いくつもの幻術を使い、私からもたらした情報にて最短コースでここまでやってくる。その手筈となっている。
だが、魔族と見破られていたのならこの異常な行軍速度もバレているかもしれない。一刻も早く、あの兵器を確保しなければ……!
「無視はしないで頂きたい」
「っ!?」
本能のまま肉体を崩し、四方に飛び散る。直後、自分が立っていた場所に火柱がたった。
「おお!ただ他より知能が高いだけのスライムかと思っていましたが、それができるとは!まさか『エルダー』ですかな!?」
興味深げに目を輝かせるエーカーの左腕。そこには幾何学的な模様が浮かんでいる。
今の魔法はアレが起こしたと?詠唱もなしに?
『……ありえない。それほどの魔道具を義手としているのなら、これまで私が気づかないなど』
「それは当然ですな。なんせ昨晩自分で腕を切り落とし、取り付けたばかりですので」
あっけらかんと言うエーカー。なるほど……気狂いか。
アレはどう考えても己の命を削る類の魔道具だ。それによって本来ならあり得ない出力を引き出している。
それを知らないわけではないだろう。なんせわざわざ『私の傑作』と言ったのだから。
「私、これでもかなりお喋りな質でして。最期ぐらいは誰かと喋っていたいのです。それが敵だとしてもね」
『黙れ。私は貴様になぞ興味はない。とっととそこをどけ。そうすれば見逃してやる』
「お断りします。貴女には最期の一瞬まで私と踊ってもらいましょう」
左手をサーベルの刀身に滑らせたかと思えば、その刃が緑色の毒々しい炎に包まれた。
それを構えなおし、エーカーは言葉を続ける。それを聞きながら、私も本来の姿を露にしていく。
何年ぶりだ、この姿になるのは。ここ何年もラルゴの下でリースランの貴族相手に工作をしてきたせいで、随分と力を解放するのに時間がかかってしまう。
「私の祖父はシャイニング卿の弟子の一人でしてね。代々大師父の残した研究をし続けてまいりました」
どろりとした粘液。それこそが我が腕であり、脳であり、本体であり、末端である。
黒い泥の様なそれを人間は疎むだろう。だが、私からすれば何よりも誇らしい。全ての魔物の祖先に最も近い姿として語られる、この体を。
「その技術を、ついに活躍させる時がきたのです。教会騎士が使っていた物を参考にした、『短期間で命を削る代わりに力をえる秘薬』。未完成ではありますが、『魔族に対して有効な日の光を再現した金属』。術者の精神を代価に稼働する『大規模な遮音結界』」
私の姿を凝視しながら、未だ語る愚か者。
体積を何倍にも膨れ上がらせ、既にちょっとした小屋ならば飲み込むほどとなったこの私を前に――まるで自慢の玩具を語る様に笑いながら、奴は口を閉じる事がない。
「その全てをさらけ出せる。それも友の為という大義名分のもと、『エルダースライム』という神話の怪物を前に!」
『いい加減、黙れ。貴様の、人間の声は耳障りだ』
私は奴を見下ろしている/私は奴と視線を合わせる/私は奴を下から見上げる。
『ニクセナシヲソ。トボセナシヲソ。コオケアツッナシヲソ。ケスムユウマキニシユ、メヌジヲセヅ』
「殺意が十分な事は伝わりました。では、始めましょう。外は既にパーティーの最中だ」
ゆらりとした動きから、急加速。エーカーが一瞬で私の前まで距離を詰めた。
「――シャルウィダンス?」
『死ね』
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
魔族語はフレーバー程度に思って頂ければ十分です。ヒルダはひたすら「殺す」宣言しまくっている感じですね。
※間違いがあったので一部修正しました。
この少し後に、もう一つ閑話を投稿させていただきます。そちらも見て頂ければ幸いです。




