クラスSの抱えるモノ
駅から降りて再び全力で走って目的地に着いた少年は額の汗を拭い奥歯を噛しめる。
「もう居ねえかっ」
朱音から送られた座標にキャンプカーは停まっていなかった。
代わりに居たのはバーベキューセットで肉や魚、野菜を焼く無関係な一般人の一団である。
ここはキャンプにも使われる野外スペースのようで、海を眺めながら食べるバーベキューは最高だろう。実際、あたりを見渡せば似たような集団がそこら中にいる。
しかしながら、楽しいレジャーを羨む時間すら圭哉には惜しい。
監視カメラで確かめたキャンプカーは近くにないか探すが――どこにもそれらしいものはなかった。
(確認で送ってきた監視カメラの映像では確かに、ノア達が乗ったキャンプカーはここに停車していた。となると移動した、か。ここからどうやってキャンプカーを見つける? ――いや、そうじゃねえ。俺は何を勘違いしてるんだ)
魔術師を追うことに夢中となっていた圭哉は、そこで自分の為すべきことを考え直す。相手の目的はノアを連れて『島から脱出する』こと。
ならば、
(探すべきはキャンプカーじゃない。ここまでたどり着いたなら、脱出手段を先に見つければいい!)
唯一圭哉が先手を取れるチャンスなのだ。最悪、足を壊してしまえば……。
次の行動が定まったなら、いつまでもこの場に留まっている意味はない。
圭哉はすぐさまキャンプ場を駆け抜け船の集まる場所へと向かった。
圭哉がまっさきに捜索すると決めた場所――それは学園区ではない外部の人工島だった。
『第41回学生釣り大会』
海上に浮かぶ可動式ミニフロート、その上空にバルーンで吊るされた十メートルほどの薄い幕状ディスプレイ。
高天原でよく使われる宣伝バルーンの一種で、数日後に行なわれる予定のイベント告知が行なわれている。
一方地上の可動式ミニフロートは文字通りメガフロートの小規模版で、他のメガフロートを行き来するイベント会場のようなモノだ。夏の花火大会では打ち上げ会場として使われたり、普段はアイドルのコンサートだったりスポーツのスタジアムとしても使われる移動人工島のひとつである。
この釣り大会と称した夏のお祭りにも会場として駆り出されたわけだ。
規模はメガフロートの百分の一にも満たないかどうかといったところ。その会場では釣り大会の予行練習や少し早い屋台を満喫する学生の姿がちらほら見え、その中に圭哉も居た。
「これは海洋大の外洋調査船――か?、あっちは乙葉女学院ボートレース部の――。ダメだ、こんなもん見ただけじゃ何もわからねえぞ」
当然のことだが、大会用に用意された外部の船が停まる海洋側の埠頭は現在関係者以外立ち入り禁止である。
参加者ですらない高校生が大会準備中の現場に乱入できるはずもなく、一般開放されてる場所から波止場に停泊する大型船、海上で海釣りに興じているクルーザーを調査という名の見学しかできなかった。
圭哉は落下防止の手すりにもたれ掛かり、離れた船を眺めながら己の愚かさについてため息をこぼしていた。
木を隠すなら森の中。そう考えてここにきたわけだが――メガフロート側よりここの方が部外者が多く隠れやすいであろうという考えもある――、どうやって探すか途方に暮れていた。
船の横にはそれぞれの学校名と校章が記されており、怪しい所はなにひとつない。
高天原は海上にある都市であり、簡単に侵入が可能に思える船は必ず所属を示すロゴの表記が定められている。
学園区という学校関連ばかりの特殊な土地であるおかげで聞いたこともないような企業や業者は見かけない。だがそもそもな話、後ろ暗い連中の船が簡単にわかる看板をぶら下げて待ってるわけがなかった。
(これはやっちまったかも)
自分の馬鹿っぷりに凹む圭哉。そこに、
「ふふふ、何かお困りかしら?」
と、ウィンクをしているお嬢様な女子高生が現れた。
「久々津……先輩でしたっけ。先輩は風紀委員の仕事ですか」
現れたのはクラスSの紅坂朱音の先輩、久々津操香であった。
腕にはあの『学園区風紀委員』の腕章。これさえなければ、デートの待ち合わせにも思えるシチュエーションであった。
しかし当の本人は青い春を思い浮かべる余裕もなく、若干トラウマな目印に目が泳ぐ。
「一応そうですわね。それはそうと白上君、君――うちの妹(自称)に変な事、させたでしょ?」
「あっ……」
にっこりスマイルの久々津。しかし圭哉はその目が笑っていないことに気付いた。
兎が獅子から逃げようと後ろを振り返ると――、
「ふごっ!」
背後にはあの白いレスラー熊公が回り込んでいた。
弾力のある白い毛皮に顔面から飛び込み、そしてモフッ! と腰に回る着ぐるみの腕のような感触。
その瞬間頭に浮かぶのは紅坂朱音が喰らった鉄拳制裁代わりの投げ技モドキ。
圭哉は顔面を覆い尽くす生地で息が苦しくなりながらも抜け出そうとする。
「ふごっ! もふごふ――ぶはっ。待ってくれ! こっちはこんなことしてる暇なんてねえんだ……よ?」
必死にもがきシロクマのホールドを抜け出すと、今度は子ザルのぬいぐるみがひょこひょこ歩いてくる。
サルが頭の上に両手で掲げたタブレット端末の画面には、
『ドッキリ大成功』
と、女子中高生が使いそうな可愛らしいフォントで書かれている。
「この……、サディスト先輩っ」
それを見て圭哉は自分が揶揄われたのだ、と理解した。
非が自分にあるせいで怒るに怒れず、圭哉がぎこちない苦笑いを浮かべていると涼しい顔で久々津が傍に寄ってきた。
「あらあら、おイタした後輩君にお姉さんからのちょっとしたお仕置きですのよ?」
これでチャラにしてあげる。それを示すように、久々津が今度は本当にお茶目な微笑を向ける。
それも手すりに手を置きウェーブのかかった髪が風に揺れる姿は、まるで映画のワンシーンのように画になる。
「だから俺には……いや、紅坂を巻き込んだのは悪いと思ってますが、それは――」
圭哉はそれしか手段がなかったとはいえ、中学生に問題行動を教唆したことに違いはない。
目の前の光景に動揺しながらも、それでもノアを救いたいという一心だったのを口にしようとするが言い淀む。
彼女も後輩を危険にさらしたくない、圭哉と似た思いを抱いていると気づいたからだ。だから、こうして釘を刺しに来たのだ。
「知っていますわ。朱音ちゃんとOHANASHIしてきましたので。(……あの子が必死に誰かを助けようとする人間を見ない振りするなんてありえませんし)
「先輩?」
「なんでもありませんわ。だからこれ以上どうこう言うつもりはありません。ああ、それとここにいる理由ですが――わたくしと朱音ちゃんは、未登録の船舶がないかの抜き打ちチェックのためです」
学園区の警備には学生主動の風紀委員だけでなく、さらに上の治安維持機構が設置した警察組織もある。……あるのだが、学園区には戦闘が可能な異能者はそこまで多く割かれていない。
その理由は学生ばかりの学園区は襲われるリスクが他より低く――なにより、学生の中に大人の異能者より強力な異能者もひしめいているからだ。
学園区風紀委員はそんな人手不足になりがちな学園区の治安維持を優秀な生徒で補うために考えられたシステムである。なので行事の警備は風紀委員の仕事の一環でもあるし、このイベントの警備担当に朱音と久々津の二人が入るのもありえる話ではあった。
「この仕事って――お給料が高いのはいいのだけど、お金を使う暇がないのよね。たまにはゆっくりイベントを楽しむ側になりたいわ」
幕状ディスプレイにチラッと視線を向ける久々津。それに釣られて圭哉も『学生釣り大会』の告知を目にする。
大会の見回りは当日だけでなく、
登録されていない船舶はないか――
不審者(物)はないか――
屋台で遊ぶ学生異能者の風紀取締――
等々。風紀委員はそういったパトロールも行なっている。けれどもこの二人となると話は別だ。
(確かにイベント前の会場を風紀委員が見回っていてもおかしくない話だが、紅坂がここにってのは偶然にしちゃ……)
人目に付いて困るのは違法に潜入している魔術師はもちろんのこと、ルールブレイカーを秘匿したい圭哉も見られたくない側の人間である。
「風紀委員が関わって、上の治安維持にも出てこられると困るんですけど?」
ウッキウッキ鳴きながら軽快な動きを見せるさっきの子ザルが、煽りに使う為だけに持たされていた支給品のタブレット端末を久々津に返す。
「あら、何の事かしら。わたくしたちは風紀委員のお仕事に来ただけ。『まさか今回に限って、どこぞの国の武力組織が紛れ込ませた密入船が――』なんてあるわけないでしょう?」
久々津の態度は「見つけても上に報告するつもりはない」というあからさまな意思表示である。
さっき紅坂の違反行為を追求したにもかかわらず、彼女自身が率先して職務放棄を行ない、てっきり介入してこないと思ってた紅坂もここにいる。
「どういうつもりですか」
訝しむ圭哉に向かって、久々津は口を尖らせて答える。
「わたくしにとって風紀委員という役職はそこまで重要なものじゃありませんわ。別に将来、治安維持機構に勤めようとも思っておりませんし。それにわたくしには朱音ちゃんの方が大事ですもの」
「ならなぜこんな場所にあいつを。手を貸してもらえるのは素直に助かりますけど、紅坂と他国の異能者で戦闘になって欲しくないのは先輩も同じでは?」
「知らない場所で無茶されるくらいなら、譲歩して一緒にいるしかないでしょ? そもそもここの担当になったのは本当に偶然ですもの。ちなみに朱音ちゃんが悪さしていたのはここにある風紀委員事務所に寄っていた時よ? 本当……、妹大好きお姉ちゃんとしてはボーイフレンドに夢中な妹って複雑な気分なのよねえ」
最後は冗談めかして言っているが、半分以上は本音なのだろう。その証拠に嫉妬という圧が圭哉の肌をチクチクと刺していた。
圭哉にしてみれば、いい迷惑だ。自分と朱音との間にあるのはひと夏の思い出でも、ボーイミーツガールでもない。
そもそも紅坂朱音が抱えてる物は――、
「そんなピンク色なモンじゃない。もっとどす黒い怨念、の間違いでは?」
「ふーん。そう、あの子が抱えてる物――それは両親を殺した者への復讐よ」
「やっぱり……」
ずしりと、罪悪感にも似た感情が胸の中に広がる。




