51.聖なる杯(セレクトゥア)と平和を求めて(3)-朝日side-
私自身には何の力もない。だから、皆にフェルを与え、後押しをするのが私の役目だと思っていた。
今は身体もそんなに自由には動かせない。でも、フェルを渡すことならできると思ったから……。
なのに……皆を手助けすることすら、できないの?
「朝日はフェルティガを吸収する性質があるから……聖なる杯にデュークを封じる際に、影響を与える可能性がある」
「じゃあ……少し離れればいいのよね? シャロットかレジェルを補佐すれば……」
「もう一つある。デュークが……朝日に強い関心を持っているらしい」
「……え……」
ソータさんの言っている意味がわからなかった。
デュークが……私を?
「どうして……」
「理由は分からない。でも……ユウがとり憑かれたとき、闘ったよな?」
「あっ」
ソータさんに言われて、私は5年前のことを思い出した。
――ユウの身体を返して。代わりに……私の身体をあげるわ。
――イイダ、ロウ。ノッテ、ヤル。
「あのとき……」
「……色仕掛けしたからだよね、きっと」
ユウがちょっと不満そうに言った。
「だから、色仕掛けじゃないってば! 取引よ!」
「取引……」
夜斗は呟くと、ハッとしたように顔を上げた。
「そうか……同じだったんだ」
「同じ?」
「――カンゼルと」
「カンゼルと同じって……」
あのクソジジイと同じとか、かなり心外なんだけど。
「女神テスラの話を覚えているか? カンゼルはデュークに自ら取引を持ちかけた。デュークはそんなカンゼルを大いに気に入った」
「……あ……」
そう言えば……そんな話だった。
危険だとわかっていたのに……止められなかった。
眺めることしかできなかった、女神テスラの後悔の話。
「心に……発狂した神のなれの果てに、どれぐらい心が残ってるかはわからないけど。まぁとにかく、心に何か引っかかりは感じた。それに……朝日の力も知っている。わざわざ教えたんだからな」
「う……」
私は思わず言葉に詰まった。
「でも……あれは……注意を引くというか……捕まえるのに必死だったから……」
「まぁな」
夜斗は頷くと、溜息をついた。
「とにかく……朝日をこの作戦に関わらせる訳にはいかない。これが……俺達の結論なんだよ」
ユウが淋しそうに言った。
「……だから、双子と一緒にフィラにでも……」
「フィラには行けない。私……せっかくの絶対障壁を吸い込んでしまう」
「……あ」
「……気をつければ大丈夫かもしれないけど……でも……」
そんな器用にコントロールはできない。
そう思って、私は首を横に振った。
本当は、絶対障壁の外で……ダイダル岬の崖の上からでも、作戦がうまくいくか見守っていたい。
皆が頑張って来たこと……パラリュスの平和が訪れる瞬間に、立ち会いたい。
でも……それは、皆の足を引っ張ることになるんだね。
「……わかった。私……ミュービュリに行く」
「えっ!」
その場にいた四人が一斉に声を上げた。
「でも、双子は……ゲートを越えられないよな?」
「レイヤとメイナは理央に預ける。二人は絶対障壁の中に入れるはずよ。――フィラの三家なんだから」
「……」
「私一人でミュービュリに行く。そして――暁のために、ミュービュリからテスラにゲートを開く」
「え?」
私の言葉に、全員が不思議そうな顔をした。
「暁がテスラに来ないのは……ヨハネを警戒してるからなのよね?」
「そうだ。だから、ギリギリに来てもらおうとは思っていたが……」
「暁は……いつも掘削で行き来してるから、ゲートを開くことには慣れてないの。掘削はゲートよりずっと多くのフェルティガを消費する。この作戦だと……暁の浄化の力が大きければ大きいほどいいのよね?」
「ああ。……朝日が手伝えないから、余計に、な」
「だとすると……暁の力はなるべく温存しないといけない。だから……私が暁のためにゲートを開く。その方が、確実に暁をこの場所に送れる」
私は地図の東側を指差した。
「……でも……」
「確実に離れるなら……ミュービュリが一番だわ。それに……私も、この作戦の役に立てるでしょう?」
歯痒い。……自分の力が、負担になるなんて。
肝心な時に、傍にいられないなんて。
「ゲートを行き来することにかけては、私……自信があるわ。絶対、失敗しない。だから……やらせて」
ぐっと涙を堪えてそう言うと、私は自分の胸を叩いて元気に笑って見せた。
「……」
ソータさんと夜斗が、黙ってユウの方に振り返った。
ユウは――なぜか、ひどく淋しそうな表情をしていた。
「……ユウ?」
ふと不安に感じて声をかけると、ユウはハッとしたように顔を上げた。慌てたように笑顔を作る。
「……そうだね。それが一番確実……だよね」
「……どうして、そんな……」
「いや……この世界のどこかで朝日が見守ってると思えれば……頑張れるのにな、って……ちょっと思っちゃって」
「……」
「ミュービュリは遠いなって……。いや、単なる俺の我儘だよ」
そう言うと、ユウは聖なる杯に額をつけ――大きく息を吸い込んだ。
「ごめん。ちょっと神経質になってた。……緊張してるのかな」
「……お前……」
夜斗が何か言いかけたけど……ユウと目が合うと、そのまま黙りこんでしまった。
「俺は……朝日の作戦、いいと思う。ソータさんは……それでいい?」
ユウがソータさんに向かって聞く。
ソータさんはニッと笑うと、力強く頷いた。
「朝日が暁と連携してくれるなら、それに越したことはない。……俺も安心してネイアを迎えに行けるしな」
「いや、廻龍だと日数がかかり過ぎるだろう。俺がサンで行った方がいいんじゃ……」
「駄目だ。夜斗はテスラでの仕事があるだろう。……いざというとき、兵士を動かしてもらわないといけないしな」
ソータさんは夜斗の言葉を遮った。
「それに……朝日だって当分は身体を休めた方がいいだろう。……俺が二つの国を巡って帰ってくるまで……多分、十日。だいたいそれぐらいだ」
「……わかった。……それで……ソータさんが巫女と女王を連れてきたら、すぐに作戦決行なのか?」
「まあ……そうだな……。優雅に挨拶してる場合じゃないだろうな……」
夜斗の言葉に、ソータさんはちょっと考え込んだ。
「女王が揃えば、何が行われようとしているのかデュークは悟る。……暴れ出しても困るしな。……速やかに行動開始しないと駄目だろうな」
「……わかった。帰りはシルヴァーナ女王もいる訳だし……連絡は問題ないな。テスラに近付いたら俺に連絡をくれればいい」
「あの……」
ずっと黙っていた水那さんが口を開いた。
「私も……颯太くんと一緒に行ってもいい?」
「え……でも……ずっと海の中だと、疲れるかもしれないぞ」
ソータさんが心配そうに言った。
「私が勾玉を持ってこないと……」
「それは俺でも持てるし。それに……テスラに帰ってきたら、すぐに行動開始だぞ。本当に大丈夫か?」
水那さんはこくりと頷いた。
「だって……十日、かかるんでしょう?」
「まぁ……」
「そんなに長い間……」
水那さんはそう呟くと、ちょっと俯いた。
「だって、私――もう颯太くんを独りにはしないって、約束……」
「わーっ!」
ソータさんは真っ赤になると、すっ飛んで行って水那さんの口を塞いだ。
「こんなところで何を言い出す!」
「……っ……」
「いいから黙ってろ!」
「……」
水那さんが頷いたのを確認して、ソータさんが手を離す。
「ま、とにかくだな……――おい!」
気を取り直して何かを言おうとしたソータさんが喚く。
夜斗とユウはくるりと背を向けてぷるぷると背中を震わせていた。
正直……私も、お腹が痛い。
何か可愛い……ソータさんって、どうしてこんなに水那さんに弱いの……。
「何だ、お前らは……言いたいことがあるなら、言え!」
「……言ってもいいの?」
ユウが笑いを噛み殺しながら聞く。
「……やっぱり言うな!」
ソータさんはますます真っ赤になるとそう怒鳴って、テーブルの上の地図を乱暴に懐にしまった。
「とにかく……俺は今からひと眠りしたら、ヴォダで行くから」
「う、うん……」
「じゃあな! ……ほら水那、行くぞ!」
「あ……」
ソータさんは相当恥ずかしいらしく、真っ赤な顔のまま水那さんの手を掴んでずんずん歩いて行く。
そして乱暴に扉を開けると、バタンと大きな音をさせて閉めた。
「……カタナシだね……」
「……そうだな」
「……ラブラブよね……」
私達はそれぞれそう呟くと、お互いの顔を見合わせて笑い出した。
――ねぇ、ユウ。
今も……思い出すのは、このときのユウの笑顔なの。
いつもの穏やかな笑顔じゃなくて……本当に心の底から笑っていたからかな。
ねぇ……ユウは未来で、どんな私を思い出すの?




