57.傀儡の目に映ったものは(2)-デュークside-
――デューク! お願い……助けて!
ジェシカの声が響く。
“……ふん”
やはり自分ではどうともならなかったではないか。
まったく、仕方のない……。
わたしは空を舞い、ジェシカの島に向かった。
見ると……船には大勢の島人が乗っていて、ジェシカが泣きながら喚いている。
「待って……島を捨てないでよ」
「もう限界だよ。こんなところで枯れ果ててどうするんだよ」
「ジェシカも行こうぜ」
「……私は……!」
“……取引に応じるのか?”
わたしは分身を飛ばすと、ジェシカに纏わりつかせた。
……とり憑きはしない。この女の明確な意思が必要だからだ。
「……ええ」
ジェシカがキッと上を見上げた。視えない筈のわたしと目が合う。
「いいわ。私の大事な物を……守ってくれるのなら」
“……ふっ”
腹の底から力が湧き出る。わたしは自分の力で船と……この島すべてを覆った。
“いいだろう! これらはすべて……わたしのものだ!”
それからどれだけの月日が流れただろう。
わたしの造った国で……ジェシカは意気揚々として島人を束ねていた。
平原、山、森、海……さまざまな土地で島人が思い思いに村を造っていく。
ジェシカは最初、まったく別の島に連れて来られたことにかなり憤慨していた。
守りたかったのは島であって、島人の頂点に立つことではない……と。
しかし……前よりも明らかに恵まれたこの島が気に入ったのか、やがて生き生きと生活するようになった。
島人達にも、てきぱきと指示を出している。
わたしの力をまざまざと見せつけたせいか……島人は大人しく従っていた。
わたしの加護を受けたジェシカにも、刃向うことはなかった。
やがて……ジェシカは黒い子供を産んだ。
どうやらわたしの力を強く受け継いだらしく、ヒトとはかけ離れた、異形の赤ん坊だった。
わたしの分身としては申し分ないと思ったが……どうやらそれは、ジェシカの孤独を深めたようだった。
もともと島人はわたしに従っていただけで……ジェシカを崇めていた訳ではない。
異形の子供が産まれたことで、ジェシカとその子が集落に近付くことを疎むようになった。
その視線に耐えかねて、ジェシカは各集落を廻るのをやめてしまった。
丘の上に家を建て……その中に閉じこもるようになった。
――ジェシカと子供は、完全に孤立してしまった。
集落の人間が収穫した物を捧げに来るのを、ただ待つだけの日々になる。
あの強気な瞳は暗く沈みがちになった。
不安そうな素振りが増える。
――そして、必要以上にわたしに纏わりつく。
……うんざりだった。
ある程度形になってしまったら……国造りにも飽きてしまった。
……島人がわたしを必要とすることも少なくなったからだ。
そうだ……もともとわたしは、国造りなどどうでもよかったのだ。
ジャスラが楽しそうに笑うから、味わってみたかっただけなのだ。
そうだ……ジャスラはどうしているだろう。
「デューク……どこへ行くの」
外に出ようとしたわたしを、ジェシカが引き止めた。黒い子供の手を引いている。
「外へ行く」
「外……?」
「しばらく戻らないだろう。……望み通り、お前の国を造ってやった。……もう飽きた」
「な……」
ヒトの姿を解こうとすると、ジェシカがわたしの腕にしがみついてきた。
「待って! どうして?」
「どうして? 意味がわからん。おまえは立派な島の主となった。もういいではないか」
「違う……今は、違うのよ。デューク……あなたがいなければ……」
「契約は終わった。共にいる必要は……」
「嫌!」
ジェシカがぐっとわたしの腕を握った。想像以上の力で、少しギョッとする。
「契約って……私は、あなたの子を産んだ。私は……あなたの妻――伴侶よ。それこそが何よりも……」
「――馬鹿なことを言うな!」
私は怒鳴りつけると、ジェシカの手を振り払った。
飛ばされたジェシカが激しく壁に激突する。一緒に飛ばされた黒い子供はきょとんとしていたが、ジェシカは肩を押さえて泣き崩れた。
「妻だと!? 伴侶だと!? 思い上がるな!」
「なぜ……」
「わたしの伴侶になるべきは――ジャスラだけだ! お前はただの――道具だ!」
「……!」
ジェシカが喉を詰まらせ……大きく目を見開いた。
久し振りに見る……真っ直ぐな赤みがかった瞳だった。
しかし……その瞳はひどく揺らいでいて……なぜか、わたしの心も揺るがせた。
――不愉快だ。なぜ……こんな気分にさせられる。
「……ふん」
わたしは身を翻すと……ジェシカの前から消えた。
* * *
そうか……あの、ヒトの女の記憶がわたしを惑わせたのか。忌々しい……。
あのときのあの女の顔が忘れられない。
わたしの拒絶に絶望したかのような……。
「……!」
わたしは思わず震えた。
ジャスラに拒絶され、絶望し……狂ってしまった自分。
あのときのジェシカと……同じだと言うのか。
「……馬鹿な」
記憶の中の、あの女の顔を振り払う。
あれからどれぐらいの年月が経っているのかはわからない。しかし、所詮ヒト……あの女はもう生きてはいないだろう。
でも……そうだ、わたしにはまだ分身がいたではないか。
わたしの息子――わたしの力を強く受け継いだ、到底ヒトではなかった、黒い異形の子供――ドゥンケ。
ひょっとすると……まだ……生きているのではないか……?
微かな記憶を頼りにパラリュスの空を漂う。
わたしが国を造った島――それは、確かにあった。しかし……奇妙な力で阻まれていた。
これは……神の使者による結界。
ということは……わたしの所業を父も知った上で……この地を封じたことになる。
つまり……封じなければならないほどのものが、この地にある。
それは……ドゥンケに他ならないだろう。
しかし……神たるわたしでも、今はまだ、入れぬ。
「ふっ……ふふふ……」
そうだ……今までのわたしは、冷静さを欠いていた。
ジャスラに拒絶され発狂してしまっていたから無理もないが……。
わたしは間違っていた。
国を壊すことばかり考えていたが、一番重要なのは……テスラに縛られたわたし自身を取り戻すことではないか。
テスラに縛られたままでも、わたしは分身を作りだし、切り離すことができた。
あの時よりも、テスラの結界はかなり揺らいでいる。
ならば、もっと大きな――わたし自身を受け入れられるほどの器があれば、あの戒めから逃れることも可能ではないか……?
ドゥンケならば――その器になれる可能性は十分にある。
しばし休もう。……その時が訪れるまで。
眠りから覚めたものの……わたしは長い間、テスラに入ることができなかった。
あの忌々しいヒコヤがずっと東の大地にいたからだ。
しかし、その日は……違っていた。テスラ全体を白い雪が覆っている。
……ヒコヤの姿はどこにもなかった。
そうか……この白い季節になると、ヒコヤはいなくなるのか。
この隙に……器となるべく人材を探さねば。
しかし、フィラと呼ばれる強いフェルティガエのいる村では浄化者が何人もいた。
今はまだ、入れぬ。――危険を冒すべきではない。
わたしはエルトラ領土に近付き、いろいろな人間に入り込みながら情報を集めていった。
「……ん?」
白く覆われた広場で……一人の少年が飛龍の世話をしていた。
「ヨハネ、それが終わったら休憩してもいいからな」
年老いた男が少年に声をかけた。
「あ……はい。外に出てもいいですか?」
「いいとも」
ヨハネ……。聞き覚えのある名だ、が……。
――デューク。聞け!
――……何だ、騒々しい。
――わたしの二人目の息子……ヨハネのフェルティガが、発現したぞ! まだ二歳なのにだ。
――それがどうした?
――幻惑の使い手だ。かなり強い。……これは……相当使えるぞ……!
そうだ……テスラが攻めてくる前の夜。……カンゼルが死ぬ前の夜。
興奮気味にカンゼルが言っていた……。
確かに……幻惑はかなり使える能力だ。ギャレットも、その力でウルスラの殆どを掌握した。あのときは手を広げ過ぎて失敗したが……。
しかも……カンゼルの息子。ひょっとすると……。
独り、飛龍で飛び出したところを見計らい……わたしはヨハネにとり憑いた。
――力が……欲しくはないか?
(……欲しい、けれど……)
ヨハネの思考の隅に、一人の少年の姿が映った。
これは……あのときの赤ん坊。――憎むべき、最上級の浄化者ではないか。
――こいつより強い力を授けてやろう。
(それは……)
取引に応じた!
……そう思ったが、なぜか契約が成立しなかった。
理由はすぐにわかった。あの女との契約が完了していないからだ。
――ちっ……。
仕方なく、わたしはヨハネの意思を押し込み、身体を奪った。
ヨハネはカンゼルの息子とは思えないほど心に揺らぎが多く、隙だらけだった。
少し拍子抜けはしたものの……持っている力はかなり素晴らしいものだった。
幻惑と隠蔽、そして飛龍を操る力……。
まるでわたしの計画のために生まれてきたようではないか。それに長く共にしていたカンゼルの血ゆえか、非常に馴染みやすい。
「……じゃ、行くか」
わたしはすんなりヨハネになり変わった。
そして……ドゥンケがいるはずの島に向かった。
島には、相変わらず神の使者の結界が張られていた。
しかし……以前とは違い、一か所だけ小さな穴が開いているのがわかった。
神の使者の結界に穴が開くとは……どういうことだ?
わたしは念のため自分に隠蔽をかけ、その穴からこっそり覗いた。
見えた景色は……遠い記憶の中の、私がジェシカ達を連れてきた――確かに、あの島だった。
真っ黒い大きな角を生やした男が崖の上で寝転んでいる。
――まさか……。
「ドゥンケ、ちょっとどいてー!」
そんな女の声が聞こえ、空間にできた切れ目から一人の女が現れた。
あれは……そうだ、ゲートだ。
カンゼルがあの女を攫ってくるためにフェルティガエを送りだしていた、異世界の門だ。
「……久し振り」
「……本当にアサヒはヒトなのか?」
「一応……そうよ?」
しかも……これは、あの女ではないか! 何という偶然……。
そうだ、この女はあの時もウルスラから一瞬でテスラに現れた。
この世界と異世界を自由に行き来できる、限られた人間なのかもしれない。
二人はしばらく会話をしていたが、やがて女がゲートから姿を消した。
残された黒い男は無表情のまま見送っていたが……どこか淋しそうでもあった。
ドゥンケ……やはり生きていた。
ということは……ヒトではない。わたしの血……神に近い存在に違いない。
きっとわたしの器になれるだろう。
しかし、あの女……。
いや……あの女は言っていた。
フェルティガもわたしの闇も、際限なく取り込むことができる、と。
ドゥンケと繋がっていることは、むしろ好都合かもしれない。
ドゥンケを通じて、あの女も手に入れられるかもしれない。
これは……かなりの収穫だぞ……。
独りほくそ笑み、わたしは島から離れた。
◆ ◆ ◆
思い出した。あの女が作り出した切れ目……あれは、ゲートではないか!
ミュービュリに向かおうとしているのか……。安全な場所に逃げるつもりなのだろうな。
しかし……ミュービュリは安全ではないぞ……?
わたしは思わずニヤリと笑った。
カンゼルが言っていた。フィラ出身の力の強いフェルティガエは、等しくゲートを越えられる……と。
それは、この身体……ヨハネなら、可能ということだろう?
つまり……これはあの女を手に入れる、最後の……それでいて、絶好の機会なのだ!
「――ドゥンケ! お前は要塞の南の敵を潰せ!」
わたしの声に……ドゥンケが空の彼方から現れた。
念のため、遠くで待機させておいて正解だった。……今なら、不意を突くことができるに違いない。
「いいな!」
そう言い捨てると、わたしは飛龍を最速で崖に向かわせた。
北は、あの忌々しいシルヴァーナ女王だ。
ドゥンケなら勝てるかもしれんが……わざわざ立ち向かう必要はあるまい。
どうやら南は手薄で……油断している。神器とやらでわたしを封じ込めるつもりなのだろうが……一か所さえ崩せば、どうとでもなる。
――昔、三女神の一柱、ウルスラを堕としたように。
「はっはっはっはーっ! ……お前は――わたしのものだ!」
聞こえるはずのない、わたしの笑い声――それに気づいたかのように、女がわたしの方に振り返った。




