67.彼らは悠久の旅に出る(2)-ソータside-
「テスラ……これ、いいか?」
聖なる杯を指差してテスラを見上げると、テスラは少し頷いて手を翳した。白く光る聖なる杯は宙に舞い……三女神の中央でふわりと留まる。
“われら三女神の神具だ。……われらが持つ”
「ああ」
俺は頷くと、トーマに近寄っていった。
『話……わかったか?』
日本語で話しかけると、トーマは黙って頷いた。
『……まぁ、そういう訳だ。……トーマ、神剣を渡してくれるか』
何て言ってやればいいかわからず早口でそう言うと、トーマはゆっくりと顔を上げた。
『……こうなること……わかってたんだ』
少し悔しそうな顔をして、唇を噛みしめている。
俺はちょっと笑って首を横に振った。
『……いや、全然。……もっと先だと思ってた』
『……』
『観覧車に乗る約束……守れなくて、ごめんな』
『……馬鹿言って……』
そう呟くと、トーマは俯き、右手に持っていた神剣を俺に差し出した。
『……ありがとう』
俺はちょっと頷いて、トーマから神剣を受け取った。
そして腰に差すと、今度は自分の首にかけていた鎖をはずし……頭を下げたままのトーマにかけてやった。
『これ……』
トーマがハッとしたように顔を上げた。鎖の先につけられたダイヤの指輪をまじまじと見る。
『やる。俺の母親と、親父と、俺と……まぁとにかくいろいろ乗っかった……大事な代物だ』
『……』
いつの間にか水那が傍に来ていた。とても穏やかな表情をしている。
『水那。本当は……全部終わったら、お前に渡すつもりだった』
『……』
『でも……いいよな? トーマにやっても』
『……ええ』
水那は頷くと、少し微笑んだ。
『それは……お義父さんや颯太くんの気持ちがこもったものだから……トーマが持っているのが、一番いいと思うわ』
『――そうだな』
ふと、親父の最期のときを思い出した。
俺は死ぬわけじゃない。だけど……大事な者を遺して違う世界に行く、という意味では同じだ。
親父は最後にどうしても言いたかったこと……一言一言、大事に伝えてくれた。
俺もトーマにそうしてやりたかったけど……できそうになかった。
あの時の想いとかいろいろ重なってしまって……きっと泣いてしまう。
トーマの目に映る最後の俺は、やっぱりカッコ良くありたいし。
『だからトーマ……お前が持ってろよ』
言葉を並べるのは苦手だ。だから……その形見に、俺の想いをすべて込めるよ。
そう思ってそれだけ告げると――トーマは黙って頷いた。
『……トーマ……』
水那は少し背伸びをしてトーマの頭に触れた。
『……母さん……』
『……ごめんね。全然……傍にいられなくて……』
『……』
トーマは首を横に振ると水那を抱きしめた。
『わかってる。父さんは……母さんがいないと全然……駄目だから……』
『へ……変なこと言うな』
思わず言うと、トーマは涙ぐんだまま、ちょっと笑った。
「シルヴァーナ女王……ユズル」
俺はトーマの傍に心配そうに寄りそっている二人を順に見た。
「いろいろ世話になったな。……トーマのこと、頼むな」
「……ええ……」
「……はい」
ユズルは頷き……シルヴァーナ女王がすうっと一筋の涙を流した。
「ずっと……傍にいますから」
「……そうだな。女王の眷属だもんな。どうなるものかと思ってたけど……よかった。……安心した」
「……」
女王は深く頭を下げた。
「あ……そうだ」
懐に入れてあった横笛を取り出す。
「……暁」
「あ……え!?」
呼ばれるとは思ってもみなかったのか、暁が素っ頓狂な声を上げた。
「これは……暁にやる」
俺は暁に近寄ると、右手を取って笛を握らせた。
「え……あ……え!?」
「ヴォダ、暁のこと気に入ってたから」
「これ……俺が貰っていいの?」
「ああ」
そうだ……ヴォダとも約束したのにな。のんびりとパラリュスを廻ろうって。
ごめんな。ずっと……俺を待っててくれたのに。
「ヴォダ……まだまだ子供だからさ。淋しがると思うから……たまには遊んでやって」
「……うん……」
「シャロットも元気でな」
俺は暁の隣にいるシャロットの頭をポンポンと叩いた。
シャロットは口をへの字にしたまま……黙って頷いた。泣くのを我慢しているらしい。
「やんちゃもほどほどにしろよ」
「もう……しないもん……」
そう言うと、シャロットは暁の右腕にしがみついて顔を擦りつけた。
暁はちょっと困ったようにシャロットの頭を見下ろしていたが、やがて空いていた左手で頭を撫でてやっていた。
「レジェル……ミジェル」
「……っ……ソータさん……私……」
レジェルは涙目でオロオロしている。
「セッカさんやホムラさんや……レッカさんとか……エンカに……何て伝えたら……」
「カッコ良かったって伝えといて」
「そういう、ことじゃ……」
――私が……伝えます!
ミジェルがぎゅっと俺と水那の手を握った。
――ソータさんやミズナさんのこと……歌にして、ジャスラ中……いえ、パラリュス中に伝えます。
「そりゃ凄いな」
俺は思わず笑った。
「きっと……上にも届くからさ。いつか……聴かせてくれよな」
「……」
ミジェルが力強く頷いた。
「――ネイア」
ネイアは黙って俺の顔を見た。
泣いてはいなかったが……言葉にできないぐらいショックを受けているのは、よくわかった。
「本当に長い間……ありがとう。俺のときの巫女が……ネイアでよかった」
「……馬鹿者……」
ネイアはそれだけ呟くと、ゆっくりと瞬きをした。
「あれだけ、わらわに世話になっておきながら……行くときは突然なのだな」
「……悪い」
「ソータはいつもそうだったからな。……慣れている」
そう言うと、ネイアは水那を抱きしめた。
「……ミズナ、元気でな」
「……」
水那は黙って頷いた。
ネイアは水那から離れると……俺達二人を見比べた。
「二人が一緒にいる姿を見れたのだ。そして……これから、永久に共に在るのであろう? めでたい門出だと……思うことにする」
「……ありがとな」
ネイアにもう一度お礼を言うと、俺は後ろを振り返った。
ミリヤ女王と……少し離れたところに、朝日と夜斗がいる。
「……そう長い付き合いではなかったが……」
ミリヤ女王が扇で口元を隠しながら、少し俯いた。
「口のきき方もなっておらぬし……無礼な男だったが……」
「最後にそれかよ」
「……黙って聞け」
ミリヤ女王はじろっと睨んだ。
「――それでもな。……われは、お前が好きだったぞ」
「……ありがとう」
「……ユウディエンの次の次……ぐらいにはな」
「オチをつけるなよ! そこは素直に好きだった、で終わらせとけ!」
「……こういう性分でな」
そう言うと、ミリヤ女王は「ふふふ」と小さく笑った。
ミリヤ女王の肩の向こう……朝日がボロボロ涙を流していた。
「お前……何でそこまで大泣きするんだ……?」
「だって……デート……スカイツリーとか……この先……いろいろ……」
「は?」
訳が分からん。
そう思っていると、隣の水那がクスリと笑った。
「……いいのよ。ありがとう、朝日さん」
「水那さーん! せっかく……せっかく仲良くなったのにー!」
朝日は水那にガバッと抱きつくと、わんわん泣き出した。
夜斗がちょっと困ったように頭をポリポリ掻いている。
「……夜斗。本当にお前がいてくれてよかった。……いろいろ大変そうだけど……」
俺は泣いている朝日の背中と困ったように……それでもちょっと嬉しそうに慰めている水那を眺めた。
「後は、頼む」
「どいつもこいつも……俺にはそればっかりだな……」
恐らくユウにも言われたのだろう。夜斗は深い溜息をついた。
「……本当にそうだな。それが……夜斗の使命なんだろうな」
「尻拭いが?」
「そう」
「うわ……」
夜斗はたまらない、というように空を仰いだが……やがてふっと俺の方を見た。
「まぁ、後を任せられるだけの人間なんだって……誇りに思うことにするよ」
「実際そうだからな。気楽に言える台詞じゃないんだ。……少なくとも、俺は他の人間には言えない」
「……わかった。任せておけ」
そう言うと、夜斗は泣きまくって水那から離れない朝日を引き剥がした。
「朝日……いい加減にしろ」
「だって……だって……あんまりなんだもん。ユウがいなくなって……ソータさん達も行っちゃうの?」
「……随分、らしくなく悲観的になってるな、朝日」
「さよならするのに、楽しくはなれないわよ!」
「――よく考えてみろよ」
「……何を?」
朝日は泣き腫らした目で俺をじっと見つめた。
「何百年後かに……ユウがパラリュスに戻って来たとき……お前たちの誰一人残ってはいないけど……俺は一緒にいてやれるんだぞ」
「……!」
朝日はびっくりしたように目を見開いた。涙も一瞬で止まっている。
「……お前らしく、全力で生きろよ。お前がどういう人生を過ごしたか……俺がユウに聞かれても、困らないくらいにな」
「……わかった」
朝日は涙を拭くと、こくりと頷いた。
「――よし、頑張る!」
「いい返事だ」
俺は思わず笑った。
いつだったか……ユウが言っていたな。
泣いても凹んでも、朝日は二言目にはそう言って……がむしゃらに前に突き進むんだ、と。
そういうところがたまらなく好きで……多少無茶しても、朝日が真っ直ぐに向かっていけるように俺が守ってやろう、と思うらしい。
俺はもう一度みんなの顔を見回した。
不思議と……後悔はなかった。
これが……俺の使命。俺が進むべき道。
――そう思えたから。
“……では……天界への扉を……開く”
上から女神テスラの声が響いてきた。
気がつくと……三女神の姿形はなく、それぞれの色の靄がまっすぐ天に向かって昇っている。
“……よいか?”
「……ああ」
俺は頷いた。隣にいる水那に……手を差し伸べる。
「――行くぞ、水那」




