クラスDの少年とクラスSの少女
楽しんでいただければ幸いです。
とある夏の夕方。サマーバケーションに浮かれる学生ばかりの繁華街を走る少年とそれを追いかける少女の姿があった。
それだけを聞けば、学生時代の良き青春とでも思えるだろう。――が、青年の「ぬおおおお」と叫ぶ必死な形相と、ゴゴゴゴゴッ! とマンガの効果音のようなモノを背負う能面顔をした少女を見なかったらの話。
もし誰かがこれを青春と呼ぶなら、その誰かにはもっと真っ当な青春を送ってくれと言いたい。
そんな二人が熱帯夜の入口でチェイスを始めたのはだいたい三〇分ほど前のことだった。
どこにでもいそうな黒髪の男子高校生、白上圭哉は自炊の買い込みでショッピングセンターへ訪れていた。
「やべえ、なんで振り込み前日にゲームなんか買ったんだ俺」
夏休みという楽園が始まったテンションで買い物に来たことが間違いだったのかもしれない。圭哉はスマホの画面に表示された電子領収書を見てため息を吐く。
学生向けのマンションで一人暮らしをしている彼の生活費は毎月二十六日に振り込まれる。なお本日の日付は二十五日。
明日、振り込まれなければ食事がやばい。もちろん、少年に今買ってきた新品のゲームを中古に出すつもりはまだない。
「とりあえずメールで催促だけでも、っと――『本日二十五日。資金の追加求ム。』これでよし」
自らの軽挙な行ないを後悔した圭哉は、ビニール袋が軽くて楽だなーなんて思いながら帰路に着くことに。
圭哉が暮らす学園区と呼ばれるメガフロートは巨大な箱庭である。ここの住民は八割が学生で残りが商業施設を動かす大人であったり、教職か研究職の人間という歪な分布で形作られている。当然、周囲には友達連れだったり、恋人連れだったりのキャッキャウフフッしてる学生ばかりが跋扈している。
そんな陽キャどもの住処からさっさと離れたくて足に力をこめる直前、不機嫌そうな少女の声が圭哉を呼び止めた。
「あんた、三高の白上圭哉?」
振り返ってそこにいたのは中学生と思われる女の子。彼女はチェック柄のプリーツスカートに半袖のブラウス、その上にパーカーを着た背の小さな女の子だ。
チラッと見た腕にはロール型――伸縮性のあるディスプレイを使った――端末が巻いてある。その画面に「学区風紀第19班」と文字が入っているのに気づいた。
学区風紀委員、一般には風紀委員と呼ばれたりするこの組織の正式名称は都市治安維持機構学園区生徒会風紀委員なんて早口言葉みたいな名前である。
「あー、そうだけど……、風紀委員のお嬢さんがこの善良な一般学生に何か?」
訝しむ圭哉だが相手は風紀委員である。質問には素直に答えた。
確かに夏休みが始まってすぐは学園区内の風紀取締強化週間中を知らせる通知があった気もする。――が別に風紀委員の生活指導で捕まる違反は犯していないし、さらに言えばフードを頭からすっぽりかぶっている彼女のほうが不自然だ。
どこの世界に顔を隠して職質するお巡りさんがいるのだろうか? 圭哉が怪しく思うのも当然である。
そんな彼の疑問に構わず。風紀委員(疑惑)の女の子はフードの奥から身の毛もよだつ淀んだ赤い眼を向けて、
「そう――まずは、大人しくなりなさい」
手を突き出す。
大人しくなさいではなく、大人しくなりなさい、だ。その言葉にふつふつと嫌な予感が湧き上がり、女の子の小さな手が圭哉の顔に向けられた瞬間――その予感は振り切れた。
「ノォオオオオ」
圭哉は走り出す。生存と付く本能がその場から逃げろと叫んだからだ。風紀委員の腕章を付けた襲撃者は「チッ、クラスDの癖に勘がいい」と口汚く吐き捨てると、圭哉を追いかけ始めた。
時にカップルの間を縫うように、時に清掃ロボットを蹴飛ばして警報を鳴らしながら。街中を三〇分以上のチェイスを繰り広げた結果、圭哉は人気のない人工浮島と人工浮島の連結部に追い詰められた。
ここは居住区と外縁部の接続部で何本ものアーチ橋で繋がる場所である。
橋の下はオレンジに染まった水面が広がっており、その水はもちろん淡水の川ではなく潮の香りがする海水だ。
「ぜえ……ぜえ……、しつこいなあ!」
いっそのこと海の中にでも飛び込んでやろうか。走り続けたせいで頭に酸素が回らず、変な考えが頭に過ぎったところで圭哉は車両用のアーチ橋に踏み入る。
他のメガフロートへの通路ではないこともあって、この時間に車は一台も通りかかることはなく、それどころか人っ子の姿もない。
「それはこっちのセリフ。大人しく痛めつけられて」
逃走中に何度か聞いた、ボンッ! という何かが爆発する音がしたと思ったら後ろには襲撃者の姿があった。
「こっちはずっと走り続けて疲労困憊だっつーのに。テメエもしかして見た目誤魔化してんのか? いや、それにしては(体が)小さいな。――アッチィ! 炎熱系の異能者かよっ」
異能者、それはある日を境に現れた超常の力を持つ者のことである。
その異能者である推定少女の周囲で渦巻いた熱風が少女のフードを降ろし、その素顔が露わになる。
この都市では異能の影響で髪や瞳が変色した人間が珍しくない、にもかかわらず純日本人らしい黒髪と肩に届くかどうかぐらいの姫カット、一方で瞳は変色しており赤い眼光がギラギラと燃え盛っている。まるで呪いの日本人形みたいだと思えた。
なぜか敵意を見せる炎使いの少女は夏の熱波なんか比較にならない、灼熱の火炎を地面に走らせる。
「ダレのっ、胸がっ、小さいだっ! 『焔』!」
「誰も胸の事なんてっ――」
一〇〇%天然モンじゃああ。かくも悲しい、心からの叫びは圭哉から憐れみの感情を引き出し、それがさらに彼女のヒンシュクを買うこととなる。
制御されているのか、暴走しているのかもわからない赤い塊が少女の怒りゲージを粉砕するのと同時に圭哉へ襲い掛かる。
これのどこが「大人しくなりなさい」なのか。どうみても「灰になりなさい」の間違いだ。圭哉の心の抗議は少女へ届くこともなく、炎に飲まれて消えていった。
「――やばい、やり過ぎた。どうしよう……、これじゃあ話が聞けない」
四年越しに見つけた手掛かりに感情が高ぶって加減できなかった。
少女は今も炎が残り続ける橋に背を向けて座り込む。彼女の目的は圭哉の殺害ではなく、どうしても聞き出さなくてはならないことがあったからなのに。これでは生存は絶望的だ。
……だが、それは杞憂でるとすぐにわかった。
「テメエ、勝手に人を殺すんじゃねえ」
尚も燃え続ける炎を切り裂いて、無傷な青年が姿を見せる。
青年が『右手』に持つのは棒状の、雪のように白い金属だった。細長く少し反った片刃はこの世でもっとも美しい武器とも呼ばれる日本刀に酷似している。
白い刀身以外に特徴的なのが、抜き身どころか鍔も柄もない剥き出しの状態に持ち手を滑り止め用の小汚い布でグルグル巻きにされていることだ。
ノコギリのようなギザギザの刃紋があるくせに刃はなく、刀というより鉄パイプに近い金属の棒といったほうが正しいのかもしれない。
「あれはっ、やっぱり……。やっと――! やっと見つけた!」
生きていたことを安堵するのと同時に、炎使いは犬歯を剥き出しにして狂気を含んだ笑みを見せる。それは戦意や闘志といったメラメラ燃える炎ではなく、もっとドロドロとした感情である。
「先輩が言ってた。『話し合いはまずどちらが優位にあるのか教え込んでから交渉の席に着くのが重要だ』って」
黒い頭髪に赤みが帯びていく。瞳と同じく異能の影響で赤くなるはずの髪ずが、高い制御能力によって変色を抑えていたのが溢れ出してきたからだ。
要するに彼女は溢れんパトスを抑えきれないほどに昂っているわけだが、圭哉はそんな爆発寸前の彼女に違って欲しいという願望をこめて恐る恐る確認する。
「――いや、俺らはサバンナの野生動物かよ。そんなワイルドな交渉術があってたまるかって、――乙葉女学院のクラスSさん?」
これほどの炎使い、しかも女の子。この街の住民なら誰だって知っている。異能都市に収容される約九十万の異能者の頂点、その一角に立つ一人。クラスSの「疑似太陽」――紅坂朱音。
本来なら異能者の七割が属するヒエラルキーの底辺、クラスDが相対すること自体あり得ない相手だ。なぜ自分は襲われているんだ? 視線で答えを求めるが返ってきたのは、
「正体を知られたなら――口止めも必要」
「理不尽!」
救いのない答えと可愛らしく傾げた首。太陽少女はあの攻撃を防げるなら遠慮はいらないと判断する。圭哉が聞いたら絶叫を上げてお断りするような高評価に、朱音は手の平でもっと多くの炎を集める。
周囲で吹き出す炎は彼女の手中で渦を描きながら凝縮し、そして凝縮する。さながら周囲の物を強引に取り込むブラックホールのように、炎を通り越して太陽とも言える球体を彼女は創り出す。
「これが私の二つ名の由来。最大出力ならちょっとした建物くらい跡形も無く呑み込める」
『異能者は制御下にあれば自身の異能で傷つかない』
このルールがあるからこそ彼女は太陽だって自在に生み出せる。もちろんこの力は人のいる街中では使えず、人気のない場所にまで逃げてしまった圭哉の失点であった。
「クラスDの無能相手に、少々大げさ……では?」
「最大出力ならって言ったでしょ? 大丈夫、防げなくても手足の一本吹き飛ぶだけだから。この都市の医療技術なら簡単に再生できる。――じゃ、がんばって」
躊躇いなく少女は指先程の疑似太陽を解き放った。
「嘘だろぉぉおおおお」
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