65.長い道程の果てに(3)-朝日side-
後ろを振り返ると……私と目が合った夜斗が、ギクリとしたような顔をした。
――ユウが、どこにもいない。
私は左手をぐっと握りしめた。固い指輪の感触が……痛い。
「ねぇ……ユウは!? ねぇ!」
私の大声に……みんながハッとしたような顔をした。辺りをキョロキョロ見回す。
「どこに行ったの? どうしていないの? ねぇ……」
“――アサヒ”
空から……女神テスラの声が降って来た。
それまで私達の様子を優しく見守っていた三女神が……じっと私を見つめていた。
それは……私を慰めるようでも、詫びるようでもある。
いや……やめて。
女神ともあろう方々が……そんな顔をしないで。
だって、まるで……。
“ユウディエンは……われと共にある”
女神テスラは俯いた。
“……もう……”
そう呟くと……女神テスラはゆっくりと首を横に振り……自分の胸を指差した。
「え……」
意味がわからない……。
“われとの契約――消えていく魂を繋ぎとめる代わりに、身体を差しだすこと”
女神テスラがゆっくりと話し始めた。
“それが……一つの終わりを迎えた”
「どういう……こと……?」
声が震える。
……声だけじゃない。全身が……わなわなと震える。
「役目が終わったから……消えたってこと……?」
“……身体は……”
「じゃあ、もう……会えないの? ユウは、どこにもいないの?」
“……”
女神は黙ったままだ。
「ねぇ! どういうこと!? 消えたってことは……魂の輪廻にも入れない。生まれ変わることもできないの!?」
涙が溢れる。女神たちの姿が……ぼやけていく。
“歪められた命――ユウディエンは……輪廻には入れない。ただ消えゆく運命だった”
「……!」
女神テスラがゆっくりと手を差し伸べ……その大きな指で私の涙をそっと拭った。
“デュークの干渉を受け過ぎた。魂が欠けてしまっており……もう、環の中には戻れなくなっていた”
「魂が……欠けて……?」
“身体が二つに分かれてしまったからだ。ユウディエン自身と……ジュリアンと呼ばれた少年。一つの魂が……二つの身体に”
「……!」
ジュリアン……ユウの身体の三分の一から再生された、もう一人のユウ。
死ぬ間際……私を助けてくれた。
あのとき、私はジュリアンの生命の力を受け取って……ユウに注ぎ込んだ。
それでユウは助かって……だから二人は一つに戻って……これで大丈夫だって。
そう、思ってた。
駄目だったんだ。一度分かれた魂は……もう、元には戻らないんだ。
女神テスラはもう一度自分の胸を指差した。
“われの仮宿となれ。その代わり……われがお前の魂を繋ぎとめる。消える運命の代わりに……われの使徒として蘇る道を授ける”
「使徒……?」
“これが――われとユウディエンが交わした契約……だ”
女神テスラはそう言うと……瞳を閉じた。
ユウの中には、女神テスラの半身が宿っていた。
そうすることで……命を繋ぎ止めていた。
ミリヤ女王が祈りを捧げ……女神テスラが蘇る。
それは、キエラ要塞の地下とユウの身体の中にあった半身が一つになるということ……。
身体から女神テスラがいなくなれば……ユウはそのままではいられなくなる。
女神テスラはユウの魂ごと半身を取り込んで……そして、こうして姿を見せたということなの?
――また、ね。
最後のユウの笑顔が思い浮かぶ。
ユウは……わかってた。
これが……最後だって。私と話す、最後だって。
何で気づかなかったんだろう。
……でも、ユウは私がそこまで考えが及んでいないこと……望んでいた気がする。
フェルティガの老化も――最初は隠そうとしていた、ユウだから。
すべてを知って、私が泣いたり……泣くのを我慢したりする姿を見るのは、きっと辛かったんだ。
わたしは顔を上げた。涙は……いつの間にか、渇いていた。
「使徒ってことは……ユウは、死んではいない……。そういう、こと……?」
ちゃんと聞かなきゃ。ユウの覚悟を……私も受け止めなきゃ。
“使徒は……神の元に下り神に仕え神のために動く……神の下僕になるという契約”
「下僕……」
“代わりに守護する神の力を行使することを許された特別な存在……。使徒をつくることは一級神にのみ許された特権……”
「じゃあ……いつか……ユウは、女神テスラの使徒として……現れるの?」
“……何百年後か……にはな”
「何……百っ……」
あまりの言葉に……私は言葉を失った。
じゃあ、もう……本当に会えないんだ。
でも……待って。もしかして……。
「わたしも……望んだら、使徒になれる?」
“……無理だ”
女神テスラは首を横に振った。
“われら三女神は……力が足りぬ”
「え……」
“ユウディエンは身体を差し出したことで、かろうじてわれと契約を結んだ”
「かろうじて……」
“魂を繋ぎ止めるため……苦肉の策だった。われら三女神の本来の力があれば……もう少し早く使徒として生まれ変わらせることもできるの、だが……”
つまり……何百年というのは……三女神が本来の力を取り戻せるまでの……時間。
それまでは……新たに契約を結ぶことなどできない。――そう言ってるんだ。
きっと……ユウとの契約も、ギリギリだったんだ。
女神テスラは……東の大地の地下深くで、要塞で起こったことをずっと眺めていたと言っていた。
だから、赤ん坊のユウがカンゼルの手で蘇ったことも……そして身体が二つに分かれてしまったことも、知っていた。
私や暁のことだって……全部、わかっていた。
だから……たくさんのヒトの中から、ユウを選んでくれたんだ。
託宣で私を――レイヤとメイナ、そしてユウをテスラに呼び寄せたのも……すべて、このために……。
「レイヤとメイナ……フレイヤ女王の力を授かった一対の使者が……女神テスラを呼ぶため、そしてユウと契約を結ぶために……必要だった……」
“……”
女神テスラは黙ったまま頷いた。
私はゆっくりと目を閉じた。
ユウは死んだ訳じゃない。でも……帰ってくるのは、何百年も先のこと。
そのときには……私はもう、いない。
私達は……もう、永遠に会えない。
再び目を開けると……女神テスラが悲しそうな顔をしていた。
女神に……こんな顔をさせちゃいけない。
女神テスラは……私達を想って、助けてくれたのに。
「……ありがとうございました……女神テスラ」
私は深々と頭を下げた。
「……朝日……」
夜斗が少し驚いたように呟くのが聞こえた。
私は顔を上げると、振り返って夜斗に微笑みかけた。
「だって……あのままでも、ユウはただ消えてしまう運命だった。なのに……ここまで生きてくれて、テスラ……パラリュスの平和を見届けて……今は、眠ってるんでしょう?」
私はずっと握りしめていた左手を開いた。
指輪が青緑色に光っている。
――ねぇ、ユウ。
この指輪の意味……今、わかったよ。
私は左手の薬指に、その指輪をはめた。
そしてそっと……指輪に口づけした。
これは……約束の指輪。
パパとママの……そしてユウと私の、約束の指輪だものね。
「もう会えない……だけど、ユウは……またね、って言った」
「……」
「私は、このパラリュスで――生きていく。そして何度でも生まれ変わって……いつか、使徒になったユウに……会いに行くから」
女神テスラが……ふっと微笑んだ。
“――素敵な……言葉だ……”
女神テスラを取り巻く青い靄が、少しだけ震えた。




