歯牙ニモかケぬ果実
ハンス町からジェロ都行きの地上交通機関に乗る前。乗降場に笑い声を響かせていたシンヤがピタリとそれを止め、一つのことを思い出した。
ああ、近くなるな。
その思い出したたった一つを理由に目的地を急遽変更し、ジェロ都から乗り継いで西にあるスタンド町へと向かうこととなった。
朝日が差し込んでくる時間にジェロ都に到着し、そのまま乗降場を降りずに次に来るスタンド町行きに乗り込んだ。理由は単純、「離れたかった」から。特段スタンド町を希望したわけではない。離れられればそれでよかった。
壊れ切った精神の中にあった僅かな己自身が、その方角への移動を拒否していた。
ジェロ都についてすぐ乗り継ぎができたのはシンヤのタイミングの悪さからすれば珍しいことだったが何のことはない。今の彼には一時間程度の待ち時間などあろうがなかろうが意に介さないだけの話だ。
こうしてシンヤはジェロ都からさらに五時間ほどかけ、スタンド町の乗降場に降り立った。
「ふーん、同じ町でもハンス町と違うんだなぁ。ああ! もう「ハンス」町じゃないか! でもいいかな? アハハハ!」
初めてのスタンド町で何が何処にあるかも分からないまま、乗降場から道なりに進む。道行く人や使用者の様子を見るにハンス町と比べると幾分穏やかに見える。というよりもハンス町の使用者が著しく品性を欠いた者が多かった、というのが正しいのかもしれない。
シンヤとしてはまずは宿、その次に拠点の順で向かいたいと考えていた。拠点に行けば使用者としてなり技師としてなり依頼があるだろうから稼ぐ手段はある。懐に余裕もある現状、移動で疲れた体を休めるにも先に泊まれる所を見つけたい。
宿泊期間も受ける依頼もどれくらいかは決めていない。ただ「自分の条件に合った」依頼がなさそうであれば次の居住地に行く程度にしか考えていなかった。
誰に聞くでもなく宿屋を探しているシンヤだったが、次第にある物を感じ出した。
「?」
最初は肌に何かが触れたかどうかというようなものだったが、感覚が強まるとすぐにシンヤは納得する。
(ああ、そっか)
それは道端で話していたりすれ違ったりした人の大半、若い男女の多くが自分に対して向けている視線だった。
視線そのものはハンス町で数えきれないほど感じていたものだったが、その多くは嘲笑や下卑、性的な物の対象としてのそれだった。それがこの町では泥のように張り付くでもなければ艶っぽさもない、程よく潤ったような感覚。
整った顔立ち、日の当たり具合によっては銀にも見える歩く度に柔らかく軽やかに跳ねる白髪。若干幼くも中世的に見えるその相貌は、年頃の少女だけでなくシンヤを女と見間違えている青年ですら見入ってしまっている。
今まで非難しか受けておらず色恋沙汰に関わる経験など皆無だったシンヤだが、ここにきて彼の容姿の良さを十分に表す結果となった。
以前のシンヤだったなら恥ずかしそうに照れてしまい、更に目を惹くこととなっただろう。ましてや自分から話しかけることなどできようもない。
だが今は違う。
「ねえ、ちょっといい?」
道すがら会話をしながら自分をチラチラと見ていた二人の少女に、シンヤは声をかけた。
「え!? あ、はい!」
「えっと……何かな?」
二人の少女は驚きと同時に顔を赤らめて前髪をいじりながら返事をする。
「宿屋を探してるんだけど、知らない?」
「宿屋……ですか? ええっと……」
「確か……近くだとこの道を少し行ったらホテルがあったかな?」
「そうホテル! ホテルあったね確か。ホテルアメリアっていう名前です」
「そこだとこの町でも珍しく食事が出るから、結構人気よ」
「ああ! そういえばそうだ! 食事も大事だね! 忘れてたよ! アハハハハハハ! わかった、ありがとう!」
「あ、あの!」
そのままホテルに向かおうとするシンヤを少女が止める。
「ん? 何?」
「そこに泊まる予定ですか?」
「んー、まあ今聞いたし他に知らないしね、宿屋」
「どれくらい、泊まる予定なの?」
「さあね。拠点でめぼしい依頼がなければ数日で町を出ちゃうけど。なんで?」
「あ! いえ! なんでも!」
「そう? じゃあね!」
質問に答えてシンヤが再び歩き出す後ろで、少女が二人小さくはしゃいでいる。顔の良い少年に声をかけられたことで少しばかり浮足立っているのが良くわかる。
シンヤは二人の少女が質問してきた理由も、はしゃいでいる理由も何となくだが理解していた。以前であればしばらくの間自分も照れていたことだろう。
しかし今のシンヤにとっては、それらは全く意味もなければ価値もなかった。
自分に視線が来ようとも話しかけて反応しようとも何とも思わない。むしろ何も思わないからこそ、何の抵抗もなく話しかけられたと言える。
心を壊し歪んでしまったシンヤには、人が人たる様々な感情が欠落している。恋愛として他者を想う気持ちも同様だ。
ただ自分を殺してくれるような存在が見つかるのを、恋焦がれるように追い求めていた。
「あ、あった! ここかな?」
少女たちが話していたホテルらしき建物が目に入る。ホテルというだけあって他の建物より若干階層が高く、見た限り造りもしっかりしている。入口も自動ドアになっており、町の規模の中ではレベルの高い方だった。
一口にホテルとは言うが、目の前にあるのは一個人や一家族が経営していた宿屋が発展して規模を大きくしたものになる。こうしたタイプのホテルは都の他にも町や交通の便が良い村に稀に存在する。逆に拠点本部があるような主要な都などのホテルは、昔からあるように企業が経営しているものが多い。
少し大きな音を立てて自動ドアが開くと、その向こうにある小さなカウンターにいた少女が入口を見て決められた挨拶をする。おそらくホテルを経営している家族の娘だろう。
「いらっしゃいませ、ホテルアメリアにようこそ……!」
入口から入ってきたシンヤと目が合うと、熟れ出した果実のように顔をほのかに赤くする。赤くなった果実のことなど気にも留めず、シンヤはカウンターの前に立つ。
「こんにちは! 部屋を取りたいんだけど空いてるかな?」
「…………」
シンヤの問いに答えずもシンヤを見て少女は固まっている。
「? もしもーし! こんにちはー!」
「ハッ! す、すみません! おひぇやですね! 少々お待ち下さい!」
顔の前で手を振られていることに気づいた少女が、一気にまくしたてるように部屋を確認する。一部噛んでいたがシンヤは特に気にするつもりもない。
その後朝と夕に食事を摂ること、一先ず五日間ほど泊まるが場合によって延長することを伝える。延長含めて特に問題ないとのことだったので、一番の目標だった寝泊りの問題は解決した。
(伝えることはこれくらいかな?)
染みや劣化が少ない天井に目をやって伝えることを頭の中で確認する。清掃や内装の塗り直しは頻繁に行っているらしい。
「あ、あのっ」
声をかけられたことで視線を天井から正面に直すと、少女が両手を差し出していた。両手にはカードキーを持っている。
「こちらお部屋の鍵になります。食事はカウンター右側の食堂で、朝食は午前の六時から十時まで、夕食は午後の六時から十時までになってますので、遅れないようにしてくださいね」
シンヤに向けられた眩しい笑顔は、ただの営業用のそれ以外の意味も含まれているように感じた。そんな気を知って敢えて素通りし、シンヤはカードキーを受け取る。
「あっ」
受け取った際にシンヤの手が少女の指先に触れ、少女が声を漏らす。聞かれていないかとシンヤを見て目が合うと、赤らめて顔を伏せる。やはり先の笑顔といい、少女はシンヤに対して興味ないし異性としての感情を覚えていた。
顔を伏せる少女を目の前に二、三秒考えると、シンヤは少女に顔を近づける。
「安心していいよ! キミのことは何とも思ってないから!」
熟れた果実が唐突に萎むように「えっ」と少女の顔が驚きの色に塗り替えられる。正面の向き直した少女は、いつの間にか近くにあったシンヤの顔にまた驚かされる。
「きゃっ」
「キミだけじゃないよ! 女の子にも男の子にも、誰にも何にも興味はないんだ! ただボクを殺してくれる人かそうでないか、ボクが興味を持つ人はそれだけだよ!」
「……え? ころ……え?」
「ウンウンウンウン! わかるよわかるよ! 何言ってるか混乱するよね! 頭おかしいと思うよね絶対! だってボク本当におかしくなってるんだもの! クフフフフフ、アハハハハハハハハハハハ!」
シンヤの言う通り混乱している少女をよそに、入口内に行き渡るような声で笑う。最低限な整備を欠かさない室内は本当響くなぁと、シンヤは笑いながら思った。
ひとしきり笑うと固まっている少女に「ありがとう!」と一言告げてカードキーに書かれている番号の部屋へと向かった。エレベーターもあるが割り振られた部屋は二階だ。エレベーターの横にある階段を軽快に上る。階段に向かうシンヤに引っ張られるように少女はシンヤの背中を見ていたが、シンヤはもう少女に意識を向けていない。
二階の階段に一番近い一室。部屋を取っている人が少なかったからか、移動に都合が良いよう気を利かしてくれたようだ。
窓際の椅子に腰を下ろして外を眺める。町に着いたのが昼を回った頃だったので、昼食から仕事場や家に戻る人がちらほらと窓下に映る。
「……夕方くらいでいいかなぁ」
拠点に行くのは今すぐでなくていい。やっと腰を据えて落ち着く時間ができたんだ。思えば超歪兵器の調整やならしをしていたのもあってハンスと闘う前からこれといって休んでいなかった。
ハンス町での拠点から今までの流れを振り返ると、頭と体が休むことを訴えて来る。今は別に抗う必要もない。
少しだけ休むつもりで、シンヤは椅子に座ったままゆっくりと目を閉じた。
喫茶店で話を作りましたが、自宅で作るよりも順調に進むようです
【追記】
一部追記
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