解消されたと思ったのに
翌日の通学時、隣に居るのは凜風だ。
電車内で顔を合わせると、無遠慮に傍に来て挨拶して来てたし。
なんで?
「如果你不消除任何误解,它就不会清楚」
「別れるって言った。はっきり」
「我明白。 但你认为这能说服我吗?」
つまり、一方的に別れを切り出されても、納得できないってことらしい。
自分の行動を思い返せば、理解も及びそうだけど、そこは考えないんだ。だから殴る蹴るを当たり前だと思い込む。それも愛情表現だなんて、冗談きついんだけどね。
中国では当たり前かもしれないけど、日本では暴行傷害にしかならない。
「日本では殴る蹴る常識は無いんだけど」
「我将确保没有来自我的暴力」
「無理でしょ。口より先に手が出る」
「我向你保证,我会的」
無理な方に全財産。絶対手が出る。
「悪いけど、これ以上信じられない」
「我将遵守我的承诺」
懇願する感じで見てるけど、どうして信じられるのか。これまで一度だって暴力を振るわれなかったことは無い。ひとつ言えば倍、ふたつ言うと十倍。
その度に、顔が腫れあがって痛くて仕方なかった。唇切れてもお構いなし、鼻血が出ても知らん顔。どこに愛情があったのか。
「信じると思う? 今まで散々好き放題殴り続けてきて」
日本人は我慢することが得意、なんて思われてるけど実際は違うからね。
今の若い人に関しては、許容できる範囲なんて限られてる。国際社会では及び腰で、なんでも我慢してるけど。あれは役人や議員が腰抜けなだけ。他国にいい顔したいから。
「我希望你能相信我」
「無理」
泣きそうだ。
でも今までがあっての、これだから。
「如果我把我的手伸出来,你就把你的手伸出来」
「それだとただの殴り合い」
「那我该怎么做呢?」
「別れる一択」
唇噛みしめて泣き出してる。
でも、無理だから。いくら顔が良くてもスタイルが良くても、性格に難がありすぎるんだよ。ここまで暴力を厭わないんじゃ、どう考えても日本人の誰とも合わない。
日本だと暴力行為は絶対悪だから。中国は知らないけど。
大学に着くと泣きながら俺のあとを付いてくるし。
なんか泣かせてる悪い奴みたいに見られるでしょ。泣かされて来たのはこっちなのに。
なんで急にしおらしくなってるんだか。いつも通りぶん殴って終わりにすればいい。その方が中国人らしいでしょ。
一旦、別々の教室に移動するけど、ずっと沈んだ表情だった。
昼になると、やっぱり探してでも傍に来る。
構内に複数個所、学食とかラウンジがあるから、あたりを付けて来たんだろう。
今さらだけど。
「未練あるの?」
「ある」
「なんで?」
「心細いから」
日本語になってる。今朝はずっと中国語だったのに。
でも、心細いって、日本には同胞が山ほどいるじゃん。なんで心細くなるのか理解不能。
結局、学食で並んで飯食ってる。そのせいで、誰も別れたとか思わないみたい。
「元気ない感じだけど、なんかあった?」
凜風に元気がないのを見て取ったんだろう、サークル仲間が声掛けてきてる。
ここで話すのもあれだし、適当に誤魔化しておけばいいか。
「分かんない」
「他们和我分手了」
「え? 意味は?」
ええい。なんで素直に言うんだよ。
テーブル挟んで前の席に座って「翻訳プリーズ」とか言ってるし。まあ、本人が言ってるからいいのか。
「別れ話を切り出したから」
「え? なんで? だって、仲良かったじゃん」
まあ、そう見えたんだろうね。その陰でどれだけ殴られ続けて来たか。血塗れになるまで殴るなんて、普通なら警察に被害届を出すレベル。それをずっと我慢してきた。明らかな暴行傷害なのに、耐えてきたんだから。
限度が無いんだよ。このままだと命に関わる。
「いろいろあって」
「えー、なんか勿体ない」
「じゃあ、付き合ってみれば」
「そりゃ、俺で良ければ」
自分を指さして「どう?」とか言ってるけど、即座に首を横に振ってるし。
「気がないよ」
「仕方ないね」
「でもさあ、もう付き合う気無いんだ」
「無い」
隣で泣きだしてるし。
「泣いてんじゃん。なんで別れることになったんだよ」
「いろいろ」
「言いたくないんだろうけど、これじゃあ彼女が哀れだろ」
「自業自得って言葉がある」
今日のこの時まで謝罪は一切ない。
日本には謝罪の言葉が複数ある。きちんと詫びて罪を認める文化もある。でも、海外にそんな文化は存在しない。軽いんだよ、どの国の言語も謝罪に関して。日本で言えば、せいぜい「ごめん」程度。ましてや中国人に謝罪する文化は存在しない。たぶんね。
だから態度も行動も改まることは無い。すべて他人が従えばいい。従わなければ力で屈服させるのが世界のやり方。結果、傲慢な考え方が世界中で罷り通る。
日本人と合うわけがない。
謝罪ってのは完全な負けを意味する。だから謝罪しない。まあ文化の違いがこれ程、明確に出る事例は無いだろうな。
だから、凜風に期待するものは無い。するだけ無駄だし。
ちなみに泣くのは同情を引くため。悪いと思ってじゃない。これも世界共通。日本だけが別。
「自業自得って、何やらかしたんだ?」
「さあ、本人に聞いてみてよ」
「いや、中国語で話されたら分かんないし」
見た目に反して、とんでもない暴力女なんて知ったら、誰も同情しなくなるだろうなあ。少なくとも日本国内では。中国なら暴力を肯定する主張をするだけ。
国家からして、そんな態度なんだから。
日本に居て、そんな子だと知れたら、周りから人が居なくなる。さすがに俺もそこまで追い詰める気は無いし。
「とにかく、個人の問題だから」
「なんか可哀想だな」
昼休みが終わり午後の授業も終えると、やっぱり探し出して俺の傍に来る。
こんな態度を取るのも初めてだな。今までならぶん殴って、さっさと先に行ってたのに。
「なんで俺の傍に来る?」
「因为我爱你」
「軽いね。その言葉自体」
許した時点で全部チャラになったと受け取る。そして明日からまた暴行の日々が始まるだけ。その場しのぎの軽い言葉で済ませる。
反省なんて外国人にできるわけがない。反省する人種なら、世界から戦争は無くなってる。無くならないのは反省しないから。何しろ第二次世界大戦では、日本が絶対悪であって、原爆を落としたアメリカでさえ正義。どれだけ無辜の市民を無残に殺したとしても。
反省した経験が無いんだから、無理ってものだよね。
日本は世界中に対して土下座させられただけ。今も尚、土下座は続いてる。
ドイツくらいに要領よくできなかったのもある。あの国の国民性は本当に小賢しい。スケープゴートを用意し、全責任を押し付けたんだから。
支持して生み出したのは他でもない国民なのに。日本は違う。国民が選んだわけじゃない。
天皇を崇めはしていたけど。それが裏目に出たんだろうなあ。いいように祀り上げて国民を誘導した。
「外国人ってさあ、他人を責めるのは得意だけど、自らは反省しないよね」
言われてる意味を理解しないみたい。
まあ、中国は日本から侵略された経験があるし。屈辱だと思ってるから、反日政策も当たり前にある。反日と友好を巧みに使い分けてる。
「許してまた付き合うとなったら、殴るんでしょ? 気に入らない、腹が立った、イラっとしたからって」
「我永远不会再实施暴力行动」
「口先だけでしょ。誰がそんな言葉信じると思ってるの?」
信じられないかもしれないけど、信じて欲しいとか言ってる。
自分に対して不信感しかないのも理解した。だけどチャンスは欲しいと。
軽いなあ。自分がしてきたことも反省できない、謝ることもできないのに。なんで繰り返さないって言えるのか。図々しいにも程がある。
「日本では本当に悪いと思ったら、心の底から反省し謝罪するんだけど」
謝罪の文化が無いから、できないんだろうけど。それと同時に反省もできるわけがない。
「ごめんなさい」
「心からの謝罪って、日本が散々他国から突き付けられたんだけど?」
「我不知道该如何道歉。土下座? 腹切り?」
土下座も腹切りも無い。無理だよね。経験無いし日本に要求だけしてたんだから。謝罪が何なのかも知らないのに。意味無いよなあ。