6「決戦前夜」
時はももとデートの約束をした金曜日。
その日の夜へと遡る。
俺はその事実に浮かれつつも一つの懸案事項を抱えていた。
そう、俺はデートをしたことがなかったのだ。
明日は俺の計画においてとても重要な鍵を握っており仮に失態を犯せば望む未来は得られないかもしれない。何が何でも失敗するわけにはいかなかった。
さらにこの命題の難しい所は真偽のみで成り立っているわけではなく、ある範囲に収まっている必要があるということだ。
どういうことかというと、つまりデートの出来が不慣れでも慣れすぎていてもいけないのだ。
うまくリードできなければしょうもない男だと見切りをつけられ、サクサクいきすぎても遊び人だと思われてしまう。彼女を全力で楽しませつつ初々しさも残さなくてはならない。
それは俺にとってピッチャーマウンドから幅7.5cmほどのか細い隙間に豪速球を投げ入れるほど至難の技である。
自室で1人どうにかならないものかと悩んでいたが、もはや1人の力だけではどうにもならないことを悟り俺は隣の部屋をノックする。
「ことりー、はいるぞ」
返事を待たずして扉を開ける。
中はいまどきの女の子らしい部屋が広がっていた。
俺の部屋と同じ間取りだとは思えない。
「せめて返事してから入ってきてよねお兄ちゃん」
妹の加護野ことり。
中学3年で陸上部のマネージャー。
サイドテールに華奢な体型、さらに俺の妹だけあって眉目秀麗だ。
彼女はベッドにうつ伏せになってティーン向けのファッション雑誌を読んでいた。
「すまん」
「それでなにー?また『大天使コトリエル』と契約しにきたの?」
「そうじゃねーよ。真面目な相談。」
契約。
それは過去、金欠の時に妹と交わした小遣いの貸し借りのことである。
それ以来、ことりは恩着せがましく自らのことを「大天使コトリエル」などと呼び、財布が空になる度に愚民ことこの俺を救ってくださるのだった。ただ法外な利子を考えると悪魔様と呼んだ方がふさわしいかもしれない。
「へー相談ね。お金のこと以外で私にお願いしにくるなんて思っても見なかったよ」
こいつは俺のことを乞食かなんかだと思っているらしい。
「お前にしか聞けないんだよ。いいから黙って聞け」
俺は事の経緯を話した。
俺が色恋沙汰の話を持ちかけているにも関わらず案外妹は驚くことはなく素直にうんうんと相槌を打ちながら聞いていた。
やけに飲み込みが早いな、さては偽物か?
「ふーん、お兄ちゃんがデートかあ」
「な、なんだよ」
「一応聞いておくけど実在するんだよね?そのももって人」
俺は憤りを通り越して呆れてしまった。
「あのなあ」
「冗談。わかってるよ。お兄ちゃんはこんな妄想話を考えるほど残念じゃないって。それで相談って何?今のところ明日デートに行くっていう自慢しか聞いてないんだけど」
「ああ、だからデートプランを考えて欲しいんだ。女のことは女に聞くのが一番だろ?」
ことりはむすっとした顔になる。
「あのねえ、女の子だって感じ方は人それぞれなんだよ。仮に私が楽しいと思うデートプランを教えてあげたとしてもそれがそのももって人が喜ぶデートになるとは限らないよ。ちゃんとその人が楽しんでくれることを自分で考えなきゃだめなんだよ」
中学3年に説教を食らう俺。情けない。
「わかった、自分で何とか考えるよ。わざわざ悪かったな」
仕方ない。独りでプランを練るとしよう。
「待って」
「?」
「デートプラン自体はお兄ちゃんが考えるべきだけど、温情ある「大天使コトリエル」よりデートの心得を伝授してあげます。感謝の気持ちを持って心して聞くように」
どうやら協力をしてくれるらしかった。
俺はことりのベッドに座り、ことりは何やら監督気分で部屋を行ったり来たりしている。
「では初めに、約束の時間は何時ですかな?」
一体誰なんだよ。
大天使コトリエルはどこに行ったんだ。
「10時に駅前の噴水広場」
「ほうほう、で、貴殿は何時にそこへ到着される予定かな?」
「んーまあ5分前くらいには着いてようとは思ってる。5分前行動は社会人の基本だからな」
すると妹はピタリと立ち止まって手に持ったシャーペンを指し棒代わりに俺の方へ差し出した。
「はいアウトー!あのねえ、社会人は五分前行動が基本かもしれないけど恋愛人は30分前行動が基本なの。仮に5分前に行ったとして10分前に相手が来てたらどうするの?こういうのは待たせるより待ってるに越したことはないの!」
再び説教を食らってしまった。
「わかったよ、9時半には着くようにする」
「よろしい。では次。」
再び行ったり来たりを繰り返す。
「どんな服を着ていくか決まってる?」
「そうだな、普段と違う一面を見せたいから気を衒った服装にした方がいいとは思ってる。普段はつけないアクセサリーも付けていくか」
「はいダメ。いい?気を衒うっていうのはベースが固まってからその逆張りをすることでギャップ萌えみたいのを狙うものなの。まだ私服のセンスがどんななのかよくわかってない人が気を衒ったらそれがその人のセンスになっちゃうんだよ?初デートは別に飾り過ぎずに普通の格好で清潔感さえ出してればいいんだから」
「ほー。勉強になるなあ」
「先が思いやられるわ。じゃあ次ね。彼女が到着したらまずなんて声をかける?」
「やっと来たか」
「ダメに決まってるでしょ?バカなの?」
さすがに今のがダメなことくらいわかる。
きっと「待った?」と聞かれるだろうから「待ってないよ」と答えることにしよう。待ったけどな。
「あと、会ってすぐに相手の服装を褒めること。きっとお兄ちゃんのことだからすぐに目的地に向かおうとするんだろうけどそれはNG。
相手は長い時間どの服にしようか迷って迷い抜いた挙句時間足りなくなって急いで出てきてると思いなさい。そんな不安でいっぱいの彼女を安心させてあげるの。」
「はあ、俺より遅く来たくせに気まで使わないといけないのかよ」
「何か言った?」
シャーペンが俺の目の先に向けられる。
ここで逆らえば俺は永遠に光を失うことになりそうだ。
「わかったわかった。褒めればいいんだな、そんくらいならできる」
「褒めるって言ってもただ褒めればいいってもんじゃないからね。女の子はみんな少なからず何かしらコンプレックスを抱えてる。背が低くて童顔の子は大人っぽく見られたいし、スタイルのいい大人の女性は可愛いと思われたい。わかる?」
「なるほどな。じゃあももは可愛い系だから大人っぽいって褒めればいいのか」
「そういうこと。はあ、まだまだ序盤なのにこれだけかかるとかどんだけ問題児なのお兄ちゃん」
返す言葉もない。
気付けば20分ほど問答を繰り返していた。
その後も昨日の晩飯の話なんて興味のない話題を提供するなとか買い物が終わったら疲れているだろうから喫茶店にでも入って休憩しろだとかアドバイスというよりは命令に近い形でひたすら妹からの叱責を受けた。
そうして俺は運命の日を迎えることになる。