死神の正体
隔離結界の外に出た二人は当てもなく街を歩く。
空はオレンジ色に染まり、逢魔が時は魔の代わりにプロペラとカーゴを背負ったドローンがいくつも飛び回っていた。
「どこか落ち着いて話ができる場所を探さないと……な」
少年にノアの抱えている物を知る覚悟は決まった、とはいえそれも安全な場所に腰を落ち着ける方が先である。相手は画像だけで、名前どころかランクも調べられる情報網を持っている。自分の家に帰るのはリスクが高すぎる。
今わかってる追手は彼女が所属していた「黄金の黎明」の魔術師のみ。他の組織が介入するのも時間の問題らしいが、ノア曰く高天原と真向から敵対するリスクが高く根回しにもうしばらくの時間がかかるだろう、と。
「精神系の異能者も、これを見たら鬼の形相で握りつぶすだろうな」
圭哉は心臓のある左胸の上に貼りついた紙切れを見ながら言う。
ノアが魔術結社から持ち出した簡易魔術具のひとつで、他者の認識をずらす契約刻印が刻まれているらしい。顔を知っている相手には効かない欠点はあるが、見知らずの通行人ならボロボロの圭哉を不審に思うこともなくそのまま通り過ぎていってくれる。
「ふっふっふっ、魔術も異能に負けてないでしょう?」
若干うざく感じるドヤ顔で胸を張るノア。追手を退けたことで安堵したからかもしれないが、うざいものはうざい。
「自慢はいいから、そこのコンビニで必要なものでも買ってきてくれ。腹減ったし、喉も乾いたんだ。あと打撲用の軟膏――なかったら湿布でもいいわ」
「えっ、えーっと」
「ん? 買い物ぐらいできるだろ? まさか買い物もしたことがないくらい箱入りか?」
「そんなわけないじゃないですかー、あはは」
認識阻害の契約刻印があるとはいえ、声をかけてしまうと効果が切れてしまう。そんな状態で怪我人の圭哉がレストランやコンビニを利用できるわけがなく、仕方なく魔女っ子の恰好をした変人に頼るしかないのだが……。
ただお使いを頼まれたノアは恥ずかしそうに「お金、もってないです……」と明後日の方を向く。
「わーってる。ほら、ノアの分も俺の端末で払え。余計なモノは買うなよ?」
「はーい」
大手チェーン店の自動ドアにおっかなびっくりで入っていくのを見届けて、圭哉は疲れ切った体を引きずるようにしてコンビニの壁へ近寄る。
「ふー、これからどうすっか」
「我々に彼女を返却して頂いても構いませんよ?」
壁にもたれ掛かった圭哉のすぐ隣で男の声がした。そこには自分と同じように壁を背にして、サングラスを指でくいっと持ち上げる男がいた。
「――は?」
認識阻害の効果が効かない――七三オールバックの三〇代から四〇代、金髪中年。
真夏にも関わらずサラリーマンみたいな白い上下のスーツと中は青いシャツ、首に猫の肉球柄ネクタイを巻き、丸形のサングラスをかけた……顔は神経質そうだが引き締まった肉体の日本人ではない男。
「ほわああああ!? あっ、あんた誰だ! あいつの仲間か!?」
あまりの驚きに変な声を出して圭哉は背中を預けていた壁から跳ねるように離れた。
警戒を解いたつもりはない。
気を張り詰めていたとまではいかないが、隣に立たれて気付けないほど油断していたつもりなんてなかった。
タダ者ではない、素人でもその佇まいと纏う空気だけでわかる。
「私はマレウス。あいつ――とは『影の従者』のこと、しょうか」
セリスの魔術名を聞いて、圭哉は確信する。こいつも魔術関連の人間だということに。
すぐさま戦闘態勢に入ろうとするが、それを男の方が制止する。
「こんな場所で戦うつもりはありません。それに――私は先にあの子を回収しなくてはいけませんので」
たしかセリスは魔術師が魔術名で名乗った場合は殺す意思表示だと言っていた。ならば男が名前を名乗ったのは、戦う意思がないのが本当だからか。
「随分冷静に話すんだな。仲間がやられたんだぞ?」
「死んだわけでも、辱められたわけでもない。それどころか見逃してもらえたというのに怒るなんて、私は子供でも恥知らずでもありません」
魔術師が戦いで負けて命を奪われなかった、これ以上の幸運はない。
他人事みたいに淡々と話す男だが、冷酷――というわけではないようだ。その証拠にセリスを心配する感情が眼に現れていた。
しかし、なぜ彼はセリスが無事であると確信している様子で話すのか。
圭哉が「どうして生きてると断言できる?」と男に問いかけると、
「誰かが死んでシメイの魔女がそれを顔に出さないはずがない――相手が自分と関わりのある相手なら尚の事。あの子の自然体の表情を見れば、影の魔女が無事なのは簡単に予想できます」
まさにぐうの音も出ない、的を射た推理だ。出会って一日も経っていないが、中身が魔女というには無垢すぎるノアが人の死を前に何も感じないとは圭哉も思えないし思いたくない。
自分よりノアを知っているのだろう、マレウスが断言するのもわかる。
「よくご存知で。なら何のため、――俺に話しかけてきた」
「ひとつは感謝を」
影の魔女にトドメを刺さなかったことに対しての礼だろう。と、思ったらノアを保護していたこともらしい。なんとも義理堅い人間で、敵対し難い相手だと圭哉は複雑な表情でそれを聞いていた。
「もうひとつはシメイの魔女の目的をあなたにも知ってもらうためです」
彼の癖なのか、またサングラスを中指でくいっと押して位置を直す。
「『異能者を探している』、そう聞いたが?」
「それは目的ではなく手段と言った方が正確でしょう。先に教えておくと、彼女の探し人は魔術殺しである君ですよ」
「俺……?」
「ええ、そうです。シメイの魔女、彼女の目的は――」
白いビニール袋を両手で抱えて、コンビニの自動ドアから出たノアは青い顔で地べたに胡坐をかく圭哉を見つけた。
「ケイヤ?」
「……おかえり」
「はい、もどってきました。それで何かありましたか?」
ノアの問い掛けに圭哉は「疲れただけだ。それよりなんか飲み物くれないか?」と手を差し出す。
「どうぞ、紅茶です」
「紅茶? イギリス人だから――なのか?」
昔からある飲料メーカーの琥珀色をした紅茶のペットボトルを渡されて、圭哉は彼女が英国人であることを思い出す。
「確かにイギリスは紅茶の本場ですが、コーヒー好きも意外と多いですね」
「ふーん。まあ、いっか」
「紅茶はお嫌い……でしたか? お水もありますが?」
「飲み慣れないだけだから構わないさ。さすがにホットだったら返品するが」
「あはは、わたしもここで温かい紅茶は飲みませんよ。あっ、軽く食べてもいいですか?」
「どうぞご自由に。俺も少し休みたいわ」
英国紳士から真実を聞かされ動揺する圭哉にノアが気づくことは無かった。あの戦いの直後だ、圭哉の疲れた顔をただの疲労と受け止めてもおかしな話ではない。
それにノアも自分の事で一杯一杯で、。
「むむっ、片手じゃ食べられません」
「はいはい、袋は俺が持っててやる」
「ありがとうございます」
圭哉にビニール袋を預けると、ノアはペットボトルの蓋と一緒にお菓子の箱を開け始める。
「ノアさん?」
「はい」
「こっちを向こうか、ノアさん?」
彼女が夕時のティータイムを始めた間、何を買ったのか買い物袋の中を見た圭哉はお使いを頼んだ馬鹿の名を呼ぶ。何なら目を合わせてしっかり話し合うべきだろうかと思って、クッキーをぽりぽり頬張ってこっちを見ようとしない彼女の名をもう一度呼ぶ。
だが悪戯した後の猫のように目を――というより顔を合わせようともしない。
「白上さんは『余計なモノを買うな』と言ったと思いますが? ――おいこら箱入り魔女っ娘、こっち向けや」
圭哉はカップ麺を取り出してノアの前に置く。罰ゲームやネットのおもちゃにされる激辛焼きそばに、どこぞの研究所が新技術の試験で生み出しただろうイカスミパスタとずいぶん尖ったチョイスだ。どちらもお湯をどこからか調達してこないと作れない代物である。
そもそもこの娘っ子がどんな味か分かって選んでるのかも怪しいもんだ。パッケージの激辛を激幸と勘違いしたのではないだろうか?
「非常食です!」
「このあとどうするかも決めてねえのにメンドくせえもん買ってくんなや! これお湯いるからな? 下手したら野宿になるからね、白上さんたち?!」
「うぅ、だって食べたかったですもん。向こうじゃこんなの食べたことがないんです」
「お嬢さんは観光に来たのかい?」
「ぴゅー」
「吹けないなら口笛で誤魔化そうとするなよ――。はあ、まあいいか。買ったなら責任もって自分で食べろよ」
「はーい」
説教するのも面倒臭いし、疲れる。気を抜いたら寝落ちしそうな状態でするもんじゃない。それにそれは今、どうでもいい話だ。。
「ひとつ確認して置きたいんだが、奴らはすぐにこっちを探せるのか?」
さすがに都市の監視カメラまで使える……とは思いたくないが、魔術とやらでノアを見つけられるのか確認しておかねばならない。それによって今後の行動も考える必要もあるだろう。
「できません――と言いたいところですが、はっきり言ってわかりません」
しかし、彼女は首を横に振る。ノアのような占術を使って探しモノをする魔術師はいるが、追手であるはずの二人には使えない、と。
「ただ隔離結界はわたしの居た場所を覆うように展開されてましたので……、おそらく大まかな居場所は把握されてたかも?」
「ノアに発信機の類を付けられている可能性は?」
「発信機……ですか? わたしの持ち物にそんな機能のある魔術道具はありませんし、あとは携帯端末ぐらいしか――」
「それだ。端末ならGPSで探知ぐらいされるだろ」
「G……P……S? 漫画かテレビで聞いたことがあるような?」
「Global Positioning System, Global Positioning Satellite――全地球測位システムのことだ。子供でも知ってる端末の機能だろうが――いや、鈴にしていたから黙ってたのか? とにかく端末の電源は切っとけ。電源が入ったら現在地がバレると思っとけ」
「なるほど――確か今朝に一度電源を入れたかもしれません。まあ日本じゃ使えないのでほとんど電源を切った状態ですが」
「そうか」
追跡方法はわかったが不安になったノアは、他にも発信機が仕込まれていないか調べ始めた。
最近の発信機のサイズがどこまで小型化されているのか知らないが、触ってわかるもんなのか?
しばらく自分の服をこねくり回していたノアに圭哉はすぐに襲撃は無いと決めこみ、眠気覚ましの雑談を振る。
「なあ、ノアは日本語の読み書きもできるのか?」
「あらあら、ケイヤ。乙女に質問ばっかりして――、そんなにわたしのことが気になりますか? もー……、あっ、いやいや冗談ですって。だからその握った拳を解きましょう! ね?」
空気の読めない魔女にコミュニケーション(物理)をちらつかせたら、すぐさま訂正した。謝るぐらいなら真面目に答えろと言いたいが、ある意味気を使ったとも考えられる。
「えっとですね、日本語は大まかな意味を読み解くくらいならできます。他にもロシア語から中国語、ヨーロッパで使われる大抵の言語は簡単な言葉なら話せるんですよ。どうです? すごいでしょ?」
「いやまあ、確かにそれは凄いな」
「えへへ」
嬉しそうにクッキーを齧るノアの姿はまるでリスかハムスターのような小動物を思わせる。
思わず圭哉も穏やかな表情で笑顔を作ろうとする――が、さっきの男から聞かされた言葉が頭に蘇って途中で止まった。
『シメイの魔女の目的は魔術殺しに殺されることですよ?』
彼女の死神は圭哉自身のことだったのだ。
鋭い痛みが胸に突き刺し、その頭上では一匹の青い鳥がじっと彼を見下ろしていた。




