6.閉ざされた空間で(2)-ソータside-
遠くから、海の音が聞こえる。
ヤハトラの中で、唯一――外が見える部屋。
俺が水那と……最後に過ごした部屋。
「……まだ……か」
思わず独り言を呟く。
水那は、ずっと眠り続けていた。
あれから……水那を取り戻してから、丸二日が経っていた。
そのとき、ノックの音がして
「……父さん?」
というトーマの声が聞こえてきた。
「ん? どうした?」
立ち上がり、扉を開ける。トーマが料理の乗ったお盆を手に立っていた。
「食事を持ってきた。父さんはフェルティガエじゃないんだから、ちゃんと食べないと駄目だって――ネイア様が」
「……そうだな」
水那をこの部屋に連れてきてから、俺はずっと水那の傍にいた。
連れてきた時は少し意識があったようだが……今は完全に眠っている。
水那は――闇の中に消えた当初より、少し年齢を重ねているように見えた。
ちょうど、トーマと同じぐらいだろうか。茶色い髪が随分長くなっている。
時を止めていたはずだけど――6年前、トーマの危機の際に意識を取り戻した。
そのときから、少しずつ年齢を重ねていたのかもしれない。
それは、闇に対する負荷を確実に感じていた、ということで――申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
俺は水那と話せるようになって嬉しい、としか考えていなかったけど、水那の方は大変だったのかもしれない。
「お前は、身体……大丈夫か?」
トーマは、次の日にはもう目覚めていた。
暁やシャロット、レジェルはまだ眠り続けているそうだ。
あれだけの闇を一度に浄化したんだから……無理もない。
「俺は祈っていただけだし。……あ、ここで一緒に食べてもいいか?」
「ああ」
部屋の隅にある小さなテーブルの上に料理を並べる。トーマは律義に「いただきます」をすると、パクパクと食べ始めた。
「本当に元気みたいだな」
「眷属になってから……かなり頑丈になったからさ。全然、平気」
「シルヴァーナ女王からは、連絡が来てるのか?」
「今は来ていない。こっちの事情も知ってるしね。さすがに、邪魔しちゃ駄目だと分かってるはずだから……」
「ふうん……」
「でも……多分、あと1日だろうな、せいぜい頑張って」
そう言うと、トーマはちょっと可笑しそうに口の端を上げた。
「基本、ワガママなお姫様だから……あんまり我慢がきかないんだよ」
「……そういうタイプなんだ」
「そうそう」
そうは言いつつも、トーマは幸せそうだった。
「……そう考えると、再会してから……随分長い間、辛抱していたんだな、と思う。だから……まあ、俺にできることなら……」
「ふうん……」
その後トーマは、勤務先の小学校のことやウルスラのこと、将来のことなどを話していた。
多分……俺の気を紛らわせるためだろうけど。
「学校……じゃあ、最終的にはこっちに来るつもりなのか?」
シルヴァーナ女王はウルスラに学校を作りたいんだそうだ。
そして将来、トーマを先生として呼びたいらしい。
「そう……まあ、だいぶん……何十年も先のことだろうけど。だから、パラリュス語も勉強してるんだけどさ。……これが、なかなか……」
トーマは食事を終えると、ふうっと息をついた。
そして水那の方を見ると
「そう言えば、父さんと母さんって日本語で会話してるの? それともパラリュス語?」
と聞いてきた。
「水那はパラリュス語で強制執行を発動するから、基本は日本語だった。パラリュス語も話せるけどな」
「ふうん……」
「何でそんなことを?」
「どうやったらパラリュス語がもっと覚えられるかなって……。ユズも今は忙しくて、あんまり教えてくれないからさ」
「水那は母親がテスラの人間だったから幼い頃から話せたみたいだし……俺も、勾玉の記憶ですぐに話せたからな。……あんまり参考にならないぞ」
「……そっか」
俺が食事を終えたのを見て、トーマがてきぱきと片付け始めた。
「朝日にでも聞いたらどうだ? あいつ、ミュービュリ育ちだろう」
「まあね。でも……どっちみち今は無理かな。ずっと……ユウさんの看病をしているみたいだから」
俺はふと……神殿の間から出るときのことを思い出した。
朝日なら、水那が助け出せたら飛び跳ねて喜びそうなもんだと思ったけど……実際は、とても静かだった。
むしろ、浄化しきれなかったことをひどく悔いている感じで……。
そういや、ユウは浄化には立ち会わず、別室で休んでたんだよな。
ユウの具合……そんなに悪いんだろうか……。
あいつ……また何か、無茶したんじゃないだろうな。
「……そ……く……?」
微かな……声が聞こえた。
ドキリとして、俺はベッドの方を見た。
水那が……うっすらと目を開けている。
「――水那……!」
俺は水那の傍に駆け寄ると、顔を覗き込んだ。
茶色い瞳が……宙を彷徨っていた。
俺と目が合うと……わずかに瞳が細くなる。
「颯……太く……」
「ああ、俺だ。――わかるか?」
「……」
水那がゆっくりと瞬きをした。……闇の中にいた間も――頷く代わりにしていた仕草だった。
きっと……まだ身体が動かないんだ。
俺は水那の細い手をしっかりと両手で握った。
「……」
トーマがこっそりと部屋を出ていく気配がして……俺は慌てて振り返った。
「おい、こら……どこへ行く!」
「いや……お邪魔かと……」
「お前、息子だろ! 遠慮している場合か!」
トーマはそれもそうだ、という顔をしてゆっくりとこちらに歩いてきた。
「トー……マ……?」
トーマが恐る恐る水那の顔を覗き込んだ。水那はトーマの顔を見ると……すうっと一筋の涙を流した。
「ごめ……んね……?」
トーマはゆっくりと首を横に振ると
「謝る必要……ないって……」
と言って優しく微笑んだ。
水那は再び瞬きをしたが……ハッとしたように、大きく目を見開いた。
「そんな……もう……大きく……? ……私……」
水那はそう呟くと、俺の顔を見た。
「……長い、間……経った……?」
「そうだな。……トーマ、いくつだっけ」
「24」
「……にっ……」
水那は喉を詰まらせると、じーっとトーマの顔を見つめた。
……そして、ポロポロと大粒の涙を零した。
「私……ごめ……なさ……」
「あー、もう……泣くなっての」
俺は右手で水那の涙を拭ってやった。
「女神ジャスラから……ちゃんと聞いたから。……水那は、自分の使命を果たそうとしただけ。俺は……それをどうにかしたかっただけ」
「……」
「親父は……そんな俺達を助けたかっただけ。トーマは……それらを全部受け入れてくれただけ。……それだけなんだから」
俺がそう言うと……水那はゆっくりと瞬きをした。
目尻に残っていた涙の珠が、つーっと水那の頬を伝った。