2話 平凡
巨大な炎を操る魔法とか、ドラゴンとの契約とか、派手じゃなくていいなら人の心が読めるとか。
異世界転生したら、そういう特殊な能力が扱えるようになると思っていた。
能力を駆使してお姫様を救ったり、一国の王子として国を率いたり。そんな夢物語の主人公になれるってどこかで期待していた。
でも実際はそう上手くいくものではないようで、俺は今も転生前と変わらずに会社員をやっている。
小さなビルの小さなオフィスで、誰の役に立つかもわからないデータをパソコンのキーボードで編集していた。
転生後のこの世界に、"魔法"とか"異能力"とか。そういう特別なことがなかったわけじゃない。むしろ溢れている。
定期的に魔女が災害を引き起こすし、魔物が人々を襲っているし、それを何とかする魔導士や魔法道具だって存在する。
問題があるとすれば、その魔導士様になるのにも才能が必要で、俺にはその才能がなかったということだ。
正確には貰えなかったと言う方が正しい。この世界で魔法を使える奴は、魔女を除けば一人の例外もなく、紋章と呼ばれるマークが生まれつき体に刻み込まれている。
俺にはそれがない。転生時に女神が付与するものらしいが、俺はどうやら紋章を貰えなかったらしい。
大きな会社に入れば魔法武器を使って派手に戦うこともできるらしいが、ろくな大学を出ていない俺には縁のない話だった。
だからこうして会社員をやっている。でも未練があるから、少しでも魔法に関われる会社に就職した。
今は他社のオフィスで、大企業様が魔女討伐の際に使用した武器の在庫についてデータを整理している。客先常駐ってやつだ。
入社したての頃は騙されたと思った。魔女狩りに関われるなんて会社のホームページに書いてあるから入社したのに、ふたを開けてみればデスクワークばかり。
会社の言い分としては、狩りの能力のない社員に魔女狩りの案件なんて回ってこないとのこと。
後から知ったが、うちの会社自体には仕事がない。うちにいる社員の能力を見て、他社が仕事を紹介してくる。要するに派遣なのだ。
若手の身分で抗議もできず、一生この会社でパソコンとにらめっこして人生を終えると思うとぞっとした。とんだ人貸し企業だ。
自分が転生者らしい活躍ができていないことを細かく分析しても仕方がない。
要するに才能がないし、実力に見合った努力もしてこなかったけど、夢のある仕事がしていたいんだ。
それにしてもやる気が出ない。そもそもモチベーションがない。
魔法に関われる仕事と言ってもデータ整理だ。元から自分のやりたかった魔法を使った仕事じゃない。
ため息をついていると、同僚の1人が話しかけてきた。
「三村さんデータできました?忙しくなかったら僕の資料再鑑してほしいんですけど」
加藤涼太、25歳。俺より1つ年下の後輩だ。
「できてないけど再鑑するわ」
「データ整理そんなに大変でしたっけ?」
「いや、頑張れば10分で終わる」
加藤が苦笑いする。
「相変わらずやる気ないんですね」
「納期ないのに頑張ったってしょうがないだろ」
俺は堂々と悪態をついた。監督役の上司がオフィスにいないからだ。
加藤が目で先輩らしくしろと訴えてくる。俺は言い訳交じりに続けた。
「あんまり早く済ませれば上が調子に乗って、次は重い仕事でも短い納期でやれって言ってくるだろ」
「その時は説明して長くしてもらえばいいじゃないですか」
「"その時"に言うことを聞かないのが上の仕事だ。そういう奴以外出世できない」
断言すると、加藤は口をとがらせて黙った。
加藤は去年、大企業からうちに転職してきた。まだ中小企業社員としての立ち回りが分かってない。
30代になるまでに上手いサボり方を覚えられなければ、俺たち下請けの会社員は死ぬ。
根っから真面目な加藤が処世術に手を出すのは、もっと辛い現場に入ってからだろう。
「加藤はさあ。なんで大企業からわざわざうちみたいな小さい会社に転職してきたの」
説教が始まると思ったのか、加藤は嫌そうな顔をした。
「前から気になってただけだ。他意はない」
「普通に業務がきつかったからですよ」
加藤がしぶしぶと答えた。
「でも小さい会社の仕事だとつまんないだろ。まず、前線に立てない。それこそ、魔女狩りの仕事だって前の会社ならいくらでもできたんじゃないか?」
加藤の前職の話なら聞いたことがある。腕利きの魔女狩りとして有名だった。
「ああ、まあ」
「俺は紋章無しだしさ。せめて大企業に入って魔法武器でも貰えれば、もしかしたら凄い魔女狩りになれたかもなんて。夢に見るくらいだぞ」
嫉妬交じりに言うと加藤は笑った。いつもうるさいだけの上司の泣き言はおもしろいのだろう。
「確かに魔法武器は大企業が占有しちゃってますからね」
「ミストの一番槍が折れた理由を教えてくれよ」
ミストは加藤の前居た会社の名前。中堅レベルの魔女なら、加藤が一瞬のうちに飛び込んで討伐してしまうことからそう呼ばれていた。
優秀な魔女狩りの噂は他社社員の耳にも入ってくる。だから俺も知っている。羨ましい話だ。
加藤は過去の栄光を出されて少し照れているようだった。さっきまで拗ねていたくせに、もう表情が緩んでいる。
「目をやられちゃったんですよ」
「え、今見えてないの?」
「これ義眼なんですよ。よくできてるでしょ」
加藤は右目を指さしながら、両目をぐるぐるして見せた。なるほど、これは気づかない。
「僕結婚しちゃってるし。魔女狩りって普通に危ないじゃないですか。同僚も何人か死んじゃってるんで、辞めることにしたんです」
「大変だな」
「軽くないですか?」
「皮肉らないだけましだろ」
重い話だが、加藤は笑っていた。
談笑しているとケータイが鳴った。本社の営業からだった。
「お疲れ様です。三村です」
「お疲れ様です、営業の長浜です。今お時間大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
「参画案件の件です。魔女狩りの前線の仕事が来ました」
「え」
待ち望んでいた前線の仕事。要するに魔女を直接狩る仕事。
喜ぶよりも驚きの方が大きかった。入社してから早いこと4年。この4年間、1度も前線の仕事なんて回ってこなかった。
2年目の夏になった頃には期待するのも面倒になってきて、今後の人生を無意味なデスクワークに費やすことに腹を決めていた。
それが4年目になっていきなりチャンスが回ってきた。俺は気持ちの高ぶりを抑え、会話を続けた。
「驚きました。うちに前線の仕事なんて来るんですね」
「まあ会社が小さいうちは、こういうのは運です」
人のキャリアデザインを会社の運で決めるなよ。少しイラついたが、今はそんなことどうでも。
「面接の日程とか決まってますか?」
「いえ、三村さんの登録情報見て即決だったらしいです」
「そうですか。わかりました」
「では、詳細は追ってメールします。また、今回の案件は加藤さんも同時参画になるので共有しておいてください」
「はい。失礼します」
電話が切れた。
前線での仕事のことを考えると、大人げなくも興奮した。
「良かったですね。前線の仕事」
加藤が言った。通話が聞こえていたらしい。
「加藤も参画だって」
言いかけてから思い出した。わざわざ転職までしたのに、加藤は前線の仕事に行くのが嫌じゃないんだろうか。
「前線に逆戻りだな」
わざと皮肉っぽく言った。
「1度や2度なら死にませんよ」
加藤の返答にハッとした。魔女狩りでは当たり前のように人が死ぬんだ。
胸にあった高揚は、わずかに緊張に変わった。