溢レ出た絶望にヨル変貌
鈍い色の雲が覆う空に、その声はよく響いた。機械の山が崩れる音よりも大きく、山の間を駆け抜ける風よりも荒々しく、全ての者が口を閉ざさざるを得ないような、不気味さを滲ませた笑い声だった。
「アハハハハハ! そうだね! ウン! ウンウンウンウン! それでいい、もうそれでいいよ! アハハハハハハハハハハハ!」
唐突に豹変したシンヤに、向かいにいるアイリは驚きを隠せない。彼の変化を表すように、空の曇り具合もより重さを増してくる。
暫く黙ってこちらの話を聞いた後に目を見開いたと思ったら、突然笑い出した。その様子を見て、アイリの腕にはゾワリと鳥肌が立つ。笑い声には変わらず不気味さが乗る。
「ボクはキミが高位使用者だって知ってた! 龍人だって知ってた! キミの強さを見て! キミを利用できると思って! 契約を結ぼうとした! もうそれでいい! それでいいんじゃないかな! アハハハハハハハハハハハ!」
口と声は笑っているが目は笑っていない。見開いたままアイリを見つめ、瞬きすらしていない。明らかに異常な変化に、流石にアイリも伺いの言葉を述べる。
「……何? どうしたのよ、いきなり。大丈夫?」
実際は一日しか経っていないが、シンヤを気遣うような言葉を久しぶりに言った気がすると、アイリ自身感じていた。
数えるのが億劫になる位の雨粒が降り出してきた中で、シンヤの目は相変わらずアイリを見たままだ。
「え? アハハハ! ボクがどうなろうとキミにとってはどうでもいいんじゃない? 関わりたくないんだから気にしなければいいんじゃないかな! アハハハハ!」
気にするなと言われてもそれを受け入れるには無理がある。アイリ自身関わりたくないとは言ったものの、明らかに様子がおかしい人間を気にかけない程冷たい人間でもなかった。
加えてシンヤの目から雨粒に紛れて涙が流れていることにも気づく。何かおかしい。おかしすぎる状況だがそれとは別の違和感があった。
「……アンタ、泣いてるの?」
そう聞いてもシンヤは機械的な笑い声で返す。遮られて話が通じないのとは違い、全く異なる返答をされて話が通じないというのはこんなにも気味の悪いものなのか。
どんな言葉を振ればいいのか考えあぐねていると、シンヤが「あぁ!」と思い出したような声を上げる。
「仮契約は今日で終わりだったね! ボクのことなんか見たくもないだろうからちょうどイイね! イイよ! キミとの仮契約は今日この場で終了だよ! 短い間だったけどどうもありがとう! それじゃあさようなら! アハハハハ! アハハハハハハハハハハ!」
捲し立てるように確認の意味で契約終了の話を出すと、そのまま踵を返して笑いながら歩きだした。
「! ちょっと! ねえ、ちょっ……」
雨が体を打とうが風が髪や服を乱そうがお構いなしに話し続けるシンヤに一瞬あっけにとられ反応が遅れてしまい、アイリが呼び止めても強さを増した風による砂埃で見えなくなるまで、延々と笑い声が響いていた。
自分の髪が雨に濡れて頬に張り付くのも構わず、アイリはシンヤが歩いて行った場所を暫く見つめていた。
◇◇◇◇◇
重病者を討伐してから二週間。相変わらずめぼしい依頼は見つからないハンス町にアイリはまだ残っていた。
理由はシンヤである。
あの日別れた時の様子は明らかにおかしい。辛うじてせき止めていた物が一気にあふれ出したような、そんな感情の爆発。いや、精神の爆発と言えよう。
重病者を討伐した旨を拠点に報告し、単独でも重病者討伐の記録も付き報酬も手に入った。ただでさえ報酬の高い重病者の討伐を単独で行ったことで丸々自分の懐に入ったのだ、暫くは依頼を受けずともそれなりにいい宿で生活できる。
何よりあの状態のシンヤを見てそのまま町を去るのは後味が悪い。あの日からことあるごとに、シンヤの工房を訪れている。
だが工房の戸は、あれから一日も開いていなかった。
声をかけてもノックをしても何の反応もない。時折何かの作業音が聞こえることがあり、場合によっては戦闘音が閉じられた場所からくぐもって聞こえる。
当然音が聞こえるときにも声をかけていたが、何も返ってこなかった。
行った所でシンヤの情報などあるはずもないと拠点には足を向けていなかったが、たまに聞こえてくる使用者達の話では「廃棄所だった所にしょっちゅう通っているヤツがいる」とか、「白い頭の女が地上交通機関に乗っているのをよく見る」というものだった。
後者の方は女の子が白い帽子なりフードなり被っているのだろうと結論づけたが、前者はおそらくシンヤだと分かった。普段誰も行かないような場所に行くとしたら、最近その存在を知ったシンヤ位だろう。
だが何故そんなに足しげく通うのかは分からない。工房で鳴る音に関係があるのか。
頭の中に疑問符をいくら並べても、答えは出てこない。いずれにしろシンヤに合わなければ。
アイリは何度目になるか、工房へと訪れた。だが当然ながら、その戸は閉じられたままだった。
「…………」
今は音も何も聞こえない。ためしにノックもしてみるが、空しく音が響くだけで何の反応もない。おそらく旧廃棄所にいるのだろう。
今度は旧廃棄所にでも行ってみようか。そんなことが頭をよぎった時、後ろからアイリを呼ぶ声がした。
「あら、アイちゃん、どうしたんだい?」
自分をアイと呼ぶ人は一人しかいない。ハッとして振り返る。
「おばあさん。もう体は良いの?」
「ええ、お陰様でね」
エルダは椅子の足が刺さっていた箇所を撫でると、笑顔でアイリに返す。アイリもその様子を見て安堵を帯びた笑みを見せる。
この二週間の間に、アイリはエルダの様子も見に病院に通っていた。シンヤと同じ位の年齢なのもあり、エルダも女の子の孫ができたような感覚だと嬉しがっていた。今では会えば世間話をするような間柄にまでなっている。
「アイちゃん、本当にありがとうね。何度もお見舞いに来てくれて。病院まで運んでくれたのも助かったけど、アイちゃん力持ちなんだねぇ」
「そんなことないって。それよりも、本当に元気になって良かった」
そんなやり取りでアイリの顔も少し緩む。自然と和む空気が出てしまうエルダとの会話は、この町での数少ない楽しみの一つとなっていた。
アイリの言葉に笑顔になるエルダが、その後ろに見える工房の戸を見る。
「……シンちゃん、今日は工房閉めてるんだねぇ」
その言葉にアイリのピクリと眉が動いた。今の一言に違和感を覚えたからだ。
「ええ、ここ半月位はずっと」
「そうかい……シンちゃんも大変だったからねぇ……」
違和感が輪郭を描いてくる。エルダに怪我を負わせたのはシンヤだと思い込んでいるアイリには、今のエルダが不自然に思えていた。
「? どういうこと?」
「ああ、アイちゃんは見てなかったからね。実は――」
◇◇◇
「……そんな……」
エルダの話を聞いたアイリは驚愕した。本当にエルダに怪我を負わせた犯人は別にいたのに、自分はずっとシンヤだと思い込んでいた。
その考えのまま、感情のまま責め立て、拒絶してしまった。何の非もない彼を。自分の考えは実は違っていたという事実が与えてくる衝撃はこんなに大きかったのか。
「あたし……てっきり……」
呟くような声が漏れた時、工房の戸が音を立てる。ゆっくりと重々しく開いていく鉄の扉に、アイリとエルダが顔を向ける。
戸に手をかけて中から出てきた人物は、外にいる二人に笑顔で声をかけた。
「あれ? いたんだ。こんにちは! 二人とも!」
聞きなれない明るさをした聞きなれた声を放つ少年に対し、声をかけられた二人は固まった。
「……どうしたのよ、それ……」
「……シンちゃん……いったい、どうしたんだい……?」
二人の先にいた少年は、艶やかだった黒髪は色を全て捨て置いてきたように白くなっていた。
以前アイリに向けられたのと同じ仮面を貼り付けたような笑顔に光を失った目を開き、その灰色がかった青い目は海の底を見ていると感じるほど暗く、澱んでいるようにすら見える。
口角はあがってそこだけ見れば笑っていると思うかもしれないが、到底喜びの感情を宿しているとは思えない。
精神の崩壊によるストレスは、この二週間で彼から黒髪と表情を奪うには十分なものだった。
「シンちゃん……何がどうしたっていうんだい? なんでそんな真っ白に……」
「あ、おばあさん! 怪我はもう大丈夫みたいだね! よかった!」
本来であればエルダを気遣っているはずの返答だが、そこには何の感情も乗っているようには思えない。あまりにもこれ見よがしな笑顔に今までのシンヤから出たことのなかった、大げさにすら思える大き目な声。
エルダは自分を心配しているはずの言葉に対し、そしてそれを発するシンヤに対し若干の恐怖と、小さなショックを覚えた。
「わ、私は大丈夫だけど……シンちゃんはどうなんだい? あれから何かあったのかい?」
「え? ボク? そうだなぁ。まあ色々あったかな! それともありすぎたって言えばいいかな? でももういいんだ! ウン、そう、いいんだよ! ウンウン、アハハハ!」
「……シンちゃん……」
エルダは悲愴に満ちた表情でシンヤを見つめ、何も言えなくなっていた。
「……ねえ、ちょっと……」
エルダと入れ替わりでアイリが口を挟む。シンヤは変わらない表情で白い髪を揺らしながらアイリの方を見て、また同じような返事をする。
「ああ、こんにちは! キミも何か用なの?」
「えと、その……この前のことなんだけど」
「この前ってなんだっけ? 色々ありすぎてちょっと分からなくてさ! アハハハハハハ!」
決して嫌味で言っている訳でもないと分かるが、アイリの心に棘として刺さる。棘の痛みがわずかに顔に出るが、それでも話を続けようとする。
「ほら、おばあさんが怪我した時とか、重病者を」
「あれ? というよりキミもうボクに関わりたくなかったんじゃない? 仮契約も切ったんだし、なんでいるの? もう他の居住地に行ってもいいはずなのに。まあどうでもいいか! お互い関係ないもんね! アハハハハハ!」
以前の時とは逆に、アイリの言葉をシンヤが遮るように捲し立てて話す。だがそこには怒りや悲しみといった感情が一切見られない。
あくまでも思ったことをそのまま言っているにすぎなかったが、この純粋な問いが今のアイリには何よりも重いものに思えた。
「何か用があったらゴメンね! ちょっとボク出かけるから!」
「出かけるって、一人でかい?」
「うん、ちょっとね! アハハハ! それじゃまたねおばあさん!」
「ねえ、どこに行くつもり……」
アイリの問いかけは、またシンヤの笑い声によって遮られてしまう。
旧廃棄所でもそうだが、今回もシンヤを呼び止めることができなかった。彼を呼び止めるにあたって、自身に与えられた情報量があまりにも多すぎた。何をどう伝えるべきかという考えと、今の状況を整理することを同時に行うことができなかった。
「……あの子、何があったんだい?」
小さくなっていくシンヤを見つめていたアイリに、悲しそうに呟くエルダの声が聞こえた。また心臓を直接触られた、しびれたような感覚がする。
「あの子、今まで私のことは「エルダさん」って呼んでくれてたんだよ。でも今は「おばあさん」としか呼んでくれなかった。なんていうかねぇ……私にもアイちゃんにも分厚い「壁」を作っちゃったんじゃないかねぇ。それにあの頭と顔……何があったら一体……」
力なく悲しい顔をしているエルダを見て、アイリの中の罪悪感が鋭い棘を作り心を責め立てる。一瞬だけ躊躇ったが自分のせいなのだと言い聞かせ、エルダに口を開く。
「……あたしのせい、なんだ……」
アイリはエルダに、エルダが怪我をした原因がシンヤだと勘違いして冷たく当たったこと、重病者との戦いの際にシンヤを拒絶してしまったこと、それを機にシンヤの様子が明らかにおかしくなったことを話した。
エルダは静かに聞いていたが、アイリが話し終えると「そういうことかい……」と力なく溜息混じりに漏らした。
「あたしのせいで、彼にも、おばあさんにも辛い目に合わせて……本当ごめんなさい」
俯き気味に言うアイリに、エルダは悲しさと優しさを混ぜたような目を向けた。
「……アイちゃんのせいじゃないんだよ。いいや、アイちゃんだけのせいじゃないんだよ」
含みのある言い方にアイリが顔を上げる。
「どういうこと?」
「多分アイちゃんとの出来事は、シンちゃんがああなってしまう……きっかけになったんじゃないかねぇ」
きっかけ……? 何かに気づいたアイリの表情がわずかに変わる。
「他にも原因があったってこと?」
気づきを口にしたアイリにエルダが首肯する。だがその答えには、正直アイリ自身も納得していた。
自分の行いが関係あるとしても、シンヤの変貌に対して自身が行ったことがどうしても釣り合わないのではと感じてはいた。
「こんなこと言うものじゃないのは分かってるんだけどね、ああなっても仕方ないことがあったんだよ、シンちゃんにはね……」
まるで見聞きしたような口ぶりだなとアイリは感じたが、それを見越したようにエルダが「シンちゃんから聞いたんだよ」と付け足す。
「一人で抑え込むにも限界があったんだろうね。この町に来ても私くらいしか味方がいなかったから、話してくれたんだろうねぇ……」
そう言うとエルダの表情に影が落ちる。話を聞いただけなのに思い出すのも辛い内容だったのか。
それでもアイリは知っておきたいと思っていた。何があそこまでシンヤを変えたのか。何が今まで彼の中に残り続けていたのか。
そして、自分のしたことを引き金として何を解き放ってしまったのか。
今日も風が吹きアイリの髪を撫でる。重病者を倒した時と違い、とても穏やかな風だった。物思いにふけるようにシンヤが消えていった先を見て、エルダに尋ねる。
「……何があったの? 彼に……」
釣られるように同じくシンヤの歩いて行った方を見たエルダが間をおいてから言うのも一苦労だと重々しく一息つくと、ゆっくりと口を開いた。
「……酷く裏切られたのさ、両親にね」
シンヤの過去について話自体は書けているのでいずれ載せます。
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