1 コロッケ食べそこねた
私は逢坂樹乃、23歳独身住所不定の無職の女性です。
両親は他界しており、付き合いのある親戚もいない。天涯孤独と言っていいと思う。
つい先ほど、ストーカーに侵入された部屋を引き払ってきたところなんだよね。
これでもう何度目になるのかな……。気をつけていても、いつのまにか増えているのがストーカー。
全く自慢じゃないのだが、私は美形である。美人というより、美形。神のいたずらか、全身の造形が美しいようなんだよね。それか誘惑ビームでも出てるのかな?
お陰で生まれた時から誘拐未遂、付きまとい、盗撮など後を絶たず、男女問わず変な人に好かれ続けている人生です。
声が好き
顔が好み
手が美しい
その足で踏んでほしい
髪を触り続けていたい
etc……
枚挙に事欠かないほどパーツごとにフェチがいて、それぞれが通っていた学校に侵入したり、家に押しかけてきたり、職場で張り込まれたり……。
先日も職場に迷惑をかけてしまい、辞めざるを得なくなったよ。たたみかけるように家に侵入してくるストーカー被害に遭ってしまい、私のメンタルは非常にやられている状態!
だからといって、可愛く
「もぉやだよ〜、怖いよ、誰か助けて!」
なんて弱音を言った日には何十人もの人間が押し寄せてくるはず。
「きゃっ!」
と声を上げて転んだだけで、周囲の人間とどこから現れたのかわからない若干興奮している数十名に、ずらりと囲まれて手を差し伸べられた時の恐怖といったらなかった。あれはまだ中学生の時だったかな。
私は人に弱味を見せてはいけないのだ。
そう心に刻んでいる。
少し涼しくなった、秋の澄んだ空気は好き。
ボストンバッグ一つを手にした私は足早に駅に向かっていた。
(もう何十回目の引越しだろう?今回は遠くに行こうかなあ。貯金はあるし、防犯性の高い部屋を借りてから仕事を探そう)
ミニマリストを名乗れるほど、少ない荷物しか所持していません。大きくないボストンバッグに余裕で詰め込んで持ち運べる量。
冷蔵庫は置かない、知らないうちに作り置きの料理の中に変な物が入れられている事があったから。
常に買ってきたものを食べるか、常温保存のきくものを置いている。
布団は盗まれてしまうことが多いので、安い寝袋にした。買い直す際も楽に持って帰ってこれるから。
衣類も盗まれやすいので、最低限の枚数しか持っていない。普段からリュックに入れて持って歩く。洗濯はコインランドリー。
出かけるときはサングラスとマスクと帽子と手袋を装備して、ちょっと怪しい人に見える私。もしくは芸能人気取りって笑われているかもしれないよね。
なるべく顔や肌を出さずに過ごすことが、平穏な日常を送るポイントです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
電車を乗り継いで、小さめの商店街にたどり着いた。お腹が空いたので、美味しそうなにおいがする揚げたてのコロッケを買います。
その場で食べようと思ったけど、マスクを取るのが怖かったので、人気のない場所を探すことにしました。
ふと見上げると、建物を挟んだ向こう側に、長い登り階段と神社があるのが見えます。
(神社って好きなんだよね、なんかご利益ありそうだし。境内でベンチとかあったらそこで食べられるかな?行ってみよう)
向こう側の通りに行かなければ、と思い抜け道がないか辺りを見渡すと、建物と建物の間に
『神隠しの小道』
という看板のある小道がすぐ目の前にあった。
プラスチックのチェーンが、地面に落ちているようにも見えるほどゆるくかけられています。
(これ、抜け道だよね。立ち入り禁止とは書いていないけど、チェーンがあるってことは通っちゃダメなのかな?あ、でも向こう側はチェーンかかっていないなあ)
そんなに長い距離でもないその道は、向こう側が見渡せた。すごく明るくて、誘うような花畑が見える。
(すごいキレイな花畑だ!うわあ、行きたい…………花畑?向こう側は街中だし、道路が見えるはずだよね?)
疑問を感じた時には、すでに私は誘われるように一歩踏み出してしまっていた。
我に返り、後ろに戻ろうとした時、後ずさったはずの体は壁のようなものにぶつかった。
(なに?閉じ込められた?)
振り返ると、そこにはもう街並みはなかった。
黒い、暗い闇が広がっている。
(もしかして夢?まさか季節外れだけど熱中症で倒れたとか──── )
私が闇を前に硬直していると、
「あははは!マヌケな小娘じゃのう、迂闊にこちらに近づくからじゃ」
悪意を孕んだ笑い声が響いた。
「誰ですか?」
声のした方を見ると、二人の女性が宙に浮いていた。
一人は意地悪な笑みを浮かべた、着物のような形にも見えるドレスを着た、黒髪が美しい妖艶な女性。
もう一人は小柄だが立派な筋肉を見せつけるように露出が高めの衣装を身につけた金髪の女性。
「あ、夢だこれ。そっかそっか」
私はうんうん頷いた。
「夢だったら良かったのう、戻れなくなったマヌケな娘よ。……んん?なんじゃ、生意気に光を纏いおって!」
黒髪の女性は、すうっとこちらに近づくと私のサングラスとマスク、帽子を乱暴に奪い取った。
「痛い!」
私は悲鳴をあげた。
「ああ、憎い。人間ごときが美の神に愛されて恩寵を賜るなど!あああ、憎い」
黒髪の女性は、憎々しげに私を睨みつけている。
美の神の恩寵?まさか、私が苦労して生きてきた原因はそれなのだろうか。
「えーっと、神隠しの小道に入っちゃうと、もう元の世界には帰られないっす。これ異世界に移動してもらう罠なんで」
小柄な女性が、あっけらかんと告げた。
「えっ、どういうことですか?」
「あたしは戦の神、まあ下っ端ですけど。日本は信仰心が減ってきてこの辺の神様は色々ピンチなんすよね。んで、日本人よりずっと信仰に厚い魂を持ったいくつかの別世界の人をこっちに連れてきてるっす。連れてくるだけだと向こうの神様が黙ってないんで、こっちからは日本人をそれぞれの異世界に送ってるんすよ」
神様同士でルールのあるカードゲームのトレードみたいな感じっすね、と言われたが、私はカードじゃないよ?
「どうして、私が……?」
少しづつ、夢じゃないと思い始めていた。痛みもあったし、二人の女性の強い存在感が妙な説得力を持っていたから。
でも、説明を聞くと自分が世界にとっていらない存在だと言われた気がして、ショックだった。
「神隠しの小道は、素質がないと見えないっす。この世界で生きづらい人や、異世界に適性がある人っすね。どっちなのか両方なのか分かんないっすけど、まあ新しい人生を楽しんで欲しいっすね」
「そんな、勝手な」
そう言いながら、この世界で生きづらかった事は間違いないとも思っていました。
異世界だと、自分らしく生きられるのかな?
「つけあがるな、小娘。人間ごときが生意気な!美の神から身に余る恩寵を賜りながら、無礼にも神への信仰を忘れた罰を与えてやろうぞ!」
黒髪の女性が、何かを唱えた。呪いの言葉のようなそれは、帯のような形になって私の体に重く纏わり付いた。
「ほほほほ! いい気味じゃ。傲慢なお前は醜い生き物になる呪いがお似合いじゃ! 人々に石を投げつけられる姿で異世界をさまようが良い!」
黒髪の女性は笑いながら飛んで行ってしまった。
私の体は、ナニかに変化しているようだった。視界に入る手は、水かきのある、緑色のぶよぶよしたものになっている。
カエル……?
「なにこれ……」
言葉は話せるが、声はしわがれた酷いものだった。
「あー、彼女は嫉妬の神なんすよ。娘さん、美の神の恩寵を受けてたんで面白くなかったんっすね。本当はこの小道から異世界に行ってもらう人には、超能力みたいな特技と、言葉がわかる能力、簡単に死なない体なんかを特典としてつけてたんすけど……さすがに呪いがかかってちゃ快適な異世界生活は無理っすねぇ」
「私、今まで美の神の恩寵でいい思いをした事なんてなかったのに! なのに、なんでこんな……呪われなくてはいけないの?」
これじゃ、異世界でもまともに暮らせないのではないでしょうか?
石を投げつけられるような姿だと言っていた。
私は悲しくなった。
こんな状態で生きている意味はあるの?
「彼女は性格に難ありなので、あたしがサポートにつけらられてるんすけどね。それにしてもキツイ呪いっすね、完全な解除は今は難しいっす。解呪できるまでの間は特別にあたしが強めの恩寵を与えとくんで、昼間は人型になれるはずっすよ。夜は嫉妬の神の力が強いんで、呪いの醜い姿っす」
戦の神が、私に光の羽衣のようなものをかけてくれた。
「少しづつ解呪が進んで、人型の時間が増えるはずっす。あと、満月の夜は呪いも恩寵も一時的に消えるっすよ、気をつけて。
完全に呪いが解けたら恩寵も消えるっすけど、姿を人型にするためだけのものなので他の特典に変わりはないはずっすから安心して」
呆然としていた私の背中を、戦の神が花畑の方へ向かって押した。
「剣の才能を与えておいたっすから、頑張って生きるっすよ。次日本人に生まれたら、もっと信仰してくれると嬉しいっす!」
さよなら、と戦の神が手を振っている。
私は、促されるまま光る花畑の方へ足を踏み出した。