閑話 イヒロ村のアミティエ
閑話 イヒロ村のアミティエ
サイド アミティエ
スタンクさんの館の裏手にある練習場で、丸太を突き立てた的を前にボウガンを構える。
十メートル先。標的は丸太に張り付けられた三十センチの紙に書かれた三重丸。
引き金を、絞る。
勢いよく放たれた矢は、的にすら届かず地面に突き立った。
『見てぇやオカン!アミティエが凄いんや!十メートル先だって百発百中や!』
『まあすごい!お父さんに似たのね、アミティエ!それはそうとジョージぃ?アミティエに本物はまだ早いって言ったわよねぇ。今年で九歳よぉ……?』
『堪忍やオカン!そんな怒らんといてぇ!?』
よどみなく側面のリールを回し、弦を引く。
軽く、整備は少し面倒だけど、私の細腕でも扱えるこの弩。オトンからの、贈り物。
次の矢は、的の向こうにある木の壁に刺さる。
『すごいでアミティエ!刺さった矢に更に矢を撃ち込むなんて達人や達人!ワイが見てきたどんな射手より才能があるでほんま!』
『天才よアミティエ!それはそうとジョージィ?今の時間はぁ?私、日が暮れる前に帰って来てって言ったのになぁ……』
『あ、しまっ、堪忍やでオカン!』
次の矢をつがえる。
呼吸を整える。矢を放つのに感情などいらない。からくり仕掛けの人形のように、静かに。そして精密に。
的の下。丸太に矢が当たり、刺さる事もなく弾かれる。
『ごほっ……ごめ……わた、し……ごほっ!がっ……』
最期には、血の混じった咳でまともに喋る事すらできずにオカンは息を引き取った。
矢が外れる。次をつがえる。
『アミティぇ……生きろ……いき……』
残った左腕で私の頭を撫でて、血と雪にまみれたオトンは亡くなった。
矢が、外れる。
「すぅー……ふぅー……」
深呼吸をしてから、もう一度。
この行為に、意味なんてないのかもしれない。
あの竜の全身を覆う謎の風。アレによって私の矢は届かない。そもそも風が無かったとしても、どこまで通じるのか。
矢橋翔太君。異世界から来たと言う、まれ人の少年。
彼はスキルなる不思議な力によって、風の鎧を無効化した。だがその剛腕により繰り出された剣は、スノードラゴンに少しでも傷をつけられたか?
彼の太刀筋は滅茶苦茶で、正に素人のそれだ。だがそれでも、私の胴を両断できる一撃だった。それだけの身体能力を彼は持っている。
その一撃でも、かすり傷一つつけられなかった。私の矢では眼球だろうとまともに貫けないかもしれない。
だが、これを手放す気にはなれなかった。
『父母に誓おう。ウチは、二人の敵討ちを完遂するまで死なないように全力を尽くす』
この約束を違える事はできない。あの二人の名を、どうして汚す事ができようか。
私が『生きる』のなら、きっとこの武器は必要になる。そう確信を持っている。見た目相応の筋力しかなく、足だって森以外なら兵士の方が速い。そんな私が、一流の戦士だって降せる武器。
狭い視野。測りきれない距離感。それがどうした。慣らしてみせる。
私は『雨の日ジョージ』の一人娘で、村一番の薬師であるワイスの子。やってやれない事はない。
こ気味のいい音が響き渡る。
矢が、的の中央に突き立っていた。
「オトン……オカン……こん馬鹿な娘を、もうちょっとだけ見守っててな」
ウチは絶対にやり遂げる。二人の為ではなく、ウチの為の、ウチによる復讐を。
二人はきっと、ウチの行動を怒るだろう。スタンクさんの話しにのれと、諭すだろう。理性では彼の申し出を受けるべきと結論が出ている。
だが、あいにくと理屈だけで生きていけるほど大人ではないのだ。両親が死んだ原因たるあのクソトカゲが今も生きている。その事実だけで腸が煮えくり返る。
奴との決着をつけるまで、ウチは止まれない。止まる気がない。どちらかが死ぬまで、絶対に止まらない。
オカン譲りのエメラルド色の瞳に、炎をたぎらせる。
けれど、気がかりが一つ。というか、二人。
「翔太君……ホムラさん……」
竜退治に付き合うという、二人の名を口の中で転がす。
片や呪い故に仕方がなく。片や竜の恐ろしさを知らぬ故の協力関係。
「……あの二人には、死んでほしくないなぁ」
自分の復讐で自分が死ぬのはいい。だが、それで誰かが死ぬのは嫌だった。
最初の時は、彼に他の道がなさそうだったから一緒に竜へ挑んだだけ。それでも普通の人なら一縷の望みにかけて下山を選ぶけど……自分も感情がぐちゃぐちゃで彼にこの世界の常識がない事を失念していた。
兎にも角にも。理屈で考えるなら、全力で使い潰すべきなのに……やっぱりウチは、皆に言われる通り『小娘』なのだろう。
なんともまあ、我ながら中途半端な女である。
先の感覚を忘れないため、もう一度矢をつがえる。二人にこの特訓を知られるのは恥ずかしいので、あまり長居もできない。オトンに認められた腕を誰かに疑われたくない。
かつての私なら二十メートル先を走る鹿の瞳だって射貫けた。だが、今は十メートル先の止まった的に当てるのが精々。
この街に滞在を許されているのは今日も含めて三日間。四日目の昼までには街を出るように言われている。
それまでに、少しでも感覚を取り戻すのだ。
* * *
なお、夕方頃ホムラさんがウチの泊っている部屋に突然来て何事かと思ったが……落ち着かない様子で誤魔化す彼女に色々と察した。翔太君も若い男なわけだ。
これでも薬師の娘なので生理現象は知っているし、酔っぱらったオトンの友達が大声で『武勇伝』を他の仲間に自慢しているのが聞こえた事もある。なお、その御友人はオトン含め他の人達から『教育に悪い』とタコ殴りにされていたけど。
娼館にも行けないなか、誰に迷惑をかけるでもなく処理しようとする少年に暖かく接してあげよう。
そう思い、翌朝顔を合わせた時に『しょうがない事だよ』と笑ってあげた。
何故か死期を悟ったみたいな顔をしていたが……きっと気のせいだろう。
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