魔王級魔術師
幻想は打ち砕かれ、現へと帰ってきた。
圭哉が戻ってきたのは元の埠頭。明るかった太陽の輝きは失われ、自然の中で五感をくすぐった刺激はなにひとつ残っていない。世界は再び月が見下ろす時間に逆戻りしていた。
そんな少年の最初に見たのは異界に連れ込んだ張本人、そして目の前で剣を交えていたマレウスの土手っ腹を槍にも見える土くれが貫く姿だった。
目の前で起こった非現実な光景。
それでもなんとか事態を呑み込んで圭哉は咄嗟に男の名を叫ぶ。
「おい! マレウス」
……が、
「なんですか?」
焦る若者の声に反して、あっさりとした何事もなかったような冷静な返事が来た。それもそのはずである。
なぜなら彼は圭哉の後ろに立っていたのだから。
「えっ……? ――ほわああああ! おっおっおっ――」
「オットセイの真似ですか? もう少し危機感を持っていただかないと困ります」
「違うわ! そんなことより。お前、腹に穴が空いたんじゃ……」
振り返るとそこに居た魔術師。驚いた猫みたいに圭哉は飛び跳ねて、二人のマレウスを交互に指を差す。
「よく見てください。あれはただの水人形ですよ」
言われてちゃんと見てみると、土くれが刺さったままの傷口から流れていたのは赤い血ではなく透明な水だ。
さらに役目は果たした、とばかりに水人形は人の色も形も失い元の水として地面に染みに還った。
「――えっ、何? もしかして俺って偽物と死に物狂いで戦ってたの?」
ノアが最初に出会った時に言った、『魔術師じゃ考えられないほどお人好し』の意味の片鱗を知った気がした。
さっきまでの激戦はなんだったのか?
圭哉が魂の抜けた表情で真っ白に立ち尽くしていると、マレウスが彼の肩を叩く。
「最後だけ、ですがね。それより……次が来ますよ」
「次?」
聞き返す圭哉の前でマレウスの水を纏った手刀が一瞬見えた光を打ち落とす。
同時に聞こえた、バチッ! という静電気のような音。それで光の正体が電撃であることに気付いた。
「って今度は誰だよ!」
圭哉が二度目の攻撃が飛んできたと思われる方角――埠頭の先を見ると、大量のタロットを周囲に浮かべる黒尽くめの魔女が立っていた。
「78の魔術具を自在に操る魔王級魔術師『死者を選ぶ乙女』」
それが誰か聞くまでもない。そんな恰好をした魔女なんて二人が救おうとしている、その人しかいないのだから。
「……ノア」
月明かりの中で潮風に揺れる金髪の美少女は名を呼んでも応えてはくれない。
感情豊かで優しい印象のしていたはずの碧い瞳に映るのは無という言葉でも足りない『虚』そのもの。
ただ分かるのは、魔術を展開させているのが脅しでも冗談でもないということだ。
――彼女は戦うつもりでここにいる。
「ノアがどうして俺たち? いや、あんたにか? を攻撃してくるんだ!」
「自動防衛機能が起動したようです、君のルールブレイカーと我々の目的に反応して。先に私を攻撃したのは不確定要素の多い君より、未来の見える敵を確実に排除するつもりだったのでしょう」
ただそれも不確定な未来になっている。ラプラスの悪魔に綻びが生じ始めたのだ。
本来の『死者を選ぶ乙女』なら水人形の囮に引っかかるなんてありえない。的確に水の中に潜んでいたマレウスを攻撃していたはずだ。
(ルールブレイカーを予知に組み込むには重すぎたようですね。おかげであれに関わる未来には穴がある、今も処理に時間がかかっているようですし。やはり白上圭哉の存在はあれにとって見通すことのできない――切り札となりえる)
「俺は何をしたらいい? 具体的な手段は金髪の騎士に聞けって言われてんだが?」
何故か動かないスクルドを警戒しながら、圭哉はマレウスに指示を仰ぐ。実際の行動については義姉からは何も聞いていないからである。
「……君のルールブレイカーでノアの刻印を貫いてください」
「はあ? んなことしたら――」
「問題ありません、治療の手筈は整えてあります。刻印の場所を把握しているのも知っています。なので余計な臓器を傷つけないで下さいね」
思春期の少年は顔を赤らめて頷く。この時、若人が何を思い出して赤面していたのかを追求しなかったのはマレウスの慈悲であろう。
「無茶なことを……信用するからな、親父殿」
羞恥を誤魔化したかったのもあって、圭哉はぶっきらぼうに了承した。
「君にも娘の体を弄んだ分、しっかり責任を果たしてもらいます」
やっぱりこの男に慈悲なんて無かったらしい。しっかり娘のことを根に持っている。
彼がなぜ潜伏中のことを知っているか、は監視していたセリスから聞いたからだろう。
「……不可抗力だろ?」
「だからさきほどの戦いでその分を加算しないであげたではありませんか。それよりも娘が待ちくたびれてます。そろそろダンスの相手をご所望のようで」
「ダンスなんてしたことねえよ」
「自前で豪華な演奏まで用意するほどのやる気ですよ? 全力で踊ることを考えなさい。彼女の下にたどり着けるよう、私がフォローします」
「りょーかい!」
二人がその場を飛び退いた直後、今居た場所を魔弾の雨が襲う。
白煙が晴れたあとに残っていたのは綺麗に整っていた埠頭の荒れ果てた姿である。
仕掛けてきた魔術は四色。おそらく熱や電気の変化系と土や水の具現化を利用した魔術、そのどれも硬いコンクリートを粉砕するほどの威力である。強化しているとはいえひとつでも直撃すればそこで致命傷だ。そのまま亡骸も消し炭も残らず物量でトドメもさされる。
そう圭哉が分析している間にも、二人に追撃の魔術が飛ぶ。
マレウスは未来予知による精密な先読みをしてくる相手に不用意に動き回るのは危険だと判断し、海まで近づき蛟を呼び出す。
そのまま蛟を壁にして少しでもノアへ接近しようと試みる。――が、蛟の質量がとんでもないとはいえ所詮一個の魔術。肉を抉られるように、魔女の魔弾で蛟の体を削ぎ落していく。
徐々に小さくなっていく蛟、しかしマレウスに焦りはなかった。それこそ狙いのひとつであったからだ。
「こちらに!」
マレウスは圭哉を呼びながら、肩の刻印に一度触れて大きく横に払う。すると彼の前面に水の壁が現れる。蛟は肉壁だけでなく、前線にまで水を運んでくるのが目的でもあった。
水の壁は魔弾を受ける度に凹みを作るが、周囲の水をかき集めてすぐさま修復されていく。
一方、圭哉のほうにもマレウスと変わらない物量の魔術が撃ち込まれている。それを時にルールブレイカーで打ち消し、コンテナを盾にしてなんとか凌ぎながら前進しようと試行していた。
「この中を突っ切れってか。仕方ねえなっ」
そんな状況で安全地帯から呼び掛けてきたマレウスの意図をすぐさま理解し、躊躇うことなく全力疾走で魔弾の中を駆け抜けた。道中にある明かりを破壊し狙いをつけさせないようにしながらだ。そして最後はスライディングで即席の防壁の裏へと滑り込んだ。
「良い判断です。スクルドは暗闇が得意ではない、対応を一手遅らせられます」
そう言ってマレウスも近くの照明を水弾で破壊する。
スクルドの予知は視覚情報の先取り、適度な暗闇はその情報を阻害するにはちょうど良い暗幕になる。
これで二人のいる場所は視認しづらく、だがスクルドの場所はスポットライトに照らされる状態になった。もちろん圭哉にそこまでの意図はなかったが、ノアの所へたどり着くのに暗闇のほうが有利だと判断しただけに過ぎない。マレウスはその点も含めて「良い判断」だと言ったのだが、一々説明してる時間はない。
「そりゃどーも、あいつが使う魔術について教えてくれ」
二人が壁に隠れてからスクルドの魔弾は止んでいる。未知という状況での行動を恐れてか。あるいは消費した魔術具のマナの補充を行なうためか、である。
ノアまでの距離は二〇メートルほど。ここから先は壁となるコンテナはなく、距離が短くなるほど発射から着弾の回避する猶予も当然短くなる。ここが作戦会議を行なえる最後のチャンスだった。
「ええ、ノアの魔術はタロットを模したモノ。小アルカナに当たる五六枚は四つのスートがあり、火のワンド、水のカップ、風のソード、地のコインがそれぞれ一四枚。主な使い道は元素に沿った属性の魔弾です。反対に大アルカナは連射はできませんが、強力な魔術が刻んであります」
隠者なら強力な認識阻害の魔術であったり、力なら身体能力の大幅な強化など、その能力は多岐にわたる。
その中で厄介なのがタロットの中で最高の切り札であり、天と呼ばれる星から世界までの五枚。
「ただしアリエが使われることは無いでしょう。スクルドとアリエの同時起動は不可能ですから。白上君が注意すべきはストレンクスで強化した状態での接近戦です」
簡単な説明を受けた圭哉は最後に、
「弱点とかは?」
と、問いかける。それにマレウスは複雑な表情で答える。
「大アルカナはひとつひとつが大喰らいでこの戦いで使えても三枚まで、そして大アルカナも小アルカナも一度使えばマナの補充時間が必要になります。一番確実なのは長期戦でマナが尽きるのを待つという手段ですが……」
なぜマレウスが嫌がったのか、圭哉にもわかった。
「あーそうですか! 俺らに長期戦の選択肢なんて最初からないだろ!」
長期戦――つまりは戻るかもわからないノアの記憶を、無駄に消耗させながら戦うということだ。
例えその方が安全に戦えるからといって、それを選ぶ二人ではない。
「それなら……ルールブレイカーを離れた場所でも維持できますか?」
「たぶん短時間なら可能。けどどうする気だ」
契約者でない者が神破振りを使っても、打ち消す力は大幅に弱体化される。マレウスが使ったところで小アルカナの攻撃を少し無効化するのが精いっぱいで、大アルカナとやらの魔術はきっと防げない。
ノアの死神を見たことのある圭哉は顔をしかめる。
「少々、私に考えがあります」
「あんまり無茶するなよ」
「……善処はしましょう」
念のため釘をさすが、男が頷くことは無かった。




