49.聖なる杯(セレクトゥア)と平和を求めて(1)-ソータside-
朝日の出産を終えて、2日後。
俺とユウと夜斗は、サンに乗って北に向かっていた。
雪はかなり溶けたようで、あちらこちらから茶色い地面が見えている。キエラ要塞の三方を取り囲んでいる兵士の集団が見えた。
その他に泉、そして北東の遺跡にも黒い集団が見える。
「かなり厳重だな……」
「ヨハネはかなり慎重だ。侵入するのは難しい、と思わせるだけでも時間稼ぎにはなるだろ」
「まあ……」
「今のところ何も報告は来ていないが……」
「……とりあえず、闇は減っていないようだ。しばらくはこのままでいいんじゃないか」
俺が言うと、夜斗は少し心配そうに頷いた。
闇の気配なら、俺が感じ取れるはずだ。
でも……ダイダル岬で感じた波動は、それとは違い、ごくわずかなものだった。
もしアレが侵入したとしたら……気づけないかもしれない。
しかし、仮にキエラ要塞に侵入したとしても、要塞の闇が減れば――侵入者が取り込めば、絶対に俺や浄化者にはわかる。
そのときに逃がさないようにすればいい。
テスラにとっては危険な賭けだが……敵の居場所がわからないうちは、待つしかない。
いつ来てもいいように、封印する手筈だけはしっかり整えておかなくては。
……そんな訳で、昨日兵士を配備し、今日、俺達三人は聖なる杯を手に入れるために北東の遺跡に向かっていた。
闇の正体は、天界から降りてきた神だった……。消すことなんて、できる訳がない。
神の力には神の力で対抗するしかない。三種の神器と――三女神と、神具で。
「行けば、わかるのか?」
「多分……としか言えないけど」
ユウは自分の胸を押さえた。
あの日以来、女神テスラは一度も現れていない。ユウは契約を交わしたときに理解した、女神テスラの思いを頼りに……動いている。
北東の遺跡が見えて……サンが下降し始めた。見張りの兵士らが俺達に向かって敬礼をしている。
サンは広場の中央に降り立つと、「キュウ」と一声鳴いた。
「お疲れ、サン」
ユウは素早く降りると、サンの頭を撫でてやっている。
俺、夜斗の順に降り立つと、サンはパタパタと翼を軽くはためかせ、その場に座り込んだ。
「待っててくれるみたいだな」
「……サンも、女神テスラに会いたいんじゃないかな……」
呟くとユウは辺りをぐるりと見回した。
「ここ……じゃないな。やっぱり、塔の方……」
ユウが何かを感じ取りながら歩き始める。俺と夜斗は顔を見合わせて頷くと、黙ってユウの後についていった。
前に夜斗と二人で来た時は何もなかったし、全然わからなかった。
だけど女神と同化しているユウにだけは、わかるのだろう。
「……」
すでに上半分が崩れている塔を登り始める。
俺は思わず、辺りをキョロキョロと見回した。周りには瓦礫が散らばっており……階段にはヒビが入っている。今にも崩れ落ちそうだ。
「え……これ、登るのか?」
《――そうじゃ》
急に、ユウの気配が変わった。
ギョッとして顔を上げると、ユウの瞳が青く輝いていた。
《……お前たちはそこで待っていろ》
そう言うと、ユウ――もとい、女神テスラは螺旋階段をゆっくりと登っていった。途中で崩れてしまって進めなくなると……ひらりと塔の外壁へ躍り出る。
「あ、あぶ……」
「大丈夫だ。……とりあえず、黙って見ていよう」
夜斗に諭され、俺は自分の手で自分の口を押さえると、固唾を飲んで見守った。
女神テスラは大きく天を仰ぐと……その場に跪いた。
ユウの身体から、青い靄が溢れ出る。崩れた塔全体を……俺達ごと包み込む。
《時が……来た》
女神テスラの声が俺の耳に届いた瞬間――俺の額と胸の中の勾玉が熱くなる。
「う……」
思わずよろめくと、夜斗がハッとして俺の身体を支えてくれた。
――次の瞬間、俺の視界は紫と碧の靄でいっぱいになった。他には何も見えない。何だかぐるぐるする。
《……顕れよ》
(われら三女神のもと……)
――導かれるままに。
女神テスラ、女神ウルスラ、女神ジャスラの声が響き渡る。
カッと光が溢れ……物凄い風が辺りに巻き起こった。
「う……わ……」
「ソータさん!」
夜斗の腕の感触だけがやけに強く感じられる。
俺の身体を媒体にして二柱の女神が力を発しているのが分かる。
そうか……女神ウルスラの刻印……このために……。
神具を解放するために……必要だったのか……。
《――よくやった》
気がつくと……俺は瓦礫だらけの床に寝かされていた。女神テスラが見下ろし、うっすらと微笑んでいる。
その腕には、いろいろな装飾がついた白い優勝カップみたいな物が抱えられていた。
「それ……が……?」
《そうじゃ。われら三女神の神具――聖なる杯》
「は……」
ものすごいゴテゴテした、何だか凄みのある杯だ。触れたら、呑み込まれそうな……。
そうか……すべてを呑み込む器、と言っていたっけ。
《……では、しばし休む。また……のち、ほど……》
そう言うと、女神テスラはゆっくりと瞳を閉じた。
そして再び目を開くと……ユウに戻っていた。
「……これ……が……」
ユウは自分が抱えていた聖なる杯をまじまじと見つめると、ぎゅっと……大事そうに抱えた。
「これ……今のところ、俺しか持てないんだ。女神に委託されているソータさんも……大丈夫かな。でも、夜斗は呑み込まれてしまうから、絶対近付かないで」
「わかった」
頷くと、夜斗は俺の身体を起こしてくれた。
服の汚れを払って、どうにか立ち上がる。
「急に始まったからびっくりした。前もってちゃんと言ってくれれば、心構えできたのに……ったく……」
思わず呟くと、ユウはクスリと笑った。
「女神に文句をつけるなんて、ヒコヤらしいよねぇ」
「文句じゃないぞ。要望を言ってみただけだ」
「それでも……女神が現れてまともに話できるの、やっぱりソータさんだけだもんね」
「……」
そうなの……かな?
首を捻りながら辺りを見回す。塔は完全に崩れ、瓦礫の山になっていた。
俺はどうやら、そのてっぺんに寝かされていたようだ。
塔全体が神具を隠す結界になっていたのか。
三女神の神具だと言っていたから……三女神が揃わないと見つけられないようになっていたんだな。
じゃあ……いくら探しても見つかるはずがない。
「……じゃ、行くか」
夜斗がピューッと口笛を吹いた。広場にいたサンが嬉しそうに飛んでくる。
サンは瓦礫の上に舞い降りると、興奮したように翼をパタパタしていた。
「キュ、キュ、キュウ!」
「そっか、サンも見えた? よかったね」
「キュウ、キュウー!」
「そうだね、後でヴォダに教えてあげて」
「キュウ……?」
「……また、会えるから。……最後にね。そのとき、ヴォダも会えるよ」
「……キュウ」
サンはユウの身体に頭をこすりつけると、少し淋しそうに鳴いた。
ユウはその頭を撫でてやると、俺達の方に振り返った。
「……さ、行こう」
「ああ」
俺達三人が乗ると、サンは再び空高く舞い上がった。
テスラの白い空……今日はひときわ奇麗に輝いて見える。
……いよいよだ。
これで……長い闘いに、終止符が打てる。
* * *
「……して……どうやってデュークを封じるかは、わかっておるのか?」
今日の北東の遺跡での出来事を聞いたミリヤ女王は、俺達をねぎらったあと、すぐにそう切り出した。
「神具を使うためには……三女神を降臨させなければなりません」
ユウがしっかりと聖なる杯を抱えながら答えた。
「そして三女神を降臨させるためには……女王の祈りと、ソータさんの力が必要です」
「俺の……?」
「ああ」
俺の呟きに、ユウは深く頷いた。
「三女神は……まだその存在を、三種の神器に依存している状態なんだ」
「……ああ……」
本来の力はまだ……とか、女神ウルスラも言っていたしな。
俺の方に駆け寄って来たあと、すぐに神剣の方に引っ張られていたもんな。
「……ということは、何だ。ヤハトラの巫女とウルスラの女王をテスラに呼ばなければならないということか」
「そうです。シルヴァーナ女王には結界のために既にお願いしていましたが……ネイア様にはまだ伝えていませんね」
「ま……大丈夫だろう。ジャスラの闇は完全に晴れたし……後継者としてセイラもいる」
俺はそう言ったが、ミリヤ女王はまだ怪訝そうな顔をしていた。
「パラリュスのために……テスラのために、いくらでも動くと言っていた」
「……そうか」
重ねて言うと、ミリヤ女王はホッとしたように玉座にもたれかかった。
「いよいよ……なのだな」
「……はい」
「して……どういう手順で進めるのだ? そもそもは宝鏡も、元の形に戻さねばならぬのだろう」
「あ……えっと……」
ミリヤ女王の問いに、ユウは少し困った顔をした。
どうやら、そこから先の女神テスラの真意は読み取れていないようだ。
不意に……ユウの身体がふらりと傾いだ。そして……気配が変わる。
《……われが話す》
瞳が青く輝き……女神テスラが現れた。ミリヤ女王と傍にいたアメリヤが、さっと玉座を離れ、跪く。
《条件のみ述べる。……後は、お主らで考えることだ》
女神テスラの言葉に、俺達は黙って頷いた。
《一つ、ソータは二つに割れた宝鏡を一つに戻す》
まずはそれだな。
ただ……二つは遠く離れた場所にある。俺が宝鏡を持って移動する間は結界が緩んでしまう。
それは……シルヴァーナ女王に頼んで……。
《二つ、デュークの力を極力、削ぐ》
力を削ぐ……つまり、浄化するってことか。
だとすると……暁、シャロット、レジェル……この三人は必要だな。
聖なる杯に封じ込める前に、なるべく小さくする、と……。
三女神はまだ力を取り戻せていない。もしデュークの力が巨大過ぎて聖なる杯に収まりきらなかったら、困るものな。
《三つ、三種の神器でデュークをとり囲み、ソータが三種の宣詞を唱える》
三種……剣の宣詞、珠の宣詞、そして――まだ唱えたことのない、鏡の宣詞。
俺は胸の中の勾玉の欠片に触れた。
多分――わかる。闇を大地から切り離し、珠に纏め――二度と出れないように、封じ込める。
……おそらく、そんな感じだろう。
《四つ、女王は女神に祈りを捧げよ》
そして……三女神が降臨し、神具・聖なる杯にデュークを閉じ込める……ってことか。
「……わかった」
俺が答えると、女神テスラは満足そうに頷いた。
しかし……すぐに、ひどく険しい表情になる。
《ただし……二つ、忘れてはならないことがある》
「え……?」
《一つ、鏡の宣詞は一番最後……聖なる杯を包むために唱えること》
「包む……?」
《われらはいまだ力が足りぬ。デュークを確実に封じるために……ヒコヤの助けが欲しい》
女神たちがデュークを聖なる杯に収めたあと、さらに頑丈に封じ込めるために……ってことか。
「わかった」
《……もう一つは……》
女神テスラはそう呟くとしばらく黙っていたが……おもむろに口を開いた。
《すべてを呑み込む娘――アサヒは、遠ざけること》
「えっ……」
予想外の言葉に、俺は思わず声を上げた。隣にいた夜斗も、驚いて女神テスラを見上げている。
《理由は二つある。聖なる杯にデュークを封じ込める際、アサヒの力が妨げになる可能性がある……ということ》
女神テスラは瞳を閉じた。……心なしか、苦悩しているようにも見えた。
《もう一つは……デュークがアサヒにひどく関心を持っているように感じること……だ》




