第8話 自分の居場所
1ー3 チの囚女
ここからベイル達の表現は一行とします。
翌日の昼過ぎ、一行は道のりにある名もなき森の手前に船を停め、薄暗い森の中に入っていった。
「何で止めんだよ~速く海の幸行こうぜ~」
「原生林ですから、豊富に食べ物があると思って……仕入れていた食料も尽きそうでしたし……珍味などもあると思いますよ?」
「森大ちゅき」
「単純っすねー……」
ベイルは何も言わず1人で森の奥に向かって突っ走っていった。
「あ、待ってくださいっすアニキー!」
レオキスはどこから取り出したのか、籠を背負い、ベイルを追って森の奥に向かっていった。しかしレオキスの走りっぷりを見ると、ベイルの速度に追いつけるとは到底思えない。
レオキスも鈍足では無い(むしろ速過ぎるくらい)のだが、ベイルの食欲はその速度を軽く凌駕していた。
「……速……」
アリシアはさすがに次々目の前で起こる驚きの展開に少し慣れ始めたのか、その一言が口から思わずこぼれるようになっていた。
「僕らも行きましょうか」
ラルフェウはどこから取り出したのか、自身の座高より大きな籠を背負い、表情は変えずともわくわくしてる様子で森を眺めていた。
「どこに?」
「食料調達です」
「……見張りとか、いなくて大丈夫かな?」
「大丈夫じゃないですか?人が入ったら気配で分かりますし」
「あ、そう……」
ラルフェウの言葉はひょうひょうとしているが、アリシアはその一言一言に妙な安心感と信頼を覚えた。
考えてみれば、アリシアは基本的にラルフェウとしか会話していない。右も左も分からないアリシアを実質救い、世界を広げたのは紛れもなくラルフェウだ。
アリシアは恐らく、初めて心から誰かを信頼したのだろう。疑う余地はどこにも無い。アリシアにとっては、彼自身が真実だと言える。
※ ※ ※ ※ ※
アリシアとラルフェウは共に森の中に入っていった。アリシアが見たことも聞いたことも無い植物やきのこを、ラルフェウはホイホイっと採っていき、イノシシが突っ走って来たなら足を上げ、ピンポイントでイノシシの脳天にかかとを落としてみせて狩った。
ラルフェウは採りながら移動しているにも関わらず、アリシアはラルフェウの歩くペースに追いつけず、常に小走りになって、すぐに息を切らした。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですかアリシアさん?これからペース上げますけど」
「えっ!?……はぁ……はぁ……ちょっと……待って……」
アリシアは3歩先を歩くラルフェウに置いていかれ、ついに止まってしまい、両手を両膝について息を整え、辺りを見回すと、人影は無く、完全にはぐれていた。
「……キューちゃん……あれ……どうしよう……」
船まで戻ろうにも、真っ直ぐ突っ切らずに、森中を迂回してきたために、目印も無く、アリシア1人では帰れない。
「……ああ……」
大声を出したくても、出せば獣に襲われるかもしれない、既に危険区域のど真ん中に立っている、武器は持っていない…自らの状況を察したアリシアは、冷や汗をかき、足が震えだした。
アリシアは生まれて初めて恐怖を感じた。今まではあるはずのなかった、命の危機を感じていた。
そもそもそれらに瀕する機会など無く、ベイル達と行動を共にしてからも、初めにベイルとラルフェウの力を見て、安心しきっていた。
自分は大事にされているから、1人にされる事や、危機に陥ることなどあるはずが無いと、心のどこかで驕り高ぶっていた。
自分は、自分で身を守れるほど強くなくて、臆病で、弱い〝人間〟なんだと……身に染みて痛感した。
「ひっ!!……」
そんな渦中のアリシアの右側から、ガサガサッと足音を立て、パキッと落ちた枝を踏み折って歩く熊が、鋭い眼光でアリシアの恐怖に押し潰された顔を貫き、心も穿とうとしていた。
「あ……ああ……」
2メートル以上はあるその熊は、ひどく腹を空かせていて、ペタンと座り込み、動けないまま、伝う涙の温度も気付けないほどの恐怖に支配されていた。
「オオオオオオオオオ!!!!」
大きな雄叫びを上げ、猛然とアリシアに突進していく熊を見て、アリシアは何かを考える事はしなかった、出来なかった……考える事を無意識に放棄していた。
「──まだダメですか……」
アリシアの背後から飛び出してきたラルフェウは、植物やイノシシの入った籠を背負ったまま、その勢いを一切殺さずに生かし切り、足の裏から入った全身の力を右拳に込め、熊の顔の左側をそこそこの強さで殴り飛ばした。
熊は木に激突し、伸びきった。
「……え……」
「すみません……試すようなマネをして」
アリシアは瞬時に理解は出来なかった。自分の前に走り去ったはずのラルフェウが、後ろから現れた事、恐怖の権化でしかなかったあの熊を、一撃で殴り飛ばした事──
──これらの何時間にも思えた数分間の恐怖が、全てラルフェウが仕組んだという事実もまた、理解出来なかった。
「試す……って……え……」
「アリシアさんには〝ホシノキズナ〟が宿っていますので、ポテンシャルを見せてもらおうかと思ったのですが……期待はずれもいい所ですね……あれ程度に失禁しているようでは」
アリシアはひどく混乱した。アリシアが信じてきたラルフェウの言葉とは、到底思えないものだった。ただそれでも、アリシアにとってラルフェウの言葉は、真実に値するものだ。
───受け入れるしかなかった。自分は弱くて、自分ではなく自分の中にある〝何らか〟にしか興味が無い者達ばかりで、ベイル達もその例外では無いという事を……。
「立てますか?」
「……えっと……」
「大丈夫ですよ、濡れた下着も歩いていれば乾きますから」
「……うん……」
立てないフリは可能だった。自分を守るために、より安全な立場になる事が可能だった……だが、アリシアはラルフェウの差し伸べた、熊を一発で絶命させた右手に掴まって立ち上がり、歩き出した。
強くありたいと思った訳ではない、甘えられない緊張感をようやく理解した。自分は見捨てられてもおかしくないと、ようやく気付いた。
それでもラルフェウは、ずっと震えているアリシアの左手を優しく強く握り、安心させようとしていた。
今はこのぬくもりにもたれかからないと、自分は生きていけない。アリシアが流した涙には、一体どれ程の感情がこもっているのだろうか──
※ ※ ※ ※ ※
それから約1時間後、4人は森の奥にある小さな湖で合流した。
アリシアの涙と下着は乾き、少しばかり表情を取り戻せたと思われる、そんな中で……。
「ベイル様ぁ!!!」
ベイルは泡を吹いて倒れていた。
「何でこうなったの?……」
「さっきからキノコを採っては食べてたんすけど……格別に美味しいって食べ尽くしたのが……マデロダケって……キノコの中でも最強級の毒を持ってるのだったっすから……」
「ベイルって毒効くんだ」
アリシアは弱っているベイルを見るのは初めてだったため、物珍しそうに泡を吹くベイルを見ていた。
誰もどうにか対処しようとしていない所を見ると、ベイルが信頼されているのか否かよく分からない。
「効きますよ……肉体持ってますから……しかし……もうすぐ復活なさると思います」
「何で分かるの?」
「ベイル様は毒では死にませんから」
「ざっくりした理由だね……」
「……あれ、キノコキノコ……」
ベイルは突如目を開け泡を吐き出し、寝ぼけていたような朦朧とした意識は犬が濡れた体を乾かすために体をブルブル震わせるように頭を震わせて取り戻し、上半身を起こした。
「ホントに起きた……」
「ベイル様、キノコは毒がある方が美味しいので気をつけてください」
「死なねぇから大丈夫だろ、つーかレオキス籠背負ってんのに空ってなんだよ空って!!」
「申し訳ありませんっす!!アニキに着いていくのが精いっぱいで……」
「あの、僕採ってきますよ」
「レオキスも行け!!」
「はいっす!!」
レオキスは籠を背負い、ラルフェウは籠を降ろして森の中に入り、走って森の奥に向かっていった。
「……じゃあ俺らは向こう行くか」
そう言ってベイルはラルフェウとレオキスが向かっていった方向とは逆の方向を指差した。
「何かあるの?」
「誰かいるし、しかも遠目で分かるレベルで、人間じゃねぇし、面白そう」
「出たよ単純……」
「うるせぇ行くぞ」
「……うん」
2人は歩いてその方向に向かっていった。十分ほど歩くと、木の幹で編まれたように造られた大きな建造物が現れた。
「ここですね」
「おいおいラルフェウ、何してんだ」
「すみません、2秒で……あ、これ僕完全に足手まといだな……と悟りました」
「頑張れよ」
「レオキスさんハンパないですよ、食べられるものと食べられないものの区別瞬時に見分けますし」
「頑張れよブス」
「何ですか急に、僕割とイケメンですよ」
「自分で言うかね」
ベイルとラルフェウの謎の言い合いを無視し、アリシアは少しずつその建築物に近付き、見上げた。
「……何なんだろうこれ……」
「教会か?」
「違うと思います」
「んじゃ学校か」
「それにしては狭すぎますね……」
「分かった、劇場だ」
「フォルム的に違うかと……」
「てめぇ否定ばっかしやがってふざけんじゃねぇぞ!!!」
「申し訳ありません!!!」
ラルフェウは一瞬であまりにも美しい土下座をベイルに向けた。
「……じゃあ、監獄かな……」
「一番ねぇわ」
「同感です」
「えぇ……キューちゃんは何だと思うの?」
「いや、僕はそういうのいいです」
「は? 散々批判しといて逃げんなよ」
「いや、答えを持ってないから出来る批判ってあるじゃないですか、あれです」
「ただのクズじゃねぇか、腹切れ」
「腹切っても死にませんよ?」
「死ぬまで切れよ」
もちろんベイルもラルフェウもじゃれ合いとして言い合っているのだが、両者の力を少しでも知っているアリシアは冗談には聞こえなかった。
※ ※ ※ ※ ※
何だかんだ言いながら、3人は無人の建造物に入っていった。
「……なんじゃここ」
「……なんだか、異様な感覚がなだれ込む感じがします……」
正面の扉の無い門から、3人が横並びになって丁度良い幅の一本道を歩いていた。
一体誰が何のために造ったのか、他に分かれ道や、部屋なども無く、ただ奥に続く道が1つ存在するだけだった。
「……ウーヴォリンの神樹林じゃねぇんだからよ」
「……行き止まりだよ」
3人の目の先には木の幹が隙間なく壁になって行く手を阻んでいた。
「ぶち破ればいいだろ」
3人はその壁の前に歩み寄り、ベイルはその壁に右手の平を置いた。すると木の壁はベイルの右手から腐食し灰になっていった。
「……何をどうしたの?今……」
「俺もよく分かってねぇ」
壁の向こう側には、首と四肢に枝が絡み付き、天井と床に繋がり、背後から大きな幹が腹部へと貫通した状態で囚われる女がいた。
おそらく膝まであるだろう長い銀髪に痩せきっていながらも色気を醸し出すしなやかな体、翡翠色の瞳はこの世の全てに嫌悪感を抱くように暗く、女はベイル達を睨むように見ていた。
「……え……」
アリシアはその光景に衝撃を受け、吐き気などを催しかけて、思わずラルフェウの背後に隠れた。
「よくもまあ生きてんな~」
体は傷だらけにもかかわらず、女の体からは血は一滴も流れておらず、引き締まった肉体と、顔の左目付近に深い傷跡の残っているその姿は、状況も含めて異様でしか無かった
「何だお前ら」
「あなたはいつからここにいるんですか?」
「知るか」
「では、何故ここにたった1人だけ囚われているんですか?」
「知るか」
「ダメですねベイル様」
「ん~名前くらい言ってもいいんじゃね?」
「誰が言う──か……」
女はラルフェウの背後から顔を覗くアリシアの顔を見て、言葉を失った。
女は突然ポロポロと涙を流した。かつての記憶がよみがえり、アリシアだけが輝いて見えていた。
「────ありがとう……リーロム」
そう一言つぶやいた女は微笑みだし、自力で四肢に絡み付く枝を振りほどき、両手で首に巻き付く枝を千切るように取り外し、腹に貫通していた幹から自身の身体を引き抜くように脱出して、床に降り立った。
「何だ突然」
「さあ……」
女は微笑みながらアリシアに近づいた。ラルフェウは敵意の無いことを確認しつつも、少し警戒の色を残しながら、女に必要以上の刺激を与えないために、アリシアの前から離れた。
「な、何ですか……んっ!!?」
女は突然アリシアと口付けを交わした。
「……は?」
「え……」
アリシアは離れようとするも、女はアリシアの顎を親指と人差し指でつまむように離さなかった。
「ベイル様、僅かずつですが彼女の傷が治癒し始めています……顔の傷跡はその様子を見せませんが……あれは……」
「あっそう、自然族か」
30秒ほどして女はアリシアと離れた。
「……え……え……」
「もしかして初めてだった? ラッキー」