7.閉ざされた空間で(3)-ソータside-
トーマがネイアに、水那が目覚めたことを報せてくれた。
ネイアがこの部屋を訪れると、水那は静かに涙をこぼした。
勾玉と常に繋がっていた水那は、ネイアの想いもすべて理解していた。
俺達のことを心から心配し、ずっと見守っていてくれたネイアに……どう言ったらいいかわからなかったのだろう。
それから4日間……俺はずっと、この部屋にいた。
その間も、トーマはちょくちょくこの部屋を訪れて、アルバムを見せてくれた。
親父のことを話すと、その時も水那はちょっと泣いてしまったが……俺がちゃんと最期に立ち会えたことを聞いて、安心したように吐息を漏らした。
水那は目に見えて元気になっていったが……身体はなかなか思うように動かせなかった。
麻痺は上から徐々に治っていき……微笑んだり、喋ったり、少し手を動かしたりすることはできたが、自分で起き上がることも、ましてや歩くこともできなかった。
だから俺は、ずっと水那の傍についていた。
どうしても……自分の手で助けてやりたかったから。
いや……それだけじゃないな。
水那の傍を離れることが……怖くて、どうしてもできなかったんだ。
俺がいない間に、いなくなったらどうしよう。――自分で動くこともできないのに。
俺がいない間に、具合が悪くなったらどうしよう。――ヤハトラには優秀な治療師もたくさんいるのに。
矛盾していたけど……俺は自分で思っていたよりもずっと――独りになることを恐れていたんだと……水那を失うことが怖かったんだと、気づかされた。
「父さん……ちょっと、いい?」
水那が目覚めて――5日目。トーマが俺達のところに顔を出した。
「俺……もう、ミュービュリに帰らないといけないんだ」
「あ……」
そうか……。トーマには、あっちでの生活があるもんな。
「……母さん」
トーマが水那にニコッと笑いかけた。
「すべてが終わったら……一度、父さんと一緒にミュービュリに来てよ」
「……ええ」
「……というか、父さんとデートしてあげてね。……それが心残りらしいから」
「んがっ……」
他人の愚痴を、勝手に漏らすんじゃねぇよ。
「それでさ」
トーマは全然気にしない様子で話を変えた。
「暁が……何か、父さんに頼みたいことがあるらしい。……呼んでも大丈夫?」
「暁……? もう、起きたのか?」
「3日前に目覚めたよ。ちゃんと言ったのに……母さん以外、目に入ってないんだからな、もう……」
「ぐ……」
だから親をからかうなと、何度言えば……。
「……あ、暁。……こっちだ」
「うん。あの……こんにちはー……」
暁が扉から顔を覗かせた。
「水那さんですか? 初めまして、上条暁です」
「こんにちは。オレは、シャロット!」
暁に続けて顔を出したシャロットが元気よく言う。
「……えーと、シャロットは日本語だと若干、口調が乱暴だけど、こう見えてウルスラの王女です」
「……浄化者の……人達ね。こんにちは。……本当に……ありがとう……」
まだ下半身を動かせない水那は、ベッドの上から頭だけ下げた。
「いいえ。……で、ソータさん。俺たちヴォダに乗りたいんだけど……いい?」
「……いいんじゃないか? 喜ぶと思うぞ」
俺は窓から外を眺めた。
今日はとても天気がよく、気持ちのいい風が吹いている。
「俺が笛を吹いて、ハールの海岸まで呼んでおいてやるよ」
「ありがとう! あ……でも、素直に乗せてくれるかな……?」
「暁はサンとなら何となく通じるんだろ? サンに頼んでみたらどうだ?」
「あ、そうか」
暁はポンと手を叩いた。
「どうせなら、サンも一緒に遊ぼうか。ミジェルも喜ぶかも」
「そうだね」
「じゃ、お邪魔しましたー」
二人はぺこりとお辞儀をすると、扉の前から去っていった。
「じゃ……またな、父さん……母さん。次に会うときは……テスラかな」
「……多分な」
トーマは軽く手を振ると、部屋を出ていった。
「おーい、暁、ちょっと待て! その前に俺を掘削でミュービュリに帰してくれよな」
「そうだった。……了解」
「トーマ兄ちゃん、やっぱり帰っちゃうんだ……」
そんな三人の声が遠ざかっていった。
「次は……テスラ……」
「あ……うん」
俺は懐から横笛を取り出した。窓から少し身を乗り出して、吹く。
……音色が海に届くように、と。
「……ニュウ?」
“呼んだ?”
比較的近くに居たらしい。ヴォダが海面からひょっこりと顔を出した。
この部屋は海面からはわりと高い位置にあるので、小さくしか見えないが。
「暁たちがヴォダに乗りたいらしい。ハールの海岸まで迎えに行ってやってくれないか?」
「ニュウ! ニュウ!」
“わかった! 行ってくる!”
ヴォダは嬉しそうに鳴くと、とぷんと海の中に消えた。
「……海……」
水那がポツリと呟いた。
「ん? 見たいのか?」
俺が聞くと、水那はちょっと押し黙った。
……ということは、見たいんだろうな。
俺は水那に近寄ると抱え上げた。
「……ほら、俺に掴まれ。窓まで連れてってやるから」
「でも……あの……重い……」
「あの頃とは違うぞ。二十年以上、徒歩で旅してたんだからな。かなり鍛えられたんだ」
「……」
水那はちょっと考え込んだあと、ぎゅっと俺の首に掴まって来た。
実際、水那はかなり痩せ細っていたので……びっくりするぐらい軽かった。
窓のところまで連れて行き、外の景色を見せてやる。
水那は眩しそうに外を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
そして小さく「あ」と言って俺の顔をじっと見ると……不思議そうな顔をした。
「あの……颯太くん」
「ん?」
「私が……言うのも……変、だけど……」
「何だ?」
「颯太くん……どうして……若いままなの?」
「……いくつに見える?」
「トーマより……少し上……ぐらい……」
「そっか。でも……俺達、本当はもう44なんだよな。びっくりするよな」
「……」
水那は微かに頷いた。
「颯太くん……若いままだったから……そんなに年月が経っているなんて……わからなかった……」
「水那は殆ど意識がなかったんだしな。……そりゃそうだろ」
「……」
「勾玉の加護……らしいぞ。ま、俺は……水那が若いままなのに自分だけおっさんになるのは嫌だったしな。愛想つかされなくて済んだし……よかったけど」
「……そんな……」
俺はちょっと笑うと、パラリュスの白い空を見つめた。
……遠くの方で、飛龍が飛んで行くのが見えた。サンが、暁たちのところに向かったのかもしれない。
「俺達……とっくに、普通のヒトの道から外れちゃったな」
「……」
「後悔してる訳じゃない。ただ……長い旅の中で、決めたことがあるんだ」
「……何?」
俺はちょっと深呼吸すると、覚悟を決めて口を開いた。
「――俺は……最後のヒコヤになる」
「……」
「ミュービュリには、もう……戻らない」
「……うん……」
水那は静かに頷いた。……何となく、わかっているようだった。
トーマもわかっているみたいだったな。一度、ミュービュリに来いと言ってたからな。
「だから……」
どう言えばいいだろう。
考えあぐねていると――水那がそっと俺の頬に手を触れた。
見上げると……水那はちょっと微笑んで――唇を重ねてきた。
俺は、びっくりし過ぎて突っ立ったままだった。
……水那から行動を起こしたのは、初めてのような気がする。
――唇を離すと、水那はまるで聖女のように微笑んでいた。
「……もう二度と……颯太くんを……独りにはしないわ」
「……」
俺は水那をギュッと抱きしめた。水那の心臓の音が聞こえる。
――ゆっくりと……俺を慰めるように。
凝り固まっていた不安――それが少しずつ、溶け出していくのがわかった。