第571話 乗り越えた先に
サクラが目覚める1ヶ月前。
戦の負傷者の治療を終えたアオジは、疲れた体を動かして帰宅し玄関を開ける。
その直後に、病室の方からアリシアの苦しそうな声が玄関まで聞こえてきた。
「まさか……っ!!」
アオジは滑って転けそうになるほど急に廊下を走り出し、病室にいるアリシアの元へ駆け寄る。
「っ! モモ!!」
「父さん! アリシアさん陣痛始まった!」
「分かった、すぐ準備する!」
先に対応していたモモから情報を簡潔に聞き、速やかに準備を始める。
腹も減っている、すぐ横になりたいほど足も棒のようだが、そんなこと関係ない。
アリシアが元気な赤ちゃんを産めるように、医者として最大限の努力を尽くすのは当たり前だった。
「あの、私にも何か……」
戦が終わってからすぐに診療所に戻ってきていたアリスが、心配でならないという面持ちでアオジに尋ねる。
「では仲間の皆さんを呼んでおいてください、アリシアさんが少しでも安心出来るように」
「……分かった」
知識も経験もないアリスに、直接手伝えることは無い。
分かってはいても、大切な友の助けになれないことはとても辛いと俯く。
アリスはすぐに手紙を飛ばし、一行の全員集合をかけた。
※ ※ ※ ※ ※
半日後。
間もなく朝日が昇ろうとする時間になり、かなり肌寒い中。
ようやく最後の1人であるハロドックが診療所に現れ、一行がアリシアのために全員集合した。
「俺が最後か」
「遅い」
「悪い悪い、まあ間に合ったってことで」
「心配じゃないの!?」
「いや俺のガキじゃねぇし、アリシアも別に弱くねぇしな」
中々産まれずに心配でどうにかなりそうなアリスとは対照的に、ハロドックは特に慌てふためく様子もなく落ち着いていた。
他の一行も大体同じような落ち着きようで、ベイルとマルベスは普通に寝ていた。
クラジューはジッとしていられるタチでも無いので、キリウスと外で音を立てないように組み手をしている。
バニルもアリスほどでないにしろ心配そうだったが、ルミエルは焦燥感なくドシッと構えていた。
経験のある者と無い者との態度の違いが如実に出ており、ハロドックは見てて面白いなと鼻を鳴らして畳の上に座る。
「ルミエル、俺にも茶淹れてくれ」
「自分で淹れてください」
「連れねぇなったく」
ハロドックはちゃぶ台の上の急須を手に取り、湯飲みにややぬるい茶を淹れて一気に飲み干す。
「長丁場になるのは想定内過ぎるわ、落ち着け」
「逆にどうしてそんなに落ち着いてられるの……?」
「俺が人生で何回出産に立ち会ったと思ってんだ、騒いだところで何も出来ないのは分かってんだよ」
「……心配はしてるんだ」
「混血のガキの出産が流れやすい最大の理由は、母親が保たないことだ」
「どういうこと?」
「種族が違うんだ、見てくれの形や中身のつくりが同じでも決定的に違うところがいくつかある……」
「それは分かるよ」
「能力も内臓の数も色々違う種族同士で出来たガキは、通常とは生きるために必要なエネルギー量が半端なく多い」
「母親は子供にエネルギーを吸い尽くされて、産気付いた頃には産むための体力が失われてるってことね」
「けどアリシアなら問題ない、神を倒すくらいエネルギー持ってんだ」
初代ホシノキズナ継承者のエリス・クルエルは、ハロドックとの子が3度流れた。
3回とも原因はエリスの力が産むまで保たず、お腹の中で子供が衰弱死していたのだ。
エリスの命を最優先としていたハロドックの迫られた命の選択の結果、子を成すことはついぞ叶わなかった。
特に魔人族は生きるために必要なエネルギー量が他種族と比べて多く、加えて魔力が絶たれたら命が尽きるほど脆い。
8代目のユリとの間に子を成せたのは、いくつもの奇跡が重なった結果なのだ。
流れる方が普通という混血の出産は、アリシアにとっても大きな試練に違いない。
「それにアイツは絶対に無事に産む、ラルフェウが遺した唯一の愛の結晶なんだしよ」
「……そうだね」
最も生きるために必要なエネルギー量が多い種族が魔人族なら、最も少ないのは人間族である。
出産まで約10ヶ月を要すだけでも命がけな人間が、その半分の月日で倍を有に超えるエネルギーを子供に注がなければならない。
しかしアリシアにとっては、それ自体に苦は無い。
この世の女としてなら〝霊王〟に次ぐ、あるいは匹敵する力を誇るため、そこへの懸念はほぼ無い。
対応している医者もアオジとモモという百戦錬磨の2人で、特にミスが起こる気配も感じない。
唯一読めないのは、子供の状態である。
タダでさえ生命力が不安定な赤ん坊、加えて〝混血〟という成人しても不安定な存在として生まれて来る。
子供の状態だけは、産まれなければ分からない。
男共が自由奔放にリラックスして過ごす中、アリスとバニルは心配そうに病室へ視線を向けていた。
※ ※ ※ ※ ※
そして、3日が過ぎた。
アリシアの方は、依然として動きはない。
波も変化がそれほどなく、痛みの間隔が短くなることもないようだった。
交互に休憩に来るアオジやモモから話を逐一聞くアリスとバニルは、中々心が休まらない日々を過ごしている。
「さすがに長過ぎじゃない?」
「母子共に変化は無いって聞いたろ」
「アリシアと赤ちゃんを過信し過ぎでしょ!? いくら強いからって!」
「赤ん坊の方は分かんねぇけど、アリシアの強さは別に力が強ぇだけじゃねぇよ」
「……精神力って言いたいの?」
「そゆこと」
アリシア・クルエルは、幾度となく壁にぶつかってきた。
夢を打ち砕かれ、希望を打ち砕かれ、光を打ち砕かれ、信じるモノが次々と失われていった。
友を失い、親友を失い、分かり合えた仲間たちを失い、最愛の人まで失った。
運命はそうまでしてアリシアをいじめたいのかと、周りの者が嘆きたくなるほどに苦難の壁にぶち当たってきた。
だがその度に、乗り越えてきた。
性格が捻じ曲がることもなく、不穏な思考に囚われることもなく、歪な正義を振りかざすこともなく。
人に優しく、ひたむきで真面目、関わる者達に慕われる愛嬌や純真な心を持ち続けている。
アリシアほどの地獄に見舞われたなら、大なり小なり心は黒く塗りつぶされるモノだろうが、そうはならなかった。
たくさんの人々の支えだけではない、アリシアの神すらも驚愕させる精神力が成せること。
ハロドックはそんなアリシアを見てきたからこそ、信じることが出来るのである。
「そろそろ肩の力を抜いても──」
直後、アリシアの大声が診療所中に響き渡る。
「アリシア!!」
「アリシアさん……!!」
「もうすぐだな、おい起きろチビ、ジジイ」
ハロドックは相変わらずグースカ寝ているベイルとマルベスを叩き起こし、外で体を鍛えている2人を呼び戻した。
長い長い時間をかけ、ようやく佳境を迎える。
緊張感がいやでも増してくる。
アリスは額や手から汗が止まらず、呼吸も忘れるほど強く祈る。
まるで永遠かのような15分が過ぎ──
──朝日が昇ると同時に、元気な産声が響き渡る。




