10「汚い手段」
「はあ、はあ、ごめん。お守りギリギリまで作ってたら遅れちゃった」
体育館入り口にて制服を着たももと対面する。
時刻は約束の時間から30分ほど経過している。
「おい。もしかして徹夜で作ってたのか?」
「う、うん。なかなかうまく出来なくてさ、あはは。私って不器用だから」
お守り一つ作るのに徹夜とは不器用の域を超えているような気がするが…
「それより試合、始まっちまうぞ。選手陣はだいぶ前に中に入っていったからな、お守りを渡せるタイミングがあるかどうか…とにかく急ごう!」
「うん!」
俺たちは足早に中へと入る。
市民体育館の中は広く、二階の四方に設けられた観覧席の椅子は綺麗に整っていた。
俺たち市民の血税もこんな形で使われているのなら本望である。どこかのお偉いさんの懐に入っているだけでは納得がいかないからな。
「すごく広いな。市営とは思えないほどだ」
「そっか、はるくん入るの初めてだもんね。でも凄いのは体育館だけじゃないよ!併設されたプールなんてすごく整備されてて休みの日はけっこう賑わってるんだから」
確かに散歩をしている途中、随所に豪華な施設が並んでいるのが見えた。家族連れなら1日中時間を潰すことも容易だろう。
観覧客は思いの外多くの割合を占めていた。
おそらく息子の応援に来たであろう父や母らしき人物、俺たちのように友人を応援に来たであろう男女グループ、カッコいいと噂のイケメンを見に来た女子グループ。さまざまな目的を持った人たちが会場二階へうまい具合にばらけて座っている。
俺たちは奇跡的に空いていた最前列の椅子に横並びになって腰をかけた。
「けっこう人いるんだな」
「立地もいいから見に来やすいんだよ。…あ」
一階の扉が開き、ぞろぞろとバスケ部の連中が入ってくる。試合前のウォームアップの時間だろうか。
いよいよ試合が始まろうとしている。
相手方の選手たちも登場し、会場には緊張感が流れ始める。
選手たちはみんな真剣な表情だ。
「お」
先程会った柿沼富有の姿があった。
ドリンクや救急箱の準備、選手たちへの声かけ、ストレッチの補助など敏腕マネージャーぷりを発揮している。
「ちゃんと仕事してんだな」
「え?なにが?」
「いや、こっちの話だ」
そんな中、部員の一人がこちらに気づき、手を振ってくる。
栗宮幸太。ももの彼氏にして俺の友人。
明るい茶髪で背が高くすらっとした男だ。
俺は何も言わずに手を振り、
ももは恥ずかしそうに目を伏せた。
「もも、渡すなら今しかないんじゃないか?これからウォームアップ始まるみたいだし試合が始まったらそれこそ時間ないぞ」
「そうだよね。今しかないよね」
手には既にお守りが握られていた。
ももらしい可愛いピンクのお守りだ。
「でも…重いって思われるかもしれないし。それにこれを渡して試合の結果が悪かったら…どうしよう、はるくん。こわいよ」
その手は震えている。
彼女はあと一歩の勇気が出ないようだ。
今なら目下に渡したい相手がいる。
声をかけるなら今しかない。
その勇気は誰かが振り絞ったものではだめだ。
彼女が、彼女自身が前へ進まなければ。
そのために、俺は背中を押しにここへきたんだ。
「もも、昨日一緒に買い物に行っただろ?あれさ、最初誘われたとき正直浮かれてたんだ」
「…え?」
「あの時はまだももに彼氏がいるって聞いてなかったからさ、これは間違いなくデートのお誘いなんだと信じて疑わなかった。デートなんてしたことなかったから妹まで頼ってさ、色々教えてもらったりなんかして。ばかみたいだろ?」
「えっと…」
「だからさ、彼氏がいるって聞いた時、その彼氏にお守りを渡したいって聞いた時、ちょっとショックだった。本当は今日だって半分不貞腐れて来たんだよ。でもさ、朝たまたまみかんに会って言われたんだ。ももの力になってくれって。」
「…うん」
「そのときに俺は決めたんだ。必ずももの心の鍵を開けてやるって。望んだ未来を見させてやるって。」
ももは何も言わず、俺の話を聞いている。
「渡したいもんがあるなら渡した方がいいに決まってる。伝えたい気持ちがあるなら伝えた方がいいに決まってるんだ。迷う必要なんかどこにもないんだよ」
俺たちの後ろから選手たちに向かって黄色い声援が飛び交う。
何の迷いもなく、ただ言葉を発している。
頑張ってだとかファイトだとか格好いいだとか。まるでももを追い込むかのように。
「わかってる、わかってるよ。
でもどうしても勇気が出ないの!とても大切なひとだから…失うのが怖くてたまらないの…!」
「お前は優しい奴だ…。人のためならなりふり構わずなんだってやってのけるのを俺は生徒会室で何度も見てきた。だがどうだ、自分のことになった途端に余計なことばっか考えて、やりたいことができなくなってる。他人にはできて一番大切にしなきゃいけない自分にはできないなんておかしいだろ?」
「……」
「できるんだよ!ももなら!俺はそれを知ってるんだ!だから頼む、俺のために、頑張って勇気を出してほしい」
このやり方は少し汚い。
自分のためよりも人のため、そんなももの良心を逆手に取った汚いやり方だ。
俺のこれまでの苦悩を全て吐き出し同情を得られれば、俺のために勇気を出そうと腹を括れるだろう。
誰よりも優しいももが相手だったからこそ使えた最悪の一手だ。
気付けばももの手の震えは止まっていた。
「そう…だよね…。ありがとう、はるくん。
私、はるくんのためにも頑張るよ」
そう言うとももはすうっと深呼吸をした。
一切の迷いがない。
栗宮は緊張している後輩部員たちを励ましていた。黄色い声援も止まない。賑やかな会場。
「栗宮くん!あの…!」
ももは新たな一歩を踏み出した。
自分の殻を破り、新しい姿になろうと羽化を始めた。
まだまだ立派な羽ではないけれどいずれ綺麗な模様が刻まれた美しいその羽で彼女はどこへだって飛び出していけるのだろう。
俺の役目もこれで終わりだ。
安堵しかけたその瞬間だった。
「集合!!」
ももの声をかき消すかのように体育館に声が響く。バスケ部顧問の集合の掛け声だ。
隣を見ると全て諦めたかのような顔でももは俯いていた。