亀裂ハ広がル
最悪だ。
飲もうと思っていたフレーバーティーがついさっき品切れになったと聞かされ。
自分の注文した品を運んでいた店員に子供がぶつかったせいで今日ラス1のパンケーキが自分の目の前で床に食べられ。
その分の代金はいらないと言っていたのに会計でパンケーキ分が加算されていた。今回ばかりは流石に文句が出てしまった。
気持ちを落ち着けようと喫茶店に入っていたアイリだったが、店を出たその顔は工房を出た時よりも眉を寄せていた。
欲しい物が切れていたことはたまにあるが、こうも立て続けに、しかもお気に入りの場所で起きるなんて思いもしなかった。お気に入りといってもこの町には他にあまりいい場所がなかったからというのもあるが、ここまで問題が起きたのは初めてだった。
ただでさえ鉄屑まみれは出ない、自分にとっては簡単な依頼しか拠点にない上に受けられる数に制限がかかっている。
拠点にいる人間は初日から良い印象がないから話なんてしたくもない。質の悪い使用者は数多く見てきたが拠点の人間も揃って問題があるというケースは久しぶりだった。
各拠点は拠点長や使用者の性格や思想、方針によって左右されることが多く、基本的なシステムは機能しているが拠点によって性質が異なることが多い。このハンス町はそれが悪い方向に働いているようだ。アイリは直接会ったことがない拠点長のハンスも絶対に自分の心の許容範囲から外れた人間なのだろうと推察していた。
そうして話したくない人間をことごとく外していった結果、必要な物を買う時に店員と話す以外、シンヤとしか話をしていなかったし、話そうとも思わなくなっていた。
多少の愚痴は聞いてもらっているし、シンヤもそれに対して決して嫌がらずに聞いてくれる。少なからずそれに頼ってしまっている部分はあるが、あまり吐き出すのも悪いと自重はしていた。
しかしストレスを吐き出す量が溜まる量に追い付いていない現状、アイリの苛立ちは確実に積み上がっていた。今のようにイラついていては普段では怒らないようなことも怒ってしまうし感情的にもなってしまうだろう。
頭に手をやると中指の爪がカチューシャに当たりカツンと音を立てる。指だけ小さく動かし頭を掻きながらシンヤに聞いてもらう愚痴を少し増やそうかなと考えてながら工房に戻る途中で、少し遠くからこちらに向かってくる複数の人間が見えた。
向こうがアイリに気づくと少しペースを上げて近づいてきたが、アイリの足取りはそれに反して重くなり、寄っていた眉の距離がまた近くなった。
彼らはシンヤの工房でシンヤとエルダに暴行を働いた使用者達だが、当然アイリはそんなことは知らない。
そんな彼らが自分の前で歩みを止めるのを見て、アイリは心の中で大きくため息をつく。
「ヨォ、高位使用者サン。いいところに来た」
どこが? と言いたい所だが相手にするのも面倒だと、アイリは最低限な言葉で返す。
「……何?」
「アンタが武器見てもらってる技師いるだろ? シンヤ。アイツちょっとやべーんだよ」
「……だから何?」
要点を言えと男の使用者を睨むと、代わりに女の使用者が答える。
「工房に来たイヌのバ……おばあさんに暴力振るったのよ! アタシたちが止めても聞かないで。このままだとおばあさんが危ないのよ! アタシたちだと言っても聞かないから言ってきてくれない?」
「そ、そうだよ! オレらよりアンタが話した方がアイツも話聞くかもしれねぇ!」
何を言うかと思えばと今度は本当にため息をついてやろうかと思ったアイリだが、その寸前で口を開くのを止める。
犬のおばあさんと聞いて、初めて工房を訪れた時に見た悲しげな表情をした亜人の老婆を思い出した。他のことで意識が向いていたり、シンヤと話していく中で明らかに拠点にいた人間よりも信用ができると、次第に記憶から薄れていたことだった。
自分がシンヤと初めて会ってから今まで、今目の前にいる使用者達がシンヤの工房に来たのを見たことがない。今になって何故シンヤの下を訪れたのか、彼らが言っていることが本当だとして、そう都合よくシンヤが暴力を振るう場面に出くわすだろうか。
気になる部分ではあったが、以前自分が老婆を見たことがある以上ないがしろにもできない。喉の奥に大部分をしまい小さく嘆息すると、アイリの足は再度工房に動き出した。
「武器見てもらってるから見てくる。アンタ達は医者呼んで」
「おーう! 任せときな!」
何処となく意思の伴っていない返事だと思いながら、アイリは工房へと向かった。
工房への足を止めずに考えを巡らせる。
一応の懸念点がありながらも、アイリの中ではシンヤが暴力を振るうことが想像できなかった。ましてや年老いたおばあさんにそんなことをするとは。
話をしていく中で、シンヤが技師として能力があることはもちろん、その人間性も決して悪いものではないと分かった。少なくとも今まで自分が接してきた限りでは、拠点にいた人間が揃って口にしていた内容とシンヤの性格があまりにもかけ離れた内容だった。
なぜシンヤがそこまでこの町の使用者や拠点の人間に責められるのかが分からないが、少なくとも自分はそう思えなかった。そうは見えなかった。
だからかもしれない。
今目の前に見えることが許せなかったのは。
工房で倒れているおばあさんとその向かいで立っているシンヤを見て、シンヤに対して許せない感情が出てきたのは。
「……アンタ、何してんの」
久しぶりにこんな重い声を出したことに、自分自身驚いた。
「…………え……?」
唐突に頭に響いた重いアイリの声に、シンヤが驚きなんとか返答する。だが先ほどまで工房で起きていた状況やシンヤの今の状態を知らないアイリは、その返事にさらなる怒りを面に出す。
「何してんのって聞いてるの。聞こえなかったの? アンタおばあさんに怪我させて何考えてんのよ」
感情を言葉に乗せながらシンヤに詰め寄るが、シンヤはただただ首を振っていた。
「……ち、ちが……」
「何が違うの? 見たらすぐ分かるじゃない。バカにしてるの?」
必死な表情で訴えようとするシンヤだがアイリには届かなかった。倒れているエルダと立ち尽くしたシンヤを見て、アイリの中ではシンヤがエルダに暴行していたと結び付けてしまった。
いつものアイリであれば、まだ物事を考えるだけの余裕はあった。
一抹の懸念点、異常個体が見つからない、依頼があまり受けられず、居住地を移動できない現状、品切れのフレーバーティー、食べられなかったパンケーキ。
それらで溜まったフラストレーションが、今自分が目にした光景をきっかけに溢れ出してしまった。アイリ自身、今は半分感情で話をしており、それは駄目だと言い聞かせるだけの自制心が働かない。
人よりも使用者の才能があり高位使用者になったとは言え、ここまで色々な出来事によってストレスが積み重なった状態で上手く怒りを受け流せるほど、アイリは精神的に成熟していなかった。
「……で、ですから違うんで、ぐぅっ」
言い訳がましいと苛立ち、シンヤの胸倉を掴んで引っ張る。
「いい加減に嘘つかないでくれる? この状況で。おばあさんに怪我させて何とも思わないの?」
シンヤは自分ではないと言いたかったが、ここに来て蹴られた痛みが再び自分の意識に入り込んでくる。顔を顰めるが胸倉を掴まれたからだろうと、アイリは気に留めなかった。
「…………エ、ルダ、さんを……」
あまり時間をかけてしまうと出血して数分が経過しているエルダが危うい。自分の身は一先ず置いておき、まずはエルダを助けてもらおうと指さす。
シンヤの指を目で追い、漸くエルダが出血していることに気づくとアイリは掴んでいた胸倉から手を離し、シンヤが力なくドサリと地面に座り込んだ。
「おばあさん? 大丈夫? ねえ、おばあさん!」
そう声をかけるが返事はない。代わりに小さなうめき声のようなものがエルダから聞こえる。
まだ生きている。
良かったと安堵すると、アイリはゆっくりとエルダを持ち上げる。抜くと出血が多くなるかもしれないと、体に刺さっている椅子の足ごと抱き上げた。
「……あの……」
エルダを抱きかかえたアイリの後ろで、シンヤが力なく声を上げた。地面に座り込んだままで自分を見るシンヤを先ほどと同じような冷たい目で一瞥すると、そのまま工房を出て行った。
「…………」
自分以外がいなくなった工房で、シンヤは自分に向けていたアイリの目と言葉を思い出しながら、立つこともできず工房の入り口を見つめていた。気づいたら両手で自分を抱きしめ、小さく震えていた。
◇◇◇
あれから時間がかかった。
震えが止まるまで自分を抱きしめ続け、収まってからもしばらく立てず、何とか立ち上がってからカウンターに体を預けて十数分。まだ蹴られた部分は痛むが動けるまでには回復した。
それから重い足取りで医者の所に向かいエルダの様子を見てきた。出血していたものの致死量には至らず、一命は取り留めていた。
訪れた時は寝ていたためまた日を改めて見舞いに来ようと、再び重い足で工房に戻ってきていた。
既に日が傾き空が夕方の赤みを失いつつあるが、アイリが武器を取りに来ることはなかった。この様子だと今日はもう来ないだろう。
シンヤが工房を閉めると、そのまま扉に体を預けていた。
アイリが自分に向けた目と言葉を、再び思い出す。思い出したくなかったが、現実として彼女が今自分に対して不信感と嫌悪感を抱いていることは間違いない。
心の中で先のやり取りを反芻した後で出てきた言葉は、また、だった。
また信じてもらえないのか。
また自分が悪いことになってしまうのか。
過去のこと、今までのことを思い出し、やっと自分を評価してくれる、認めてくれる人が出会えた。それが嬉しかった。だがその人は今、自分を嫌い始めている。拒絶し始めている。
アイリは自分を認め、信じてくれていた。だからこそ、アイリに嫌われることや拒絶されることをシンヤは恐れていた。
どうすれば分かってもらえるだろう。どうすれば自分のことを認め直して、信じ直してくれるだろうと考えた。
自分が彼女のためにできること。彼女が使用者としての仕事を行いやすくなるために何ができるだろう。
そう考えていく内に、シンヤの目はアイリの大鎌に向いていた。
「……そういえば、鉄屑まみれには確か……」
最近読んだ内容を思い出すと、それからすぐに最近目を通した資料を漁りだした。
アイリの依頼について行ってから、シンヤ自身も黒霧産物についての知識を得ようと参考になる書物を読んでいた。当然、今回アイリが追っている鉄屑まみれについての知識も把握し、他の異常個体についてもある程度の知識がついていた。
書物のページを幾度となくめくり、指が止まる。
「これだ。過去の例からこの可能性もゼロじゃない。そうなると……」
大鎌を再び見る。彼女の魔力量は以前武器の調整を行った際に大体を把握している。彼女の魔力量なら大丈夫だろう。急な事象に対しても、彼女の技術量なら難なく対応してくれるはずだ。
「一番の問題は、僕の話を聞いてくれるかどうか、だけど……」
話を聞いてもらえない場合、これから自分がやろうとしていることも聞き入れられないかもしれない。だが、少しでも可能性がある場合は対処しておきたい。何より黒霧産物を倒すためにも、アイリ自身危険から身を守る手段はある方が良い。
「……よし!」
一つ気合を入れると、シンヤは調整の終わった大鎌に手をかけた。
◇◇◇
星を彩っていた空が白んできた頃になって、工房から響く作業音が止んだ。
「うん、魔力の通りも問題ない。大丈夫なはず」
シンヤが大鎌の何度目かという確認を行い問題ないことを認識すると、口からフゥと大きく息を吐いて椅子に腰を下ろす。
流石に夜になってアイリが来ることはないだろうと思っていたが、シンヤ自身来るまでに間に合うかどうかが分からなかったので内心焦っていた。だがアイリはまだ工房に現れることはなく、自分の想定よりも早く作業が片付いたことで人心地ついた。
あとの問題は、アイリが自分の話を聞いてくれるかだった。
結論として、シンヤは大鎌にギミックを一つ追加していた。
ギミックの追加や除外は本来使用者と製作者が相談、意見し、場合によって妥協もした上で武器に取り入れられる物となる。
だが契約を交わしている場合、製作者は日頃の使用者の使い方によっては事後報告で手を加えることもある。理由としては使用者により多くの攻撃手段を持たせることで戦い方に幅と応用を効かせ、それにより結果として使用者が黒霧産物を倒す確率を上げることに繋がり、同時に契約を結んでいる自身の製作者としての知名度を上げる可能性にも繋がる。
もっとも、これは互いに信頼の域に達している関係でなければ多少なりとも軋轢が生まれてしまうことも少なくない。つまり今のシンヤとアイリの関係では決して推奨されないものだった。
だがシンヤは万一のことを考え、急遽ギミックの追加に至った。最悪の展開を考えると入れておいて損はない。もし嫌がった場合は、きりのいい時にギミックを取り除けばいい。
だがアイリなら使いこなしてくれる。彼女なら上手く対応してくれる。
アイリから疑いの目を向けられた今も、シンヤはアイリを評価し、信じていた。その半ば頑なな信用は、ある意味縋っているようにも見える。
そしてシンヤ自身それを理解していたし、もしそれがなくなった場合どうなるかも、無意識的に察していた。
「ちょっと、早く開けてくれない?」
いつの間にか、シンヤは椅子に座ったまま舟をこいでいた。遠くから聞こえてくる工房の扉を叩く音と少女の声でそれを理解し、シンヤの意識がオールから手を放す。
寝てしまったのかと頭を振ると、再度外からの催促が聞こえた。
「はい、ごめんなさい……今開けます」
何とか眠気を追いやって立ち上がり、工房を開けると、予想通りアイリが立っていた。
「おはよう、ございます……」
自分が悪いわけでもないのに居心地を悪く感じ申し訳なさそうに挨拶をするが、アイリは昨日の別れ際と同じような目をしていた。
「あの子返してくれる? すぐに」
「……はい、今持ってきます」
言葉にも冷たさを感じて胸が締め付けられる感覚になる。急ぎ足で大鎌を取って戻ってアイリに渡すと、ギミックを追加した旨を伝えようと口を開く。
「あの、実は」
「出たのよ」
主語のない端的な言葉に、一瞬シンヤは何のことか理解できなかった。それを表情で察して、アイリは言い直した。
「鉄屑まみれが出たのよ」
記号は一応以下のように使い分けています。
◇◇◇…時間のみ経過、場所は同じ
◇◇◇◇◇…時間経過、場所も移動
◆◆◆◆◆間…回想
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