第138話 未曾有の絶望へと
その数日前、コーゴー本部のホーウェンの部屋には、シキシマが入ってきた。
「何だ」
コーゴーは〝神官十一帝機構〟撤廃後の資金繰りの見直し、〝ホシノキズナ〟覚醒によるジェノサイドの活動活発化に向けての戦力増強、育成強化を図っていた。
さらに支部を増やし、〝自然郷〟、〝巨界〟、〝妖の里〟、〝龍界〟それぞれの支部の連携やジェノサイドではないあらゆる組織との同盟を結び、地に足を固めていた。
コーゴー史上最も忙しい9年が終わった頃にはルブラーンは襲撃され、またアセンシル高原でジェノサイドの拠点の存在が発覚するなど、火種が尽きる事は無かったの
「人間界でジェノサイドの最高幹部が2人も死んだのは聞いてるよな」
「ああ、無論クルエルだろうな」
〝暴竜〟の2つ名を持つヤドルモ・ナダラ、そして指名手配されていたもう1人の最高幹部ミルベル・ファーゼル。
この2人を人間界で倒せる心当たりはたった1つ、アリシアとそれを取り巻く強者達。
ジェノサイドと同じくコーゴーもまた、四大勢力に負けずとも劣らない戦力を保有すると見て警戒は怠っていない
「俺が出向く」
「……調査ならレルシー長官直々に元帥をするコーゴー諜報機関「カメレオン」の情報で既に事足りているが」
コーゴー各族情報管理局長官、レルシー・デルクルの名の下に存在するコーゴー最高の諜報機関「カメレオン」。
千年戦争により生物が暮らすことの出来ないほど汚染された死の世界〝ヘルアンドヘブン〟を含む7つ全ての世界に情報網を張り巡らせる機関である。
カメレオンからの情報は毎日逐一にレルシーの耳に入り、瞬く間にコーゴー職員の耳に入っていく、コーゴー情報網の最後の砦。
情報においてはコーゴーで彼らの右に出る者はいないが、戦闘となるとカメレオンの力は上等聖戦士とほぼ同等程度故、シキシマはベイル達の力を強く見積もり手を挙げたのだ。
「カヴガコロシアムに奴らが現れるかもしんねぇだろ」
「何だその……カヴガコロシアムとは」
「人間界のどんちゃん騒ぎだよ、可能性として現れるって事だ」
「その可能性の根拠は?」
「───アルカヴェルスの神殿跡がある」
「───」
この世の四大宗教、アルス教の唯一神である創造神アルカヴェルス。
信者の比率で言えば四大宗教で最も数少なく、さらに信仰するアルカヴェルスを奉る社や教会等は極端に少ない。
そのためアルカヴェルスの神殿跡ともなれば、そこには間違いなくこの世を揺るがす何らかが眠っているとされている。
その数少ないアルカヴェルスの遺産がある場所で祭典が開かれるともなれば、目的が不透明なベイル達は向かう可能性がかなり高いと踏んだ。
「いいか、俺達はほとんど情報がねぇんだ、ジェノサイドの脅威になり得るそいつらを見て見ぬ振りはヤベぇだろ」
「シキシマ班は人数が多すぎる、派遣するならゼルクかミルに」
「いや、シキシマ班じゃねぇ……アヤセ班だ」
「……つまり、ビジルを初めて実践投入するという事か」
特等聖戦士には個人が選抜した戦士数百人ほどで形成される班が各存在する
シキシマ班はその中でもかなりの大規模で、総勢約4000人を超えている、コーゴー本部の最大戦力の1つだ。
しかしシキシマ班とは別にアヤセ班という独立班が存在している。
総勢7人の超少数精鋭で、滅多に動く事の無い特殊部隊だ。
「まあそういう事だ、じゃあ後は頼む、命令出る前に俺は人間界行くけどな」
「何をしにだ」
「刀返してもらう」
そう言ってシキシマはホーウェンの部屋を出て、帰宅した。
かつてシキシマは、ビジルが悪用する危険性を加味し誰も手につかない場所に自身の最高の武器を人間界のとある場所のとある者に預けていた。
それがベイル達が10年前、リドリーと出会った森に住んでいた老人、ニールである。
※ ※ ※ ※ ※
「お帰りなさい」
「ただいま」
いつものように帰ると愛する妻の姿があり、どんなに殺伐とした雰囲気の仕事でもどんなに血生臭い任務の後でも、この安らかな声と笑顔で癒やされる。
コーゴーを支えるシキシマが愛する妻、アトリは今日も愛妻家の夫の無事に安堵の表情を浮かべる。
「お帰りなさいお父様!!」
そしてもう1人、シキシマの帰りを待ち遠しくしていた活発なヤンチャ小僧がリビングから走って出迎えてくれる。
「お~シギ、お父様はちょっと仕事だからすぐ行くわ、お母様の言うことちゃんと聞けよ~?」
「ええ~!!」
落胆するシギの頭をめちゃくちゃに撫でるシキシマは、靴を脱いで家に入り相棒を呼ぶ。
「おいビジルー!」
「何だ」
「仕事だ、行くぞ」
「分かった」
シキシマは自室にいたビジルを連れ出し、人間界に向かっていった。
相棒と思っているシキシマだが、ビジルは今回がコーゴー職員としての初陣である。
扱いとしてはシキシマの〝特等専属戦士〟だが、ゆくゆくは特等聖戦士となりコーゴーの新時代の星として輝いてくれる事をシキシマは祈るばかりだ。
そしてリミルが乱入した9年前の会議後、シキシマは本当に子作りをして結果元気すぎる三男が誕生した。
既に2世の1人としての才能の片鱗を見せ始めている事をシキシマはこの時まだ知らなかった。
※ ※ ※ ※ ※
シキシマがホーウェンの部屋を出た直後、入れ替わるようにレルシーが入ってきた。
「レルシー長官、どうされましたか?」
「いえ、シキシマどのが珍しくここに入っていたものですから」
部屋のソファに腰を下ろし、テーブルの上の茶菓子をひとつ手に取り口に含む。
常に新たな情報を得、管理する各族情報管理局の長官であり、毎日休むこと無く頭をフル回転させているレルシーは、パンクしないように糖分の補給は欠かさない。
「アヤセ班を動員するそうです」
「ほう! 久方ぶりですなそれは!」
「ええ……班長シキシマ、班員は───
長女アマネ、上等聖戦士序列14位
次女ヒワ、上等聖戦士序列12位
長男クグイ、上等聖戦士序列11位
三女シトネ、上等聖戦士序列15位
次男ヒノト、上等聖戦士序列13位
……そしてビジル…………よくやるよ、シキシマファミリーが聖戦士を支えている……本物の大黒柱だ」
レルシーお気に入りの〝陽ノ國〟にのみ流通するお茶、緑茶を淹れ差し出すホーウェン。
「三男のシギ君も、将来有望らしいですよ」
「ありがとうございます」と一言添えて熱い緑茶をすするレルシーは一息つき、優しくテーブルにカップを置く。
紅茶と同じカップを使っているため、レルシーは持っている湯飲みとの違和感を感じるが、そこは余り気にせず会話は続く。
「まだ8歳なのに……どれだけ嫁が好きなんだか……」
シキシマの愛情を茶化しつつ、夫婦の幸せを微笑ましく思っている、それだけの言葉のはずなのにレルシーはひどく嫌悪感を抱く。
「……ホーウェンどの、あなたがアトリどのの話をするのは、あまり快く思えませんが……」
「今話しているのはシキシマの話ですが」
その嫌悪感を向けられている事を分かっているホーウェンは冷静に切り返す。
「……失礼、ですがいつでも肝に銘じておいてくださいよ、あなたが完璧な経歴であれているのは、私たちのおかげなのですから」
そう言ってレルシーは、気分を害したのかやや逃げるようにホーウェンの部屋を出た。
「……俺の経歴はどうでもいい───ビジルが人間界を滅ぼさないか、それを危惧すべきだ……」
※ ※ ※ ※ ※
アセンシル高原を出てから約4日後、夜に少女は自室に戻る。
バカみたいな理由から始まったベイルとハロドックの相撲騒ぎから3日、自身も参戦し被害者は出なかったが軽く地形を変えた事に反省している。
あと数日もすれば目的地に到着する、にも関わらず伝えるべき、伝えなければならない事をアリシアに話せないでいた。
「あ、お帰りなさい」
「……ええ」
この現状をどう説明すべきなのか、今の彼女にはその言葉が出てこない。
アリシアを想うが故に何も言えない、しかし言わなければならない。
「あの、今日も掃除頑張りました、ビオラさん」
「そう、ありがとう」
勝ち気で欲望に忠実で、何があってもアリシアを愛し信念を貫き通してきたリドリー・ミボルのの記憶が───失われた。
あれほど強い心は、こんなにも簡単に無かった事にされていいのか?
あれほど強い愛情は、こんなにも簡単に無かった事にされていいのか?
考えられないくらいの幸せ積み重なる記憶が、こんなにも呆気なく蹂躙されていいのか?
「私、本当にビオラさんに感謝していて……名前も分からない私なんかを助けていただいて」
当人が気付けない屈辱を前に、アリシアは何と言うだろうか、何と思うだろうか。
記憶を消した(と思われる)ミルベルが死んでなお効果が持続している理由も分からない。
否、効果はリドリーの記憶が消えた時点で終了している、そこから取り戻す事はミルベルも出来ないだろう。
呪力の恐ろしさを改めて強く思い出させ、行き場のない怒りにビオラは笑顔を見せることも出来ない。
───強がる強さも無い事を、これほど憎んだ事は無い。
「……リドリー……アナタを必ず取り戻してみせる」
「はい! その……アリシアさん? という方のためにもですね!」
手がかりはアリシアにある、むしろそれしか無い。
向かうべき明日を見失ってなお、残酷にも昇る朝日。
この冒険には約束された安全も、想定外が無い事もあり得ない……分かっているはずなのに……。
───分かって……いるはずなのに……。




