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見ている世界が虚構か現実かなんて、君は区別をつけられるのか

あれから、ミカは部屋に閉じこもるようになった。俺はそれを覗き見ることが辛く、もう実家の中を覗き見たりしないことにした。ちなみに、実家の中はおばあちゃんを見守るために設置したベビーモニターや、近くの防犯カメラから見ていたらしい。


そして脆弱性を通じて見ているということは、誰か他の人間が見ていてもおかしくないので、ベビーモニターに関してはファームウェアを書き換えて見られなくした。もう実質的に、今のところ俺が家の中を覗く手段はない。


そしてやることもなくぼうっと実家付近を“散歩”していると、家族皆が車に乗って出かけるのが見えたので、追いかけた。今ならわかるが、脆弱性のあるカメラがいくら多いと言っても歩く時に人間が見る映像を作り出せるほどの数はない。何か俺自身が補完しているのか、あるいはなんらかのレンダーファームで映像を作り出しているのか。今見ている世界が実物である保証はどこにもない。


いずれにしても車は10分ほど走った後に大きな病院に到着した。ミカを連れていくのだろう。心療内科もある病院だ。


さすがに中にまで入って話を聞くことはしたくないので、“ベンチに腰掛け”ながら待つ。何にも邪魔されない世界。逆に、こちらが邪魔することのできない世界。触れられない世界。


しかし考えてみると、生前世界で普通に暮らしている世界だって、もしかすると同じことなのかもしれない。たとえば、シミュレーション仮説というやつだ。世界はシミュレータの中で動いていて、自分が本当の世界に触れているわけではないというものだ。疑い出すとキリがない。懐疑主義は最終的に自分の意識とは何かという議論に行き着く。


世界は自分を通してしかみることができない。美しい自然も恐ろしい現実も自分の感覚でフィルタされ、自分で認識するために圧縮される。世界は全てをさらけ出さない。自分の目は前にしかついていないし、耳は超音波を聴き取ることができない。鼻は犬ほど敏感ではない。深海では潰れてしまい、宇宙に行けば霧散する。自分の感情によって昨日の世界と今日の世界は違った様相を見せる。明日が今日と同じように見えるとも限らない。


自分だけの世界でこう思えるが、他人を考えるともっと複雑だ。同じ色が見えているとは限らない。色盲の人と健常者。色盲だって種類がある。目の見えない人が想像する飛行機はどんな形だろうか。耳の聴こえない人は猫の鳴き声をどう想像するのか。


しかしこの議論には意味がない。目の見えない人の飛行機は、目の見える人の飛行機と同じものだからだ。単純な言葉遊びだ。飛行機という言葉に圧縮される。耳の聞こえない人にとっては猫がどう鳴こうと猫なのだ。それは意識を通して同じ概念に正規化される。しかし現実世界では全く別のものなのかもしれない…


結局世界は虚像なのかもしれなかった。そう考えると、何をしても良くなる。破壊、略奪、暴力。それを防ぐ良心によってだけこの世界の秩序は保たれているのではないか。


ミカが出てきた。泣いている。辛いのはわかる。だが今は何もしてやれない。両親も辛そうにしている。俺は踵を返す。しかしなぜ俺はここにいるのだろう。存在の意味を考える。なぜ何もないのではなく、何かがあるのか。


何もしない選択もあるはずだ。ただ映画のように座って見ていればいい。ハッピーエンドに違いない。世界が残酷な結末を許すわけはない。


世界は否応なしに進み続け、選択が正しかったか思い直す時間すらない。後悔する暇もなく明日はやってくる。思えば気が狂わないのも不思議なくらいだ。人生にやがてくる終わりは遠い未来のことだと誰もが思っている。


時間感覚は狂っていく。


“ブレークポイント”が入ったのか時間は飛び飛びに感じられる。自覚のないまま未来へ送られる感覚。考え始めてすでに一日が経っていた。ミカは同じ病院に連れられてくる。何もできないまま今日は終わり、戻ることのない時間は一方的に進んでいく。


俺は昨日と同じ場所で、時間だけがやたらとすぎたことを理解しようと努力する。デジャヴのように同じシーンを見たが、明らかに昨日とは違うのだろう。


ミカは診察を終えたのか病院から出てくる。疲れ切った顔だ。すでに俺がどうにかできる問題ではなくなっている。人間に恥ずかしくて思い出したくもないことはいくつかあるだろうが、恐怖で思い出したくないことは想像がつかない。ミカが負った傷は俺には想像もできないし、かける言葉がプラスに働くかもわからない。言葉をかけたところで第三者になるから、むしろマイナスになるかもしれない。


ミカは毎日病院に通う。5回目の今日、俺は病院に入ろうとしたが、入ることはできなかった。ランサムウェア対策でかなりセキュリティが強化されているのか、そもそもカメラがついていないのか、その両方なのかとにかく干渉することはできなかった。


病院前をうろうろする。とてつもなく不安になる。だが行くあてはない。実家はすでに帰る場所ではなくなった。考えてみれば、自分の居場所というものがない。自分の居場所というのは、たとえば誰かと会ったりコミュニケーションをとったり、信頼されたりすることで相対的に生まれる場所だ。人と会うことができない俺には場所を確立する手段はない。物理的な場所も定まらない。行く当てのない世界を輪形彷徨する。


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