金欠異能者と行き倒れ魔女
二十二世紀になっても夏は熱い。いくら科学が発展しようと、真夏にアイスがすぐ溶けるのを止めることはできないし、寝て起きてを何度も繰り返せばそのうち冬もやってくる。
そんな冬の涼しさが恋しくなる真夏の朝。
あれから三十分以上かけてトボトボ歩いて帰り、帰ったら帰ったらで食事を用意する気力もないからとシャワーに入ってすぐ寝た少年は絶賛空腹の寝起きだった。
昨日の一件のせいでテンションはどん底にまで落ち、さらに世間様は夏休みだというのに担任から「3馬鹿は夏休みも一緒とは仲が良いな」なんて煽られながら補習のお呼び出しを受けている。
「朝はコンビニで焼きそばパンでも買うか……」
と、仕方なく制服に着替えてスマホを手に取る。
本日の日付は「2164/07/26 」。少年はすぐさま画面を操作して電子口座の残高を開いた。
そこにあった数字は『154』。
「嘘だろ、またかよ……」
缶ジュースを辛うじて買える程度の金額に膝が崩れそうになるのをなんとか耐えて、保護者の連絡先を探す。
「お義姉様や、また振り込み忘れてたろっ。昨日、催促のメールしたよな!?」
「あっはっはっ。昨日は給料日じゃん? だったら美味しいもの食べなきゃでしょ? そしたら忘れちゃった。てへっ」
「あんたな……贅沢はいいが保護者としての責任は果たしてからにしてくれ」
早朝にも関わらずスマホから聞こえる能天気な声。圭哉の保護者である義姉様とやらは全く悪びれてもなかった。そして二十歳をとうに超えるその声は今年で高校生になったこの少年と歳が変わらないようにも聞こえる。
「お義姉さん、責任とか義務って言葉が嫌いなんだあ」
「それに伴う自由とか権利とかはどうなんだ?」
「だ・い・す・き」
「とっとと生活費を振り込みやがれ!」
こんなダメな大人になってたまるか。反面教師にしていも彼女は育ての親であることには変わらない。「――いつも、サンキュー」とだけツンデレを付け加え、返事も聞かず圭哉は通話を切る。
あのまま繋いでいても、ブラコン疑惑のある義姉がうざ絡みしてくるだけだ。と、耳を赤くして思春期の少年は胸の中で誤魔化す。
「あー、飯あったか……? 無くても最後の城に手を付けるのはまだ早いよなあ」
最重要な生活費の催促を終えると、お腹の虫が鳴き始める。
炊飯器に入れる米は三日前から無かった。食パンは残り一枚、昨日の買い物は燃え尽きてゴミになった。もしもの時の非常食はあるものの、今日生活費が来なかった場合を考えると手を出すのはまずい。餓死的な意味で。
義姉の性格を考えると、もう一日忘れたっておかしくない。そもそもその前科があるのだ。
給料日前のOLより厳しい食料と懐事情。圭哉は残り少ない糖分で脳をフル回転させ、状況の打開を考える。
最後の飯アは昼飯に回すべきか。だがしかし育ち盛りの男子高校生にこれ以上耐えるのは無理な相談だ。昨日の晩飯を食い損ねたのだから尚更に。
「包丁じゃなくて、食材の具現化はできないか?」
なんとか食い物を具現化する異能でも目覚めないか。左手に気合を込めるが、そんな奇跡が起こるわけないし、起こった所でよくわからないモノを体に入れたくない。
ランクCにも満たないランクDの無駄な努力をあざ笑うかのように、腹の音が鳴き止むことは無かった。
圭哉は無駄にエネルギーを消費する馬鹿をやめて、最後の望みに冷蔵庫の中を確認する。するとそこには卵のパックの奥に一つだけ残った白い宝石と下敷きになっていたベーコンが一枚。
「神は冷蔵庫の中にいた……。よっし、昼飯前には振り込まれてんだろ」
先のことは義姉の愛に期待して、圭哉は止められない食欲に従って数少ない食料を使い切る決断をした。
「今日も青空がスバラシイナー、俺の夏休みとは正反対だー、補習の無い奴らは全員太陽に焼かれて黒焦げになればいい」
美味しそうなワタアメ雲と忌々しいぎんぎらの太陽。学生寮から外に出た瞬間軽く立ち眩みのした圭哉は、夏の空模様の下で遊び惚けているだろう若人に向けて呪詛を吐く。
これから日光にジリジリ焼かれながら学校に向かわなくてはならないのに、胃袋には物足りないたんぱく質と大量の水分しか詰まってない。
(あいつらに飯でも奢らせよう)
と、悪友に集ることを決心した圭哉は曲がり角から始まるラブコメが如く、すぐさま異変と出くわす。街の清掃ロボットが六、七台ほど黒い何かの周りに集まっているのだ。
何か変なモノでも吸い込もうとして故障でもしたか。
と、白上圭哉は高校生らしい、ちょっとしたお節介と好奇心で清掃ロボットの方へ警戒もなく近づいて行く。ただそのちょっとした好奇心でも猫を殺すことも知らずに。
パッと見たところ黒い三角コーンのように見えた。だが近づいてみると人の腕のようなものが見え、それの正体が何なのかに気付く。
それは地面に倒れ伏した、大きな黒いとんがり帽をかぶった人間だったのだ。
「嘘だろ……。風紀委員――」
一瞬昨日の出来事を思い出して圭哉はすぐさま頭を振り、「いや救急車を呼んだらいいのか?」と地面に膝をついて倒れた人間の様子を窺う。
一瞬死んでいるんじゃないかとも疑うが、体をわずかに上下させているのに気付いて安堵する。
清掃ロボ達は「通報は必要ですか?」「介錯は要らぬ?」「応答なし応答なし」と一機だけわけのわからないことを話す奴がいるが、ツッコむ余裕もない。
「こっちで対応するからどいてくれ」
「「「了解しました」」」
「かたじけない」
やっぱり野武士が混ざっている気がする、――がそれどころではない。
舗装された歩道にうつ伏せで倒れてるため顔は髪に隠れて見えないが、女性であることは腰まである金髪と華奢な体から予測できた。しかしあまり関わりたくないと思える類の人間に圭哉は一抹の不安を感じる。
なぜ関わりたくないかというと、この女の子――恰好がおかしいからだ。
「それにしても黒いローブにとんがり帽子って、魔女のコスプレかよ。ハロウィンにはまだ季節が一つ先だぞ」
真夏に真っ黒な帽子と長いローブの、どちらかというとアニメ調の魔女っ子コスプレをした不審者。アルコールの匂いはせず、ただの酔っ払いである可能性は無さそうだった。
「翻訳アプリなんて、どこに入ってるかすぐ出てこねえよ」
助けを求めるにしても、まずは声をかけるべきだろう。
グローバル化が謳われていたのは一世紀以上も昔の話。文明の利器に頼ろうとスマホを取り出そうとすると、地面に広がる髪がシュルシュルと動いた。
圭哉の方を見た少女は清楚系の綺麗な顔をしていた。魔女というより聖女という言葉が似合うかもしれない。そして、その声も透き通った綺麗な声をしていた。
「そこの人――お水を、頂けませんか」
驚くくらい流暢に日本語を話す少女は十四、五歳ほどだろうか。外国人相手に確信を持って年下とはいえないが、少なくとも圭哉は自分とそう歳は変わらないと思った。
動揺のあまり起動していた翻訳アプリが流暢な日本語に機械翻訳の英語で返す――なんてちょっと間抜けなやりとりが発生するが、少女は一度まぶたをパチクリさせて、
「日本語はわかります」
と、どうやらこの少女は天然気味のようだ。
「あ、はい。そうみたいっすね。とりあえずお茶なら持ってるけど?」
端末をポケットに戻した圭哉は代わりに学生鞄から水筒を取り出した。それを受け取った少女は溢しそうな勢いで飲み干す。
一気に半分まで減った水筒を圭哉に返した彼女は「その……、お腹も空いてまして」と恥ずかし気に言い、くぅーと可愛らしい音が少女のおへそ辺りから鳴る。
「行き倒れかい。風紀委員――警察は呼んどくか?」
その音を聞かなかったことにした少年。彼の所持金は缶ジュース一本分。他人様に恵む前に、恵んでもらいたいのが本音なのだ。
「国家権力の類はノーセンキューです」
「アウトローみたいな事をおっしゃる娘さんだな。白上さんは関わりたくない気持ちが三割増しですよ?」
間髪入れず拒絶した少女に圭哉は肩をすくめる。何かしらの事情があるのかも――と考えるが、ただの男子高校生が首を突っ込んでも仕方ないだろう。
「この通り魔女ですから、あまり表の組織と関わるのは……」
「面白い冗談ですこと――じゃ、俺は学校があるんで」
そう言って立ち去ろうとする圭哉のズボンを少女が掴んだ。
「へぶしっ」
圭哉は清掃ロボが綺麗に掃除した歩道へ顔面から転ぶ。痛みで歩道の上を転がり悶え苦しみ「鼻が――、鼻が――」としばらく顔を押えていたが、痛みが引いていくのと同時に、女に対して怒りをぶつける。
「――てめえ! 水分補給はしてやっただろ!」
「お腹が空きました」
「は?」
「お腹が空きました」
どこぞの村人みたいに同じ文言を繰り返す。「はい」と答えるまで永遠にループを続けるつもりなのかもしれない。
「こっちは全財産が缶ジュース一本分の苦学生なんですが――」
「お腹が空きました」
こちらが金欠なのを伝えても変わらない。いや、心なしか少年を憐れんでいるかのような目をしている気がするが、変わらず食べ物を要求する
「あの、おっ、お嬢さん?」
「お腹が空きました」
最終的には涙ぐんでいらっしゃってきた。
段ボールの中に捨てられた子犬。頭の中でそんなフレーズが思い浮かぶ。
「頼るなら苦学生じゃなくて、風紀委員にしてくれよ。なんで俺なんだ」
どれだけ罪悪感を感じようとこのまま背中を向けて全速力で走り出せばいい。というのも圭哉は刻々と迫る留年の危機に焦っていた。ここでこのコスプレ女の面倒を見ることになれば補習には間に合わない。
行き倒れなんて、都市治安維持機構か、その下部組織である『学園区風紀委員』に任せてしまえばいいのだ。
「もう限界です……ばたんきゅ~」
圭哉が悩んでいる間に女の子は限界を迎えて再び地面に倒れ込んだ。演技かどうか彼女の白い頬を二、三度ぺちぺち叩いて確かめるが反応は無い。
気絶した人間を道端においていくわけにもいかず「嘘だろ……」と漏らし、圭哉は不審者を連れて自宅へ戻ることにした。