68.人々のそれから(1)
もう……夏も終わりだった。
家の廊下を掃除していた瑠衣子の足元に……白い紙飛行機がすうっと舞い降りた。
「……あら?」
瑠衣子は紙飛行機を拾い上げると、そのすぐ近くのドアを見た。
暁の部屋だった。半分ぐらい空いていたその隙間から飛んで来たらしい。
「あらら、窓が開いてるわ……。もう……」
部屋をそっと覗くと、暁はベッドでうたたねをしていた。
瑠衣子はそっと部屋に入ると、紙飛行機を暁の机の上に置いた。
窓を閉めようと思ったが、暁が気持ちよさそうに寝ていたので……諦めて、紙飛行機を本に挟んで、パタンと閉じた。
……これなら、もう飛んで行くことはないだろう。
そしてもう一度ベッドの上の暁を眺めると……ちょっと微笑んで、そのまま部屋を出て行った。
* * *
――暁へ
いよいよ、明日……テスラの闇を封じる。そんな夜に、この手紙を書いています。
この本は……俺がヒールから教わったこと、そして俺が辿って来た過程を参考に、古文書を元にして、書きました。
テスラの戦争の歴史の陰に隠れてしまったヒール……そして俺の、生きた証とも言える、とても大事な物です。
この本を……暁に託すね。生涯――暁に持っていてほしい。そして、子供たちに伝えていってほしい。そう思っています。
近くでは……レイヤとメイナがぐっすりと眠っています。
朝日はそんな二人の横で本を読んでいたけれど……今はうたたねをしてしまっているね。
暁は当然覚えてはいないと思うけれど……暁が生まれたあと、同じように、俺は朝日と暁の三人でゆっくりとした時間を過ごしていました。……2か月ぐらいだったかな。
その時のことを思い出したよ。
その時は、戦争が終わったら家族三人でミュービュリに帰ろう。帰ったら何をしようかな。
そんな風に、とても楽しく、明るい未来を思い描いていたんだ。
実際には、俺は怪我で十年も眠ることになり……朝日と暁に、随分辛い思いをさせてしまったよね。
この十日間ほど……その時と同じく、俺はとてものんびりと過ごすことができました。
でも……以前とは違う。この手紙を読む頃にはもう、わかっているように……明日、女神テスラが蘇ったら――俺の役目は、終わり。
俺にはもう……朝日や暁、レイヤやメイナとの明るい未来は……思い描けないんだ。
だから、なおさら……この十日間、「ここに暁がいればいいのに」と何度も思いました。
自分の死が迫っていることに気づいた時は……「成長した暁に会えただけでもよかった」と、そう思っていたけれど……いざ目の前に来ると、もっともっと……と思ってしまうね。
だけど……俺は死ぬわけじゃない。ちょっと眠って……遠い未来、パラリュスに帰ってくるんだから……そのとき、朝日や暁がどうしていたか、たっぷり女神に教えてもらおうと思っています。
そう考えたら、俺はとても恵まれている……幸せだと、素直に思えたよ。
だから暁。もう会えないけど……直接、話はできないけど、いつも俺が見守っていると思って。
……多分、いつでも、俺は暁の味方だよ。
自分の思う通りの人生を生きて行ってほしいな。……そう、思っています。
それじゃ……暁。またね。
ユウより
追伸
朝日はあの通り、どんどん周りを巻き込むわりにかなり鈍感なので……心配です。
あれだけ若くて可愛いから、悪いムシが近寄って来るかもしれない。なのに土壇場まで全然気付かなそうで……。
暁、申し訳ないけど……代わりに追い払って……
* * *
「アキラ!」
急に話しかけられて、暁は慌てて持っていた手紙を鞄に突っ込んだ。
「あれ、それ……」
「何でもない。……で、何?」
声をかけてきたのは、一緒に仕事をしているユナという女の子だった。
暁より3つ年上の女子大生モデルだ。
「何かね、手違いで衣装の到着が遅れてるみたい。……1時間待ちだって」
「ふうん……」
「今日はただでさえ遅くなりそうなのに……困っちゃうわね」
「……まぁね」
「あ……そうだ!」
ユナは声を上げると、暁の腕に自分の両腕を絡めてきた。
「……アキラ、今日の夜、空いてる?」
「ん……まぁ」
「じゃあ……仕事が終わったらさ、ウチに来ない? 一人暮らし始めたばっかりで……淋しいの。今日遅くなりそうだし……泊めてあげるよ?」
ユナが暁の顔を見上げる。
「そうだね……」
どうしようかな、と思っていると
“アキラ! 聞こえる?”
というシャロットの声が飛んできた。
暁はちょっとごめん、と言ってユナの腕をふりほどくと、スマホを取り出した。
『聞こえる。……何?』
急に知らない言葉を喋り始めた暁に、ユナはちょっと驚いたが……おとなしく黙っていた。
“……こっちに来てほしいの”
『今は無理だ。夜まで仕事……』
“遅くてもいいの。終わり次第……来れない?”
『まぁ……行けなくはないけど……』
“じゃあ、待ってる。東の塔の私の部屋よ”
『……了解』
ぷつんと声が途切れる。暁はスマホをしまうと、ユナの方に振り返った。
「ごめん。用事ができたから、無理」
「えーっ! だって、私の方が先……」
「後先の問題じゃなくて、優先順位の問題だからさ。……悪いけど」
「……キッツいこと言うな……」
ユナはそう言ったものの、あまり気にはしていない様子だった。
暁がハーフで、そちらの国の人との付き合いをとても大事にしている、という話は、モデル仲間の間でも有名だった。
「じゃあ、キスして。それで許してあげる」
「俺はキスはしないの。……知ってるでしょ?」
暁はちょっと笑うと、ユナにデコピンをしてその場を立ち去ろうとした。
「あ、どこ行くのよー」
「1時間待ちだろ? ちょっと外の空気吸ってくる」
「えっ、ちょ……」
ユナは慌てて追いかけたが……角を曲がると、暁の姿はどこにもなかった。
「あれー?」
「あらー……フラレたわね」
同じくモデルのリコがキョロキョロしているユナに声をかけた。ユナはおでこをさすりながら、ふくれっ面をした。
「アキラって……いつもああよね」
「そうよね。ノッてくれる時もたまーにあるけど……駄目な時は、はっきり断るよね。それはもう、残酷なぐらい」
「年下なのに……生意気」
「……とか言って、いつも上手くあしらわれてるじゃない」
リコがクスクス笑うと、ユナはムッとした顔をした。
「ちゃんと付き合ってくれたこともあるもん。……でも、何でキスしてくれないのかなぁ」
「グロスが嫌なんじゃない? 潔癖症なのかも」
(好き放題言ってるな……)
暁はちょっと溜息をつくと、パタンとユウの本を閉じた。
ユウが考えていたように……暁は、防御や隠蔽の初歩的な技なら、本を読むだけで発動できるようになっていた。
特に隠蔽は非常に便利で、誰にも構われたくないときに頻繁に使用している。
暁は鞄に突っ込んだままになっていた紙飛行機を取り出すと、元のように折り畳んだ。
部屋に飾ってあったはずのユウの手紙がなぜ本に挟まっていたのか不思議だったが、
(そう言えば、あの後すぐに読んだときは泣いてしまったから……ちゃんと内容がわかってなかったかも知れない)
と思い返し、もう一度読み返していたのだった。
(だけど……)
暁は紙飛行機を本に挟んで鞄にしまうと、溜息をついた。
(――最後は結局、親のノロケを聞かされるって……)
「ウチの親……どっちもどっかズレてるよな……」
独り言を言いながら、時計を見る。
……午後3時12分。仕事は――あと5時間は、かかるだろう。
◆ ◆ ◆
「ミジェルー」
海に向かって歌っていたミジェルの元に……レジェルが歩いてきた。小さな女の子の手を引いている。
「今日はそれぐらいにしたら? 帰りましょう」
「……」
ミジェルは頷くと、レジェルの方に駆け出した。
そして二人は手を繋ぐと、海岸沿いをゆっくりと歩き始めた。
「歌……楽しい?」
――うん。この間、ウルスラで歌ってみて……すごく、気持ちがよかったの。
「そう」
――シャロットがすごく喜んでくれて……。
「……良かったわね」
――アキラがいなかったのが……すごく残念。アキラの案だったのに……。
ミジェルはそう呟くと、ちょっと俯いた。
「ねぇ……ミジェル」
――え?
「アキラのこと……好きなの?」
「……」
ミジェルは少し押し黙ると、海の果てを見つめた。その先には……最近できた、新しい島が見える。ホムラとセッカ、そしてエンカが今、その島に行っている。
――アキラなら、と思ったこともあるけど……。でも、私……シャロットも大好きだから。
「シャロット……様……?」
レジェルはちょっと不思議そうな顔をした。
――うん。……ふふっ……。
ミジェルは何かを思い出したようにくすくすと笑い出した。
――あの二人はね……自分のことも相手のことも……全然わかってないの。
「……?」
――頭もいいし、かなり大人びてるのにね……そういうとこ、すごく子供なの。
「そうなの……?」
――そう。何か可愛くて……。そんな二人が、私は大好きよ。
ミジェルはそう告げると……とても嬉しそうに笑った。
◆ ◆ ◆
ヤハトラの神殿では……ネイアとセイラが向かい合って立っていた。
少し後ろでは、神官たちが跪いて二人を見守っている。
以前、勾玉が供えられていた奥には……ジャスラの涙が輝いている。レジェルが持っていた、五つ目のジャスラの涙だ。
ジャスラの各所にあったジャスラの涙は、そのまま守り神として……そして各国の様子を視るためのものとして、祠に残されている。
「それでは……セイラ……」
「……はい」
セイラは一歩前に出た。ネイアはセイラの両肩に手を置くと……額と額をくっつけた。
「第百二代目ヤハトラの巫女、ネイア……その座を娘、セイラに譲り渡すものとする」
「……は……」
二人は目を閉じた。
傍目からは分からないが……確かに、何かがネイアからセイラへと受け継がれている。
「……謹んで……」
セイラは目を開けた。その碧の瞳が、鮮やかに輝いている。
「……うむ」
ネイアは満足そうに頷くと……神官たちに向き直った。
「ジャスラの闇は去り……平和が訪れた」
「……」
「ヤハトラはその意味を失ったかに見えるが……この歴史を、確かに後世に伝えてゆく役目を担っている。……そう考えている」
ネイアの言葉に、セイラが頷く。そしてすっと手を天井に向かって掲げた。
「……わらわは……地上に出ることを考えたい」
セイラの言葉に……神官が少しざわめいた。
「ソータや色々な人々のおかげで、フェルティガエが地下に籠らねばならぬ日々は……もう、終わった」
「……」
神官たちが「確かに……」と小さく頷く。
「ヤハトラはこれからも在り続けるが……」
ネイアは神官たちを見回すと、ふっと微笑んだ。
「セイラに神殿を任せ……わらわはフェルティガエも外の世界に出ることについて考えてみようと思う。どうやって外の世界と関わっていくか。……皆の意見も聞きたい。これからも……わらわとセイラを助けてほしい」
「……ははっ……」
神官たちは深く頭を下げた。
ネイアは満足そうに頷くと、セイラと見つめ合い……にっこりと微笑んだ。




