秘策
重病者。
複数の異常個体の性質を併せ持つ異常個体の総称であり、性質の組み合わせに関わらず、全てが重病者と呼ばれる。
シンヤが昨夜見ていた書物は、この重病者に関しての情報が記載されていたものだった。
過去に鉄屑まみれが出現した時、それが巨大な体をした異常個体、長身の性質も持ったという事例だ。
加えて重病者になる前兆として、攻撃して噴き出した黒霧が霧散せず周囲を漂い、周りの黒霧も巻き込んだ後に黒霧の球体になったという記載も残されていた。
発生したのが随分前であることと、目撃された時既に重病者になっていることがほとんどだったため、重病者になる前兆を直接目にすることは極めてレアなケースだった。シンヤもアイリの依頼についていかなければ、書物を調べようとすることもなかったし、何よりこの事象の存在を認識することもなかっただろう。
そしてそのレアケースを……重病者が誕生する瞬間を二人は目の当たりにした。同時に自分達の生存確率が大幅に下がったことも、二人は悟った。
重病者単体の討伐基準は、高位以上の使用者が複数人いて初めて可能だろうという判断をされている。つまり高位使用者のアイリ一人しかいない今の状態では、討伐できる可能性は極めて低い。
片膝をついていた鉄屑まみれ、もとい重病者が立ち上がろうと動き出す。それを見て我に返ったアイリが武器を握る手に力を入れ、足に斬りかかる。
鉄屑まみれを相手にしていた時と同じ魔力量を通しての攻撃は、手ごたえ自体確かに感じる。しかしあまり効いているようには見えない。
長身はその特性上持久力が高い。その性質も現れていた。
足を攻撃された重病者は右腕を上げ、そのままアイリを振り払う。鉄屑まみれの時と同じ攻撃方法だが、リーチがまるで違う。攻撃範囲外に逃げることが間に合わず、再び大鎌の柄でガードする。
「! っつあ……!」
鉄屑まみれの時に受けた衝撃とは段違いに重い。アイリの体はそのまま後方に吹っ飛ばされる。
「アイリさん!」
シンヤの叫びと同時に、大鎌の刃を地面に突き刺してスピードを殺し、機械の山との衝突を避ける。
着地して改めて重病者を見据えると、既に立ち上がっていた。長身というだけあってやはり大きく、全長5メートルほどの大きさだった。
乾き始めていた喉で出ているかどうかも分からない唾をのみ込むと、一瞬だけシンヤに目を向け、再度重病者を見る。
(どうしようか……応援を呼ぼうか。でもハンス町にいる使用者だと到底勝ち目はないし……)
流石に自分一人では手に余るだろうとヘルプを考えたアイリだったが、即座にその考えを取り除いた。死ぬ可能性の高い依頼に、どれほど数がいたとしてもあの町の使用者が応じるとは思わなかった。
加えて今ここにいるのは腫物みたいに見られている流れの高位使用者に、町の拠点に関わる全員から嫌われている高位技師。応援に来るはずもない。
他の居住地からだと今いる場所は遠すぎて到底間に合わないだろう。
現状を嘆いてか、顔を俯かせて大きなため息をつくとそのまま小さく呟いた。
「……使うしかないか」
三度重病者を見据えてから意識を集中させる。数秒の後に、アイリの足がブーツ含めて赤く光り始める。少し離れたシンヤから見れば、赤く光った一回り大きな足にも見える。
赤く光る足に力を入れると、アイリの体は高く宙を跳んだ。その高さは一瞬で重病者の頭に届く。魔力を足とブーツに集中させて身体能力を強化させたのだ。同時にブーツには魔力が通りやすい繊維が使われていることもシンヤには理解できた。
「高い……!」
アイリの高さにシンヤも驚き、アイリを見つめる。一瞬だけ空中で止まったように見えるとすぐに落下が始まる。それと同時に、アイリの大鎌に魔力が通る。
「シッ……!!」
重病者の顔面に今まで以上に魔力を込めた一撃を見舞う。足に与えた以上の手ごたえ。致命傷には程遠いが、わずかながらダメージは与えたはずだ。
落下していくアイリの横から、重病者の右腕が迫る。だが空中で大鎌を砲撃の形態に変え、迫る右腕に魔力の弾を数発撃ち込むことで右腕での攻撃を防ぐ。
着地する寸前に再び足に魔力を集め、今度はジャンプと同時に右腰から逆袈裟を斬り込む。攻撃は入ったがまだ十分なダメージは与えられない。
斜めから振り下ろすような重病者の左腕を視界の端に捉えると、すぐさま大鎌の石突の部分で重病者の胸を突く。その反動を利用して空中で距離を取ると、左腕の振り下ろしをかわして再度砲撃を行う。
「……すごい……」
立て続けに起きる空中での流れるような戦い方に、シンヤはつい魅せられてしまう。
着地後も数発砲弾を撃ち、畳みかけるように斬撃を行う。
幾度と攻撃を与えたことで、次第にアイリの表情に余裕が生まれてくる。重病者も流石にダメージが溜まってきたのか、両膝を地面に着いた。両腕をゆっくりと上げているその様は、まるで顔を覆い今の状況を嘆いているようにも見える。
行ける。単独での重病者討伐が、射程圏内に入っていた。このまま一気に攻撃を加えれば……。
「アイリさん、重病者から離れて山に隠れてください!」
シンヤは何かを察してアイリに警告するが、正確にアイリには届いていない。
天気が悪くなってきたせいか風の吹く間隔が狭まり、吹く風は全て機械の山の間を通ってより強い物となってシンヤ達に当たる。強くなった風の音や、風によって転がされ崩される機械の音で、会話もままならなかった。
加えてアイリの今のシンヤに対しての心象もあり、ますます話を耳に入れようとはしなかった。
膝をついた重病者の両腕は顔の上にまで上がり、そこで止まった。
「早く隠れてください!!」
今度はしっかりとアイリの耳に入ったシンヤの警告。だがそれを意に介さず大鎌を握り直す。
「今度は背中に……!」
重病者の背中に向かって走り出した直後、重病者が両腕を前に振り下ろした。何故誰もいない場所に攻撃を、と思ったアイリだったが、その理由はすぐに分かった。
「!!」
重病者が両腕を地面に叩きつけると、両腕に張り付いていた無数の機械の残骸が周囲に無差別に飛び散った。重病者が行っていたのは嘆きではなく、それとは無縁の自身を中心とした無差別攻撃だった。当然、残骸はアイリにも迫る。
「あがっっ!!」
大鎌でも防ぎきれず、自分の顔と同じ位の大きさの残骸を脇腹に受けてしまった。それ以外にも細かな破片や鉄屑が、露になっている頬や足へと突き刺さり、皮膚を引き裂く。
バランスを崩して倒れるアイリを見るも、シンヤは何もできない。持ってきている自衛用の装備も重病者には何のダメージも与えられず、アイリのような立ち回りもできない。
今この場に必要なのは製作者ではない、使用者だ。それを今一度理解すると自分が使用者ではないことを悔やんだ。
大鎌を支えに立ち上がったアイリが大勢を整えるより先に、重病者の右腕が自身の横で振るわれる。その軌道上にいると分かったアイリだが、残骸を受けたダメージが動作を鈍らせる。
「うあぁっ!」
満足に大鎌で防げない状態でもろに攻撃を受けると、そのまま重病者の後方に吹っ飛ぶ。今度は大鎌を地面に突き刺すということもできず、機械の山に衝突してしまう。
「アイリさ……!!」
山に隠れていたシンヤが身を乗り出しアイリの下へと駆け寄ろうとしたが、まずいと思い顔を上に見やる。身を隠していた山から離れた今、立ち上がった重病者の顔がシンヤの方を向いていた。
黒霧産物には顔のパーツはなかったが、顔を向けた方向を視認するような挙動をとることから、目や耳は存在しているが該当するパーツが見えないだけなのではないか、というのが一般的な見解となっている。
今シンヤには、重病者の巨体と同じような大きな目が、黒霧で構成されてこちらには見えないが存在している目が自分を見ているような感じがして、肌にゾワリとした感覚を覚えた。
人はそれを恐怖と呼ぶが、今のシンヤには理解が及ばなかった。
このままではまずいと思った中、自分が持ってきていた自衛用の道具を思い出す。即座にポーチからある物を取り出す。
「これで……!」
スイッチを押して重病者の顔面に向けて投げつけると同時に、下を向いて両耳をふさぐ。そのままアイリが飛ばされた山にまで駆けだした直後、シンヤの数メートル上の方でけたたましい音が響いた。
自衛用に所持していたスタングレネードは上手い具合に重病者の顔面近くで爆発し、激しい閃光と爆音を起こす。
唐突に発生した光と音に、重病者は怯み一、二歩後ろに下がった。どうやら通説は正しかったようだと、アイリの下に向かいつつその様子を見たシンヤは思った。スタングレネードは有効な手段になるかもしれない。
怯んでいる間にと急ぎシンヤはアイリの所へ向かう。強くなってきた風は砂埃も拾うようになり、肌に当たる砂が痛い。アイリはぶつかった山に磔になったような体勢のまま動いていなかった。
まさかと思い自分の耳をアイリの鼻と口に近づける。風が収まったわずかな間に聞こえてくる呼吸の音。生きている。気を失っただけのようだ。それが分かってシンヤは安堵する。
「アイリさん、アイリさん! 大丈夫ですか!?」
肩を揺すりアイリを起こす。場合によっては頭を打っていてしばらく目覚めないかもしれない。もし中々目覚めなかった場合自分もアイリも危うい。
もう何度かアイリの名を呼びながら肩を揺すり続けると、小さなうめくような声が聞こえた。
「……ぅ、ぅぅう……! ああっもう……」
意識を取り戻ししばらく唸った後、自分が何をしていたのかを思い出し「しくじった」と苦い顔をした。
「! アイリさ」
「どいて、邪魔……ッ」
気絶から目覚めたばかりで先の攻撃のダメージも当然取れていないだろう。顔を歪ませるが何とか立ち上がる。
シンヤがすぐ近くに落ちていた大鎌を拾い上げ渡そうとしたが、何も言わずに半ばひったくるように受け取る。
まだ自分への対応は変わらない。だが必要なことは伝えておかなければとシンヤは口を開く。
「……持ってきたスタングレネードで怯んでいます。これ以上一人で挑むのは危険です。応援を呼びに行きましょう」
シンヤの意見は正論だが、その問題については既にアイリの中で自己解決していた。
「ハンス町の使用者は実力がないからいても役に立たない。あたしとアンタの応援要請は多分受けない。他の拠点からだと遠くて無理」
「でも一人でなんて!」
やり取りをしている内に重病者は体勢を立て直す。今は自分の敵となる存在がどこにいるのかを探している状態だ。
数秒か数十秒か、険しい顔をして考え事をしていたアイリがまた大きく嘆息する。
「……最悪」
「え?」
「見せたくなかったけど、仕方ないわね」
何度か深呼吸をして息を整えると、半ば反動を使って一気に立ち上がる。そして数歩前に出ると、空いている手でカチューシャに手をかけ、空間圧縮器となっているポーチにしまう。
カチューシャと髪で隠れていた部分には、小さな円錐状をした二本の黒い角があった。極々小さな角ではあったが、赤い髪の中の黒は中々に目立つ。
「! アイリさん、その角……」
シンヤの問いには答えず、目をつぶって意識を集中し魔力を全身に巡らせる。アイリの周囲の空気は揺れ、山に当たった衝撃でワンピースから出てきたのか、高位使用者の黒いタグが宙に浮く。
それから徐々に全身に赤い光をまとい、光が激しくなったかと思うと、次の瞬間それは薄くなる。
だがそれと入れ替わりに、小さな角があった場所に赤く激しく光る長い角が生えた。赤い髪も炎のように明るく、揺らめき、ポーチのすぐ上の辺りから同じく赤く光る長い尻尾が、膝のあたりまで生えていた。
シンヤには何が何だか分からず、声にならないような声を漏らすばかりだった。
「え……あ、え……?」
そんなシンヤを置き去りに、アイリの目は重病者を見据えていた。重病者も二人を視認したのか、体をアイリ達に向き直した所だった。
今一度深呼吸を行うと、アイリは力強く踏み込み、そのまま重病者へと走り出した。
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