少年の異能
気恥ずかしさの残る食卓で少し焦げたチャーハンを食べた二人は、ノアの思いつきで実験を行なうこととなった。
実験と言っても、魔法陣を描いて謎の呪文を唱えたり――、トカゲの尻尾やらなんやらを鍋で煮込んだり――、なんて怪しい儀式をやるわけじゃない。
「鉄、金、銅、アルミ、ニッケル、クロム。ペンデュラムはどの金属とも類似反応はでませんか。できれば結社からサンプルに使うミスリルなどの魔法金属を持ってきたらよかったですね」
調べるべくは白く歪な刀擬き。
魔術を打ち消す力を持つ圭哉の切り札であるのだが、『必要なトリガーは刀身が魔術に触れる』ということ。
最初はどんな金属でできていて、どのような魔術技術が組み込まれているのか調べていたのだが……。素材は一般的な金属とは当てはまらず、魔術的な仕掛けも一切見つからなかった。
業を煮やしたノアは刃が無いのをいいことに――刀を頭に擦り付けたり、舐めてみたり。その様子をドン引きしながら見ていた圭哉にノアは刀を渡して、寝転がる自分を突くよう依頼した。
「さあ、ケイヤ――遠慮なくどうぞ」
「遠慮なくね……これに意味なんてあるのか?」
いったい自分はなにをさせられているんだ。
マッサージのようにノアの腰に金属棒を押し付けながら悩む少年は『そもそも魔術とは何なのか』、という根本的な質問を床にへばり付いて思考している魔女に投げかける。
「魔術とは生命や意思、感情から生じるエネルギー『マナ』を使って超常の力を起こす技術なんです」
彼女の魔術とはなんたるかの説明は、やはり異能と通じる物があった。
『異能とは人が無意識に発散させている生体エネルギーを操って、多様な事象を起こす技術』
やはり、魔術と異能の根源にあるものは同じなのだ。
それからさまざまな試行錯誤をする二人だが、こんな事でグリモワールとの契約を壊せないのは『過去の行いから知っていた』。
「やっぱり発動する気配はありませんか」
「だから無理だって言っただろ。昔、異能契約アプリを破壊できないか試したことがあるが、そんときも傷ひとつ付かなかったんだよ」
過去に異能者を辞めたがっていた友人のために、異能契約アプリがインストールされた端末を何度も異能で叩き潰そうとした。
その結果は彼が言った通り。物理的手段でも、圭哉の異能でも契約の破壊はできなかった。
それ以前に――、
溶鉱炉に落とそうと、
ロードローラーで踏みつぶそうと、
薬品で浸けようと、
あらゆる干渉を撥ね退け、契約者の生体エネルギーを電力に変換して動くのが異能契約アプリに含まれる機能のひとつなのだ。
高天原の科学者も降参と同時に「現代科学を以てしても破壊不可」という結論を出していた。
「むむむっ、そちらの契約書は携帯端末を使った電脳魔導書でしたっけ。それがわれわれの知る紙のグリモワールと同類なら、簡単に傷つかないのも当然です。何せ魔術史にも残されている魔神級魔術師でも破壊できず厳重に封印していたそうですから」
「なら俺の力でも無理じゃないのか?」
「いいえ、ルールブレイカーだけは別なんです」
「ルールブレイカー?」
剣を具現化する異能とは別の今まで名前もなかった、もう一つの異能。異能殺しとしかわからなかった力の正体を垣間見る瞬間がやってきた。
「西暦よりもずっと古い時代。それは神代と呼ばれる時代から魔術師の間で語り継がれてきた対魔術最強の魔術。あるべき摂理が崩れた時、その均衡を正すために生み出される世界の抑止力。それがルールブレイカーです」
御大層な話をしているが彼女は現在床に寝そべって、圭哉に「ほわー、そこがいいです。ただもう少し強めでお願いします」とマッサージをさせている状態であると明記しておく。
そんな仕事帰りのOLがマッサージ機に捕まったような、人には見せられない表情でノアは説明を続ける。
「現代ですら影響を残し人類の三割に及ぶ数十億の信徒を持つ聖人、神の子を殺すために生み出されたロンの槍。スサノオノミコトが八人の魔王級魔術師を殺したとされる際に持っていた天羽々斬剣もルールブレイカーの一種だったのでは、とわれわれの間では言われてたりします」
とは言われても圭哉は「はあ、そうですか」しか答えられない。魔王級というのがどれほどの力を持っているかなんて知らないが、クラスS異能者と同等かそれ以上だというなら――信じられる話じゃない。
疑似太陽を八人同時に戦えといわれて、圭哉の持つ刀一本で勝てる気がしないからだ。
「俺の異能はそんな大層なもんじゃねえぞ」
「『今は』です。このルールブレイカーは完全じゃないのですから」
マッサージを終わりにして、ノアはごろんと仰向けに転がってルールブレイカーの先端に触れる。そのまま少しシャツのはだけた左胸と鎖骨の中間――心臓のある場所に切っ先を押し込む。
そして「やっぱりだめですか」、と呟く。
凝視するような事はしなかったが、そこにはセリスの舌にあったのと同じような刻印が刻まれていたことに彼は気付いた。
マシュマロのように形を変える少女の膨らみに、圭哉は赤くなった顔を逸らして聞き返す。
「完全じゃない?」
自分で聞いておいて、それもそうかと思い直す。彼の具現化するルールブレイカーは刀に形を似せた金属の棒でしかない。
刃もなく、柄もなく、鍔もない。焼き入れや刀の構造なんか意識したこともない。
これを刀だと言い張れば、刀鍛冶にしばき倒されるに違いない代物だ。
ただパソコンのソフトに最初から入っていたサンプルデータを流用するように、ルールブレイカーモドキを使っていたに過ぎないのだ。
「魔術において物体を顕現させる能力――例えばセリスが使う『影の従者』のような高性能ゴーレムなどですか、事前に必要な情報を刻んだ何かしらを使います」
「影の怪物を呼ぶ時に指輪を舌に近づけてたが?」
「あっえーっと、正面から直接見たわけじゃないので断言できませんが……それです。体に刻まれた刻印が魔術の起動キー、指輪の刻印が魔術を保存しておく記憶領域とでも言えばいいでしょうか。構造が単純な魔術なら脳だけで処理できますが、複雑な魔術を補助無しに使うのは困難ですからね」
そこで一度区切り「いいですか、ケイヤ?」とここからが本題なんだと念押しする。
「このルールブレイカーには顕現に必要な情報が不足しているのです。ケイヤ――あなたはどこかでオリジナルのルールブレイカーを手にしたことがあるんじゃないですか?」
「……おまえもか」
昨日、紅坂朱音がした質問と同じことをノアにも聞かれた。




