彼女の行方
2164/07/29 08:29
ノアが居ないことに気づいたのは、圭哉が眠気覚ましのシャワーから出た後のことだった。
疲れ切って眠りこけた最初の朝とは違い。次の日以降は朝早くから解析を行なう圭哉と一緒にノアも起床していた。
いつもならとっくに起きてるはずの時間、にもかかわらず彼女は起きてこない。
念のため彼女の借りている部屋に確認へと行った圭哉は、誰もいない部屋と書置きを見つけた。
『みじかい間でしたが、お世話になりました。やっぱりわたしはイギリスに返ろうと思います。ありがとう、ケイヤ』
「……ふっざけんなよ!」
へったくそな日本語で書かれたそれを圭哉はぐしゃっ! と握りつぶして地面へ投げつける。
「どうした、白上?」
その怒声とも取れる圭哉の大声を聞きつけて、天海も部屋にやってきた。
「ノアが行方を眩ませました」
それを聞いて天海は彼の足元に転がる、くしゃくしゃに折れ曲がった置手紙を拾う。そしてそれを読んだ天海はすぐさま小走りでどこかに移動していく。
部屋から出た天海を圭哉が追いかけると、リビングに置いたままだった端末を手に取って何かを見ていた。
「――三十分前か」
圭哉も天海が確認しているのがガードドッグの監視映像で、彼女がいつ出て行ったのかを調べているのだ、と察する。
人が出入りするとログが残り、確認するのに十秒とかからない。
最後に人の出入りがあった場面を再生すると、自分の足でエレベーターに乗り込むノアの姿があった。
「今から追いかければっ」
「待て!」
それを見た途端圭哉もエレベーターに向かおうとするが、それを天海が止める。
「なんですっ、先生! 早く行かないと――」
「どの方角に行くか確かめてからにしろ」
そう言って彼女は端末を操作し一階エントランスの映像に切り替わる。
なぜエントランスの監視カメラも? と疑問を持つが、このビルが先生の父の所有物だということを圭哉は思い出す。
過保護らしい彼女の父親だ、ビルの管理者権限を与えられていてもおかしくない。
「こいつは……誰だ?」
「あの時のっ――。あいつは追手の魔術師です」
エントランスでは『黄金の黎明』の魔術師、マレウスが待っていた。まるでノアが出てくるのを知っていたようなタイミングに、名状しがたい不安が圭哉の中にじわじわ広がる。
「イギリスに帰るってのは本気のようだな」
ノアは抵抗する様子もなく、マレウスの後ろを素直について行く。それを見た圭哉は、
「どうして……」
と、自分でもわからない感情で胸が絞め付けられる。
なぜ突然、帰ると言い出したのか。圭哉は当然な疑問を誰もいない空間に投げかける。
正解なんて期待してなかった。処理しきれない感情を口にして吐き出したかっただけなのだ。
けれど――
「答えが知りたいですか?」
あの青い鳥が圭哉の前にも現れた。
足止めのために話しかけてきた?
相手の目論見を脳内で考えるが、そうではないと監視カメラの続きを見て考え直す。
ノアはビルの前に停まるキャンプカーらしき車に乗せられたからだ。これでは今から走って追いかけても到底追いつけやしない。
怒鳴りたくなる衝動を仕方なく押えて、魔術師から情報を引き出そうと話に乗る圭哉。
「その声はマレウス。どうして鳥からあんたの声が……、ロボットか?」
鳥の口から聞こえてくる声の主はコンビニの前で一度話をした中年の魔術師。いったいどういう仕組みなのだろうか?
鳥の体にスピーカーらしきものはない。それどころか体のどこにも――半透明な体内にも音響装置らしきモノが見当たらないのだ。圭哉は得体のしれないモノを見るような目で見ていると、
「魔術による簡易的な使い魔です。それに今気にするべきはそれじゃない。道具の全てを理解する必要はない、大事なことはそれがどういう機能を持ってるか、そうでしょう?」
確認するような口調でマレウスは圭哉の疑問に答える。
『道具は使う人間が全てを把握する必要はない。大事なことはそれがきちんと使いこなせるかどうかだ』
この男は圭哉が昨日ノアに言ったことを知っている。つまり前から自分たちは魔術師の監視下にあったことを、言外に告げているのだ。
「最初に会った時からつけられてたか」
「あそこでシメイの魔女を見かけたのには私も驚きました。日本では青天の霹靂というのでしたか。なので使い魔を尾行させていただきましたよ。それからずっと」
ずっと、ね――それを聞いて天海は眉をひそめる。
「女の部屋を覗く男か――魔術師ではなく変質者と名乗った方がいいんじゃないか?」
「失敬。ですがこれでも妻一筋なんですが……。それとわたしは別件で動いていたので見ていませんよ。監視はセリスが担当していましたので」
天海の皮肉を男は心外そうに弁解する。
彼の言うことを信じるなら監視は魔女のほうがしていたらしい。確かに影という性質を考えれば、魔女の方が監視に向いているかもしれない。あの直情的っぽい性格では真面目に監視していたか怪しいモノだが、問題はそこじゃない。
「――どうして今まで動かなかった?」
最初の交戦から三日もの間、ずっと静観していた。都市の上層部から荒事の許可証を持つらしいこいつらが動かった理由がわからなかった。
「それは彼女が途中で諦める確信があったからです」
知った風な口を利く。
いや、実際こいつらは圭哉以上にノアを知っているのだ。最初から「ⅢⅩ」を受け入れていた節のある彼女に、否定する材料が見つからない。
それでも……。
彼女がこれ以上望まぬ魔術を使い続けるのを受け入れてしまっていいのだろうか?
そんなバッドエンド――本当に認めてしまっていいのか?
魔術でできた鳥は圭哉の黒い瞳の奥を見通そうと、じっと凝視する。
「とは言っても、君は何も知らず受け入れられるでしょうか? ええ、そうでしょう。あのような胡散臭い恰好の――」
そこで魔術師の使い魔がフリーズしてしまう。遠い声で「胡散臭いとは何ですか!」「申し訳ありません、少々一般的な常識で物を話をしてしまいました」「それってわたしに常識がないって――」
と、口論する声が聞こえてくる。
ノアの元気そうな声だ。
圭哉はひっそりと胸を撫で落とす。
「失敬、少々抗議がありました。それで、見知らずの少女を救うため今まで奔走してきた君が、私の言葉で素直に諦めるとは思っていません。まさかここまで躊躇いもなく死地に向かおうとするとは思いませんでした。なので――」
説得は彼女に任せます。
そう言い残して男の声が遠くなる。そして代わりに聞こえてきたのは、
「ケイヤさん」
ノア本人の声である。




