44.強欲の神の記憶(1)-デュークside-
苦しい……身体が痛い。
いったい、何が……。
「デューク……」
ひどく狼狽えた声が聞こえてくる。
「う……何、が……?」
「海岸……近付いたら……青い光……妨害……」
ぐう……女神テスラか……忌々しい……。
ヨハネの……ヒトの身体では、女神の攻撃に耐えられなかったはずだ。
こうして――痛めつけられたものの無事なのは……こいつがわたしを守ったからなのだろう。
わたしに操られている以上、わたしの指示がなくては自ら動くことはできないはずなのに……なぜ……。
まぁ、それはよい。わたしは……かろうじて助かったのだから。
「しばらく……休む。お前も……」
「――あ……」
ずっと傍から聞こえていた声が……遠くなる。
テスラよ……あくまでわたしの邪魔をするか。
何千年も昔から……本当に忌々しい存在だ……。
徐々に瞼が重くなる。
……そして、わたしの記憶がゆっくりと過去へと遡っていくのがわかった。
◆ ◆ ◆
ある日……わたしの大切なジャスラが、天界から姿を消した。
わたしに何も告げず――地上に降りたのだ。
二人の姉、テスラとウルスラと共に……一級神の宣旨を受けて……。
なぜ、地上へなど……二級神であるわたしには手が届かないではないか。
わたしは父に文句を言った。しかし……殆ど相手にはされなかった。
ここではそうだ。わたしとまともに話してくれる者はいない。
父の恩恵でうわべだけ付き合う連中ばかりだ。
もしくは……わたしの巨大な力を恐れ、へつらうか。
ジャスラが……ジャスラだけが、わたしの心の拠り所だったのに……。
三百年が経ち……わたしはようやく、地上に降りる方法を見つけた。
父の使者を脅し、すぐ戻ってくるからと無理矢理扉を開けさせた。
そうして降りたパラリュスは……海ばかり広がる、やけに小さな島が点在している、ずいぶんと殺風景な世界だった。
こんな世界のどこがよいのか……。
そう思いながら見渡したとき、女神たちの笑い声が聞こえてきた。
三女神は寄り添った三つの島の宙で、とても楽しそうに話していた。
「――デューク!」
わたしに気づいた女神テスラが顔色を変えた。
「なぜ……」
「愛するジャスラをなぜ奪った!」
「何を言ってるのかしら……」
女神ウルスラがやや呆れたような声を出す。
愛するジャスラは……わたしと目が合うと、申し訳なさそうにウルスラの陰に隠れた。
「ジャスラ……わたしは……」
「――近付くな」
女神テスラが立ちはだかった。
「なぜ愛する者同士を引き裂く!」
「どれだけ身勝手なのだ。しかも……そなたはまだ二級神。地上に降りることは叶わぬであろう!」
三女神が一斉に手を上げる。
弱い女神たちが結束したところで……と思っていたが――油断した。
やつらは一級神の証、神具を使ったのだ。
わたしは果てまで遠く飛ばされ……深い傷を負った。
「……デューク……そなたの気持ちには……わらわは応えられぬ……」
ジャスラの弱々しい声だけが、わたしの耳に残った。
三女神が揃っていては……わたしは太刀打ちできん。
どうにか……ジャスラと話だけでもできないものだろうか。
わたしは姿を隠しながら、三女神がパラリュスと呼ぶこの世界を彷徨い、どうにかジャスラに会うことができた。
「――デューク!」
ジャスラはわたしの姿を見つけると、そっと木蔭に隠れた。
「頼む……もう、わらわを追いかけないでくれ」
「なぜだ。わたしは……」
「わらわはこの国を……自ら創ったこの国を、愛しているのだ」
「国、を……」
「……天界でデュークの伴侶となることは……できぬ」
「……」
わたしはジャスラが創ったという島を見回した。
山、海、平原、崖……さまざまな場所でヒトが働いている。どうやらいくつかの塊となり、協力しながら暮らしているようだ。
「……わらわの力に頼るのではなく……自らの力で切り開く。そんな国を目指している」
「……それはよいことだな」
実のところ、それの何が楽しいのかさっぱりわからなかったが、わたしはジャスラに嫌われたくなかったから同調することにした。
そうすると、少し気を良くしたジャスラがにっこりと笑いかけてくれた。
「……あれが……わらわの分身の、末裔だ」
見ると……ジャスラの面影のある、銀色の髪をなびかせた碧の瞳の女が微笑んでいた。そのまわりには色々な人間が集っている。
「分身……?」
「そうだ。国を一つにまとめるには……まずは礎となる存在が必要だ。われら三女神は、自らの分身を創りだし……国造りを始めたのだ」
「ふうん……」
「三百年でようやくここまで来た」
「そんなに……楽しいのか?」
「……うむ」
ジャスラが、今まで見たことのないような笑顔を向ける。
もう少し話をしたかったが……女神テスラが近寄る気配がした。見つかってはたまらない、とわたしは後ろ髪を引かれる思いながらも、ジャスラの傍を離れた。
そうだ……この後、わたしはわたしなりの方法で国造りというものをやってみたのだ。
ジャスラが……あんなに嬉しそうに笑うから……。
しかし……それは決して、わたしを満足させるものではなかった。
後に残ったのは……この……何とも言えない後味の悪さ……。
――やはり、わたしが求めているのは……ジャスラ、お前だけだ。
パラリュスの空を舞う。
ひどく気分が悪い。もやもやする。
ジャスラ……お前に会えれば、きっとこの不快感も治まるに違いない。
思えば……ずっと国造りにかまけていた。きっと淋しがっているだろう。
そう思いながら、急いだが……私が見たのは、ひどく屈辱的な光景だった。
三女神がヒトの形のまま談笑していた――見知らぬ男と、共に。
わたしは咄嗟に隠れた。
ジャスラ……そいつは、誰だ。
テスラもウルスラも……なぜそんなに楽しそうなのだ。
お前たちは、女神ではないのか。
なぜヒトと――男と過ごしている?
その男は……ヒトにしては不思議な力を纏わせた、妙な出で立ちの男だった。
何と言うことだ……わたしが国造りにかまけている間に……おかしなことになっているではないか。
三女神が――こぞってこの男に魅せられている。三柱合わせてとはいえ……国造りを許された、一級神がだぞ?
何と、滑稽な……!
いや……それどころではない。
ジャスラ……この男の何がよいのだ。神であるわたしをないがしろにしながら、なぜそんなに幸せそうにしているのだ。
こんな歪なことはないぞ……。
わたしは怒りのまま飛び出したくなったが……ぐっと堪えた。
落ちぶれたとはいえ、相手は一級神。また神具で返り討ちに遭ってしまう。
震える身体を鎮め……どうにかその場を立ち去る。
国造りは何の足しにもならなかったと思っていたが……あの女と過ごしたことで、わたしは少し忍耐というものを覚えたようだ。
「……くだらん」
わたしはあの女の影を振り払った。
あの女がわたしに影響を与えるなど……あるはずがない。
そうだ……あんな歪な関わりは、壊してしまおう。神とヒトが慣れ合うなど間違いなのだ。わたしが正しい道を示してやろう。
それに……そうすれば、ジャスラも再びわたしを見てくれるに違いない。
三女神は三柱で一級神。一柱でも欠ければ……恐るるに足りぬ。
それから間もなく……わたしは自分の分身をウルスラの国に向かわせた。
わたしは長い間、このパラリュスに留まっている。女神と直接会って……捕まえられてしまっては元も子もないからだ。
「――デューク!」
国に独りいた女神ウルスラは、わたしの分身を見つけると、ひどく不愉快そうな顔をした。
「いつの間に、そんな技を……一級神に対して本体を隠すとは、無礼にもほどがあるわ」
“まだ天界に戻されたくはないからな”
一級神とはいえ、それは三女神揃ってのことではないか。
そう毒づきたかったが……ぐっと堪える。
“あの男が欲しいのだろう?”
「……ヒコヤのことを言っているの?」
“テスラのところに入り浸っているそうではないか”
分身を駆使して掴んだ情報をウルスラにぶつけてみる。
「……関係ないわ」
“美の女神ともあろう者が……遅れをとるのか?”
「黙りなさい!」
ウルスラが恐ろしく力のある剣を振り払った。
“ぐっ……”
触れた一部が削り取られる。いったい、何だ……その、剣は……。
「――ヒコヤに貰った神器……よ」
ウルスラはわたしの心の問いに答えると、剣を胸に抱えて幸せそうに笑った。
“神器……だと……”
「私はこれで十分。……デューク、早く天界に戻りなさい。このパラリュスは……」
“……ふん”
わたしはウルスラの言葉を最後まで聞かずに、その場を去った。
神器……そんなものがあったのか。どうやらわたしとは相性が悪い物のようだ。
あの男……ヒコヤとは、ただのヒトではない、ということか……。
非常に厄介ではないか。
しかし……ウルスラは明らかに動揺していた。付け入る隙は……必ず、ある。
わたしは一級神をも凌駕する神だ。
三女神に後れをとることなど……ある訳がない。




