第169話 心はアナタでいっぱい
「んっ……んっ……ぷはぁ……」
「何でそんなエロい声出してんねん」
一応補足として、何かしらエロい事をしている訳では無い。
ビオラはキリウスを引っ張り、ベズリアムのとある大きな酒場に入ってひたすら酒を飲み始めたのだ。
入り口から遠い奥のテーブル席で、対面するように座っている2人。
ベズリアムだけでなく〝巨界〟全体にチェーン展開している酒場であり、酒豪ばかりの巨人族に長らく愛されている酒場だ。
何せ1日中開いているため、今のように朝早くからでも全然飲めるのが人気の1つだ。
キリウスは嘘みたいに酒に強く、ジョッキに注がれたエールを水を飲むみたいに平気な顔して付き合っている。
ビオラはジョッキのエール1杯目辺りから顔が火照りだし、3杯目から目が虚ろになり、5杯目から呂律が怪しくなり、10杯目にもなると逆に呂律は回るようになったが変なことを言い始めた。
「ね~、ね~ってば~あ~」
「なんやねん」
「なんでもな~い、あはははは~!」
この調子がさっきから20分くらい続いている。
いい加減ウンザリしてきたキリウスはため息をひとつ吐き、ビオラの隣に座り直した。
「なによ~」
「ええから、何か話したいことあるんちゃうんか?」
頬杖をついてビオラと目線を合わせ、真剣に話を聞こうとするキリウス。
本当は(面倒くさいからさっさと終わらせてくれ)などと考えているが、ほんの少しの優しさは持ち合わせている。
しかしキリウスが真面目に聞こうとした瞬間、へらへら笑っていたビオラの表情は突如目を見開き、顔を隠すようにそっぽを向く。
この顔が熱くなった感覚が、心臓の鼓動が速くなったのが酔いのせいでは無い事は分かっている。
「言うてみい」
「……べ、別に……そんなこと……な……」
誰でもよかったのではない、直感でキリウスに付き合ってもらおうと思って引っ張ってきた。
理由は分からない、ただ10年、ビオラがルブラーンで過ごした日々は7年だが、時を重ねるごとにキリウスの事ばかり考えていた。
心おきなくというか、キリウスと共にいると心が温かくなり、心地の良い感覚に包まれる。
なのに面と向かうと急に恥ずかしくなる、一体どういう事なのかビオラにとっては謎のまま未だに解明されていない。
「……アナタは……少しずつ記憶を取り戻してきている……そうよね」
「ホンマにちまちまとやけどな」
「……嫌だ」
歯を食いしばり溢れ出しそうな涙を堪えたビオラは、これは酔った勢いだと自分に言い聞かせ、柄でも無く感情を開放する。
「ワタシは……アナタの記憶は戻ってほしくない」
「は?」
伝えたい本心を伝えるために、酒でも何でも己を鼓舞して勢い付かせて感情を表に出す。
キリウスが訳も分からないとたった1文字で伝えると、意を決したように両拳を握り締めて視線を合わせた。
「アナタの記憶は戻らなくていい、いいえ戻らないで、もういい……そんなに頑張らなくていいから……お願い……」
お願い。
聞き逃さなかった、聞き間違いかと思った。
あのビオラが、誰かに希望を強い思いを込めて伝える事が驚きでならなかった。
「……酔うてるんとちゃうんか」
「ごめんなさい、これは本心」
子供の見てくれからは信じられないほどに重いモノを持ち、あらゆる色に染め上げてきた小さな両の手でキリウスの手を掴む。
最初はマッサージをするみたいに優しく、そして徐々に強く、目には涙を浮かべながら。
「……何でや……ワイが取り戻してお前に損でもあるんか、お前が昔のワイに何かしたんか」
「違う、違うの……あの時初めて会った……」
「ほな何で……」
「初めて会った時、アナタの心は空っぽだった」
〝読取〟の呪力で心が読み取れるビオラは、ずっとキリウスの心を人知れず覗いてきた。
空っぽとはつまり、心に残るモノが何も無い状態、これは通常生まれたばかりの赤ん坊くらいしか見られないモノだという。
つまり記憶が無くなり心に何一つ影響を与えるモノが無かったキリウスには、記憶の隅に現れる謎の女の声以外に心を響かせるモノは無かった。
そしてビオラ達と日々を過ごしていく中でキリウスの心は少しずつ満ちていき、記憶も少しずつ取り戻しつつある。
しかしビオラは、それが気に食わなかった。
その記憶の隅に現れる謎の女の存在が徐々にキリウスの心を満たしていく事が、気に食わなかったのだ。
「……ワタシは、アナタにとって特別な存在でありたい」
会えなかった3年──否、〝時軸変石〟の洞穴にこもっていたため数百年間だろう。
会えなかったのに、日に日にキリウスの事で頭がいっぱいだった、心が満たされていた。
「ワタシにとってアナタは、かけがえのない存在だから──」
だからキリウスにとって自身が、そんな特別であって欲しかった。
見たことも聞いたことも無い女、ただの面影に負けている気がして、それに怒っている自分がいる事に気付いた。
その心の名を知らないまま、ビオラはキリウスに思い馳せている。
「──その心が、ワタシで満たされてほしい」
「────」
言葉が出なかった。
こんなにも自身を想ってくれている事に、気が付かなかった。
確かに酔っている、肴も無しによくもまあ飲み続けるなと思っている、息も酒臭い、朝だからほぼ誰もいない店で迷惑にはなっていない。
「お前そんなにワイが好きなんか」
「すっ!? 違っ!! ……好きとかそういうのじゃなくて……だから……」
声色はいつも通り無気力で、しかし表情は自分史上最高に驚きながら、考え無しに思った事をサラッと口に出してしまう。
その言葉に驚き慌てふためき、目が泳ぎ言葉がつまり、恥ずかしそうにモジモジし始める。
見てくれは幼女、普段の振る舞いは神秘的かつ冷静な女、今は好意を寄せる者からの不意打ちに困惑する乙女そのものだ。
「っははは! そんなかわいい顔出来んねんなお前!!」
「かっ! かわ……いやそ……だから……」
キリウスは純粋にバカにしているのだが、ビオラは酔っているからなのか、それとも雰囲気に飲まれているのか、怒りは感じなていない様子だ。
それどころかかわいいと言われた事に興奮し、少しずつ小声になりつつ手先でなんだかよく分からない動きをしている。
「はいはい頑張った頑張った、よう言えたな」
笑いすぎて涙が出てきたキリウスは涙を拭きつつ、これもまた純粋無垢に褒めて頭をポンポンと優しく触れる。
顔から火が噴き出しそうなビオラは俯いたまま顔を上げられず、恥ずかしくてどうにかなりそうでありつつ、撫でられた事が無性に嬉しくなる。
それこそ歌って踊り出しそうなほどだったが、うぅ~という声しか出せないでいた。
「で、言いたいんはそれだけか?」
「……まだ、ある」
何も言わずに立ち上がり、再び対面するように座って頬杖をつき、ビオラを見るキリウス。
ビオラは1度目を擦り、緩んだ表情を引き締めて話に臨む。
「この3年、ジェノサイドの動向を探りもしていた」
「で?」
「近い内に、あらゆる世界を巻き込む大規模な戦争が始まると思う」
「それをワイに伝える理由は?」
「ワタシに協力してほしいから」
「分かった、で、どこでやるんや?」
「……これは恐らく2ヶ所で同時に展開されると思う……あくまで予想だけれど、場所は────」
※ ※ ※ ※ ※
「──それ、本当ですか……」
「ほぼ間違いねぇよ」
ビオラがキリウスに話していた内容と同じ話を、ラルフェウとハロドックは話していた。
いつものように無銭飲食を横行する〝食べ歩き〟の尻ぬぐいをし歩いていたラルフェウと、とにかく都市中を回って被害者が気付かないまま痴漢を横行していたハロドックが偶然にも鉢合う。
ベイルはどこかへ行ってしまい、ベイルを捜しながらラルフェウはハロドックからこの話を聞いた。
「〝七連本隊〟、〝クイーンの部下〟、そして〝賢者ベントス〟……コーゴーで言えば特等クラスの戦力をこれだけ揃えた理由はそれだ」
「しかし何のために2つも……下手したら千年戦争以前の暗黒期に入りかねないですよ……」
ガービウ・セトロイの目的が読めないラルフェウは難しい顔をして右手を顎につける。
「まあ前者は俺らの出る幕じゃねぇ……本題は後者だ」
「我々がそこで戦うということですか?」
「ああ」
「何のために……あ……そうか……その戦争に勝てばそこにいる人達を味方につける口実が出来る、規模が広がればジェノサイドやコーゴーにも負けない戦力となりますね」
「そゆこと、まあ勝率はアホみてぇに低いけどな、今のままじゃ」
「そのために今回修業と……」
「他にもまだある、アリシアが〝ホシノキズナ〟をコントロール出来るようになるのも必要だ」
「なるほど……」
「とにかく今んとこは上手く事は運べてる、ルブラーンを出る口実が出来て、最高幹部2人とクイーンの部下1人減らせたし、ベイルの完全復活への道のりも出来た──
──アリシアが〝ホシノキズナ〟を覚醒させた事でこの世は確実に崩壊する道に入った、多分ガービウ・セトロイの手によってな──
──そこにベイルとか〝霊王〟が入っていけばいまだかつて誰も見たことのねぇ、神すらも止められねぇ最大の戦争が待ってる」
「……ハロドックさんの目的は、そこにあるんですね」
「そうだな」
ハロドックはそれ以上は何も言わなかった。
アリシアが〝ホシノキズナ〟を覚醒させた事が全てのきっかけとして、今までほとんど活発な動きを見せなかったジェノサイドが動き出す。
動かなかった数千年のほとんどを勢力拡大と賢者ベントスの欠片探しに費やし、思惑の全てのピースが揃ったガービウはいよいよ本腰を入れてくる。
あらゆる世界を巻き込む戦争が起きることは間違い無く、一行はそれを利用しつつ各々の野望を達成していくという算段だ。
その準備をクレイセンダルで一気に揃え、物語は加速していく────
ドゴン!!!
爆発ではなく、大きな力により伝わった衝撃が走って建物が崩壊する轟音が2人の前方から聞こえた。
「……何だ?」
とりあえず駆けて寄ってみると、崩壊した大きな建物の瓦礫の上に、ベイルとほぼ同じくらいの背丈の老婆が立っていた。
白髪で黒目、しわくちゃな顔で、自らの背丈の約2倍近くあるハンマーを手にしている。
「遅いんだよ! 待ち飽きたわクソ変態魔人!」
駆け付けたハロドックを見るなり、騒動が起きている周辺の音に負けないかなりの大声で怒っている様子を見せる。
「お知り合いですか?」
「……ヒマナ……」




