70.遺された者は何を想うか(1)
“シャロット……聞こえるか?”
すっかり夜も更けて……暁はシャロットに連絡をとった。
しかし……返事はない。
時刻はもう、午後9時を過ぎていた。思ったより長かったし……もう寝てるのだろうか。
(また明日でも……いや、シャロットは待つと言ったら待ってるはずだよな)
そう考えて、暁はとりあえず掘削でウルスラに向かった。
「よっ……っと」
穴から東の塔のシャロットの部屋に出る。部屋は暗く、窓際の一部分にだけ灯りが灯っていた。シャロットの姿だけ、ぼんやりと照らしている。
……どうやら、椅子に座ったまま、眠っているようだった。
暁は足音を立てないように気をつけながら、部屋を見回した。
しばらく来ない間に……その部屋は、随分と殺風景なものになっていた。
たくさんの本が並べられていたはずの本棚も、いろいろな資料が積んであったはずの机も、すべてなくなっている。
暁はゆっくりとシャロットに近付いた。
シャロットは窓際に一つだけ残されていたゆったりとした椅子に腰かけ……うたたねをしていた。
……お腹が少し膨らんでいる。
デュークを封じてから、3か月後――シャロットが儀式に臨み、そして成功した、という話が暁の耳に入ってきた。
それ以降、暁はウルスラには来ていなかった。学校と仕事の両立で忙しかったのもあるが……どんな顔をしてシャロットに会えばいいか、よくわからなかったのだ。
だからシャロットに会うのは、その話を聞く前に一度会った4月以来――4か月ぶりだった。
「……妊婦がこんなとこで寝てて、いいのかな……」
思わず独り言を漏らしながら、暁はシャロットに近付いた。
シャロットは左手でお腹を庇いながら……右手で本を持って、すやすやと眠っていた。
持っていた本には、眠りの森の美女、と書いてある。
(……これをしてみたい、というアピール?)
一瞬そう思ったが……シャロットがそんなことを考える訳がないことは、暁にもわかっていた。
ただ、多分……理由が欲しかっただけだろう。
暁はシャロットの赤い髪に触れると……少しかがんで、そっと口づけた。
「……ん……?」
気配に気づいたシャロットが……うっすらと目を開ける。
「え……あ……えっ!?」
「本当に目を覚ました。……やってみるもんだ」
暁はうんうん頷いた。シャロットは真っ赤になると……あんぐりと口を開けた。
「今……い、今ぁー……?」
「あ、うん。……キスした」
「何で!?」
「フリかと思って」
シャロットの手に持っている本を指差す。
「……ちがーう!」
「そんな嫌がらなくても……少し傷つくぞ」
「嫌、とか……じゃ……」
シャロットは赤い顔のまましばらくアウアウ言っていたが、やがて深呼吸し始めた。だんだんと心を落ち着ける。
「……子供、できたんだったよな。おめでとう」
(やっぱりこれは言わなきゃ駄目だよな……。)
そう思い、暁はとりあえず口に出した。何となく、気分はモヤモヤしていたが。
一方言われたシャロットも、困ったような顔をした。
「……アキラに言われると……何か……複雑……」
「何で?」
「さあ?」
自分で言っておいて、シャロットは首を捻っている。
「まだ……実感が沸かないから……かな。何にも覚えてないから」
「……は?」
シャロットの言っている意味がわからず、思わず聞き返す。
「えっと……記憶の操作、だっけ? 相手の記憶を奪うとは言ってた気がするけど……女王側も奪うの?」
「普通はしないらしいけど、私はジェコブに頼んであったから、前も後もなーんにも覚えてないの。先に暗示をかけてもらって、後に記憶をきれいに消してもらって……」
「……何で?」
「何か……知りたくなかったの」
「……」
知りたがりのシャロットとは思えない台詞……。
ふと過去の一つの出来事に思い当たって、暁は思わず俯いた。
「……それって……俺のせい? あのとき……怖かったから?」
シャロットは首を横に振った。
「……無関係、ではない……。でも、アキラが言っている意味ではない気がする」
「さっきから……何かフワフワした答えばっかりだな」
「しょうがないじゃない。フワフワしてるんだもの」
シャロットは何故か、胸を張って言い放った。
「で……何で、俺を呼んだんだ?」
「あ、そうそう」
シャロットはよっこらしょ、と立ち上がった。暁は慌ててシャロットの身体を支えた。
「あ……ありがと。あのね、赤ちゃん産むからね……中央の塔に移りなさいってヤコブに言われちゃったんだ」
「ヤコブ?」
「あ、ジェコブの息子で……新しい神官長。2か月前からかな」
「そうなんだ……」
「アキラ……私のこの部屋しか知らないでしょ? 最後に見せておきたかったのと……あとは、新しい部屋を教えておかなきゃと思って。今ならまだ余裕で歩き回れるからね」
そういうと、シャロットは灯りを片手に、思ったより早く歩き始めた。
「えーと……ちょっと待て」
「なあに?」
中庭に面した窓に手をかけたまま、振り返る。
「中央の塔というと……女王の血族と限られた女官しかいない……女の園だよな?」
「まぁ……」
「俺……そこに出入りしていいの?」
「何で駄目なの?」
「いや……何て言うか……」
シャロットは不思議そうな顔をすると、窓を開けて、辺りをキョロキョロ見回した。
「まぁ、確かに公には駄目だから……隠し通路で移動するけどね」
「ほら、やっぱり駄目なんじゃないか」
「でも……そしたら、もう会えなくなるよ? ……大広間とか……皆の前でしか」
シャロットは庭に降り立つと、暁を手招きした。
暁は黙ってシャロットのところに歩いて行った。
外に出て、空を見上げる。星一つない、藍色の空が二人に押し寄せる。
「夜の空は……ミュービュリの方が素敵だね」
シャロットはちょっと微笑んで言った。
前に、暁の家に泊まった夜――窓から見た空を思い出したのだろう。
「……アキラ」
「ん?」
シャロットは庭の一角に座りこむと、蓋らしきものを開けた。
「この下に降りるんだけど……私を抱えてもらっていい? さすがに……怖いの」
シャロットはお腹を押さえて申し訳なさそうな顔をした。
暁はふと、シャロットが急に遠くにいったような気がして、淋しい気持ちになった。
(母親になろうとしているから……かな。だから……遠くに感じるのかな)
「シャロットは運動音痴だからな」
誤魔化すように早口にそう言ってシャロットを抱え上げると、シャロットは少し赤い顔をして
「もう……一言多いな」
と口を尖らせた。
地下通路に降りると、シャロットを下ろす。シャロットは
「暗いから気をつけてね」
と言って灯りを持っていない方の手で暁の手を取った。
いつかと逆だな、と思いながら、暁はシャロットの手を握り返した。
(……忘れないでいよう。……シャロットの感触だけは)
二人はしばらく黙って歩いていた。
やがて……シャロットがおもむろに、口を開いた。
「私の部屋はね。……基本、私の許可なく女官や神官が立ち入ることは禁じているの」
「ふうん……何で?」
「資料とか本が散らかってることもあって……そういうとき、触られたくないから」
「なるほど……」
「だからアキラは気にせず来ていいよ。誰かに見つかる心配はないから」
「……」
「……嫌?」
「嫌じゃないけど……ただ、いいのかなっていう……」
「いいの。そりゃ、シルヴァーナ様の部屋にいきなり行ったら駄目だとは思うけど」
「しないよ! トーマさんに殺される」
「ふふっ……」
シャロットはちょっと楽しそうに笑った。
「ねぇ、アキラ。……約束よ。時々来てね。いろいろな景色を見せてくれるって……言ってたよね?」
「まぁね」
「手紙も書いてね。私も出すから」
「うん。……でも、何でそんなことばかり言うんだ? 俺、ウルスラのしきたり的な意味合いで部屋に来ていいのか心配してるだけで、別にシャロットから離れていきたい訳じゃないぞ」
「……え……」
暁はぐっとシャロットの手を握った。シャロットが驚いたように暁の顔を見上げる。
二人はしばらく見つめ合っていた。
「……不安?」
「うん……そうかもね」
シャロットは俯いた。
「自分の使命はこれだと信じて生きてきた。でも、いざとなると……その後どうなるのかな。私はどんどん変わっていってしまうのかな。……そういう不安は、あると思う」
「……それが大人になるってことじゃないの? ……俺にはまだ、わからないけど」
「そう。暁がまだわからないから……不安なの」
「……ん?」
何だか禅問答のようなことを言う。暁はちょっと面食らった。
「変わらなきゃいけないんだけど、変わりたくないっていう気持ちが強くて……暁がいれば変わらずにいられるかなって……」
「そうは言っても……俺も変わってきてはいるだろうしね」
「――そう!」
シャロットは急にひらめいたように大声を出した。
「わかった。……一緒に変わりたいのよ、私。そう、そう!」
「ん?」
急にパッと顔を輝かせるシャロットに、暁が訝しげな顔をする。
「私だけ先に行ったり、アキラだけ残されるとかじゃなくて……アキラと一緒に変わっていきたいの。そう……だから、何かモヤモヤしてたんだ。わかった!」
「あ……なーるほど……」
暁の顔も明るくなった。漠然とした淋しさが消えていくような気がした。
「そうか……そういうことか。わかった。俺も……スッキリした」
「……アキラもモヤモヤしていたの?」
「どうやらそうみたいだ」
二人は顔を見合わせると……クスクス笑い出した。
「よかった。……やっぱり、今日アキラに会っておいて……よかった」
シャロットはそう言うと、ぎゅっと暁の手を握りしめた。




