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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

己滅

作者: 鍵ネコ

冬枯れの木が茂る季節。溶け残る雪と、冬眠中の動物達が地面に眠りにつく頃、我と、息子佐武朗は深い雪道を藁の雪靴を履いて、足跡を作りながら歩いていた。

日も登り始めた早朝の事である。


我達は妖狩りに出かけた。この家業、年であるからして引退するものかともの更けていると、佐武朗が継がせてはくれぬかという。


それが昨晩の事だった。


昨日の日が落ちた頃、息子夫婦は孫を連れて我が家を訪ねてきたのだ。


2里凡そ7.85kmも離れている訳だが、ようきたものだ。そんな遠い所から孫も来ており、久しぶりであった。孫は我、お市の事を覚えておらんかったが、まぁ仕方あるまい。


それにしてもだ。やはり子供というのは成長が早い。5年前の赤ん坊はすっかり腕白になっていた。

 

それを佐武朗は大変だと嘆けども、お前も昔はそうだったと言えば、肩を落として謝りおった。

もし誰もいなければ腹を抱えて笑ってしまう話である。


「父上、どうかしましたか、笑みなど浮かべて」

「ん? ああ、何でもない」


思い出し笑いの癖は治らない。しかし、治さなければならないようだ。


そうして淡々と雪道を歩く。黙々と歩く。

ただ、黙々と歩くのも忍びないもの、ここはひとつ男同士語ろうかと思った矢先のことだった。


「父上、父上が妖狩りを始めた経緯はなんなのでしょうか」


どうやら佐武朗も同じような事を考えていたみたいだ。先手を打たれたのは少しばかり気に食わぬが、そうかと軽く昔の記憶を振り返りながら語る事にした。


「昔一度、佐武朗にも話した気がするがな」


時として30、40年程前まで遡る。我の家業、妖狩りの原点であり、始まりである年数だ。


それは元を辿れば我の故郷ふるさとが妖に滅ぼされたことから始まった。率いる妖と親玉。

あまりにも凄惨な出来事に、我は憎悪に身を焦がされ、身体中から血が溢れでるが如く、滲み噴き出す怒りと憎悪、哀しみに叫んでいた。


……そもそも、妖とは何かと言うならば、邪気の塊というもの。それが人の目に真として身を置いている存在。しかし、あれは生き物ではなく、どちらかと言えば霊体のようなもの。


強いて言うならば、悪霊のようなものだ。


故に悪事を幾千も行う。例えば、我の故郷を焼き払い女子おなご共に侮辱の限りを尽くした事、男共を嬲り殺した事。食糧を荒らした事。


これらは我ら人間もすることでもあるが、それはこの地にいる山賊でもしないような悪事、まぁ奴らも奴らで弁えはある。


つまり、極悪非道の塊なのだ、妖とは。


故に、我は其奴らを斬らねばならんと、生き残ったが故に、それが我の仕事、家業であり天命と定めた。


そして、その使命に駆られた我は、炭と化した故郷の中から一本だけ万全の刀を身につけた。

それが、我の愛剣となる。


刀身は美しい輝きを放ち、天に掲げれば、鈍色は金の如く重圧を目に腕に至らしめた。又、良き地斑じふであった。この刀は真、良き代物だった。


その後、我はこの刀を収穫出来たことに喜ぶのみならず、妖を討ち滅ぼす兆しが見えた事に打ち震えたのだ。


しかし、この30、40年の間殆ど休みなく滅ぼそうとも、何処からか再び現れる。妖とは永遠に消えぬものなのかとも思える程に。否、永遠に消えぬものだと思う。


小鬼を斬ろうと新たな小鬼が生まれ、河童を斬ろうと新たに河童が生まれる。いつしか我は、妖とはそう言うものなのだと考え出した。奴らも我ら人と同じように繁殖しているのだと。


そう考えるとだ、我は故郷を襲った妖狐を余計に恐ろしく感じた。だから己を鍛え続けてきたのだが……。


「さて」


長話は長すぎると飽きると言うもの、聞く側も聞かせる側も疲れる。


「そうであろう、佐武朗さぶろう」

「いえ、面白う御座いますよ」


我が息子、佐武朗。身の長さと言えば我を超え、4.5尺5寸151.5cmと少しばかりではあるが高い。体重も16貫60kgと丁度な体型だ、我、息子ながら羨ましいき。


しかし、我は鬼面。それを思えど厳格である。厳格を装いて、ようやっと我は父である事を誇示できるのだ。


我らが山に登って数刻。日が昇り昼時を報せる頃、妖は現れた。草木をかき分けていたため、動きを止め、物音を鳴らさない程度に身を屈めるよう指示する。


「よう見とけ」


我はそう佐武朗を宥めて目を据える。しかし、佐武朗は少しばかり恐怖の念を抱きつつも、嬉々とした面持ちで我に話しかける。


「あれは何という妖で?」

「……陰摩羅鬼おんもらき、新しい生き物の死体から生じた気が化けた妖だ。先に言うが、此奴の元出は生き物であるが、彼奴らは生き物、ならざるモノ。妖で間違いはない」


しかし、我は毎度思う。陰摩羅鬼は中々に、妖の中でも奇怪だと。姿形は死した者からだ。人のような形もあれば鳥、魚、熊など、様々に容姿を持っている。今回で言えば鳥ではあるが、纏う気と潰れた顔は真、妖と断ずる事が出来る。……いやはや、やはり奇妙な事。中々に醜い妖である。


我らは観察する。妖狩りは、妖の隙を狙っての行動でないと、長引いてしまう。急所を狙って一太刀が最良。


故によく見る。この陰摩羅鬼は首先が無い。しかし、啄ばみをしているところを見るに、未だ生前の考えで動いている事が察せる。なんとも滑稽である。

今ならば仕留めるのも楽だ、佐武朗に任せて見よう。


「佐武朗、今回は其方が仕留めよ」

「……如何にして」


どうやら心構えは出来ているようである。寧ろ、出来ていなければ困るものだが。


「奴は未だ生前の鳥だ。仕留め方はただ斬れば良し」

「しかし、首から先がありませぬ」


仕留め方が不明だと。

確かに、鳥ならば分かりやすく首がある。だが、この鳥には無い。となれば、如何にと。


「そこを工夫し、捉えよ」

「無茶な」

「無茶では無い。……ほれ、逃げてしまうぞ。早うせんか」


丁度鳥が啄ばみを終えて再び何処かへ彷徨おうとしているところ、我は佐武朗を急かす。


「っ……」

「仕留め方は自由。思うように仕留めよ」


佐武朗の緊張が頬を伝って見える。荒めの息に目も少し充血、食いしばる歯からは歯軋りの音も聞こえる。まさか、焦らされるとは思いも見なかったのだろうか。それは甘い。仕事というのは一瞬の好機に全力をかけるもの。鈍々のろのろしていれば仕留め損なう。


「一つ、奴は鳥だ。小さな音に敏感である」


我は手短にあった掌程の岩を貸す。


「奴の目の前に向かって投よ。さすれば、振り返り此方に走ってくる」

「……」


佐武朗は無言で岩を譲り受ける。

助言が下されたのであれば、それを心掛けて動けばいい。何、難しいことでも無いだろう。


「さぁ、急げ」

「ふっ!」


佐武朗は岩を投げる。どんどんと距離を伸ばす。そして、鳥の目の前へ落ちると地面と接した瞬間、重い音と砂埃を放った。

それに鳥は案の定身を翻し細い足で駆けてくる。


「佐武朗、好機は一度。時は任せる」

「……はい」


直ぐに出て仕舞えば、方向を変えられる。一度きりの好機、無下にも出来なければ下手も打てない。

故に好機を引き寄せる。


さぁ、佐武朗好機というのは今だが、どうする。


「はぁああ!!」


佐武朗は遂に刀を抜きさり、足を大きく前へ運んだ。

時は最良、流石我息子。

そう褒めちぎりたいが、厳格な父である為。心は落ち着かせて黙り込む。


「はぁ、はぁ」


そうして目の前の光景を眺める。

佐武朗は息を切らしている。肩で大きく息をしているところ、急かされ過ぎたのだろう。始めの如何にという余裕の欠片が見えん。反対に二度となる死を迎えた鳥、否、死した妖、陰摩羅鬼。奴は真っ二つに斬られ、臓腑を垂れ流す。しかし、血は流さない。奴ら妖怪に、血というものはないからだ。

故に生き物ではないのだ。


「父上、如何でしたか」


汗を垂らして振り返る佐武朗。我は何と言おうか悩み黙ったが、評価として___


「良し」

「……ありがとうございます」


その後、少し休息を取り、我達は再び妖狩りに出向いた。であるが、今日は見つからない日であった。


そうこうするうちに日は暮れる。夕飯の頃合いだ、早く帰らねば美味いものが普通になってしまう。孫も紗さんも、待ってることだしな。


「佐武朗よ。残念であったが、今日のところはここまでだ。また次の休日に来よう」

「はい、父上」


完結な会話。

淡々と、しかし、父と息子の関係。難しきかな。


それから、我達は踵を返して来た道を歩いて、家へ向かう。その道中、佐武朗は昔話を請うた。我の次を継ぐという姿勢、嬉しいぞ、佐武朗。


我は話すことにした。早く帰りたい為所々端折っての話だが。


「これは、今朝方にも言ったが妖狐との話だ」


と言えども、半ばを過ぎた話だ。


妖狐、奴はズルく賢い妖であった。

我の故郷に他の妖を引き連れて、奴は火を播く。妖の火というのは中々に消えぬものでな、二晩越して漸く炭に変わった様子が見えたのだ。


それを見ていた我は相当に怒り狂ったものだ、友のみならず、親までも焼き葬られるなど生き地獄であった。そうだな佐武朗、其方の妻、紗さんが2日の間永遠の如く燃え盛る業火の中に眠りたいていることを考えてみよ。


そう言うと佐武朗は苦い顔をする。


「……苦手です」

「……ふっ。まぁ、良い」


その極悪非道の妖と再会したのは2年前であった。

何ともあやしき縁である、体毛も伸び、図体も二周りほど、昔一度見た限りのモノとは明らかにして違うかった。


しかし、奴である事は何処と無く理解したのだ。


その纏う気が何とも言えぬ思いを沸き立たせた。キュイッとなく彼奴の可愛さ余って憎い声だけは聞き間違えんかった。

隠れて、指をくわえて見ていた身、よう覚えてるものよ。


「妖狐とはキュイと鳴くのですか?」

「さよう、キュイ、キュワとも鳴いていたか……?」


そこらへんは少々曖昧である。


「どちらにせよ、奴の憎たらしい声には変わりない」


凡そ30、40年ぶりの再会というのにな、憎悪は健在だった。見つめあってジリジリと寄り合ったり、間合いを取ったり。戦闘態勢に入っていた。


そして、長い間合い取り。動いたのは我だ。


汗をびちゃりと弾かせて、宙に剣線を描いた。案の定避けられる事は理解していたが、存外、当たらないとも思っていなかった。可笑しなものだ、その時我は笑っていた気がする。


「っと、もうそろそろ着くな。手短に話そう」

「そうですね」


一般の家よりも一回り大きい2階建の家。ただ、人里離れた場所のため、周りに家はなく孤立している。隣人が居ないけれども、仕方ないとお市も理解してくれている。


この家の瓦は少し年季が入ってきて風情も、真新しい瓦よりも出たというもの。しかし、今季節。溶けきらない雪が積もっている、雪を出さなければならんな。


と、何となしに考えつつも話の話題はしっかりと話す。


「それから再び我は競い合った後、間合いを二度ほど取ることができた」


ただし、一度目は避けられてしまったが。

だが、それは一度目であって二度目は的中。奴の左目を切り裂いてやる事が出来た。遂に、一矢報いる事が出来たのだ。高々切り傷だけれども、あの時の我は嬉しかった。妖狐が泣き声・・・を響かせるながら逃げている姿は、流石の我でも悦に浸ったものだよ。


ただ一つ、妖退治で気をつけなければならいことは妖憑きなのだが、気をつけてさえいればなんてこと無い事だ。


そうしたら話を終えると佐武朗は我を見ながら言う。


「流石ですね、父上は」

「佐武朗よ。次はお主なのだぞ」


するとごくりと、生唾を飲む音が聞こえた。

やはり、心構えはあれど真なる心が追いつかぬか。


「……佐武朗よ、案ずるな。そう固くならんくて良い」

「ですが中々……」


ふむ、如何したものか。

我はそう一考を加えた後、やはりと言葉を口にした。


「佐武朗よ、妖狩りと言うのは言わば社会貢献、奉仕のようなもので明確な報酬もない。其方の妻と娘の為に、安住の地と職を見つけて住んでも別に良いのだぞ。我は無理にとは言わん」


これは実際、今現在でもしている半ば無価値に近い自由行動のようなもの。金銭すらない。故に、我は妖を狩るついでに山菜を摘み、3日に一度山から降りている。そして、2里の山道を超えて銭を稼いで、米を買って帰ってくる。


「我は佐武朗が継ぐと決心してくれた事、まっこと嬉しく思うとる。だがな、無理はしなくていい。この暮らしは中々に難儀なものだからな」

「父上……」

「お主も知っておろう。21年もの間暮らしていたであろう。幸せにしたいのなら、我は無理に言わん」


我はある種の無理強いをしていた。

それはお市に、佐武朗にしてしまった、我の後悔。もっと自由な生活を送らさてあげれば良かったと。


故に進言する。


「一晩考えてみろ」

「……はい」






<><><><><>【2】<><><><><>






ずさりずさりと雪を踏み、ようやっとで家に着く。

ガタンと固く重たい扉は、冬越しの為のもの。建て付けが悪いというわけでもない。


そうして扉を開けると身体にその暖かさが纏わり付いてくる。囲炉裏の熱が部屋に漂っているのか、とても暖かかった。

少しばかり悴んだ手も、感覚としてわかるようにもなった。


「今帰った」


我は中に入りながらそう言うと、囲炉裏を囲んでいた3人がこちらに向く。


「お帰りなさいませ、お父様」

「じぃさんお帰り」

「じぃじ、お帰りっ」


おっとと、と、少しタタラを踏みながら孫の鐘由かねよしを受け止める。


「おお、鐘由。よぉ眠れたか」

「うん! いーっぱい眠れた!」

「そうかそうか」


そんな声を聞きながら髪を撫でると目を細める鐘由。初孫だ。とっても可愛い子だ、顔立ちはお妙さんに似ているが、この鼻は佐武朗似だ。


「それにしても、よぉ来てくれたお妙さん。有難う」

「いえ、全然。久しぶりにお会い出来て良かったです。鐘由も喜んでいますし」


お妙さんはそう言いながら視線を、我の手の中にやる。きゃっきゃとはしゃぐその様子にお妙さんも柔和な笑みを浮かべた。


「じぃじ! 明日! いっしょに遊ぼ!」


嬉々とした面持ちで鐘由は問う。可愛らしい笑顔だ。


「ああ、いいぞ」


さっきまで寝ていたから元気なのだろう。明日の予定まで決めていた。それに、輝かしく光を放つ目は、これぞと言える子供の目だった。十分な睡眠の後じゃなければ、こんな元気も湧かないものだろう。


しかし、今朝方に妻と孫を連れて来たときは驚いたが、まぁ、それも佐武朗の覚悟の上というものか。


「お市、飯は出来とるか」


それにしても、腹が減った。時間はもう日が落ちた頃。それだけじゃなく、一日中歩いていたこともあり歩き疲れた。やはり、昼の握り飯だけでは我も佐武朗も足りんかったし、何より、腹が大きく鳴っている。


「分かりました。じゃあご飯にしましょうか」


そう言いながらお市は立ち上がり、囲炉裏から離れる。そうして台所に立ち、茶碗に米をよそう。それにお妙さんが付いて行き、お盆の上に乗せながらこちらに歩いてきた。


「お妙さん、ゆっくりしてもらって構わんぞ」

「いえ、私としてはこちらの方が休まりますので」


そう言ってまた台所に歩いていく。


「いい嫁さんだ、佐武朗には勿体ないかもしれんな」

「……ええ。妙には感謝しても仕切れません」


なんとなしに台所を見る。

お市と軽く話しをしながら笑っている。お妙さんは親しみやすい性格をしているから、話もしやすい。

本当にいい人だ。佐武朗には勿体ないくらい……。


「じぃじ、食べよ!」

「……ああ、そうだな」


どうやら用意が終わっていたらしい。今日は味噌汁と煮物、白米と漬物こようだ。味噌の独特な香りと、煮物の甘い匂いが鼻をつく。


「頂きます」


嫌、そんな事を考えている暇もないな。我が食べなければ誰も手を付けられない。それに、我もお腹が空いている。

いただこう。


すすすと味噌汁を飲み、白米入りの茶碗を手に取る。

その白米を箸で軽くとって口に運ぶ。


少し高い物を買っておいて良かった。突然の訪問であったが良いものを出せた。

那須の漬物を食べ、その味を嗜みながら米を食べる。次は煮物。……やはり美味い。


そうして食べ終えようとしていたが、もう少しばかし食べたいと思った。

そう思えば、満たすまで。茶碗に一口分の米を残す。


「お市、米をよそいできてくれ」

「珍しい事もおありで」

「お市の飯は美味いからな」

「あらあら、そんなこと言っても何も出ませんよ」

「知っている」


知っているからこそ頼んでいる。見返りなどいらん。寧ろ、我が其方に何かしなければならない。いつもの恩返しというものだ。


「どうぞ」

「有難う」


台に茶碗が置かれる。

そして、お市が座ったところを見て煮物の茶碗を取り、囲炉裏で温められた鍋蓋を開けて煮物をすくう。そうしてすくい終えて、再び箸を手にした。


それから数分の時、皆食べ終わった頃合いを見て最後に汁物を飲み干す。


「ご馳走さま」

「お粗末様でした」


腹が膨れて大きくなる。着物が少しはち切れそうだ。

そう思い、帯を少し緩める。


「やっぱり母さんの飯は美味いなぁ」


それに佐武朗も同じようで腹を撫でていた。


「美味しかったです、お母様」

「ばぁば! 美味しかった!」

「ありがと」


笑顔だ。

嬉しそうだ。

和やかだ。

そんな光景を見ているだけで楽しくなっていた。


だからか、時間は簡単に過ぎていった。


「では、寝るとしよう」

「そうですね」


あっという間のひと時だった。


そう身体を上に伸ばし、背骨を鳴らす。


今日も疲れた。それに、明日は鐘由と遊ぶ。早いとこ休んで明日の体力を回復させなければ。


藁を用意して各々上に寝転がる。

囲炉裏の暖だけが、この暖かさ源だ。絶やす事もできない。


パチリパチリと炭が弾ける。


さ、もう寝よう。明日が来る。


瞼を落とし、身体の力を抜く。

天井を見上げて、夢を見る。


疲れた分を眠りで元に戻す。


しかし___



___それを妨げたのはキュイという鳴き声であった。



……この声には聞き覚えがある。

数回に渡り対峙してきたから、聴き間違えるという事もない。この憎しみを忘れるはずもない。


となれば、やはり。


我はカッと目を開けて、隣に置いた刀を携え居合の態勢をとる。


どこだ、どこにいる。


キュイキュイ


そんな我の問いに答えるようにして鳴き声を響かせる。


近い……。


「起きろ、そして動くな」


少し大きく声を張り上げる。


「妖が居る」


あの妖、妖狐はそれなりの大きさにもなっている。見えないはずもない。しかし、視界に捉えることができん。


その状況に頭を悩ます次の時、鐘由がピクンと跳ねた。


まさかっ。


「鐘由から離れよ! 急げ、我の背後に!!」


我はすぐに言葉を発した。

そうでもしなければいけなかった。鐘由に起こった事。妖が其の者の身体に乗り移る事。


まさか、妖憑きとは流石に考えつかんかった。


しかしあの大きさだ。見えないというのなら、直ぐに気付くべきであった。


そんな我の切羽詰まる声に、眠りにつこうとしていた佐武朗達は跳び上がるようにして起き上がり、我の背後へと足早に下がっていく。しかし、お妙さんは鐘由から離れようとしなかった。


「お妙さん! 早く!」

「で、ですが!」

「妙! 早く!」


キューン


甲高い鳴き声が耳の中で反響する。

そして、その声と共に起き上がったのは、雪のような白い獣の……狐のような尻尾と耳を生やした鐘由であった。


キュンと鐘由……妖狐はお妙さんに目線を配る。

そしてニヤリと笑った。


次の瞬間___


「お妙さん! 危ない!!」


動いたのはお市であった。

そして、一瞬あの妖狐が見えた事。


憑き変え、なのだろうと直ぐに気付いた。


「母さん!」

「お市!」


唖然とする。まさか、真っ先に動いたのがお市だとは。だが、こうもしていられない。

とても悪態を吐きたい。がしかし。


「佐武朗! お妙さんを抱えて早く出ろ!! 我は鐘由を抱える!!」


憑き変え。


憑き変えとは、妖憑きとは違い、妖が其奴に定住すると決めた歳に起こる現象。故に、決断は早かった。

苦肉の策であったが、こうするしかなかった。


何故、何故お市に……。


我は気を失った鐘由を抱えて開けられた扉から出る。そして勢いよく扉を閉め、棒で開けられないように固定して、佐武朗達の後を追った。


「はぁ、はぁ……。はぁ、はぁ……」


体力には、歳の割に自信があった。しかし、子を担ぐのみならず、心情が余裕という考えすら与えなかった。


胸が苦しく、目尻が熱い。


取り返せない、大切な命。大切なものを守る為に妖を退治してきたはずなのだ。しかし何故、こうも……。


「くそぉ……」


皮肉なこともあるようだ。


我はそうしてはぁはぁと息を切らしつつも、佐武朗の背後に追いつき、そして並んだ。

そして横を見ると、佐武朗は、お妙さんを担ぎながら走っていた。


女子おなごの着物では走り難いからしかたない。


「はぁ、はぁ。ここまで来れば一先ずは良い」


我は走る速度を落としながら足を止める。かなりの距離を走った。ここまで来れば、後は歩いてでも逃げられる。ひたりと溢れる汗はこの寒さに冷たかった。


着物もピチャリとして気持ちの悪い事、冷たい事。


そんな我の声を聞いてか、佐武朗も足を止める。そしてお妙さんを下ろした。


「っ……っ、私のせいでお母様が……っ……」


お妙さんは泣いていた。走っている間は気づかなかったがずっとだろう。その体は夜月に当てられてよく見えた。震えていた。それは寒さにか、気持ちにかは分からないが。


我はどうしようかと思ったが一つ言葉をかけることにしたい。


「お妙さん、もう良い。終わった事だ、攻めんで良い」


と。


「……父上、それはどういう」


しかし、その言葉に食い付いたのは佐武朗であった。佐武朗はハッとした面持ちで聞く。

それに我は嘘偽りなく答える。


「あれは憑き変えという。憑き変えで乗り移られた者は例外なく全て妖となる」

「つまり……」

「死んだも同然、生きているが死んでいる。そういう事だ」


それを聞いたお妙さんはさらに声を上げて泣き喚いた。もしここが町とかならば止めるが、ここはまだ森だ。泣かしておいた方がいい。


「私の、私のせいで……。ごめんなさい、ごめんなさい……っ……」


号泣。そんなお妙さんに掛ける言葉は何なのだろうか。なんとも思っておらんわけでもない。お妙さんには悪いが幾分か憤りを感じている。だから全てを償え。というつもりもない。


ではどうしたものか。


そう思った時。


「じぃじ、下ろして」


薄っすらと目を開けて、肩をポンポンと叩く鐘由。

そんな鐘由の言葉に我はそっと地面に下ろす。


妖憑きはかなり体力を奪われる。


足を地面につけた時、鐘由はこけかけるも何とか態勢を整えて、歩いた。お妙さんの元に。

そして鐘由は言った。お妙さんの頭を撫でながら。


「おかぁさん、泣かないで。泣かないで」


と。






<><><><><>【3】<><><><><>






我は今、重い足取りで先程まで走っていた道を戻ってきていた。それは黙って黙々と。

身体が冷える。汗もあれば、流した涙の寒さもあれば。


たとえお市が死んでも泣かないでいようとは決めていたものの、こうして対面すれば難しい。

ここが森であった事。一人であった事には感謝しなければならない。


ずさり、ずさりと雪をかく。

そして足跡を作っていく。


そう思えば、雪が降り、足跡を消していく。


その頃、見えてきたのは火の明かりが灯る我が家ではなく、暗く、明かりのない家だった。暴れた……。と思ったが、立てていた棒は倒れる事なく、また、扉を壊されているということでもなかった。


故に、幾分か奇妙さを感じ取っているのか、気持ち的に入り辛いのか、手を伸ばしたり戻したりする。しかし。


……さて、仕事だ。


と、己に言い聞かせる。


心臓が高鳴りを上がる。息も荒く吐くようになる。

だが、しっかりと身体に意思を示して、カタンと棒を取り、重たい扉を動かす。そして涙を拭き、前を見据える。すると、そこには鍋を漁るようにして煮物を食べていたお市……妖狐の姿があった。


キュイ


と目を開けてこちらを見る。


見るな、見てはならない。見たら斬れなくなる。


我は目を瞑る。深く心を考えて、いつものように感覚を研ぎ澄ませる。


そう。


目を瞑り、暗闇に移ろう景色に意識を投ずれば、自ずと己の静脈を情脈を常脈を感じ取れるもの。瑠璃の川に心を流して息を整えて、亦候(またぞろ)暗闇に一息を吐き胸に手を当てれば命の鼓動が身の底から奮い立たせる。それが、生きている証。そして、いつか死ぬという証。目の中で迸る血流。光なしの真っ暗闇。鼓膜が震い、伝える音。全ては生きている故に感じるものであり、感じるべきものなのである。


「ふぅ……」


故に、功徳くどくを果たさねばならぬ。

物事は相当にしてくどくある。そして、これを供養するものされるもの。生き死に、生きる者死ぬ者。生きし者が死した者を供養する事の必然さ。普遍的世界の在り方に沿って我は刀を抜く。


そう心を落ち着かせて抜く。が、直ぐに鍔が鞘に辺りチンっと音が鳴る。


「はぁ……」


ここ一つ。功徳を果たすと言う言葉。真、功徳を積む、ではなく果たすとなるとやはりこれは己の自己満足というものになるのだが、ここは一つ功徳を果たすとする。刀を抜き、断ち切る。悪霊を断ち切る。

それが、目の前にある全てであり善良を尽くす結果であるが為。


其方は死す。


ただ、それだけ。其方は死に切れなかった、ただ、それだけなのだ。

そして我は、其方を愛した思いの数だけ楽に天へ弔ってやろう。


チンッ


さぁ、我は刀を抜く。

妖狩りの家業に費やし、そうして長年使い古したこの刀。修繕にして鍛錬の賜物。其方の屈託のない笑みを守る為、今期、醜きその邪気を打ち払って見せようではないか。明るき其方の振る舞いは、今でも忘れまい。


別れ方、天寿真っ当では無かったが、最後まで共に居れて嬉しきもの。


息子は妻と孫を連れ、ここから遠くに離れておる。安心しなされ。途中の峠までは見届けた。


だから、安心しなされ。残すは其方を見届けるだけだ。最後まで家業に専念するとは考えも見なかったが、これはこれで良きものでもあるさ。


「さぁ……」


我は其方を斬り、我もその後を行こう。


カッと目を見開く。


少しばかり其方の方が早いものだが、ほんの少し遅いだけ。其方なら、待っててくれるだろ。

我には後悔はない。この人生をまっとうに生き、どのような形であろうと愛する者と死ねるのだから、後悔はやはりない。


だから、我は斬る。

我は其方を斬るのだ。


手遅れなのだ。


わかっている。わかっているのだから、この手を下せ。他の奴に下させてはいかん。

さぁ、刀を引き抜くのだ。今なら、いや、今しか仕留められない。だから、早くっ。


キュイキューン


妖狐の声が近づいてくる。


我は、後悔をしないために。そう思いここにきた。其方を斬った後、我も死ぬつもりでいた。

それだけの覚悟を持っていた。しかし、何故。


我は……我は。


「じぃさん。私を斬って下さい。これが私の最期・・の我儘です」


そんな時お市が言葉を発した。それは、妖狐の声ではなくしっかりと、長年聞いていたお市の声。

愛らしい、優しい声。


「お市、其方は……」


キュンキュンキューン


胸が熱くなり、腕に力が入る。

口の中が鉄の味がする事から、口を切ってしまったのだろう。歯も幾分か欠けたような気もする。

だが、だがもう良い。


「わかった、聞き入れよう」


我からの最期・・の恩返しだ。受け取ってくれ。


「お市……。今迄、ありがとう」


そして我は刀を抜き去った。

前作「己」に話をつけたものになります。ら良ければ感想や評価をお願いします

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