託す者と託された者
『死者を選ぶ乙女』に意識を奪われ、がらんどうな瞳に映るのは海水でできた二メートルほどの壁。
向こう側には魔王級魔術師に届きうる、そして自分に危害を加えようとする『敵』がいる。
(魔術を再度試行――敵性魔術師が未来に取る行動の観測は不安定。リアルタイムでのシミュレーションの頻度を減少、隔離領域の記憶データから戦闘シミュレーションを実行……成功。「Strength」の使用を前提の下、ルールブレイカー単体なら接近戦を行なっても問題無しと判断。しかし魔術名『湖の精霊』に連携された場合の勝率は著しく低下すると思われる。大アルカナを使用してでも湖の精霊の撃破を最優先に――)
そのようにノアの意思とは関係なく冷酷、かつ迅速に魔術師と異能者の排除の算段をつけていると、壁の向こう側で動きを察知した。
安全地帯から飛び出してきたのは湖の魔術師――後少し遅ければ大アルカナで攻撃されていたのだが――は、最強の騎士に恥じない身体能力で距離を詰めようと真っ直ぐスクルドの方に向かってくる。
(事象前観測――ファーストループ0からⅨは性能不足。『The Tower』による攻撃を観測……効果あり。実行します)
この間〇,一秒、驚異的な思考能力と処理速度である。人を超えた脳の回転速度を有するからこそ、他の魔術師では使いこなせない「78の魔術具」を彼女が所有しているのだ。
スクルドが虚空に手を差し出すと一枚の魔術具が、すっとその手の中に納まる。それと同時に空いてる手を動かし別の魔術を発動させた。
わずかに宙を浮く少女と迫る男の間にある地面に土の棘がせり上がってくる。これは大アルカナの魔術ではなく、事前にばら撒いていた小アルカナの魔術を遠隔で起動しただけだ。
「『ⅩⅥ.The Tower』」
スクルドの起こした魔術がスターターピストルとなって、三者――それぞれが動く。
少女の後ろに三階建ての塔のようなオブジェクトが現れ、
男は危険を察知して防御行動を取り、
少年は防壁の逆サイドから飛び出す。
特記戦力であるルールブレイカーは白上圭哉の手に握られている。それを確認してもスクルドは迷うことなく最初に目標としたマレウスを優先する。――とはいっても無防備に走る少年に何もしないとは言ってない。
周囲を漂う小アルカナのカードを手で弾いてルールブレイカーの所持者への攻撃を実行しながら、スクルドは淡々と命じる。
「塔よ、砕けろ」
命令を受けた塔のアルカナは天辺に設置された装置を起動した。すると塔の一部にマナが収束し数秒、閃光が発射される。
ズドォオオオオオオオオオオオン!
閃光が走っていくのに続いて雷鳴が轟く。それは『電』撃ではなく『雷』撃。
雷と同等の一〇億ボルトもの電圧は生物なんて簡単に感電を通り越し焼死させられるエネルギーの塊である。
その稲妻をマレウスは生身で迎え撃とうという。彼の持つアロンダイトは大量の海水によって押し固められた物ではあるが、それでも雷を相手にするには難しく思えた。しかし……彼は剣一本で雷撃を海へ逸らしてみせた。
もし圭哉がこれを見てたら「嘘だろ?」、と口をあんぐり開けていたに違いない。ただそれも本人がスクルドの片手間に放った魔術の中でマレウスの状況を確認する余裕があればの話であるが……。
さて天災を剣一本で防いだマレウスだが無傷で……とはいかなかった。地面に片膝を突き、青いシャツは所々焼け焦げ、水晶のように美しかった剣の半分が気化し彼の腕も重度の火傷を負っていた。
そこにスクルドが、
「第二射、放て」
――絶望を告げる。
タロットに描かれる「塔」のように倒壊を始めていたオブジェクトは計算通りに残した余力で、二度目の魔術を放つ。
「後は託す――行きなさい、少年」
マレウスの呟きは白上圭哉に向けられたもの。その死を前に揺るぎのない碧い瞳を向けられるのは願いを託せる人間を見つけたからこそ。
その強い眼を向けられたスクルドの瞳が逆に揺らぎ、
――させない!
どこかから少女の声が聞こえた気がした。
さっきの半分にも満たないエネルギー。それでも瀕死のマレウスにトドメを刺すには十分と思える死が彼を襲う――はずだった。
咄嗟に水を操って耐えようとするが、呆気なく防御もろともマレウスは海へと突き落とされる。
その結果にスクルドは自身の不具合に気づいた。本来の未来なら防御を貫いてマレウスに致命傷を与えていたはず。
(観測と実行の結果に相違が発生。『塔』に想定された出力を満たさず――原因は契約者からの妨害。しかし……対象がこれ以上戦闘を継続するのは困難と判断。次目標を特記戦力の排除に再設定)
邪魔な荷物をクローゼットの奥へ押し込むように、抵抗を示すノアの意識を封じこむ。
スクルドほどの魔導書になると肉体本来の精神ですら簡単に優位を取れる。それを含めて『契約』の効果でもあるからだ。
「あれは……こちらの動きを読まれていた?」
改めてもうひとつの敵、白上圭哉に意識を向けるスクルド。彼女が見たのはマレウスを陽動にしてこちらに向かってきていたはずの少年が……水となって消えていく姿。
ルールブレイカーだけは少年が具現化した物だったらしく、カーンと金属の甲高い落下音が響くが――それすらもすぐに虚空へと消えて行った。
スクルドが白上圭哉だと思っていたモノは、マレウスが作り出した水人形に未来視を妨害する少年のルールブレイカーを持たせた二重の陽動だったのだ。
ここで初めてスクルドに感情の機微のようなモノが見えた。
未来を視るスクルドが裏をかかれた。その事実に眉を僅かにひそめて不快さを示しのである。
しかしいつまでも失敗に意識を割くわけにもいかない。危険がすぐそばまで迫っている。
今度こそ本体を探すスクルドのそばで海の音とは違う、『土砂降りの雨』が降ってきたかのような水音がした。
「発見」
圭哉はびしょ濡れの状態ですぐそこまで来ていた。どうやってここまで……と考えるが答えはわからなかった。
彼が姿を隠したタネはこれもマレウスの水だ。人間にも化けることもできる水を操る魔術、なら風景に紛れることができる模様を描きその下に隠れればいい。
光学迷彩や完全に騙せるほど精巧な模写ではなかったが、照明を壊して回った事と二つの陽動も手助けとなって魔術が解けるまで察知されなかったのである。
「ちっ、ここまでか」
マレウスの窮地にただ黙って前進するしかなかった圭哉は突然、体を隠していたカモフラージュが解けたことに舌打ちする。ここで姿を露呈してしまったことに……ではない。水が解けたということは、もうマレウスに魔術を維持する力がなくなったからだと理解できたからだ。
だからといって、今さら救助に戻るなんてことはしない。スクルドまでの距離は残り数メートル。
(ここで引き返せば奴の努力が無駄になる)
最後は真っ向勝負になったがそれも厭わず、少年は左手の神破振りを強く握り直して覚悟を決める。これ以上魔術を発動させてたまるか、その一心で刀を刻印へと突き刺すため駆けた。
「敵対者にこれ以上の策は無しと推測。これでチェックメイトです……『Ⅷ.Strength』」
スクルドが一枚のタロットに触れる。すると威圧感が増したように感じた。
事前にマレウスから忠告を受けていた大アルカナ、肉体強化の魔術だと理解する。
「来いよ。他人の体で戦ってるだけの奴に……負けねえから。『白錬飛斬』」
白錬飛斬
神破振りに内包された魔術の一つで、読んで字のごとく白錬で作り出した刃を飛ばすだけの単純な魔術である。
「んっ」
短く吐息をこぼしながら、横一文字に飛んだ斬撃の下へ潜り込むスクルド。そのまま圭哉に向けて蹴りを放つ。
「そんな恰好でよく機敏に動けるな。――見えるぞ?」
右手で受け止めて圭哉はそう茶化す。実際、長いローブの裾があるおかげで大部分はスカートのように隠れてるが、前はミニスカートなので足を上げると絶対領域がチラリズムする。
「っ!」
それを聞いた少女はパッと後ろに下がる。
どうやら一瞬だけ体の主導権がノアに戻ったらしい。その証拠に羞恥心で赤面するのも、スカートの前を手で押さえるのも機械的なスクルドらしくない行動だ。
「もうちょい頑張れよ。どうにかしてやるからな」
スクルドとしても想定外の事態であった。
そもそもがセリスという優秀な護衛が常に控えていて、ノアが自動防衛を発動させる機会なんてまずない。だからスクルドもまさかこの状態で体のコントロールを一瞬であっても奪われることがあるなんて知らなかったのだ。
「……はい」
たった一言の短い返答。
ただ言えるのは、白上圭哉の士気は最高潮であるということである。
「さあ、テメエとの契約はここで破棄させてもらう」
少年は精神の奥に囚われた少女を救うため、その手を伸ばした。




