抑止力のルールブレイカー
高天原は直径一〇キロある円形の四つの人工浮島――南西に学園区、南東に研究区、北に生産区、そして中央に行政区――を橋で連させた島群である。
それぞれの島の中心にはメガフロートを安定させるため意図的に作られた『重り』の役割を持つ建造物群があり、月野の住居がある高層ビルもそのひとつである。
そんなビル群の足元に一台の大きな車両が停まっていた。
「――っ、あんたか、ここはどこ」
圭哉によって気絶させられたセリス。彼女が目覚めると真っ白な、医療施設にも見える室内にいた。
一瞬だけあいつが回収をしくじったのか、と思うが見知った顔を視界の端に見つける。そして、自分の置かれた状況を全て思い出した。
(隔離結界の維持にマナを使ってさえなければ……、従者の複数顕現でも女王でもやりようはあった)
と、反省するセリス。
救助してもらって感謝のかの字もない彼女だが、椅子に座って端末を覗く金髪の中年マレウスは特に気にする様子もなく答える。
「日本本島で入手して持ち込んだキャンプカーです」
「キャンプカー?」
目立つものを持ち込んだな、と気だるげなセリスは思う。
しかし、高天原は科学の領域だ。魔術への警戒は薄く、認識阻害の細工を施せば何も知らない民間人相手ならそうそう記憶に残ることもあるまい。
それに……機械が監視していない寝床というのもありがたい。
セリスが安全地帯に緊張していた意識を緩めると、それを知ってか知らずか。マレウスも似たような理由を話す。
「ここは敵地、盗聴を気にする必要のない移動拠点はあっても困りません。それに長期戦となった場合も考えてです」
「そう……、相変わらずネガティブなのか、用意周到なのか、答えに困る準備っぷりなことで。てっきりノアを高天原に売り渡して、ここに永住するつもりなのかって思ったわ」
「冷たい娘ですね。もう少し私を信用してくれても――」
「騎士団を裏切って魔術結社へ来たくせに?」
裏切りの騎士。それが数あるマレウスの呼び名の一つである。
簡易魔術道具で武装する騎士団と、セリスのような魔導書を所有する魔術結社の二つがイギリス――ひいてはEUの裏の治安を守る主要勢力となる。
近い縄張りを持つ組織同士、仲がよろしくないものはよくある話で。当然、彼の移籍は穏便なものとはいかなかった。裏切りというのもその時に付けられた蔑称である。
そんなセリスの物言いにマレウスはただ静かに「……ごもっともで」、と反論もせず同意する。
「まっ、ぼくにはどうでもいい話か。それよりルールブレイカーがまさか日本、それも高天原で生まれるとは思わなかった。その上、異能という形で人間が所持するなんて――ありえない」
セリスは起き上がり寝かされていたベッドの縁に座り直す。そして自分が遭遇したモノについて話し始める。
自身の敗戦だ。決して気分の良いモノじゃないが、話さないわけにもいかない。
あの男が持っていたのはたしかに魔術師の天敵だったのだから。
魔術、神、聖人、そういった人を超越した神秘に対して、絶対なる力を持つ道具を魔術師の間では『ルールブレイカー』と呼んでいる。
「有史以来、魔術を無効化する伝承魔術具が直接確認されたのは両手の指で数えられるほど。一〇年ほど前に一度日本で発見されたと噂されています」
「それが白上圭哉だと?」
「いえ、一〇年前となると彼はまだ五歳やそこらでしょう。まだ異能に目覚めた時期ではないはずです。そうなると日本で二つのルールブレイカーが存在していることになりますが……」
そもそも異能としてルールブレイカーが存在すること自体がおかしな話だ。
なぜなら『魔術や異能で作った』ルールブレイカーは、それ自体も打ち消される……と言われている。まるで不正に作ったルールブレイカーを許さないという世界の意思であるかのように、自らの力で自壊してしまうのである。
古い歴史を持つ彼らの魔術結社はルールブレイカーの発生する条件をある程度把握している。
それは神秘に対する憎悪である。神秘を拒絶する強い感情から生じる膨大な生体エネルギーが必要となる。それこそ何百何千何万という犠牲者――均衡の破綻があって初めて、術理、摂理、世の理、その万象を破壊する抑止力が生まれる。
では白上圭哉がそれに値する憎悪を持つと言うのだろうか。
『ありえない』。
人間如きが単騎でルールブレイカーを生み出せるはずがない。
それこそ人の枠を超えたマナを生み出す魔神級魔術師ですら、この世の理を捻じ曲げることができても消し去ることはできない。ルールブレイカーは狂った摂理を修正するための救済、それを神であっても所持は許されない。
現に過去のルールブレイカーたちはその役目を終えた後、ほとんどは消失か行方不明となった。
「何か知ってんでしょ。日本に来る前、ルールブレイカーの存在をほのめかしたのはあんただった」
「私はただ大魔術師から聞かされていただけですよ。『シメイの魔女が魔術殺しを持つ少年に殺されるため、高天原に向かった』、と」
それを聞いたセリスはうら若き乙女にあるまじき声で「はあ?」と、半ギレ気味に怒りをあらわにする
「ぼく、そんな話聞いてないんだけど? 日本の高天原に逃げたってしか言ってないじゃん」
明らかに重要な情報を隠していた同僚に向かってセリスは全力で枕を投げつける。
「言ったら一人で突っ込んでいた、違いますか? 現に魔術殺しと交戦しているではないですか。私は言いましたよね? 『合流するまで見つけても監視にとどめてなさい』、と」
と、車体も揺れる速度で投げられたそれを片手でキャッチしたマレウスは、冷静な口調で猪武者なセリスの行動を諫める。だがしかし、それを素直に受け取ってくれるなら反抗期の父娘みたいな関係にはなっていない。。
「そんなことどうでもいい。それよりさっさとあれを回収してイギリスに帰るから」
白上圭哉以外にノアと関わりのありそうな部外者は出てこなかった。その時点でセリスは組織ではなく、あの青臭い少年は正義感で動く単独であると推測している。
ならば他の勢力が出てくる前に、迅速な回収をしようとするのは猪とは言わないだろう。と、考えて早々に動くことを提案した。
「残念ながら、それは許可できません」
が、またもマレウスがそれを止める。
「は? どういうつもり?」
さっきの怒りがぶり返して、不機嫌な声でセリスは問い詰める。
「どうやら彼女を保護したのは、あの『天海』の娘のようでして」
「知らない」
即答する娘に父は言葉が詰まる。
欧州から遠く離れた東の果てとはいえ、高天原が所有する特級魔術師に相当する強者をしらないというのか?
と、呆れている。
マレウスが仕方なく一から説明を始めようとするもそれを遮って、セリスの「長々とした説明はいらない。簡略に」のひと言。『頭痛が痛い』と言いたくもなる。
「はあ……、彼女の父は特級に匹敵する異能者です。敵に回すのにはリスクが高い」
「ふーん。でもそれならどうするつもり。向こうが諦めてノアを差し出すのを待つ? 学校が始まる九月までこのくっそ暑い日本でバカンスでもする? ぼくはそんなの嫌だから、さっさとイギリスに帰りたい」
どうやらセリスは日本に苦手意識を植え付けられたようだ。民間人に敗北し、湿気のせいで顔を隠すマスクがいつも以上に不快、さらには辺りを当然のように歩き回る科学によって育てられた異能者たち。
魔女にとって安心できる要素が何一つとしてなかった。ここはまるで科学というカルトに支配された狂信者の街のように感じられた。
「同感です。争奪戦から世界大戦に発展するなんて、私も御免被ります。ただ数日様子を見ます、あなたを回収する前に少し仕込みをしてきましたので。その間、セリスは影で監視を」
『数日様子を見る』
その言葉に魔女はバタンッ! と、再び少し硬いベッドに寝転がる。
最悪だ。
世界の終わりを見たような顔でセリスはそう呟き、「そっちは?」嫌々協力している相棒は何をするのか尋ねる。
「他勢力の動きを探ります」
「りょーかい。ねー、監視はいいけどさー。あれ持ってない?」
マレウスはベッド横にある横開きの収納を指差し、「そこの扉です」と言って、立ち上がる。
それに従って扉を引くとボトルサイズのガムが入っていた。コンビニで買える一番サイズの大きいモノだ。
「ん……、ミント?」
「量で選びましたので。どうせ膨らませるのが目的でしょう?」
「ちゃんと味わってるっての」
話が終わって離れていくマレウスに文句を言いながらも、セリスは二粒のガムを乱暴に噛み砕いて、ふーっと風船を作った。
(『他勢力の動きを探ります』、だって? こそこそ黙って動いてんじゃないわよ。ルールブレイカーなら、あの子を解放できるのね?)
大きく膨らんだ風船を再び口に入れて――、彼女は口の端を吊り上げた。




