なんかヤバいやつに巻き込まれそうな件
3週間後、駅前で妹に会いに現れた人間に、俺は総毛立った。同年代の女の子だと思っていた「ぶらん」は若い男だったからだ。
駅からほど近いマクドナルドに入り、会話しているがあまり聞き取れない。店内は騒がしすぎるようだ。近づいているつもりだけどもあまり聞き取りづらい。「ぶらん」は終始自分のペースで話し、ミカはうなずいたり一言何かを喋ったりするだけだった。
俺は話を遮ってでもミカを連れ帰りたいくらいだったが、もちろんそんなことはできるわけはない。ミカのスマホにスパムメッセージや何のこともない通知を送り続けて気を逸らそうと思ったら、通知をオフにされた。
ミカはおごってもらったポテトやアップルパイには手をつけないまま40分くらいで解散となった。
「ぶらん」の正体を明かそうと俺は「ぶらん」についていく。驚いたことに、吉祥寺に住んでいる人間だった。吉祥寺から2時間をかけてミカに会いに来たのだ。
思い返せば、「ぶらん」はほとんど全ての妹のツイートに対して優しい言葉をリプライに連ねている。しかしそれはあまりにも皮相的で胡乱なものだった。気持ちの隙間に取り入り、おもねるような態度。
人と人との関係値というものは大抵付き合った年数や、会った回数、信頼できる友人とのつながりなどそういったもので決まる。Twitterのリプ欄でこうした会話をするのは近しい友人だとあまりないだろう。センシティブな会話ではLINEなどクローズドな空間に移動するからだ。
だから俺は1ヶ月も経たないのに、実際に会ってまで馴れ馴れしく接するこいつを警戒しはじめている。
「ぶらん」の家は築30年ほどのシングル向けの軽量鉄骨造りといった風貌のアパートだった。部屋の中に入ろうとしても中のイメージが浮かばず、入ることはできなかった。
俺は目を閉じてミカの部屋を思い浮かべ、“部屋に入る”。そうするとベッドに横になっているミカがいたので、邪魔しないようにそっと意識を無にして天上界に戻る。まあそのままでも邪魔にはならないが、あまり良い気はしないので立ち去る。
何もないといいが、何もないわけがない。考えているうちに、時計を思い浮かべて“見る”といつの間にか3日が経過していた。
自分でも驚いたが、天上界では時間の流れが均一でないように思う。重要な日に目覚ましが鳴らず、寝過ごして自然に目が覚めたときのように少しばかり慌てた。とりあえずタイムラインをチェックしてみると、この数日で結構事態が進んでいることに気が付く。
「ぶらん」は「心療内科を紹介してもいいかな?知り合いが行っているんだけど」というリプを送っていた。
ミカは自分の変調を自覚していたのだろう、「詳しく教えてください」と返信していた。
心理的に負担がかかっているときは判断能力が落ちてしまうのだろうか。数分の間に会う場所と日が決まっていた。
これが…数日前の出来事。驚いたことに予定は今日だ。
慌てて俺は「その人を信用しないで」と投稿しようと思ったが、ふと、ただ妹のコミュニケーションを盗み見ていただけの自分を思い出し我に返った。このような投稿は意味がない。1ヶ月近くかけて妹をハッキングする手段を準備していたのは「ぶらん」であり、突然そこに現れた見ず知らずにも等しい俺では説得力がない。兄ということをどうにか「匂わせ」ることができれば少しは変わるかもしれないが、これは生前世界の物理法則に禁じられている。死んだ人間が生き返ることはできない。つまり、不可能ということだ。そしてそもそも、時間的には今ちょうど会っていてもおかしくないタイミングなのだ。時間がない。
俺は今どうしようもできない。「ぶらん」のアカウントをハッキングして、「やっぱやめた」と送って予定をキャンセルする…できればいいが、そんなことは不可能なのではないだろうか。市のホームページはともかく、Twitter社のような大手のテック企業に対しては俺のレベルではどうしようもない。ミカのiPhoneをハッキングするなども映画の中の話だ。例えやるにしても、協力者などを通じて物理的に手に入れなければいけない。
たとえどれほどのコンピュータがあっても、通信上の暗号を解読することもできない。数学的、物理的に難しいのだ。
見守るしかできない現実に、俺ははじめて肉体を渇望した。
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$ cat ~nishizaki/diary/002.txt
西崎だ。見てるか?
今日はいつもの心療内科で、毒にも薬にもならないやつを処方された。
お前は私のことを統合失調症という。おかしなのは私ではない。おかしいのは常に頭の中を覗き見るお前や、そういったことに気付けないこの世界の住民だ。
ここのところ私はよく気づいている。私の脳を覗くやつがいて、非常に不愉快だ。仕事が忙しい時にやたらと私に干渉してくる。大抵無視するのだが、私の興味に応じて遊んでやることも多い。そうすると満足したのか頭の重しが取れるのだ。
法律は正義ではない。警察と連携して動いていながら、というより政府機関に属していながらそういうことを考えるのも問題かもしれないが、法に基づいた行動は善に正当化されないと思っている。私のなかに正義はあるが、それだって非常に利己的なものだ。他人にとっては悪ですらある。私の正義は実際のところ権威主義とは別のところにある。
PCにDebianのUSBを刺してリブート。全てをまっさらにする。リスパダールを口に含んで、俺の頭もクリアにする。覗き見はここまでだ。
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