55.東の大地での攻防(2)
「じゃあ……俺はエルトラ王宮に行く」
ネイア、レジェル、ミジェル、水那の四人を下ろすと、ユウは少し辺りを見回してから言った。
「兵士はかなり北に移動してくれたけど……何人かこっちに向かっているようですね。やっぱり少し残って、追い払うのを手伝った方がいいでしょうか?」
「いや……ユウディエンは作戦通り、エルトラ王宮に向かえ」
ネイアがきっぱりと言った。
「テスラの女王を連れてくることを優先しろ。……それまでは大丈夫だ」
「……わかりました」
ユウはサンに乗ると、白い空に飛び立った。
キエラ要塞を見下ろすと、大半の兵士が北に押し寄せている。
ユズルが足止めし、シルヴァーナ女王が結界を維持しつつ防御し……トーマが神剣で兵士を薙ぎ払っている。
女王の眷属となったトーマの体力は無限だ。神剣の力を引き出し……刃が触れずとも、敵を押し返している。
ヨハネの幻惑で操られた兵士たちも、かなり倒され、気絶しているようだ。神剣により術が消え……意識を失ったのだろう。
「……おっと」
東からも南に兵士が向かっていくのが見えた。ユウは左手を掲げると……兵士たちに向かって指差した。兵士が進もうとしていた地面が割れ、ぱっくりと口を開く。
止まり切れなかった兵士たちがゴロゴロと呑み込まれて行くのが見えた。
「……これで少しは足止めになったかな」
ユウはポツリと呟いた。
(後は、みんなを信じて――俺の役目を果たさなくては)
肩から下げた鞄に入った聖なる杯を、そっと撫でた。
ふと……フィラの、崖の上を見る。そこには……もう、朝日の姿はなかった。
「……」
ユウはちょっと淋しそうに微笑んだ。
――もう、ミュービュリに行ったんだな。
朝日……暁……。
そして……フィラにいる、レイヤ、メイナ。
俺の……大事な家族。俺の、生きた証だ。
ユウは目を閉じると、大きく深呼吸をした。そして……カッと目を見開く。
「サン! エルトラ王宮に急ぐぞ!」
「キュウー!」
ユウの声に応えるように、サンの大きな鳴き声がテスラの白い空に響き渡った。
◆ ◆ ◆
「来ないでー!」
ミジェルが襲いかかってくる兵士に向かって叫ぶ。兵士がその圧に押されて後ろに吹っ飛ぶ。
大半の兵士は北に移動したものの、何人か残っていた兵士がネイア達に迫っていた。
「……ミジェル、わらわと水那である程度は防御できる。すべてを蹴散らそうとせずともよいぞ」
ネイアは二人の前に仁王立ちになっているミジェルに声をかけた。
「……」
ミジェルは頷いたが、退く気はないようだ。辺りを見回し……不意な攻撃を食らわぬよう、集中力を高めている。
「……あ……」
不意に小さく声を上げると、ミジェルは振り返ってネイアと水那の手を取り、ぎゅっと握った。
――歌を歌います。耳を塞いで下さい。
「承知した」
「……」
二人が頷くのを確認して、ミジェルは再びすっくと立ち上がった。
近付いてくる兵士をじっと見つめると、大きく深呼吸をする。
「藍色の……空に抱かれて……」
ミジェルの綺麗な声が兵士に届く。……今は忘れられていた、テスラの子守唄だ。
――傷つけたくない。どうか……眠って……!
ミジェルは強くそう思いながら、精一杯歌いあげた。
藍色の 空に抱かれて 眠る
女神 テスラの 吐息を
樹も 花も 静かに
この子の 光を 見守る
「う……」
幻惑がかけられている兵士にも、その歌は届いたようだ。急いで駆けていた足がゆっくりになり……やがて止まる。
白色の 空に包まれて 休む
女神 テスラの 祝福を
水も 海も 穏やかに
この子の 光を 見守る
「……あ……」
「……」
兵士たちはその場に膝をつき……次々と倒れていった。
「……効いたようじゃの」
耳を塞いでいたネイアがポツリと呟く。念のため障壁をしていた水那は頷くと……自分たちを包んでいた障壁を解除した。
「……!」
その瞬間、水那の瞳が大きく見開いた。
大空から強烈な波動が近付いている。
「「ミジェル、引きなさい!」」
水那の声に、ミジェルが弾かれたように避けた。ネイアが咄嗟にミジェルの手を引く。
「――!」
水那は勾玉に意識を集中した。
――私が……神器の力を用いることを許し給え。
その瞬間――水那たちの前に強固な障壁が現れ……突然現れた何かを弾き飛ばした。
「……ぐっ……!」
何か巨大な黒いものが五メートルぐらい吹き飛ばされる。砂煙を巻き上げ、地面にもんどり打って倒れた。
「な……」
その姿を見たネイアが、言葉を失った。
水那の障壁に弾かれた人間――いや、ヒトかどうかもわからない。黒ずくめの衣装に身を包んだ、黒く長い髪をなびかせた、屈強な生物。
背中には黒い翼が……頭からは長い角が二本生えている。ゆらりと立ち上がり、ギロリと睨みつけたその瞳は……燃えるような赤色だ。
「あれは……なん……」
ただならぬ気配を感じたネイアは、呆然と立っていたミジェルをガッと引き寄せた。
「……ミジェ……」
「いやー!」
ミジェルの叫びがフェルティガとなって黒い男に襲いかかる。しかしそれは……男の顔面を少し小突いただけだった。
「……?」
男は何か当たったかな、というように辺りを見回す。
……どうやら、行動も思考回路もかなりゆっくりなようだ。
――操られている。恐らく……ヨハネに。
そう悟った水那は、すっと立ち上がると、ネイアとミジェルを庇うように前に出た。
男の身体には一見、闇は纏わりついていないように見えた。
しかし……そうではなく、何かもっと大きな、巨大な波動に包まれているから、感じ取れないだけなのだろう。
――キエラ要塞の闇を吸収したのは、間違いなくこの男……この黒い生き物だわ。
この波動には……覚えがある。ヨハネは巧妙に隠していたつもりなのだろうが……女神テスラが追い払った、ダイダル岬で感じた波動だ。
「……ぐわーっ!」
男は真っ直ぐ水那に向かって突進した。水那は左手に抱えた勾玉の力を借り――右手で水平に空を切った。
「……ぐうっ……」
水那から発せられた浄化の力が、確かに男の歩みを止めた。
……やはり、闇に操られているのだ。
でも、これだけ本人の思考能力が奪われているとは……。余程、強力にかけられているのか、それとも――余程、本人の抵抗が強かったのか。
「……無駄です。闇に塗れた、その力では……私を傷つけることは、できない」
「……ぐっ……」
水那の言葉が聞こえていないのか、男は立ち上がってなおも攻撃しようとする。
「「聞きなさい!」」
水那の強制執行が発動――男は一瞬、ギョッとしたように水那を見た。
男の精神が一瞬、揺さぶられる。
その瞳に……わずかな揺らぎがあったのを、水那は見逃さなかった。
「……何を、しているの?」
「……ぐ……?」
「あなたの本当の望みは――そんなことではなかったはず……」
「――!」
水那の言葉に……男は頭を抱えてその場にうずくまった。
「ぐが……があ――!」
男は苦しそうにその場でもがくと……黒い翼をはためかせ、宙に舞い上がった。
「あ……」
水那は慌てて空を見上げたが――男は頭を抱えたまま、ものすごい勢いでキエラ要塞の中に突っ込んで行った。
「な……」
シルヴァーナ女王の結界は、中の闇を閉じ込めるものであり、外部からの侵入を防ぐものではなかった。
男は結界を突破し、そのままキエラ要塞にぶつかった。
「ぐっ……!」
「レジェル!」
ネイアは咄嗟に、結界の中で浄化していたレジェルの手を引っ張り、外まで引きずり出した。
大破した要塞の破片が凄まじい凶器となって弾け飛ぶ。結界を越え、次々に飛び出してくる。
「きゃあ!」
「わっ……」
「私が……!」
水那がすかさず四人の頭上を障壁で覆った。
間一髪、ネイア達に降り注ぐ前に破片が跳ね返る。
それからしばらくの間、要塞の上やその周りにも、破片がバラバラと雨のように降り注いでいた。
「……ふう」
要塞の破片の雨が静まったあと……ネイアは大きく息をついた。
「助かったぞ、水那。……レジェル……大丈夫か。怪我はないか?」
「……」
ネイアの言葉に、レジェルは頷くだけだった。
やはり要塞の闇は強大で、浄化するのにかなりのフェルティガを消費したようだ。
「でも……まだ……」
「少し休め。でないと……とり憑かれるぞ」
「……」
レジェルは再び頷いた。
そのとき――キエラ要塞が激しい音を立てながら崩れ出した。
「な……」
ネイア達四人が振り返る。
男が突入した穴から亀裂が生じる。地面が陥没し……黒い要塞がみるみる呑み込まれていく。
「……あ!?」
水那の声に、ネイア、レジェル、ミジェルの三人がハッとして水那を見た。
水那の両手の中にある勾玉が……淡く光り出す。
ずっとソータの気配を伝えていた勾玉が……熱くなる。
「宝鏡が……在るべき姿を取り戻したか!」
ネイアはそう言うと、キエラ要塞があった場所をもう一度見た。
シルヴァーナ女王の結界は維持されたままだったが……地面に大きな穴が開いているのがわかった。
要塞はわずかな外壁を残したものの、その殆どが消えていた。……崩れた破片が散らばっている。
三種の神器による結界が強まったせいか、闇の触手は見当たらない。
ミジェルは立ち上がると、辺りを見回した。
もう、南には闘おうとする兵士たちの姿はなかった。
ミジェルの歌で眠った者。黒い翼の男が現れた際に、吹き飛ばされた者。
勾玉の力を借りて打ち立てた水那の障壁――それに弾かれた黒い男の余波で、気絶した者。
黒い男が要塞に突入した際の破片で怪我を負った者。
そういった者たちで埋め尽くされている。
「……颯太くんが、来る」
水那の言葉に、三人は黙って頷いた。
そして水那を取り囲み……地面にできた大きな穴をじっと見つめたまま、来たるべく封印の儀式を待った。




