二人目の魔女
「これは魔術?! ケイヤ!」
「くっ、今度はなんだっ」
まるで墨のような黒いナニかが圭哉の背後から現れ、二人を地面に転がすと体を縛り上げていく。ひんやりと冷たい水のような感触、しかし男子高校生の筋力でも振りほどくことができなかった。当然、彼より非力であろうノアが拘束を解けるはずもない。
「シメイの魔女はイギリスに連れ帰る。それと協力者らしきその男は今ここで処分させてもらう」
黒いナニかがつながる先――さっきまで自分たちが来た道に知らない女が立っていた。
ノアと同じ全身黒いコーディネートだが、こちらはなんというか艶がある。体のラインがくっきりと浮かび上がる――どころか褐色の体に張り付くタイツのような黒服に顔の半分以上を布マスク。他に特徴的と言えるのが、左手の指に付けた黒い半透明な石が嵌まった五つの指輪であろうか。
「彼は協力者なんかじゃ――無関係の民間人ですっ。彼に手を出せば魔術結社と高天原で戦端を開くことになりますよ!」
「そんな場所に逃げ込んだおまえの言えることか。それに巻き添えで死者が出たほうが、次に逃げ出そうとは思わないだろ?」
命をなんだと思っている。ノアにそんな重みを背負わせるな。
ハラワタが煮えくり返るような、体の奥底から熱い感情が吹き出しそうになるのを圭哉は押し殺す。
今、襲撃者に気付かれるわけにはいかない。彼には腕力以外に拘束を解く手段があるのだ。
「戦争の方は問題ない、こちらは高天原のトップから許可を得ている。一人二人の犠牲は黙認される」
「そんな……」
影のように黒い瞳が無情に告げる、あたかも医者が手の施しようがない患者に処置無しと余命宣告するかのように。そして死神は自身の影から身の丈と同じくらいの大鎌を取り出した。
「白上圭哉、異能の評価はD。――この程度なら消したところであっちは何も言ってこない」
「どいつもこいつも、ひと様の個人情報を――。それに黙って聞いてりゃ好きかって言いやがって。俺は養豚場の豚か? ふざけた目で俺を見てんじゃねえ!」
二人が話している間に、圭哉は自身の異能である刀擬きの具現化を試みていた。魔術だと言っても彼の仮説が正しいなら、異能と魔術は近い物かもしれない。少年自身、この力が何なのかわからないが試してみる価値はある。
そして、その仮説は正しかった。
体を拘束する黒い液体は体の後ろで具現化した刀擬きに触れた瞬間、地面に溶けて消えていく。
「嘘! 魔術の無効化? ならケイヤが――って影が、ケイヤ! それの正体は影です! 影を自在に操る魔術――」
「余計なことを喋るな! シメイの魔女」
ノアが縛られたまま情報を伝えようとするも、黒尽くめの少女がそれを許すはずもなかった。黒いナニか――いやノア曰く影が顔にまで広がり、
「ケイヤ……にげて」
と残して、 最後は黒い蛹のような状態で彼女を地面に転がした。
圭哉は「ノア!」と叫びながら『左手』を伸ばす。――が、その手が少女に届く前に影が伸びてきて圭哉の腕を浅く切りつける。
「痛って――」
咄嗟に手を引いた圭哉は『敵』に意識を向ける。
(さっきこいつはノアを「イギリスに連れ帰る」と言ったんだ。すぐに命の危険はないはずだ)
圭哉はそう自分に言い聞かせて、刀擬きを強く握りなおす。
だが、彼が敵と認識した相手は顔を押さえて、何やら笑っていた。
「そう……。くふっ、あははは。あいつの予想はやっぱり当たりだった。あいつの言う力が本当に存在してるとわかったなら、今ここでっ――確実に殺す」
魔術とやらを無力化された襲撃者の目付きが変わる。人畜無害な家畜を屠殺する冷めた眼から――憎悪を持った冷たい眼に、だ。
「魔術師は殺すと決めた相手に名前は名乗らない、代わりに魔術名だけを告げる。だからこちらを名乗る――我が名は『影の従者』、『黄金の黎明』所属、シメイの魔女を守護する魔女」
黄金の黎明。
ノアがフリーの魔術師と名乗る前に漏らした組織だったはず。「――守護?」圭哉は心に引っかかるモノを感じて眉をひそめる。
例え何一つ事情がわからなくても、相手が懇切丁寧に説明してくれるなんてことはない。『影の魔女』とでも呼ぶべき襲撃者は顔につけたマスクを下にずらす。
(あの顔は――、ノア? 肌の色も髪色も違うが似てる)
ノアが金髪碧眼で肌が白いのに対して、正体不明の少女は黒髪黒目で褐色肌。人種そのものが違うように見えるがノアの面影が被る。
そんな圭哉の動揺も無視して褐色の魔女は
「顕現せよ――騎士」
と命じて、文字のような模様が刻まれた舌に指輪を近づける。
次の瞬間、影の魔女の影から西洋兜をつけた人間大の頭部が現れた。そのまま下から持ち上げられるように、ぬるっと地面から吐き出されたのは二メートルほどの黒い西洋騎士である。
主が騎士に下賜するように――影の騎士は魔女から大鎌を恭しく受け取り、こちらに向かって武器を構える。
「影でできた下僕――なるほど。それが影の従者ってわけか」
契約の枷は『影』、適正は支配化系と具現化系の複合。ランクは高く見積もってもA以上はいかないはず。疑似太陽みたいなビル一つ倒壊させられるような怪物がそううじゃうじゃいても困る。この世はそんな魑魅魍魎で溢れていないのだ。
やりようによっては十分に戦える。
クラスSともやりあえたクラスDはそう思ってしまった。その淡い期待がすぐに裏切られると知らず。
夏の猛暑と緊張で額を滴る汗が目に入る。それを手で拭おうとする――その一瞬で奴は目の前にいた。
「――は?」
相手は影なのだ。質量の無い相手に人間と同じ感覚で構えていた圭哉は愚者と罵られても当然だ。
不意打ちで思考が一瞬固まった圭哉は大鎌で薙ぎ払おうとする騎士に、今朝見た死神のカードが脳裏によみがえる。
「間に合えっ――がっ」
咄嗟に刀擬きを盾にする。
服と大鎌が軽く触れるくらいギリギリの距離で上半身と下半身が別れずに済んだが、そんなもの関係ないとばかりなフルスウィングの衝撃が圭哉を襲う。
(……嘘だろっ。こんなの人間が勝てるのか?)
膂力も速度も、軍用パワードスーツを軽く凌駕しているのではないだろうか?
騎士への恐怖が空を舞う時間を長く感じさせる。こんな棒切れで殺戮兵器にかなうはずがない。
圭哉はボールみたいに大きく弾き飛ばされビルの強化ガラスに激突した。衝突したガラス張りの壁に細かなヒビが入り、受け身も取れず地面に落ちる。
(動かないと死ぬ)
「へえー」
それでも血反吐を吐きながらすぐさま立ち上がろうとする彼に影の魔女はわずかに驚いてみせる。自慢の騎士の一撃を耐えた感嘆であり、
「やっぱり魔術を破壊できても、それ以外には無力なんだ。ならさっさと死んだ方が苦しまずに済むのに」
――素直に死なないことへの苛立ちでもある。
「テメエ……は高見の見学かよっ」
圭哉は地面に倒れ込んだまま、やけくそに握った刀を投げる。
「unus!」
弱弱しく投げられた刀を見て叫ぶ魔女の間に騎士が立ちふさがる。
「ただの悪あがき、諦めて死にな――」
圭哉の投げた武器が自分の所まで半分も届かず地面に落ちるのを見て、魔女は口角を上げる。今度こそ――そう思って魔女が騎士を退けると、ビルの前に居た少年の姿はなかった。
「武器を囮に逃げた……?」
あの武器は魔術師の天敵、逆に言えば使い手そのものに脅威はない。そう無意識に侮っていた隙を突かれたのだ。
遠くで足を引きずりながら逃げる少年の姿を見つけた魔女は追撃を諦めた。代わりに影を鞭のように振って、八つ当たりとばかりに歩道の敷き詰められたタイルを砕いた。
「影は追ってこない、か」
圭哉は魔女も騎士も追ってこないことを確認して、建物の壁にもたれ掛かって座り込む。
「ガラスが割れなかったおかげで血塗れにならずに済んだが――骨にヒビ入ってたりしないよな、ははっ」
思わず笑ってしまうほどに状況は悪い。
大量に分泌されていたアドレナリンが落ち着いてきたおかげで冷静は取り戻しつつあるが、代償に麻痺していた痛みが訪れる。
いっそこのまま逃げてしまいたい衝動に駆られるが――あの様子では逃がすつもりはないだろう。
そもそも圭哉にノアを見捨てる選択肢なんて最初からないのだ。ならここで助けないと次があるかも分からない。
圏外と表示された携帯端末をズボンのポケットに突っ込み、圭哉は目を閉じる。
(奴の攻略法を考えろ。完全無欠な異能なんて存在しない、魔術とやらにだって弱点はあるはずなんだ)
影という概念がなぜ物理的影響を与えられるのか。なぜ自分は狙われているのか。魔術関連の知識が一切ない、ただの高校生が考えても答えなんて見つかるはずがない。
なら考えるべきは、奴の行動の矛盾だ。
あれほど殺意を見せていたにも関わらず、奴は追いかけてくる素振りも見せなかった。
(影の届く範囲外に出たから? それなら本体が動いて射程内に収めればいいだけだ。ノアから距離を取りたくなかった可能性もあるが、諦める判断が早すぎる。それに奴が嫌がるのは、おそらく俺の武器が魔術に触れることのはずだ。だからこそ奴は武器に警戒をして追いかけてこなかった?)
脳内で作戦会議している圭哉が目を開くと、動く黒い何か視界に入る。
「奴の影かっ……て、これは――」
一瞬魔女の追撃かと思って警戒するが、影の正体は学生寮の屋上で風に揺られる居住地用風力タービンの影だった。
そこで圭哉の動きがピタリと止まった。
(そういえば、あのデカブツの足元はどうなってた?)
影に影ができるのか。言葉にすると意味が分からない疑問であるが、どうにもそれが気になった圭哉。
そして思いついたのは賭けと呼ぶのも烏滸がましいピアノ線より細い勝ち筋。しかしノアが運命だと受け入れた死神を撃退するには十分な希望だった。