一時の休息
「高そうなビル。先生ここに住んでるんですか」
「ほえー、ずっと見上げてると首が痛くなりそうです」
物理的にも家賃的にも高そうな三〇階の高層ビル。本島にならこれを超える超高層ビルなんて数多く立ち並んでいるが、高天原のメガフロートという立地を考えれば十分に高い建造物である。
まるで高級レストランにドレスコードも考えず入ってしまったような、緊張でガチガチに固まる圭哉と、のほほんとした感想を漏らすノア。
そんな二人の子供が物珍し気にきょろきょろしてる横で、天海は付き添いのガードロボの足を綺麗にしていた。
「わかってる、社会人になって三年の高校教員が住むのに不相応ってのは。これは父の持ちビルでな……、安全のためにここ以外での一人暮らしは認めない、だそうだ」
「愛されているんですね」
「過保護過ぎるのよ」
彼女の部屋があるフロアには専用のカードが無ければエレベーターが止まらない。それほどセキュリティがしっかりした住居であった。
「ここにも非生命体従者のわんちゃんが――」
「……過保護の父、以下略だ」
同行していた鉄の犬と同型のガードロボが三台も番犬をしていた。ここまで過剰な警備に先生の父親はどんな人間なのか、興味の一つも湧いてくる。
「どんな人なんですか」
「父か? まあ、ちょっと有名な医者さ。それ以外は特に変わったことはないが」
「医者……なるほど、どおりで」
高天原の最先端医療の中でも有名と言える医者なのだ、世界有数の医者と言っても過言ではない。であるならば、天海がこんな部屋で暮らすのも当たり前だった。
「――ケイヤ! 見てください! 景色が凄いです!」
さっきまでどちからといえば精悍なガードロボをかわいいと戯れていたノアが、今度は外の見えるガラス張りの壁にへばりついている。
高天原の学園区を一望でき、隣人もいないワンフロア貸切で子供二人が泊まっても部屋が余るほどである。同じワンでも圭哉のワンルームとは大違いだ。
「おっ、そんな良い景色なのか」
「はい! まるで空中にいるみたいです。こんな景色初めてです」
「イギリスから日本へいらっしゃった魔女さん? おまえさんはここまでどうやってきたんだよ」
宇宙旅行だって比較的手の届く場所にある時代に、まさかイギリスから船旅でやってきたわけじゃないだろう。
もっと高い景色を飛行機の窓から見ているはずのノアに呆れながら指摘する。しかしノアは忘れてました、なんて顔をせずむしろ戸惑っている。
「あっ、えーっと。実はそのあたりは記憶が無かったりして……」
「記憶がないって……、まさか高天原の無許可侵入だけじゃなくて密入国の可能性も?」
「わ……わかりません。気付いたらここにいたんです」
ノアは涙目でキョロキョロしだす。本当に記憶がないらしく、パスポートがどこかに無いか必死に服の中を探している。
「聞かなかったことにするわ。私の生徒じゃないし」
唯一の大人に裏切られた!?
家にまで連れてきて及び腰になる天海に圭哉はちょっと待った、と逃走しようとする彼女を阻止する。
「ちょっ、先生ずるくないです? さっきカッコいい事言ってたじゃないですか!」
「だって先生、国家公務員だもん。自首して祖国に帰りな、としか言えないから。ということで晩御飯の用意でもするか……、もうデリバリーでいい?」
「ちなみに先生の奢りですか?」
「今回だけな」
「あざーっす! 自分、親子丼で」
「……? ケイヤ、さきほど買いました――」
非常食、そう言いかけたノアの口を圭哉は急いで塞ぐ。
(今の俺の気分は親子丼なんだよ)
なんならセリスに遭遇する前から彼の口は親子丼を食べる口になっていたのだ。
それなのにノアが激辛焼きそばなんて作っても、圭哉が食べさせられる未来しか見えない。予知能力のない圭哉にだってそんなこと簡単にわかる。
「(黙ってろ、ノア。せっかく先生が奢ってくれるんだから、それは今度だ。それに他の――カップ麺って日本食か? いや今そこは重要じゃない、とにかく日本料理も食べてみたいだろ)」
「(それもそうですが――、わかりました。ケイヤがそこまで言うなら従いましょう)」
「(いや二、三百円のカップ麺より、一〇〇〇円の外食のほうが美味いからな? そんな俺が我儘言うから仕方なく――みたいな言い方すんなよ)」
「仲がいい事で。ほら、じゃれ合ってないでさっさと注文するもの選びなさい」
天海の携帯端末を渡された圭哉は一分とかからず注文を済ませるが、その後長々と目移りして悩むノアに付き合わされるのだった。
ケイヤケイヤ。
変な鳴き声のように白上圭哉を呼ぶのは満腹でご機嫌の湯上り英国少女。
美少女に軟膏を塗られて包帯で巻かれるという看病なんてあったが、圭哉はソファーに座ってゆっくりしているところである。
部屋の一角ではノアが宝石のような碧眼を輝かせて、テレビの横にある収納棚――中身を隠す黒いスクリーンがかかっており実際はコレクションラックのようだ――を開けっぴろげにして中身を無遠慮に調べていた。
家主が不在なのを良いことに、ノアは自分の好奇心のまま目に入った物を見て回っている。ただフォローしておくと彼女に悪気は無い、ただ高そうな部屋と日本文化に興味津々なだけなのだ。
「これはなんでしょう?」
「……」
そこに並んでいるのはプレーヤーで再生するアニメの、所謂円盤と呼ばれるデジタル記憶媒体の入った箱と紙媒体の漫画である。
その中でノアが手に取ったのは大きな存在感を放つ美少女フィギュア、の隣にある『魔法少女クルミ』とタイトルがでかでか書かれたファンシーな箱。日曜朝に放送されていたよくある女児向けアニメという奴だ。
持ち主はもちろん現在風呂場で鼻歌を歌いながら入浴中の天海美鈴、二――歳の成人女性である。
さすがに他はもう少し対象年齢の高いアニメが多いけれども、どうも少女向けアニメが大半を占めている。
「円盤なんてコレクション目的かよほどのファンぐらいしか買わないだろ――」
「円盤? コレクション? これの中身は何なんでしょう」
未開封の封を引っぺがす所業はしないが、箱の裏面を見ながら魔女が魔女っ子物のアニメ絵を興味深そうにガン見している。
「アニメのディスクなんて見る機会ないよな」
圭哉の言うとおり。今時のアニメはネット配信か、ハードディスクに直接DLするかの二択だ。わざわざ場所を取るボックスを買うのは収集目的であったり、オマケ目的――つまりはプラスアルファが重要だったりする。
学生が運営する学園区情報サイトで、女性にモテる男性教師ランキングで上位に入ったりする天海。その彼女の意外なオタク少女趣味を覗いてしまった圭哉に、気まずさが込み上げてくる。
「それよりもノアさん、ひと様の趣味を勝手に覗いてはいけません」
「えー、漫画読んでみたいです。ほら日本語の勉強にもなりますし」
「俺が先生に上手く地雷を避けて聞くから! ノアは絶対地雷を無意識に踏み抜いて駆け抜けるだろ」
箱を元の場所に戻して目隠しのスクリーンを元に戻そうとする圭哉と娯楽を欲するノアの二人が言い争いをしていると、
「……白上、レディの部屋を漁るとはいい度胸だな」
ギッギッギッ。
壊れかけの模型を動かすようにゆっくり慎重に首を回す圭哉。その手には運悪くノアから回収した女児向けアニメの箱が……。
「先生、違うんすよっ。ノアが家探しを――」
「洩らしたら……」
天海の長く長く溜めた間の後、
「あることないこと、あいつらに話すからな」
と、執行猶予付きの判決を出される。
あいつら――天海に熱狂的な好意を向ける女子生徒に告げ口するぞ。そう脅されて圭哉は顔を青くして何度も頷く。
「――イエスマム!」
そんなプチ裁判が行なわれる横で、
「ミレイ! ここにあるの読んでもいいですか?」
マイペースな魔女は娯楽に飢えていた。




