54.東の大地での攻防(1)
ソータと夜斗とウルスラ組を乗せた飛龍は、テスラの東側を少し遠回りしながら北に向かっていた。
東側の険しい山々がソータの視界を遮っていたが……不意に開ける。
海岸が見える。少し奥に、泉……さらに奥には、キエラ要塞……。
「――ん!?」
ソータは思わず声を上げ、目を凝らした。
キエラ要塞には、テスラのフェルティガエがかけた障壁が施してある。
ソータがテスラを離れる前は……闇の触手は要塞をはみ出して障壁のギリギリまで伸び、うねっていた。
だが……今見ると、黒いものが全く見えない。
「夜斗……闇が、ないぞ」
「え!」
「近くまで行かないと、よくはわからないが……」
「でも……昨日まで、フェルティガエを兵士と共に常駐させていた。何の報告も上がって来なかったんで、兵士だけ残したんだが……」
「フェルティガエはいつ引き揚げさせた?」
「今日だ。……白い昼に変わったあと……ソータさん達を迎えに行く少し前だ」
「……じゃあ、そのわずかな間に……か」
「……!」
ソータの言葉に――夜斗が絶句する。
「ずっと様子を窺っていたのかもしれないな」
「……そんな……」
「ヨハネ以上にデュークの闇を取り込む奴が現れた。……そういうこと、だな」
「……どうしたら……」
「――まず……私が参りましょう」
シルヴァーナ女王が口を開いた。
「え……」
「闇には……とてもとても、大きな恨みがあるんです」
「シィナ……」
トーマがちょっと慌てたようにシルヴァーナ女王の腕を掴む。
シルヴァーナ女王はトーマの方に振り返ると、にっこり笑った。
『トーマも一緒に来てね。すごく……頑張れるから』
その笑顔はとても無邪気だ。これからピクニックにでも行くのかな、という気軽さだと、ソータは思った。
巨大な敵と戦いに行くようには、とても見えない。
『そりゃ……』
「……あ、ユズもね。ヤトゥーイさんと連絡を取ってもらわないと駄目だから」
「シルヴァーナ様、私も行くから!」
シャロットが意気込んでずいっと前に出た。
「だって私、浄化者なんだからね! アイツの攻撃力を削れるの、この中なら私だけなんだから!」
「……そうね」
四人は頷くと、ソータと夜斗の方を見た。
「つまり……当初の計画通り、ということですね」
「……大丈夫なのか?」
「私達の方に引きつけられれば――南は安全だと思います」
シルヴァーナ女王が頷いた。
「ネイア様達には……少し待っていただきましょう」
「――分かった」
夜斗はミジェルに連絡をし、合図をするまでダイダル岬で待機するように伝えた。
上陸する場合も、防御を最優先にするように念を押す。
要塞に近付く。……闇の触手が、大幅に減っていた。
だが、本体がいなくなった訳ではないようだ。
(恐らく……地下深くで蠢いている……)
ソータにはその気配がわずかに感じられた。額に汗の玉が浮く。
「……参ります」
シルヴァーナ女王がトーマ達三人を引き連れ、飛龍から飛び下りる。
ザワっとした気配が……四人を取り巻く。
「……違う、兵士の方だ!」
夜斗が叫んだのと、テスラの兵士たちが四人に突撃するのが同時だった。
「なっ……」
「……下がりなさい!」
シルヴァーナ女王が叫ぶ。女王の防御により、兵士が四方八方に飛び散る。
「うらあーっ!」
トーマが腰から剣を抜くと、次に切りかかって来た兵士を切り伏せた。峰打ちだったらしく……血は飛び散っていない。
激しく突き飛ばされた兵士は、そのまま気絶した。
「……幻惑だ」
夜斗の呟きに、ソータは額の汗を拭いながら頷いた。
しかし……引き付ける、というシルヴァーナ女王の言葉通り、東と南にいた兵士が軍勢となって北に移動している。
「あれ、止めないと……」
「駄目だ! このまま作戦決行だ!」
ソータは夜斗に怒鳴りつけた。
「相手はただの兵士だ。絶対に持ちこたえられる。俺達のやるべきことは……一刻も早く、女神を降臨させることだ!」
「……!」
夜斗は頷くと、ミジェルに連絡した。
防御した上で要塞の南に上陸、作戦開始……と。
そしてソータと夜斗を乗せた飛龍は、北東の遺跡に向かって移動し始めた。
◆ ◆ ◆
東の兵士の軍団が北に向かって押し寄せる。
しかし、その目の前に……いきなり巨大な壁が立ち塞がる。
「うわっ」
「ぎゃーっ!」
勢い余ってぶつかった兵士たちが、将棋倒しになる。
「ユズ、すぐ引っ込めろ。こっちに引き寄せないと意味がない」
「わかった」
壁が消え、後続の兵士たちが倒れた兵士を踏みつけながらトーマに詰め寄る。
トーマは神剣を薙ぎ払い……剣圧で兵士たちを圧倒する。
「トーマ、適当に足止めしながら引っ張るよ」
「任せた!」
今度は南から兵士が近寄ってくるのが見えた。
ユズルが手を上げると、巨大な丸い岩が出現し、南の兵士の軍団に向かってゴロゴロ転がる。
「うわっ!」
「に、逃げろー!」
それに気づいた兵士たちが蜘蛛の子を散らしたように逃げまどう。
そのとき――キエラ要塞の闇が急に膨れ上がった。
「シャロット!」
シルヴァーナ女王の言葉に、シャロットが緩んだ障壁の中に入り、浄化を始めた。
「くっ……さすが、本場、キッツイなー!」
シャロットはそう叫んだものの、両足で強く踏ん張り、両手を突き出した。
襲いかかった闇の触手が泡となって消える。
「ウルスラの王女……なめないでね!」
――結界が緩んだ。ソータさんが行動を開始している。
そう悟ったシルヴァーナ女王は、自分を纏っていたオーラをすべて、キエラ要塞に向けた。
紫色のオーラが強力な結界となり、抜けだそうとする闇を押さえこむ。
がんじがらめにし……浄化者への攻撃の威力を下げる。
――……貴様、だけはー!
不意に、女王の耳に少年の声が響いた。女王はピクリと身体を震わせた。
――ヨハネだ。
シルヴァーナ女王は両手で結界を維持しながら、ちらりと声がした方に視線を向けた。
飛龍に乗った少年が剣を振りかぶっている。
「愚かな……」
女王はそう呟くと、息を吸い込んだ。
「あなたは……私に一度は負けたというのに……」
女王の吐息がフェルティガとなり、そして蜘蛛の糸のように広がってヨハネに纏わりつく。
「ぐっ……」
「……ましてや……そんな小さな分身で……」
キエラ要塞の闇を吸収し、強くなったのかと思いきや――ヨハネが抱える闇は、上半身の右側だけだった。
「ぎっ……くそーっ!」
ヨハネはギロッとシルヴァーナ女王を睨んだ。一瞬、目が合う。
「……!」
ヨハネの力は幻惑――危険だ。
女王は瞬きをして自分の眼前に障壁を張り、弾き返す。
しかし……その瞬間だけ、ヨハネを拘束していた糸が緩む。
「ぐおーっ!」
ヨハネはその隙を逃さなかった。あっという間に引きちぎると、飛龍ごと姿を消した。
「……隠蔽……!」
女王は唇を噛んだ。
先程のように殺意を見せてくれれば、たとえ隠蔽されてようともヨハネを捕捉することができるだろう。
しかし……気配を殺して逃げられてしまっては、どうしようもない。
“――女王、大丈夫か!?”
夜斗の声が直接、女王に届く。
「……ええ。ただ、ヨハネには逃げられてしまいました」
“……いや、それは……”
「かなり消耗しています。兵士を操るのに相当消耗したのでは……」
“わかった。女王は結界と兵士の軍団に集中してくれればいい。……直接連絡してすまなかった”
そう言うと、夜斗からの連絡はプツンと切れてしまった。
予想外の事態に……みんなが混乱している。
こんなときこそ……私がみんなを守らなくては。
――そのための……力なのだから。
シルファーナ女王はぎゅっと唇を噛みしめた。その美しい紫色の瞳が、いっそう輝きを増した。
◆ ◆ ◆
「これは……一体……?」
崖の上で東の大地を見ていた朝日は、思わず声を上げた。
要塞の北と南、順に配置について作戦を行うはずが……突如、北のシルヴァーナ女王らのみが東の大地に降り立った。
そしてその瞬間――味方のはずの北の兵士が、女王たちに襲いかかっている。
「何……どういうこと?」
ヨハネの幻惑で兵士が操られているということはわかった。
でも……いつの間に?
夜斗があれだけ細心の注意を払っていたのに。
「どうしよう……」
操られているだけの兵士なら、女王たちの敵ではないだろう。でも……結界は大丈夫なのか。兵士を蹴散らすだけなら、今の私でも手伝えるかもしれない。
だけど……ここで私がキエラ要塞に行っていいのだろうか。女神テスラは……私に関わるなと言っていたのに。
どうしたらいいかわからず、朝日はその場でウロウロしてしまった。
ミュービュリに行くタイミングで、夜斗から連絡が来るはずだった。
でも……それもない。不測の事態で、夜斗も対応できていないのかもしれない。
ここで連絡を待てばいいのか……。
「あ……」
そのとき――北に向かって、一頭の飛龍が飛んでいくのが見えた。
ソータと夜斗を乗せた飛龍……まっすぐ北東の遺跡に向かっている。しかし……やがてその姿はふっとかき消えた。
――夜斗の隠蔽だ。
「……!」
つまり、作戦は続行している、ということだ。
そして南には……遅ればせながら、ユウやネイア達を乗せたサンが現れた。
すでに兵士は少なくなっている。北に引き寄せた上で、南はこれから作戦を実行に移すに違いない。
「……じゃあ、私も……」
朝日は東の大地を見渡すと――ポツリと呟いた。
そのとき――キエラ要塞を包んでいた障壁がわずかに揺らいだ。
「あっ……」
次の瞬間には、紫色のオーラがキエラ要塞をあっという間に包み込む。
――シルヴァーナ女王の結界だ。
連絡はないけど……もう、行かなくては!
「夜斗!」
朝日が強く念じる。少し遠くに……夜斗の気配を感じた。
“――朝日!”
夜斗の慌てたような声が聞こえてきた。
「夜斗、私……」
“悪い……遅れた!”
段取りが狂ったせいか……かなり冷静さを失っているようだ。
“とにかく……作戦は決行だ! 早くミュービュリに行け!”
「……わかった」
朝日は頷いた。
「……着いたら、すぐに暁を送り届けるから……」
“……ああ”
夜斗はちょっと間をおいてから返事をした。
朝日の台詞に……この場にいられない悔しさや苛立ちを感じたからかもしれない。
“――暁を……頼む!”
「……うん!」
夜斗の通信が途切れた。
朝日が右手を上げ――斜めに振り下ろす。その場に、切れ目が現れた。
「……?」
不意に視線を感じて、朝日は振り返った。しかし……何もない。
キエラ要塞の北では、相変わらず兵士との攻防が続いている。
南では、続けて現れたネイア達に気づいたわずかな兵士たちが迫っているようだ。
そしてユウが……サンに乗って要塞の南から飛び立とうとするのが見えた。
……誰も、朝日に気づいていない。
「……急がないと」
朝日は呟くと、ゲートを見上げた。
そして一切、後ろを振り返らず――朝日はその切れ目の中に姿を消した。




