目覚めた場所は
「……知らない、天井だ」
白上圭哉が目覚めたのは白い天井の一室。
学園区の病院だろうか、わずかに漂う消毒液の匂いを嗅ぎながら少年はそう推測する。
意識がはっきりしないのは寝起きの倦怠感とは少し違い、薬物投与されたあとの感覚に近かった。
そのまま圭哉がぼーっと天井を見つめていると、
「背中一面を再生治療で手術したばかりだってのに。君、余裕あるね?」
生体情報モニタの前には白衣姿で剃髪の男が立っており、圭哉の目が開いてるのに気づいて声をかけてきた。
歳はマレウスより一回り上、五十歳をとうに迎えた初老の男性である。
改めて圭哉が認識した部屋は見た事のある医療機器と清潔感のある無地のベッドとカーテンがある。おかげでここが個室の病室だと確信が得られた。
「ここは病……どこですか?」
圭哉は「病院」と言いかけて、白衣の男の顔を見て言い直した。確信は疑問へと回帰したのである。
この人は医者ではなく、坊主じゃないのか? 高天原にも探せば寺院や教会ぐらいあるだろうが、ここは寺か何かの一室ではないだろうか。
そう勘違いしてもおかしくないほどの徳がありそうな(輝く)頭と人相をしている。白衣に見えていた白い服も、だんだん改造学ランならぬ改造袈裟に見えてきてしまう。
少々失礼? なことを考えていた圭哉だが、坊主は人の良さそうな笑みを浮かべてここが何処か答えた。
「ふむ。ここは高天原学園区の有名大学病院の陰にひっそり営む病院の中の集中治療室さ」
「もしかして天海先生の――いっ」
圭哉が上半身を起こそうとしたら背中に痛みが走る。
最後に自分がどういう状態にあったのか……それを思い出そうとしていると、
「安静に、君は三日前に手術を終えたばかりだよ?」
と、驚くようなことを言ってきた。
「三日前……?」
圭哉はモヤの掛ったように不鮮明な記憶を整理しようと目を閉じる。そして薄っすら思い出してきたのはミニフロートでの戦いに肉を裂く感触……。
思わずまぶたを開けて圭哉は自分の左手をじっと見つめてしまう。
男はその様子に目を細めて落ち着くまでそっとすることにしたようだ。
だいたい三分ほど経過した頃。携帯端末の電子カルテに経過を記入し終えたタイミングで、白衣の男性は近くの椅子に腰かけ話を再開することにした。
「順を追って説明しようか。こうして直接顔を合わせるのは初めてだけど、僕が天海南光。職業は知っての通りどこにでもいるただの医者さ、ただ人より少し有能な――ね」
坊主……ではなく医者の正体には圭哉も察しがついていた。音声だけの通話で話したこともある相手なのだから声と恰好だけでも十分な判断材料である。
「やっぱり天海先生の、でもどうして俺は先生の病院に?」
「マレウス君に依頼されたから……かな。元々は事を為した後、彼のお嬢さんを治療して欲しいと頼まれていてね」
「治療の手筈ってのは先生のことだったか」
「娘を救いたいという気持ちは僕もよくわかる。とてもじゃないが見殺しにはできないさ」
同じ娘を持つ父親という境遇、それに……「以前と同じにはなって欲しくもなかった」と、圭哉にも聞こえない小さな独り言をぼそっと呟く。
「君のことは依頼に入ってなかったが僕の娘の教え子だ。放り出すわけにもいかないだろ? どうやら君も僕が診るべき患者のようだし」
担任が天海美鈴でなかったら……、きっと他の医者に任せるつもりだったのだろう。
外の世界では後遺症も残っていただろう圭哉の火傷も、ここの医者と設備なら一か月もあれば治せてしまう。それが人類の最先端技術すら過去の物にする人工島型完全環境都市「高天原」の医療である。
そう……他の高天原の医療でも準備で一か月近く掛かる手術を当日で完了させられたたのは、この天海南光が担当したからに他ならない。
「あっ、はい……。ありがとうございます?」
「あはは、どういたしまして」
本来ならすごく助かる話なのだが、
医者の本分として無条件に自分を受け入れたって感じではないなー、と。
見た目とはギャップのある聖人らしからぬ発言で素直に喜べなかった。圭哉は窓から外を眺めながら「良い天気だなー」、と現実逃避をしてこのことは忘れることにした。
若人の視線の先では、今日も夏の空の下で白いニョロニョロが元気に揺れていた。
さて話は戻り、なぜ圭哉が権力者や富裕層、難病専門の医者――天海南光の庇護下で目覚めることとなったか?
それは圭哉の抱えることとなったモノが原因だ。
ルールブレイカー、世界の抑止とも呼ばれるお宝。圭哉が万全の状態なら……準魔王級魔術師を打ち破ったという事実が抑止力となって、襲撃をかけるのに躊躇いが生じるだろう。
が――怪我を負って動けない今だけは話が別だ。
白上圭哉の異能を狙って、あるいは危険を摘もうとどこからしらの組織が動くか……。
そうなる前に南光が自分の病院に運んだのだ。
このクラスS異能者、天海南光が運営する病院の中で学園区にあるひとつに。
天海南光は「死なずの怪物」、「極楽浄土から死者を連れ帰れる菩薩」などと畏怖され、さらにどの勢力にも中立を宣言している。
故に圭哉がここに入院してる間は都市も海外勢力も、どこも手を出せない。
怪我や病を恐れる時の権力者との繋がりが有り、さらにはクラスSの戦闘力を持つ、魔術側の人間であっても患者であれば受け入れる南光と敵対するのはリスクが大きい。
このような事情が裏にはあったりするのだが、表の住人である圭哉には与り知らぬことであった。
「できればこれ以上娘に苦労をかけて欲しくないけど――それは難しそうだなあ。これ、預かってたの」
南光は一枚の紙切れをベッド脇の机に置く。
「これは?」
圭哉が手に取って確認すると、それはアルファベットの手紙ではなく端末のアドレスだった。
「マレウス君から『何かあったら連絡しろ』――だそうだ。今は君を抑止の力として監視対象にしようと、イギリスに戻ってるみたいだけど」
監視とは穏やかじゃない。
ただ、それで争奪戦という名の裏側の世界大戦が起こらないならそれで構わない、と素っ気ない感じに少年は受け入れた。
それよりも気になることが彼にはある。
「――ノアはどうなりましたか?」
無事だとわかっていても心配と罪悪感にも似た不安が入り混じり、圭哉は聞きたくても聞けなかった質問をする。
「それは――」
答えようとした南光は途中で何かを見つけて朗らかに笑みを浮かべる。
「君が直接確かめるといい。せっかく目覚めたんだ、若い女の子が近くにいた方が嬉しいんじゃないかな? じゃあ僕はそろそろ他の患者を診て回るから」
そう言って立ち上がった南光が扉に向かうと、そこにはノアがひょこっと頭を出してこちらを見ていた。
「まだ長話は控えてあげてね」
コクリと頷く少女に頷き返し、南光は次の病室へと移って行った。
「じー」
ノアは廊下から様子を窺っている。
勝手に入って来たらいいのに、ノアは律儀に入室の許可を待っているのだろう。
「さっさと入れよ」
「はい!」
犬なら、ブンブン! と尻尾を左右に振っていたに違いない。圭哉に呼ばれた彼女はそんな笑顔で部屋に入ってきた。
しかし、圭哉はその態度にわずかな違和感を感じる。
「……えーっと、お加減いかがでしょうか?」
そうなのだ。彼女の記憶が結局どうなったのか、結末をまだ知らされていなかったのだ。
圭哉は体調を心配するノアに答えず、緊張した様子で問い返した。
「ノア――お前、記憶はどうなった?」




