59.そのとき何が起こったのか(2)-朝日side-
デュークが苦しそうな呻き声をあげている。どうして……。
……そうだ。きっと……宝鏡がもとの形に戻った。
三種の神器による結界が、完成したんだ!
「暁! 早く外に出なさい!」
ずっと倒れていたドゥンケがゆっくりと立ち上がるのが見えた。
詳しい理由は分からない。
でも……とにかく、ドゥンケはデュークに操られていて、私達を敵だと思っている。
暁は身を守る術を持たない。暁だけは――逃がさなくては。
「だって……」
暁はヨハネを抱きかかえながら、ひどくうろたえていた。
「二人とも放っておけないよ。とにかく朝日……早くそれ、解いてよ! 近づけないんだって!」
「それは駄目!」
デュークがずっと私の様子を窺っているのがわかる。
一瞬でも気を抜いたら……私にとり憑く気だ。
結界が完成し、力も削られた今となっては……もう、それしかないもの。
「……アキラ……」
「……ヨハネ!」
ヨハネがゆっくりと目を開けた。
デュークの支配から解放されたヨハネは……元の優しい表情に戻っていた。
「憎いなんて……嘘……だからね」
ヨハネはうっすらと笑うと――すっかり変色してしまった左手を口に当て……思い切り口笛を吹いた。
その音は天井に開いた大穴を通って、外に抜けていく。
「あ……!」
穴から一頭の飛龍が現れた。飛龍はヨハネの傍に舞い降りると、暁の服の背中のところをパクリと咥えた。
「わっ……」
暁の腕からヨハネが転げ落ちる。暁が慌てたように手を伸ばしたが、ヨハネが頷いたのを確認した飛龍は、再び宙に舞い上がった。
あっという間に飛んで行く。……大穴から、外に向かって。
「ヨハネー!」
暁が手足をジタバタしながら見下ろし、叫ぶ。みるみる間に、瞳に涙が溢れている。
ヨハネはそれを見送ると……私にちょっと会釈して――灰になった。
「……あ……」
ゲートの限界で、身体が維持できなくなった。最後の力を振り絞って、暁を助けた。
そして……消滅してしまった。
……もう、魂の輪廻にも戻れない。
ふっ……という、デュークの溜息のようなものが聞こえた。
――結界がゆるんで少し自由になったのも束の間……ジリジリと力が削られるとは思っていたが……そういうことか。
デュークがかなり小さくなった闇を、ブルブル震わせている。
――三種の神器……ヒコヤめぇー!
デュークの怒号が地下の空間を激しく揺らす。
力を削ったとは言っても……デュークはまだまだ強い力を放っていた。
黒い神殿から何本もの触手がはみ出して、うねっている。これでは……まだ、足りないかもしれない。
もう少し……もう少し、力を削らなくては。
「……デューク?」
ドゥンケが呆然と黒い闇を見上げていた。
その表情は……私の知っているドゥンケに近い気がする。
そうか……暁の攻撃を受けて闇の力が削られ……ヨハネが消滅して、幻惑も薄れているのかもしれない。
「ドゥンケ!」
私は思い切り叫んだ。ドゥンケがビクッとして私の方を見る。
「私が……わかる?」
「……アサヒ……」
「そうよ」
「デューク……本当にアサヒは、外の世界に……いたのだな」
――そうだ……とも。
そう言うと、デュークが何十本もの触手を私に向けてきた。
「くうっ……!」
身体全体をフェルティガで覆いながら、かろうじてそれらを振り払う。
「デューク……どういうことだ!?」
――ドゥンケ……お前は……ヒトでも神でもない生き物。わたしすら受け付けず……。
「何を……」
――お前は神にはなれなかった。この女なら、私を受け入れ……神になれる。
「アサヒが……神に……?」
「ドゥンケ! 耳を貸しちゃ駄目!」
――やかましい!
デュークの黒い闇が私を包もうとする。
全力で拒絶したけれど……私はガクリと膝をついた。
身体も本調子じゃない。フェルティガもそんなに蓄えられていた訳じゃない。限界がくる。
そのとき……私は、デュークに乗っ取られてしまう。
暁は逃がせた。でも……私がここに囚われたままだと……駄目だ。
最後の神具――女神の聖なる杯が使えない。
――お前が闇にとり憑かれたら……完全に、終わりじゃ。
――そのときには……自害する覚悟で、臨みます。
アメリヤ様と交わした、言葉……。
「……そうか」
ポツリと、言葉が漏れた。
……今が……その時なんだ。
とにかくギリギリまでデュークに力を使わせて、なるべく小さくする。
そして……私に、限界が来たら……。
「……ドゥンケ」
「アサヒ、神になるのか? そうすれば未来永劫、わたしは独りではなく……」
――そうだとも……ドゥンケよ。
「黙ってなさい!」
私はデュークを一喝した。嫌がらせのように伸びてくる触手を、片手で払いのける。
「ドゥンケ、よく聞いて。私は神にはならない。……だから、私を殺して」
「……殺して……」
「そう。私が意識を失う前に、ひと思いに殺して。それが……世界を救う、唯一の道なの」
「世界を……救う……?」
ドゥンケは全然わかっていないようだった。ただぼんやりと、私の言葉を繰り返すだけだ。
――馬鹿なことを……!
デュークがわなわなと震えるのがわかった。触手と共に、凄まじい闇が私に襲いかかる。
「ぐうっ……!」
どうにかフェルの鎧で弾く。
――いつまで続くかな……。
「だから……言ってるの」
私はぐっと両足に力を込めた。
立ち続けなきゃ。どれだけデュークが私に纏わりついても……私は屈しない。
出来る限り、デュークの力を削ぐ。
……ソータさんが……三女神が、確実にデュークを封印できるように。
それが、私の……最後の、なすべきこと……。
「ドゥンケ……。私がデュークに負けたら、世界は終わるのよ」
「世界が……?」
「そう。あなたがずっと見守っていたあの島も、何もかも……」
――ドゥンケ!
デュークは私の言葉を遮った。ドゥンケがハッとしたようにデュークを見上げた。
ドゥンケの暗示は徐々に解けている気がする。
でも……まだ駄目だ。かなり強力に刷り込まれている。
――……上に、侵入者だ。殺せ。
「……!」
ドゥンケはカッと目を見開くと、黒い翼を大きくはためかせ、飛び立った。
「ドゥンケ、駄目……」
――やかましいわ!
デュークの闇の波動が私に襲いかかる。
「ぐっ……」
どうにか踏みとどまると、私は天井の穴を見上げた。
ドゥンケの姿は、もうそこにはなかった。
「ドゥンケ……どうして……」
――あれも、わたしの分身のようなもの……だからな。
デュークが不機嫌そうに呟いた。
――ただ……ヒトでも神でもない、厄介な生き物だ。ヤツの身体に入るつもりだったのに……できなかった。
デュークの分身……ヒトでも神でもない……。
ドゥンケは言っていた。あの島は……ドゥンケと人間のお母さんのために、神である父が造った国だって……。
神たる、父……。
「……デュークがドゥンケの父親、なの……?」
――……そうだ。
「じゃあ、どうして!」
私は思わず叫んだ。
「自分だってパラリュスに国を造ったんじゃない。妻と……自分の子供のために。なのに……どうして壊そうとするのよ!」
――わたしが国を造ったのは戯れだ。あの女は妻、などではない。わたしの分身をつくるための、道具だ。
「……何て、ことを……。母は泣いていたってドゥンケは言ってたわよ。きっと、デュークを待ってたのよ。死ぬまで……ずっと……」
――黙れ!
「その後ドゥンケがどんな思いであの島にいたと思うの? 出ることも死ぬことも叶わず、たった独りで……永遠の命なんて無駄だと思うほど……」
――黙れと言っている!
デュークはそう叫ぶと、四方八方滅茶苦茶に触手を暴れさせた。
私の方にも何本もの触手がぶつかってきたけど、どうにか弾く。
――とうに死んだヒトの女など……どうでもよいわー!
「な……」
――そう……そうだとも。わたしの伴侶となるべきはジャスラだけだ。あの女……あの女は……そんなモノではないわー!
デュークは狂ったように喚くと、ヤケを起こしたように周りに当たり始めた。
石造りの壁や床がボロボロと崩れ始める。
今……この場所は、三種の神器の結界でかろうじてデュークを押さえこんでいる。これ以上は……この神殿の方がもたないかもしれない。
……潮時、かな。
私の顔には……なぜか笑みが浮かんでいた。
……デュークの目的である、私自身が無くなればいい。
中途半端は駄目。死ぬなら……即死じゃなきゃ。
ドゥンケならそれは可能だろうと思った。でも……そんな役目、誰だって嫌だよね。
私は辺りを見回した。天井の穴から降り注いだ泥や石、瓦礫が散らばっている。
その中に……キラリと光るものが見えた。
「……あれは……」
私は近寄ると、ゆっくりとそれを拾い上げた。少し小型の剣だ。
すっと横に滑らせ、自分の指を切ってみる。……切れ味は、思いのほかよかった。指に、わずかな痛みが走る。
……これで十分だ。この剣で心臓を一突きすれば……デュークに私の身体を渡さなくて、済む。
アメリヤ様の前で……口に出しておいて、よかった。
私の心は、不思議なほど静かだ。
……覚悟するって、こういうことなんだな。
――何を……している?
一通り暴れて少し落ち着いたのか……デュークの声は静かだった。
――そんな物……どうする気だ?
訝しんでいるようだ。……悟られる訳にはいかない。
「あんたの前で気を失う訳にはいかない。……痛みで意識を持たせるのよ」
――ふん……それは、どうかな!
デュークが何本もの黒い触手を繰り出した。もう……避ける力は残っていない。
とにかく、入りこまれないように跳ね除ける。
……視界がくらりとする。私は咄嗟に剣で自分の太ももを切りつけた。
「ぐっ……!」
――無傷のままで貰い受けたかったのだがな……。
「絶対、渡さない!」
――ほーう……。
「デュークに……この、世界は……」
――ふん……わたしがもっと素晴らしい国に変えるかもしれんぞ?
「できる訳ないわ。……する訳がない」
――何を……。
「女神ジャスラを愛するあまり、テスラを、ヒコヤを、パラリュスを……憎んだ」
――ぐ……。
「そんなあんたが……パラリュスをこのままになんて、するもんですか。腹いせに、滅茶苦茶にしてしまうに決まってる!」
――知ったような口を利くな!
デュークが苛立ちを隠せずに、私に闇の波動をぶつけた。
……かなりクラリとした。自分の腕を剣で切りつける。
痛みで少し意識がはっきりしたけど……もう、駄目かもしれない。
――何もわからんくせに……!
「何もわかってないのは、デュークよ!」
私は腹の底から大きな声で叫んだ。
これが最後だ。デュークを挑発するのは……これが、最後。
次のデュークの力を受け止めたら……剣を、使おう。
脳裏に……色々な人の顔がよぎった。
言いたかったこと、したかったことは、たくさんある。
でも……今できることは、これしかないから。
「あんたは……自分の手で、女神ジャスラを壊したのよ」
――ジャスラを壊したのは、テスラとヒコヤだ!
「違う! デュークよ!」
――ぐっ……。
「あんたは、現実を見ないで駄々をこねているだけなのよ!」
――何を……。
「ジャスラを愛していたなら、どうしてジャスラの愛した世界を壊すの? 私は……」
剣を手にして、ゆっくりと立ち上がる。
「自分の愛した人達を――守る!」




