第237話 アナタのためならば
「はぁ……はぁ……」
自然族の〝王証〟が放つ唯一の技は、ベルベット以外の全てに傷1つ与えずに放たれた。
力を出し切ったビオラは着地した後に立つことすら出来ず、仰向けに大の字になって倒れた。
(……やっぱり……安易に使うべきではないわね……)
仮にベルベットが真正面から突っ込まなかったら、一撃必殺の攻撃はかわされていただろう。
対象のみを完膚なきまでに叩きのめし消し去る〝自然王の一撃〟は、1度繰り出せばガス欠になり行動不能となる。
だがそうでもしなければビオラの勝機は皆無だった、ベルベットが勝負に貪欲で無ければビオラは確実に死んでいた。
呼吸やまばたきは出来ても指を動かす事すら困難なほど消耗したビオラは、しばらくここで休んでいようとして──
「──こんな所にもう1匹」
逆さの顔がビオラの目に映る。
見覚えは無い、若干血を浴びている顔や体を見渡してもやはり誰なのか分からない。
何より気になるのは、背中から生えている蝶のように美しい水色の翼だ。
この翼のせいかビオラの頭の近くに立つ女の心にノイズが多くかかり、全く読み取ることが出来ない。
そして思考が見えなくても分かる……この女は間違いなくさっき倒したベルベットよりも強い、それもかなりの力の差をつけて。
「どうするの? キミもボクと闘うの?」
そう言って足首から切断された右足の指を舐めたり吸ったりし始めた女は、満身創痍のビオラに対して凄まじい殺気を放つ。
睨み付けるでもなく声音が図太くなるでもないが、その威圧感だけで並の者なら自殺を図ろうとすら思ってしまうだろう。
ビオラは全身にドッと汗をかき、無意識的に呼吸が荒くなっていく。
圧倒的な存在感、それが醸し出す強烈なインパクトに気圧されて、女が右手で掴んでいる者に気付けなかった。
「……え……」
意識の無い誰かの襟を引っ張る女、引っ張られている者が誰なのかは顔を見なくても理解した。
「……バニル……」
全身に生々しい傷を負い、ダランとした腕や浅い呼吸でどれだけ酷い状況なのかは一目瞭然である。
──そして、右足が足首の先から無い。
「ん? ああはいはい、この娘の足は美味しいよ、キミも舐める? 左足は残ってるけど」
きっと10年前のビオラならば、感情の波は一定のまま自分にデメリットの無いようにあれこれ話したかもしれない。
誰かと共にいても、ずっと孤独だったビオラには何もかもが無意味なのだ。
しかし今はどうだ。
あれほど動く気配の無かった両手の拳を握り締め、眉をひそめて足をしゃぶる女を睨み付け、口は開かずとも歯を食いしばる。
大切な誰かを傷付けられた怒りで冷静さを失いかけ、その女に負けないほどに激しい殺意をぶつけていた。
ビオラに芽生えた、仲間という言葉。
それはアリシア以外の一行ではビオラが初めて抱く言葉。
仲間があれほど傷付けられて何とも思えないほど、ビオラはもう孤独など感じていなかった。
「……めろ」
「え?」
「──その汚い舌でその子を辱めるのをやめろって言ったんだよこのド畜生がぁッッッ!!!!!!」
ビオラ自身、怒りでこれほどの大声を上げたのは生まれて初めてだった。
だから何だ、これを抑えられずにいてたまるものか。
足を動かす、手を動かす、絞りかすの力を奮って立ち上がる。
フラフラとしながらも、バニルのために立ち上がる。
大切な仲間のために、立ち上がる。
「ワタシの仲間に……触るなぁぁああああああああああああああああッッッ!!!!」
「その通りだ」
刹那、耳元を凄まじい速度で突き抜けた男がそう口からこぼし──
──ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!! と女の顔面に渾身の左拳が炸裂し、不意にバニルから手を離した女はクカルエルナを囲う結界に激突するほどぶっ飛ばされた。
「……クソが、けど間に合ったって事でいいな」
口ずさむその男が指を鳴らすと、ビオラとバニルを半透明で黄緑色のドーム型の結界が囲われた。
「〝治癒空間〟」
するとみるみるうちにビオラの体力は全快し、バニルの傷やダメージを治癒されて足も生えかわるように元に戻った。
10秒もすれば2人ともが全快し、結界が解けるとバニルがまぶたを揺らす。
「……っ……ぁ……」
「バニル! 聞こえる!?」
「……ビオラ……さん……私は……」
目を覚ましたバニルは、ビオラが視線を向ける方を見るために上体を起こして振り向く。
「っ……ベイルさん……」
「間一髪だったわ、よっぽどアナタの事が大切なのね」
死をも覚悟した窮地から助かったために緊張がほぐれた事、また助けられてしまい自分が情けなく思う事。
そしてそれ以上に、またしても大好きな人に救われた事の喜びに大粒の涙をこぼすバニル。
体は小さくとも、とても大きくて安心出来るベイルの背中を見るバニルは、嗚咽を漏らしながら何度も感謝の言葉を繰り返した。
そのベイルが右手を伸ばすと、磁石で引きつけられるかのように遠くからバニルの愛刀──〝聖器〟獄刀インフェルノが飛んできた。
勢いよく右手に掴まれた刀を、ベイルはバニルに投げ渡す。
「そっちはお前らがやってくれ……俺はあいつをぶっ殺す」
刀を受け取ったバニルが前を見ると、ベイルを追ってここまで来た2人の女がゆっくり歩み寄ってきていた。
「ん~選手交代? どっちでもいいけど~、今の私イライラしてるから捻り潰すね~」
「ああ、私も気が立っているからな……」
さっきまでベイルと戦闘を繰り広げていた姉妹は、血走る目を鋭く尖らせてビオラとバニルを睨み付ける。
ビオラとバニルは再び気を引き締めて立ち上がり、4人は戦闘態勢に入る。
「行くわよ」
「はい!」
※ ※ ※ ※ ※
「……あれ……」
同じ頃、生死の境を彷徨っていたヒマナは目を覚ます。
そして周囲には人1人おらず静まり返っている事、貫かれていた体には傷1つ付いていない事を確認する。
「……どうなってるんだ……」
とりあえず深呼吸をして落ち着き、立ち上がって離れた場所も確認した。
ベイル達はまだ戦っており、住民も動ける者は全員避難を終えたようだった。
あんなにもあっさり戦線離脱した事を数秒悔い、すぐに切り替えて避難場所である〝神樹アルカヴェルス〟の元に向かう。
(多分いい雰囲気じゃないはずだ……いくら避難しても秩序が無ければ意味が無い)
「落ち着いて入ってくださーい!! 場所は十分に確保されていまーす!!」
「このままじゃここも終わりだ、どうせ逃げたって……」
「キリウスさん達が戦ってくれてるから大丈夫だろ!! 多分……」
「お母さぁぁん!! どこぉぉ!!」
「エルナ先生、お願いします……どうか我々を救ってください……」
ヒマナの予想通り、現場は混乱を極めていた。
この混乱が生じて間もなく、数人のクレイセンダルの戦士が連絡のためにこの地に来ていたため、避難誘導の支援に取り掛かっている。
避難場所では長のヘルヴァノバーをはじめ、守備隊などの者達が率先して声をかけてはいるが、ほとんどの者は聞く耳を持っていない。
「あ、ヒマナさん! 無事でしたか!」
ヒマナを見つけたヘルヴァノバーが駆け寄り、無傷のヒマナを見て胸をなで下ろした。
「……ヒドいな、こういうのは経験済みではなかったのですか?」
「それが、あの時は近い内に襲撃がある事が分かっていたため準備が整っていたのですが……今回は奇襲、それも相当の人数だった……混乱も致し方なく」
「それを何とかするのがあなたの仕事じゃないのですか」
「そう……なんですが……」
長がこんな弱気ではまとまりが無くて当たり前だろう、そう思ったヒマナはため息をつき、避難場所の全体を見通せる位置に台を置く。
そこに立って咳払いをした後、手に持つ長刀でバゴッッ!!! と避難場所を破壊せんとするほどの威力で壁を叩きつける。
あらゆる悲観的な声が上がっていたその場に、ついに静寂が訪れた。
「……部外者のあたしが言うのは無粋だと思って何もしなかったが、こりゃ部外者の手が無いとどうにもならないさね」
叱りつけるように、低い声で言い聞かせる。
「場所は全員分入れるんだからスペースを空けろ! どうせダメだと思ってしゃがみ込むな! 多分じゃなくて信じ切ってみせろ! はぐれた子供の母親捜しくらいやってみせろ! 死人に祈る前に自分に出来ることを考えて行動してみせろ!」
俯いていた者は顔を上げ、泣き喚いていた子供は泣き止み、この場の皆がヒマナの言葉に耳を傾ける。
「そうやって全員が全員誰かが助けてくれると思ってたら、誰も何もしやしない……いい加減頭冷ませ、死にたいのか」
ヒマナの言葉にハッとし情けなく思う者がチラホラ現れるが、そうではない者もやはり中にはいる。
「何しゃしゃり出てんだよババア! そもそもお前らがここに来たからあいつらが襲ってきたんじゃねぇのか!?」
「そ、そうだ!」
「何しに来たんだよ!」
「帰れ!!」
そしてヒマナを非難する声が連鎖するように浴びせらると、再びヒマナは壁を叩きつけて黙らせる。
「お前ら、自分の弱さから逃げてんじゃねぇぞ」
オーラや目付きが変わり、非難を浴びせていた人々は思わず口を閉じる。
「あたしは戦えとは言ってない、そしてあんたらを助けるとも言ってない、あんたら皆が全員無事に生きるために動けっつってんだよ!!」
「し、質問に答えて」
「そんなもん全部終わってから聞いてやる、もちろんちゃんと聞く気は無いね、こんな非常事態でも自分の事しか考えられない馬鹿野郎共の戯れ言に何でバカ正直に付き合ってやんなきゃいけないんだ?」
「っ……」
「分かったんならとっとと動け、生きるために避難してきた場所でくたばって得する奴がいるのか?」
数秒後、沈黙を破ったのは1人の子供。
母親とはぐれて泣き喚いていた子供の元に寄り添い、「一緒に捜そ!」と声をかける。
それを見た大人たちが次々と動き出す。
避難場所のスペースを広く使い、年寄りや子連れ家族を優先して場所を譲るなど、助け合い生き延びるための行動を手探りで始めた。
「ヒマナさん……」
「これは本来あんたの仕事だよ、リーダーがへなちょこでどうすんだい」
バシっと1発ヘルヴァノバーの背中を叩き、ヒマナは連絡のために来たクレイセンダルの戦士の元に向かう。
「……本当にそうだ……いつまでもエルナ先生に甘えていてはダメだな……」
そう言ってヘルヴァノバーは前を向き、声を出して人々に指示を出し始める。
助け合わなくては、エルナ先生が悲しむだろうと思いながら。
クカルエルナは、ヒマナの喝で絆を取り戻していった──




